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―記念文倉庫―
14
その背を見送った政宗も何とか立ち上がる。
そして、少女の残して行ったローブを拾い上げた。それは微かに砂の香りがして、乾いていて清潔なものだった。片倉のジャケットを放りローブを肩に巻き付けると膝から下が覗くが、ジャケット一枚よりも余程マシだった。
ふと顔を上げると、傍らに立った片倉と視線が合った。
「そいつはお前が着てろ」不意と顔を反らしつつそう呟く。
片倉は床に蟠った上着を取り上げた。それの埃を払いつつ、俯く青年の顔を覗き込む。その横顔が微かに、言った。
「あんたの言う通りだった…」
「…何がだ」
「死ぬより辛い目、ってのは本当にあるんだな―――」
「……っ!」
顔を強張らせた男が物凄い勢いで青年の肩を掴み寄せていた。
「…松永に何をされた…?!」
問われて、身の奥がぞくりと震える。
自分に起こった事など口が裂けても言えなかった。ただ、歯を食い縛って体の芯を揺さぶる恐怖を捩じ伏せる。
「何も―――」と応えた声が動揺しないよう気を配るだけで精一杯だ。
そして、男の強張った腕を一つ叩いた。
「一つ一つ、慣れて行けば良いんだろ」
そう言って背を向ける青年をそれ以上片倉も引き止められなかった。
生きる事を選んだのだし、魔物の側に転がり落ちて行くのは拒絶したのだ。
闘い抜くしかなかった。

帰路に就く。
神々の峯に背を向けて、俗世に塗れた人界を目指した。




ようやくの事でイスラマバードの長閑な町に入った時には、引き返してから幾度目かの夜になっていた。
一緒にヒンズークシ山脈の麓まで行ったシェルパの生き残りが町の入り口で待っていて、帰還したハンターたちを奇跡的な思いで迎え入れた。松永を滅ぼしたのかと口々に褒め讃えたが、彼らは何とも返事のしようもなかった。
彼らに案内されたイスラマバードのホテルで政宗の伯父の最上は寝込んでいた。
寝込んでいると言ってもあから様に元気で、ベッドに上身を起こした伯父の顔は折れた前歯のせいでどう見てもアホっぽい。ヨーロッパに戻ったら早速挿し歯をするのだ、と頻りにその事を気にしている所が如何にも小心者らしく言うべき言葉も見つからなかった。
「ご苦労だったな2人とも。良く休んでから我が輩と共にヴァチカンに行くぞ!」
「Ha?」
「何だと?」
最後の労いの言葉に、2人のハンターは凶悪な面を振り向けた。
「何だ、松永久秀を斃したと言うのに、何を2人して不機嫌丸出しに我が輩を睨みつける。そなたらの株が上がれば我が輩の箔も付こうと言うもの。何なら、特別に祝ってやっても良いぞ?」
2人が揃って生きて戻った事に最上も完全に松永が滅んだと思い込んでいるようだ。だが、彼らはあの吸血鬼が灰になった所をその目で確認した訳ではない。口ごもる2人の青年の様子に、最上はふかふかの枕に寄り掛かったまま首を傾げた。
「もしかして、私たちより先に帰還した…?」と部屋の隅の椅子に腰掛けていた神父が水を向けてみた。
「そう!三好長慶が見届けたと申しておった、これで桁の違う報酬が2人に入るであろう!」
「…おい、おっさん」
ハンターの報酬を我が事のように喜ぶ伯父を無視して政宗は呼び掛けた。
「おっさんとは何であるか!伯父上と呼ばぬか!!これだからろくな躾も受けずにふらふら育った風来坊は人前には出せぬのだ…!」
「手前なんざおっさんで十分だ」
甲高い声でぐちぐちと零し続ける男を一蹴すると、青年は少し腰を屈めて伯父の小さな目を覗き込んだ。威圧するように。
「手前が狙ってたのは、松永が開発した対吸血鬼用の玩具だろう?」
「―――…」
未だ何か文句を言おうとした口は開きっ放しのままで固まった。その両目が泳いで言い訳を探しているようだが、それが言葉になる前に政宗は冷ややかな眼差しをしつつ体を起こした。
「残念だったな、そいつでルナ・ステイツの吸血鬼どもを良いように操ろうとでも企んでやがったんだろうが、全部破壊してやったよ。製造法も謎のまんまだ、悪ガキどもに悪戯されずに済んだって訳だ」
「ばか者!それがあれば仕事も楽になったであろうに…っ」
「ああ?」
声と共に脚が飛んでいた。
イスラマバードの市場で売っていた軍隊のような上下と揃いのブーツだ。それが最上の寄り掛かっていた枕に突き立てられる。中身の羽毛が飛び散った。
「楽してハントが出来るんだったら、ハンターなんざいらねえんだよ」
「……………」
ギリ、と踏みつけてブーツは退いた。
「我はヴァチカンへは寄らぬ」
そう言って、寄り掛かっていた壁から背を離したのは元就だ。
「報酬ならハンターズギルドの我の口座に振り込んでおけ。そなたの愚かな道化に成り下がるのは御免だ」
そんな捨て台詞を背に、ハンターは最上を一瞥する事もなく部屋を出て行った。
「奇遇だな、あの能面と初めて意見が合ったぜ」
そう言いつつ政宗もゆらりと体を揺らして元就の後に続いた。
「ま…待て…政宗っ!」
叔父の声が必死に縋り付いて来るのにも振り向きもしない。
「政宗、そなたの父の席が空いたままなのだぞ…!それを、そなたに埋めて欲しいと……」
言葉を断ち切って扉は閉ざされた。

扉の閉じたけたたましい音に、廊下の真ん中に突っ立っていた元就が驚愕も露わに振り向いた。
何事かと見返していると、何やら不思議な戸惑いを見せて彼は走り去ってしまった。
その青年の影になっていた所、ホテルの廊下の柱の影に、シミのような姿をひっそりと佇ませている三好の姿があった。吸血鬼と元就がどんな言葉を交わしていたのか、政宗には想像もできない。
「おい―――良いのか?俺たちは…」
「当分あの方は姿を見せぬ」
「………」
三好の一方的な言い草に政宗は片眉を上げた、その言葉の内容にも。
「吸血鬼に"生きよ"と言った者があった」
その吸血鬼の光を宿さぬ黒瞳が何の感情の色も帯びずに政宗を見つめていた。
後から最上の部屋を出て来た片倉は、ハンターと吸血鬼が対峙する廊下を視界に納めてその場に立ち止まる。
「ただ漫然と時を過ごすのではなく、生きよと…。それが吸血鬼による所の吸血行為ならその挑戦、人間は何時でも、何時までも受けて立つだろう。自分が倒れても次の者が、そのまた次の者が"生きて"いる限り何度でも、―――闘う」
ガチガチと牙を鳴らしながら語る吸血鬼の言葉には、不思議な色が宿っていた。政宗はそれを何故か懐かしいもののように感じた。
「あの方の止まっていた刻も流れ出した…」
ボタボタと、何かいやらしいものが床に散った。
政宗は見ていた。
ぐらりと傾いだ吸血鬼の背から生えた白木の杭の切っ先を。
その足下に広がる赤黒いシミを。
吸血鬼の膂力ならば心臓を貫いた杭であっても引き抜く事は出来た筈だ。それを敢えてせず、ヒンズークシ山脈からずっと抱え続けて来た魔物の心理を政宗は理解出来るような気がした。
いや、本当の所は分からない。
理解など、どうでも良い事なのだろう。
「次に姿を現した時が奴の最期だ」
政宗はただ静かにそう言った。
「その時は又見届けさせてもらう」
吸血鬼はくぐこもった声の内にそう応え、壁の中に消えた。

政宗は元就と共に与えられた一室で荷物をまとめていた。
2人とも、無言で競ってこの部屋から、ホテルから出て行こうとしているかのようだった。
「…貴様は何処へ行くつもりだ」
そこへ、ぽつりと落ちた声があった。
気のせいかと思って政宗は手を止めて、もう一つのベッドの端に腰掛けてガサゴソと荷物を漁る細い背を見やった。
「―――…?」
「…………っ」
長い沈黙に耐えられなくなったらしい元就が鬼の形相で振り向いて叫んだ「貴様の耳は飾りか?!」と。
「………」何とも言えない表情で政宗はその顔をつくづく眺めてしまった。
「まだ決めてねえよ」
「―――そうか」
再び沈黙が降りて、小さな荷物をまとめる微かな音が今少し続いた。やがて立ち上がった元就が、背を向けながらぽつりと呟く。
「…また頼む、と言われた」
刹那、手を止めた政宗はひっそりと苦笑を零す。
「その頃、あんたがくたばってたら代わりに俺が奴を滅ぼしてやるよ」
「………」
何か呪いの言葉一つでも言ってやろうかと開いた口はしかし、何言も紡ぐ事はなかった。別れの挨拶もなくただ戸を開けて出て行くだけだった。
しかし、元就が掴もうとした先でドアノヴが勝手に回りその向こうの人物が戸を押し開けて入って来ると、思わず後退っていた。
感情の読めない物静かな双眸がちらと元就を見やりつつ、脇を通り過ぎて行った。
振り向いた先で神父は政宗の傍らに立っていた。
「行くのか?」
「…悪いかよ」
「戻って来い、何時でも好きな時に」
聞き慣れない言葉を聞いた、と言うように政宗は神父を見やった。
「何で」と思わず尋ね返していた。
「旅の空でお前がくたばったのを気配で察するなんざ願い下げだ」
「―――っ!」
怒りに顔を歪ませた政宗だったが、こんな事を嘯く男の不器用さが今はもう分かってしまう。
彼が自身の眷属を未だかつて1人も迎え入れた事がない、と言う松永の言葉と共に男の思いが何処にあるのかを思った。
自分は彼の初めての、そして唯一の眷属なのだ。
「勝手に殺すな。俺は1000年でも2000年でも生きてやる」
「…可愛げのねえ野郎だな…」
「だいたい何が"戻る"だ。あの村は俺の故郷でも何でもねえ」
「わからねえか?」
「わからねえな」
素っ気なく言い放って立ち上がる。
その政宗は何時もの通り重たげな黒のロングコートに黒いレザーパンツと言った出で立ちだ。放浪するヴァンパイア・ハンターの有様だった。
ハンターの師の元を出てからと言うもの、定まった塒を持たずバイク一台を旅の友にして流れて来た。ヨーロッパ、中東、アジア、新大陸、依頼が飛び込めば何処へでも。何処か一カ所に腰を落ち着ける事など考えた事もなかった。闇の賜物を受けた今でもそれは同じだった。
闇に落ちるのは実に容易い。
だが、闇の中だろうとそこに己はいた。落ちて行く自分を見ている己がいた。居るのであれば冷えて凍え切っているよりも一点の意志と熱でありたい、そんな思いを言葉にはできぬまま政宗は抱えていた。
その体が引かれて、男の腕の中にすっぽりと包まれてしまうと顔を上げた所で唇を塞がれた。
普通のキスだった。
何時もの生命を嘲笑い、生命を嬲り、欲望と快楽の虜とさせる魔物の口付けではなかった。
「わからないか?」と穏やかに問われて政宗は混乱した。
返事をする前に、再び唇で唇を覆われた。
静かに唇を吸われ、舐られた。ちゅくちゅくと鳴る可愛げな水音に首筋が泡立つ。ずくん、と痛む心臓が新たな鼓動を刻む。
不服の呻き声は何時しか甘えたような鼻にかかるものとなり、縋るように神父の法衣を鷲掴んでいた。
「…これでも、わからないか…?」
「………っ」
合わせた唇の間から僅かに震える声で重ねて問われても、応えられない。
激しく、強く、掻き抱かれた。
冷たい男の体を確かめるようにその背を抱き返し、肩口に頬を寄せた。ふと目を開けると戸口に張り付いて目を真ん丸に見開いた元就とばっちり視線が合った。
「―――…!」
バンバンバン、と凄まじい音を立てて政宗は言葉もなく男の背を叩いた。
エルダーはそこに元就が居る事など端から承知の上だった。だからちら、と背後へ視線をやっただけで「放っとけ」と短く言い放つ。
バカにしたようなその言い草に元就は別の意味で顔を真っ赤にした。
「この…痴れ者どもめが!!!!」
声高く一言叫んだ彼は部屋から飛び出していた。
その足音が遠離って行くのを意識の片隅で追いながら、片倉は青年から手を離した。
「……頭おかしいんじゃねえのか…手前」
解放された政宗は真っ赤な左目をしながらそんな事をぶつぶつと零した。
「長く生きてるとな」
「俺はゲテモノかよ」
青年の速攻の返しに、男はただ笑う。
そうして窓際まで足音もなく歩み寄り、夜明けまではまだ間のある昏いイスラマバードの町を眺めやる。
「今度、松永の野郎が姿を現したら俺が八つ裂きにしてやりてえんだがな…」穏やかな背が、やたらと物騒な事を呟く。
「…何言いやがる、奴は俺の獲物だ」
ハンターが言い放った言に振り向いた男は薄っすらと目を細めた。
「……だな」
穏やかに言ったエルダーの有様には何処か諦観が漂っていた。
1000年生きて来て、そうやって見送って来たものも数知れないのだろう。彼がどう足掻こうとその手から零れ落ちて行くものはどうしようもない。
「途中で止めんな」
その姿を見つめながらそう言っていた。
「出て行くんじゃねえのか?」
「夜が明けてからだ」
「まるで人間みてえだな」
「まるで、じゃなくて俺は人間だ」
「………」


闇は落ちて、

片倉は窓に寄り掛かったまま両手だけを差し伸べた。
それへ歩み寄った政宗は、男の頭を両手で抱き込んで引き寄せられるままに身を任せた。

有もなく無もないそこに、潮騒のような血のざわめきがあった。

 その中に灯る一点の熱。


20110813
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