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―記念文倉庫―

風呂上がりの政宗が怠いと言い出したものだから、梵天丸は賦役に褥を用意させ、寝かせてやった。
それはまだしも。
日暮れて、夕餉の後に賦役に師事して史書の勉強をしていた梵天丸が突然嘔吐してしまった。これに小十郎は慌てず騒がず対処した。部屋にあった常備薬を飲ませ、素早く褥を整えて、氷嚢、水差し、果物などを用意した。
政宗は、薄暗い奥の間でうつらうつらしながらその気配に耳を澄ませていた。
梵天丸の方は四方に衝立て襖を立てて暖められた中の間に、煌々と燭台を灯して寝かされている。しかも賦役がつきっきりで、喉が渇けば少し砂糖を溶かした水をすかさず与えてやる、と言った甲斐甲斐しさだ。
昔からあいつ、世話好きだったよな…。
ズキズキ痛む頭と身体の節々に微かに唸りながらそう思う。
無愛想で生真面目で融通が効かなくて、必要な事をきっちりこなす四角四面の豆腐野郎、なんて罵ったりしたのは何時の事だろう。
つい先月だって、大内定綱を庇い立てした蘆名氏の領地に侵攻した時に、先陣切って走り出した政宗がかすり傷を負ったのを、延々途切れない小言と共に彼は自ら手当てしてくれたものだ。
今でも、父を失った自分に対してどう対処しようか迷って、手を拱いて。
―――もう、ガキじゃねえってのに…。
ズズ、と詰まりがちな鼻を啜りながら寝返りを打った。
その目の前に、若い賦役の仏頂面があって枕元に屈み込んでいた。
寝首でも掻きに来たのか?と思えるぐらいの凶悪面は、頬の傷は未だないと言うのに充分人を震え上がらせる迫力があった。それがむっつりと黙り込んだまま、がし、と褥の端を掴む。
「……おい…?」
尋ねるより前にずりずりずり、と褥が引っ張られた。
政宗は畳の上を滑るそれの上に横たわったまま、唯一の左目を見開いて賦役の反らされた横顔を見ていた。
やがて褥は梵天丸の隣に並べられた。
不機嫌そのものの小十郎はその梵天丸の傍らに姿勢を正し、取り澄ました表情を取り繕って腰を下ろした。その前で褥の上に身を起こした幼な子が自分を覗き込んで来る。
「梵も風邪をひいた」
「……それで?」
「一緒に寝よう」
「何で?」
「―――…」
梵天丸はそれまで言おうと思っていた言葉を呑み込んだ。
目の前の青年が本心を隠して強がって見せようとしているのが雰囲気で分かったからだ。他でもない、それは自分が何時も賦役に対してやっている事だ。
だから、政宗と同じように横たわると身を乗り出して尋ねてみた。
「10年後からやって来た、と聞いた。そなたは10年後の梵なのだろう?」
「…信じるのか?」
逆に問い返され、少年は少し困ったような顔をした。
「よくわからぬが…話を聞きたい、10年後の」
真剣な顔でそう言われ、終に政宗も苦笑を零す。
「ついこないだ、家督を継いだ」
「梵がか?!」
「…俺がだよ」
「そなたは梵なのだろう、おなじことではないか」
「Ah…. まあどっちでも良い。初陣は15で済ませたが、そっから戦に次ぐ戦だ」
「戦か!もちろん勝ったのであろうな?」
「当たり前だ、佐竹から昔の所領も奪い返してやったぜ」
「すごいな!どんな戦だったのだ?!」
そうやって、尋ねるままに語られる戦模様を興味津々と言った風に聞き入る子供は、熱のせいでもあったが血色の良い頬を更に紅潮させていた。
政宗も未だ調子の良かった頃の闘いの模様を語らうのは楽しかったから、ずいぶん面白可笑しく話してやったものだ。怠さや寒さを忘れるぐらいに。
そんな折りに、城下の町外れにある寺が突く鐘が刻を告げた。
暮れ五ツ刻(夜8時頃)。
小十郎が、その音が消え去るのを待って梵天丸に声を掛けた。
「梵天丸様、今宵は少しばかり早いですが、お休みなされませ。明日は山形様の所へお出掛けなさるでしょう」
「んー、もう少し…」
「お体の具合も芳しくないのですから」
「最上のおっさんに何の用だ?」と政宗が横から口を差し挟んだ。
途端に賦役は眉間の皺を深めて口を噤む。
彼にとって自分が不審者でしかないのは分かっているが、これ程あから様に警戒と嫌悪を剥き出しにされると正直、傷つく。
そう思っていると、梵天丸が夜着の中に潜り込みながら代わりに応えた。
「最上のおじ上のところで法要がいとなまれるのだ」
「ああ…毎年師走の始めにやってたな…」
「母上や竺丸もいっしょだぞ。そうだ、そなたも来るがよい」
「梵天丸様」
賦役の待ったが掛かった。
「だって…梵たちがいない間、この者はどうするのだ」
「だからと言って、山形様の元へこの者を連れて行くなど」
「じゃあ、俺は行かねえ」
「じゃあ、梵もいかぬ」
「梵天丸様」
「いかぬと言ったらいかぬ!」
小さな子供はそう言って頭から綿入れを引っ被ってしまった。
けれど、その端から小さな鼻先を覗かせていて、隣に横たわる政宗に向かって悪戯げな笑みを向けていたりする。
ははあ、さすが俺だ。賦役を困らせる事に賭けては右に出る者はいない。
「あ〜あぁ、お前たちが羽州に行ってる間に俺は冷たくなってんのかなあ」
調子に乗って、政宗もそんな事を嘯き始めた。
「そんなこと、梵がさせぬ」
「伊達の嫡男の臥所で、身許も明らかじゃねえ男がくたばってたら、さぞかし大騒ぎになんだろうなあ…」
「梵が後見人について、たしかな身分の者のところへ仕官させてやる」
「そんな事言ったってお前まだ部屋住みだろ?」
「…梵は…梵だって人を守ることは出来る!」
「飛んでもねえ貧乏くじ引いちまったなあ……」
尚も己の身を嘆く政宗を、今度は梵天丸が思いっきり唇を尖らせて睨んだ。その挙げ句、がばり、と身を起こして己の賦役を振り返る。
「小十郎!!」
その叱責するような、縋り付くような一声に、終に賦役の若い男は盛大な溜め息を吐いた。
梵天丸の意地に乗っかっての悪乗り、それは丸分かりだった。だが、逆にまんまと乗せられてしまった幼い主が言うのであれば、賦役ごときに諌める権限はない。元より、この梵天丸は普段滅多な事で人を寄せ付けない筈が、政宗に対してだけはこれ程の執着を見せるのだ。
「下男の1人として、ですよ」
凝、と目を見つめて最大の譲歩を吐き出した小十郎を、ぱっと表情を明るくさせた子供が見返す。そして、政宗の褥に身を乗り出してはウキウキと言った風に言うのだ。
「よかったな、政宗!」
これに、青年は鼻まで綿入れを押し上げて笑いを堪えるのがやっとだった。
「…しかし、政宗、などと名乗るのは幾ら何でも聞こえが悪うございます。その御名は伊達家9代頭首・大膳大夫政宗公のもの。藤次郎、と言う渾名があるのであれば、そちらを名乗って頂きたく」
仏頂面が尚もそう嘯けば政宗は口の端を歪めて賦役を顧みた。「All right. そのぐらいは譲歩してやる」
「そうか…梵は元服したら政宗、と名乗るのだな」
「親父と烏帽子親の遠藤が決めてくれたんだ。その時まで内緒にしとけよ?」
「わかった!」
「そうと決まったらとっとと寝な。明日は早いんだろ」
「そうだな」
政宗と言う名が大変誇らしく、また父や遠藤基信の抱く期待が相当嬉しかったのか、梵天丸は素直に頷いて褥に横たわった。
そうなった後、尚も政宗は口を歪めてまんまと思惑通りに事が運んだ事にほくそ笑んだ。その唯一の左目が、幼い主の枕元で苦虫を噛み潰したような賦役にと向けられる。
「ちょいと厠」と言いながら身を起こせば、
「案内致す」と案の定その賦役も立ち上がった。

厠のある離れの角まで揃って歩いて行って、ふと先を歩いていた小十郎が足を止めた。自然、その傍らで政宗も立ち止まる。
「貴様、何のつもりだ」
「何が起こるのかは知ってんだよな、小十郎」
賦役の険悪な問いに被せるようにして政宗は言い放った。
その様子がそれまでになく真剣にして侮り難い迫力を孕んでいたものだから、小十郎は一瞬息を呑んだ。
「そんな事で俺の目を誤摩化そうったって…」
「毒」
又しても被せられる言葉。
賦役は、まじまじと目の前の青年の顔を見つめてしまった。
自分と幾らも変わらない年頃だろうに、その雰囲気が重厚な圧力を持って男を包み込む。その事に居心地の悪さを覚えて、眼を反らし咳払いを1つ。
「…何処でそんな話を聞いたか知らないが、根も葉もない噂だ。中傷に過ぎん」
「本人だから知ってるに決まってんじゃねえか…。尤も、気付いたのは後々になってからだが、お前は知ってたのか?」
「………」
「知っていて…放っといたんだな?」
「…だから、どうだと言う」


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