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―記念文倉庫―

『時の輪』
ゲホ、ゲホ、ゲホ…、
わざとらしい咳が冷たい堂内に響く。
それに対する答はパタパタパタと言う、如何にもささやかな、しかし無言の圧力を持った軽い音だ。
本尊の前、導師が腰を下ろす席である礼盤に、長巻を体に巻き付け体を丸めていた政宗は誰が見ている訳でもないのに思いっきり口を歪めた。
「…あのよぅ…虎哉…」
「埃が立ち籠めるので戸は閉められませんよ」
全てを言い切る前に、やたらと早口に切り返された。
分かっている。この年齢不詳の僧侶が早口になる時は手の付けようがない程ご機嫌ナナメだと言う事は。
その証拠に、彼と共に羽箒を片手に手拭いを頭に巻いて煤払いの作業に勤しむ小僧らがやけに無口でギクシャクした動きを見せている。
良い迷惑だったが、本堂のど真ん中にでんと腰を下ろしているのはつい先頃家督を継いだばかりの伊達家頭首だ。文句を言う訳にも行かない。
「いや、火鉢くらいあるだろ…」
「ありません」
「………なら、厨房にでも」
「勤行の邪魔です」
「…………」
パタパタパタパタ…、
庭の雪掻きであれ、境内の普請であれ、厨屋の作業であれ、禅寺のここでは全て尊い"お勤め"なのだ。幾ら竃の火を頼りにそこで暖まろうと企もうと、虎哉の言う通り小僧らにとっては邪魔者以外の何ものでもない。
政宗は全ての言を速攻で却下されて、懐に入れていた片手で自分の頭を掻きむしった。
「―――あのよぅ!」
もう一度声を張り上げようと顔を上げた所で、質素な一重一枚に絹の袈裟を纏っただけの虎哉が傍らに立っているのを視界に入れた。それを、恐る恐ると言った風に眺め上げる。
「最初の三日は致し方ないと思っておりました」
無表情でも何故か微笑んで見える怪僧ののっぺり顔が、政宗のそれを見下ろす。
「五日経った頃からちょっとおかしいなと思い、七日目にはさすがにこれでは頭首として示しが付かなかろうと諌言させて頂きました。けれど、十日を過ぎようと言う今も未だこんな所でうじうじうじうじと…鬱陶しい……」
「…う、鬱陶しいってお前な…そりゃ頭首に対して言うか普通?」
「普通の頭首はこんな所で十日も政務をサボったり致しません」
言下にばっさり切り捨てられた。
政宗は、苦虫を噛み潰したような表情で俯くばかりだ。
「先日、城に上がった折り、片倉どのが真っ青な顔をされて私に相談しに来られましたよ」
幾分柔らかくなった口調で言い聞かせるように虎哉は言った。
だが、それでは却って増々この青年は頑なに殻に閉じ篭ってしまうのだ。僧形の男はひっそりと1つ息を吐くと、静かな堂内を振り向いた。
その拍子に、彼らの様子をびくびくしながら窺っていた小僧らが、ばっと視線を反らして手元の作業に戻った。
「皆さん、ここは後にして講堂を先にお願いします」
密かに見交わされる視線。そして、助かったとばかりにそそくさと小僧たちは立ち去って行った。
年の瀬の煤払い。
資福寺の広い境内にあるそれぞれの建物を全て年内に浄める為に、12月の声を聞いたこの時から始められるのが通例だった。
そうした寺に飛び込んで来た伊達家頭首、政宗の気持ちを虎哉は分かっているつもりだった。けれど、さすがにきちんと話しをしなければならないようだった。
虎哉は政宗の傍ら、板間に直に腰を下ろして手元の羽箒を床に置いた。そうして威儀を正して平伏する。
「…改めまして伊達政宗公、この度のお父上輝宗公のご不幸をお悔やみ申し上げます―――」
「………」
「初七日も過ぎた侯、そろそろ城に戻られて二本松氏への追伐を実行されては如何ですか?家臣らの中には、焦れて血気に逸る者も出て参りましょう」
「その件に関しちゃ小十郎と成実辺りが進めてるよ、慎重にな…」
「とは言え、あなたの裁可を頂かねば彼らも動けますまい」
「その奴らが、さ」
俯いたまま、18の若い頭首は言葉を切る。
僧侶は忍耐強く、続く言葉を待った。
「まるで腫れ物に触れるみてえなんだ。こっちがいたたまれねえよ」
そう言う時こそ頭首たる者、強い指導力を見せて家臣らの士気を高めるのが勤め、それは政宗にだって理解出来る。ただ、今回は少しばかり話が違うのだ、と言いたかった。
父輝宗が厚誼によってその身を助けた筈の二本松に、逆に拉致され、その事によって高まった緊張は、追い縋った政宗が父を自ら射殺すると言う事態まで引き起こした。
ただ父を戦の最中討ち死にて亡くしたのであれば、打ち拉がれた家臣らの尻をひっぱたいて、その後の追伐に打って出ただろう。しかし、政宗がその手でその采配で父は命を落とした。それを近しい家臣らが如何ばかりの心痛か、と思い遣り、政宗の気持ちを波立てないよう気を遣う。
余計なお世話だ、と思った。
父も自分も、代々続いた由緒正しき武家の血筋に生まれ、打ち続く戦で何時なんどき命を落としてもおかしくはない、とそう言う覚悟は出来ていた。
それが父子の関係で起こったとしても、だ。
他人の気遣いがこれ程疎ましいと思った事はない。
同時に、これ以上有難いと思う事もない。
その狭間で、この頭首になったばかりの若者は自分の態度を決めかねていた。
「大丈夫だって言ってるのに…俺が笑うと痛ましそうな目で見やがって。冗談言えば困ったように口ごもる。―――どうすりゃ良いんだよ?」
そう問われて、僧侶は隠しきれない溜め息を吐いた。主に目の前の青年に対して、そして幾ばくかはこの青年の周囲にいる近しい者たちに対して。
「もう暫く彼らとは離れていますか?」
そうして尋ねられた問いに政宗は微かに首を振った。
「お前ンとこも、もういい加減いらんねえし…」
「往く宛なら、ございますよ」
「往く宛?」
ようやく、政宗はこの僧侶を振り向いた。
それに対して虎哉は、何時もののっぺり顔に柔らかい笑みを浮かべた。

そうして、長巻を引き摺ったまま男に案内されたのは、寺の裏山に踏み入った先にあった小さな滝の前だ。
昨夜降った新雪に取り囲まれて如何にも寒々しい。この小さな流れが凍り付いてしまうのも時間の問題だったろう。
政宗の、寒さに震えて吐き出される息も真っ白だ。手足など本堂にいた時からかじかんで氷のように冷たくなっている。それなのに、この年齢不詳の僧侶は薄い一重一枚きりの有様で平然と先を促す。
滝壺の周りの薮を雪に塗れながら回り込み、流れ落ちる水の裏側へ身を潜ませると、そこは滝裏の洞窟になっていた。
勿論積雪は見られず、それよりも却って僅かに暖かい。
洞窟を先へ進めば、滝裏からの陽の光が辛うじて届く辺りに、ちょっとした水溜まりが出来ていて、虎哉はその縁で足を止めた。
「ご覧になれますか?」
隣に立ち止まった伊達家頭首にそうして静かに尋ねる。
尋ねられて政宗は、身を伸び上がらせて水溜まりの奥へと目を凝らした。
「水中です」
微かに小波を起こして光を踊らせる水面を透かし見れば、その水は水底まで見通せる程清く澄んでいて、そしてそこに自然の岩棚ではない黒いものを見つけた。
「…何だ、あの黒いの」
「私が遠い西から持ち帰った者より譲り受けたものでして、その不思議の技がこの世に与える影響を慮って、ここにこうして封じております」
「不思議の技?」
「時を越える事が出来ます呪具、と申しましょうか」
そう言われてもピンと来ない。
そんな様子の政宗を振り向いて、虎哉は笑みを深めた。
「…はかなくて、またや過ぎなん来し方に、かへるならひの世なりとも…」
「…徒然草の坊主が何だって?」
「ちょっと昔を懐かしく思い出してみては如何でしょう」
「昔?」
「ええ、昔…今は昔。お伽噺のように過ぎ来し方へ、あの鏡は連れて参りましょう」
「―――…」
「どうぞ、あれを手に取って」
そんな馬鹿な、と思いつつも、政宗は邪魔になった長巻をその場に捨ててざばりと水際に足を踏み入れた。
水は、微かに暖かかった。
ざばり、ざばり、
中央まで水を蹴って進んで行く。水嵩は太腿の辺りまでで、仄かに蒼白いその水面が揺れて水底にあるものを砕いて歪めて映し出す。
政宗はそれを取り上げた。
研磨の跡もない漆黒の鏡面、裏返せば異国風の幾何学文様、蛇の形をした紐通しが付いているが、そこに通されているものは未だ、ない。
掌程の大きさのそれを両手に持って、漆黒の面を覗き込んだ。

そこに見えたものは―――。

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あきゅろす。
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