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―記念文倉庫―

庭に照りつける日差しの中に、高校上がりたての政宗の姿を思い描きながら佐助は続けた。
「1人で生きるんだって覚悟の塊だったな。力んでる訳じゃないんだけど何処か隙がなくて。張り詰めたものは弱いでしょ?硬いダイヤモンドが実は傷つき易いみたいにさ、そんな感じ」
「―――…」
「トラジローがさ、気道炎になってちょっとヤバい感じになった時があるんだよね。小十郎さん知らないだろうけど、インコって群れで生活する動物だから自分が具合悪いの隠しちゃう所があるの、何でか分かる?自然界じゃ病気の個体は見限られるのがルールだから。人間はそんな事しないけど、人間に飼われてる子も一緒。トラジローったら伊達チャンにも苦しいの隠して、伊達チャンが気付いた時にはかなり弱ってたんだよねー、あの時は大変だったわ〜」
論点がズレたように思えた片倉は「政宗はどうしたんだ」とそれを修正した。
「ああ、そうそう。伊達チャンたら真っ青な顔して診療所に飛び込んで来て、あれ殆どパニックだね。トラジローが死んだら自分も死んじゃう!って勢いだった。もしそうなったらペットロス症候群なんて生温いもんじゃ済まなかったと思うよ。ダンナが一生懸命宥めて、大将が速攻で治療して事なきを得たから今があるけど」
言葉を切った佐助に返事をするでもなく、片倉は碌に読んでもいない新聞を捲った。
「けど、今は大丈夫かなーって思えるようになった。ペットの方が絶対寿命、短いからね。それにいちいち引き摺られてたんじゃ堪んないでしょ」
「あのな、佐助―――」
「でもさ」
新聞を畳んで改めて何か言おうとした男の言葉を、鋭い声が遮った。
「小十郎さん、敵も一杯作ったよね。商売敵、切り捨てたかつての仲間、恩師、etc.…。そう言うのにとっちゃ伊達チャンは最高の弱点…わかる?俺様は大事な人たち守る為にどんな事でもして来たから言うんだけど、伊達チャンを巻き込むなよ?」
振り向くと、窓辺に寄り掛かった佐助が冷ややかな瞳で見下ろしていた。それは他の誰にも、特に武田や幸村には絶対見せない青年の本質であり、彼の強い意志の現れでもあった。


食事の後、政宗や佐助と一緒に片付けを手伝っていた幸村がおずおずと言った感じに切り出して来た。
「その…政宗どのは夏休みの宿題を…終えられたでござるか…?」
「Ah〜?そんなもんとっくの昔だぜ。…もしかして幸村…?」
洗われた食器を乾いた布巾で拭いていた政宗がその手を止めた。左目だけで睨んでやると、幸村は泡だらけの手の中の皿を抱きかかえて固まった。
「えーと、その…」しゅん、とその体が一回り小さくなったように幸村は萎れた。
「武田のおっさん!!」
政宗はそんな同級生を無視して居間で寛ぐ武田信玄を怒鳴りつけた。
「何じゃ政宗?」
帰って来たのは武田の暢気な声。
「あんた、幸村が宿題片付けてねえの知ってたのか?!」
「何だと?!」
のしのしと足音高くやって来た武田が鬼の形相で幸村を威圧して来る。放っておくと拳が飛んで来そうだったが、その2人の間にずいと身を差し挟んで来たのは政宗だった。
「おっさん、あんたが診療所の手伝いばっかさせてるからだろうが」
「……う、政宗、お主―――…」
「今日明日は幸村に手伝いさせんな」
「政宗どの…」
「幸村!」
「はいっ!!!」
高く名を呼ばれて幸村はびしっと背筋を伸ばした。
「終わるまで寝んじゃねえぞ…」
「ええ?!」
言うだけ言って政宗は手際良く食器を片付けて行く。
この先の事を思って呆然とした幸村から洗いかけの食器を奪って、残りの汚れ物も見る間に奇麗にして行く。
フライパンや調理器具を片付けていた佐助は、そんな2人の様子を見て苦笑を刻んだ。
「俺様も手伝ってあげたい所だけど、これから仕事だからさあ、まあ頑張ってよダンナ」
「うぅ…佐助ぇ〜」
半泣きの幸村を佐助は肩を叩いて励ました。

片付けを終えるなり、政宗は幸村を引っ張ってずんずんと2階へ上がってしまった。それを見送った佐助は、メルの入ったゲージの前で背を丸めている武田に声を掛ける「じゃ、大将。行って来ます」と。
「お、うむ。気をつけてな」
「はーい」
荷物も何もなく手ぶらで居間を出て行く佐助の後ろ姿が明るく返す。やれやれ、と呟きつつ武田はゲージからメルをそっと引き出した。
にう、とメルはちょっと甘えたような声で鳴く。
ふと顔を上げた武田は、卓袱台に肘を突いた男を振り向いた。
「…手伝いは勘弁して下さいよ」
と微苦笑を浮かべた男が言う。
「まさか…お主にそんな事はさせられんよ」
情けない笑みを浮かべるゴツい男を、片倉は何とも言えない可笑しさの内に見る。何時の間にか負うた子に教えられ、の心境なのだろう。熱心な余りに周囲が見えなくなる武田と違って、政宗は周囲の状況を良く観察していた。
「んじゃ、俺もそろそろお暇します」と言って卓袱台から立ち上がった男を見上げて、不意に武田は真剣な表情を見せた。
「お主、昼の仕事に切り替えるつもりはないのか?」
「え…?」
唐突な話題だった。
武田は片倉がホストクラブのオーナーだと知っても別段説教がましい事を口に昇らせる事もなかった。仕事に貴賎はない、犯罪行為に及ばない限り、どんな職業も尊ぶべきだと言う考えを持っているからだ。だから佐助が危ない橋を常に渡るような現場に出て行くとしてもただ見送っていた。
こんな事を言い出すのは武田らしくなかった。
「―――…?」
「昼の仕事の方がお主に合うておるように思ったまでだ。…気にするな」
さっさと行けと言うように顔を反らされ、片倉は口の端を歪めた。
「武田さん、あんたとは今度ゆっくり酒でも飲みたいですな」
「何時でも誘って来るが良い。…昼間は無理だがの」
2人の間の時間には齟齬がある事を互いに含みつつ、彼らは微かに笑い合った。片倉は軽く会釈をして診療所を後にする。
夏草の繁茂する玄関前で片倉は古びた建物を顧みた。
もう一日、青年を独占出来ると思っていた当てが外れた、と言って1人自嘲の笑みを漏らす。それでも苦々しいと言うより何処か穏やかにそれを受け入れている自分がいて、笑えてしまうのだ。
確かに、こんな感覚は自分自身にとっても新鮮なものだった。



夕方までぶっ通しで政宗のスパルタ教育は敢行され、あたふたしながらも幸村はそれに何とか着いて行った。
参考書と問題集、それにレポート。それらの中から1人でも出来るようなものはすっ飛ばし、引っ掛かりそうな所を重点的に政宗は指導した。それと、始業式直後に入って来る科目を率先して片付けておくのも忘れない。休日を挟んでから一回目の授業が始まるものはそれまでにやれば問題ない訳だ。
途方に暮れていた幸村も何とかやり切れそうな気がして来て、緊張に強張っていた肩を下ろした。
「何か飲み物、持って来ていいか?」と政宗は、自分で問題を解き始めた幸村に問うた。
「冷蔵庫にカルピスがあったでござるよ」
「もらうぜ」
「どうぞ…でござる」幸村の返事は半分上の空だった。
政宗が静かに出て行った後、暫くして幸村の部屋の戸がカチャリと音を立てた。それが何時までも政宗の声を発しないものだから、幸村は何となく背後を振り向いた。
椅子の下に視線が落ちる。
ぴたり、と足を止めた小さなメルがびっくり眼で幸村を見上げていた。踏み出しかけた前脚もそのまま固まっている。
キャラメル色した斑が美味しそうに乗っているその子猫を幸村は素早く抱き上げた。
「メル!検査は終わったでござるか?」
なーお、と応えをするように子猫は鳴いた。自分を抱き上げた青年の腕に後ろ足を引っ掛けて不安定さを訴えてみる。
「ん〜、本当に重くなったでござるなあ。政宗どのが懸命に世話をされたのが分かるでござる。メル、お前は良き主を得たのだな」
にーう、
髭を揺らしつつ鳴く子猫が愛しくて、幸村はその小さな鼻に自分のそれを押し付けた。子猫独特のミルクの甘い香りがする。
「ん?」
な〜う、
「片倉どのの事でござるか?」
余所見をするメル相手に幸村は首を傾げた。
動物は目と目を合わせるのを嫌う。凝視するのは敵意がある場合や獲物を狙ったり狙われて緊張している時だけだ。躾をする時はともかく、普段は視野に入れる程度でいい、と心得ている幸村は目だけで天井を振り仰ぎながら手の中の子猫を抱き締めた。
にー、と小さく鳴いたのがどんな言葉だったのか、幸村は見る見る顔を真っ赤に染めて行った。
「…そ、それは、つまり…!」
「おう、こんな所にいたのかメル」
「!!」
ガタッと椅子を鳴らして幸村は仰け反った。
「……どした?」と言って戸口で盆を持った政宗が立ち尽くしていた。
「は……」
「……は?」
首を捻りつつ一歩を踏み出した。
「はれんちでござらぁぁああぁうっっっ!!!!!」
「Haa?!!」
猫を投げ出し、幸村が椅子から転げ落ちた。
「おいっ、幸村!」
卒倒しそうな勢いで倒れた椅子を蹴飛ばし、幸村は逃げ去って行った。全く訳の分からない政宗は呆然とそれを見送った。
な〜お、
声に呼ばれ足下にじゃれつくメルに左目を落とす。それを片手で掬い上げた政宗は「変な奴だな?」とメルに同意を求めた。
まさか幸村が「某先生」のように動物の言葉が分かるとは思ってもみない、思いつく筈もないだろう。政宗はせっかく持って来たカルピスが温くならないうちに1人でそれに口を付けた。
幸村の分は机の上に起きっ放しのままで。



月曜日。
夕方まできっちり幸村の宿題に付き合った政宗は、バイトだからと診療所を辞す事にした。
眠気でふらふらになりながら幸村は玄関まで見送りに出て深々と頭を下げた。
「政宗どの、このご恩一生忘れないでござる」と俯いた口からデカイ声で吠えながら。
「大袈裟なんだよ、手前は」
素っ気なく言い放ってくるりと背を向ける政宗。
多少過ごし易くなった夕闇に、庭木から蝉の声が降り注いでいた。
たった一週間の生命の謳歌が降り注ぐ。

政宗が人前でピアノを演奏しなくなったと言っても、全くと言う訳ではない。
夏休み中でもウィークデーの夜に入れていたバイト、その内でも決まった曜日、決まった時刻にほぼ毎日、青年はホストクラブを後にして出掛ける。
それは盲目の老女の元であったり、難病に冒された少女の元であったり日によって色々だったが、つい最近新しい「客」が政宗に着いた。
立派な家には違いないが、何処か古くくたびれていて暗がりの多い屋敷だ。純然たる日本家屋をベースに大正、昭和、平成と存続し続ける中で時代の波に洗われ、むしろさっぱりした感がある。
日に焼け色褪せた畳も黒ずんだ柱も、余り使われる事のない和洋折衷の大広間も、静けさの内に眠りに就いている。
その横を通り抜け、家人に案内されて廊下を歩く政宗は、この水の中の沈黙のような静けさが好きだった。

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