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―記念文倉庫―
13
政宗が牙を突き立てた首筋からはどくどくと小さな滝のように血潮が流れ出していた。
それとは別に、男の唇を濡らして鮮血はつ、と溢れた。その唇が笑みの形に歪む。
「残念ながら、これでも卿も私も死にはしない…苦しいかね?」
自分と青年の体を同時に差し貫きながら吸血鬼は尚もその刃を抉った。血反吐を吐きながらハンターが痙攣する。男の眉根も僅かに寄せられた。
「このまま私と永遠に痛みを分かち合ってくれるかね」
この世のものとは思われぬ凄絶な告白だった。
それすら耳に入らないまま、政宗は喘いだ。
死の恐怖が襲う。だがそれは終わらせる事をしなければ永遠に続く痛みなのだ。心臓を刺し貫かれて、それでも死と言うものは遠い影法師。逃げ水のように遠離って行く。
―――お前の方へなんか、行きたくない。
そう思っていながら声は出なかった。
呼吸が出来ない、血の溢れた喉はごぼごぼと不快な音を立てるだけだ。

「松永久秀!!」
その名を呼んだのは、毛利元就だった。
息せき切って破壊された礼拝堂の中に飛び込んで来た彼は、素早く状況を察した。
石畳の上で無惨に失血死した毛むくじゃらの獣が3匹、全裸の青年を抱き締めつつ己の胸と共に背から一刀で貫いた吸血鬼が1匹。
―――正に血の狂宴、いや、気違い沙汰だ。
不老不死などと言う馬鹿げたものを手に入れた吸血鬼どもは、その生命の有り様に倦んでいるかのように生命そのものを玩ぶ。それは他己に限らず自己に対してもそうだった。その行為はおぞましさの極みだ。退屈しているのだろう、無様に生に縋る人間の方がよっぽど可愛げがあった。
醜悪さも卑小さも、人間の方が徹底している。
「滅びよ!松永久秀!!」
吠えながら、真円の形に組んだ円月刀を大きく振るった。
それの輝いた軌跡が弧を描き、そこに如何なる聖域が発生したのか碧翠の光の中からそれは生み出された。
毛利元就の最後の奥の手、彼の下した魔物たちの中でも最大最強の捕われた魔人―――。
水牛の頭に雄々しい男の体を持った怪物だ。
ギリシャ神話ではミノタウロスと呼ばれたそれが、吸血鬼たちの手によって太古の昔遊び半分に作り出された血と肉の産物だと知る者は少ない。元就はそれを翡翠の迷宮の中で見出し、嫌悪し憎悪の果てに打ち下した。
そして、ミノタウロスは生まれの血腥さから生まれながらに狂っていた。
人と、吸血鬼と、水牛の血と肉と因縁が混じり合った哀れな夜の子供―――。
全身を現したミノタウロスにとっては、この礼拝堂も手狭なものに過ぎなかった。無理矢理不愉快な現世に呼び出された怪物の沸点は容易く越える。
一抱え以上もあるような両腕が風の唸り声を上げてぶん回されると、礼拝堂の列柱は紙の如くひしゃげて吹っ飛んだ。
叩き付けられる拳を避けて、松永は何度か飛び退ったが終に着地に失敗して、よろける。政宗に血を吸われた影響もあった。
血で濡れた床に滑らせた足を踏み締めて、ふう、と苦しい生きを吐き出す。
ミノタウロスの影から光陰のように飛び出した元就の円月刀が狙い違わずその首を掻き切っていた。
噴水のように血飛沫が上がる。
ミノタウロスが吠えた。
顔に飛び散った生温いものと、そのけたたましい雄叫びに政宗は我に返った。目の前に首を半分まで断ち切られて動きの止まった吸血鬼がいた。間もなく再生が始まる。
政宗は男の腕ががっちり腰を掴んで離さないと見るや、その広がった傷口に再び牙を立てた。両手で男の肩と頭とを抑え付けて力任せに食いちぎる。
そこへ、衝撃が襲った。
体がくるくる回転しながら天井に叩き付けられる。
ミノタウロスの拳に直撃されて全身がトマトのように潰れた気がした。ぐしゃり、と音がして床に落ちた直後は身動きもままならなかった。
彼の側に同じようにして落ちた松永は、変な形に傾いた首の重さに引き摺られるように起き上がろうとして倒れる、を何度か繰り返していた。
そこへ元就の円月刀が追い縋る。
心臓を狙って振り下ろされた二本の刃は僅かに反らされ、肺と脇腹に突き立った。そのまま、吸血鬼の体を円月刀の切っ先に引っ掛け、元就は思う様宙へ放り投げた。
それを、ミノタウロスの牙だらけの口がキャッチする。
身の毛もよだつような音が響いた。
ボタボタと寝穢く血塊が滴る。
血塗れの牙の隙間から、じゅるじゅると下卑た血を啜る音が木霊する。
それを凄まじい形相で見上げていた元就が、政宗を振り向いた。
「汚れた血め…」犬歯を剥き出しにして低く嘯くその表情は悪鬼そのもの。
霞んだ視界でそれを見上げた政宗は薄く笑った。
「貴様にも引導を渡してやる」
吸血鬼より余程血も凍える声で元就はそう言い放った。
「いや、…俺は未だ生きていてえな……」
ゴロゴロと血の詰まった喉を鳴らしながら政宗は応えた。
不意に元就の腕が鈍る。
それは、そんな台詞だった。
睨み合う事暫時、不意に元就は軽く目を見開いた。
瞬きの隙間に、目の前で倒れていた筈の青年を抱え上げた人影がいた。その人物が立ち上がると、元就は思わず振り仰ぎながら一歩、二歩と後退っていた。
「まだ油断するにゃ早過ぎるぜ」
その声に聞き覚えがあった。
だが、元就はその男から無理矢理視線を引き剥がして背後を振り向いた。
血を啜る音は続いている。
なのに、ミノタウロスは己の口に手を突っ込んでもがき苦しんでいた。
血を、啜り合う吸血鬼とその申し子―――込み上げる吐き気が恐怖を圧倒した。
「心臓を刺し貫き、首を斬り取る……でなきゃ奴は滅びん」
闇から這い寄る声に、元就は再び床を見下ろした。
そこには血溜まりしかなく、声の持ち主も、瀕死の新米吸血鬼もいなかった。殺気が、爆風のように襲って元就は横っ飛びに転がった。
苦悶の果てに暴れ出したミノタウロスが支離滅裂に手足をばたつかせていた。それの巻き起こす風に体が持って行かれそうになる。
元就は木の葉のように翻弄されながら、ミノタウロスの体に飛び乗っていた。
一方政宗は、崩れた瓦礫の隙間で口に押し当てられた冷たいものに牙を突き立てた。
「―――生きろ」と、朦朧とした意識の中で声はした。
「生きて闘え、人間である事を諦めるな」
言いながら、青年の右手に松永の直剣を握らせる。
男の言葉と共に、体の奥深い所に炎が落ちて来た。
闘え、
最期の一片が燃え尽き、灰になるまで。
灰は灰、塵は塵。
その時、有もなく無もなく。

唯一点、

熱と、

意志が、

あった―――


大河の奔流のような血海の中で銀光が数度、瞬いた。





流れ去った血の代わりに、黄金の光が差し込んで来た。
血の海に倒れたミノタウロスは元就が翳した円月刀の中に消えて行った。その後に残された血塗れの肉片の中に松永の姿はなかった。
粉微塵に噛み砕かれ切り刻まれたか、それともまんまと逃げ仰せたのか、もはや彼らには判別が付かなかった。
ただ、疲労の極みと燃え尽きた戦闘の余韻に浸るばかりだ。
山脈のギザギザした山の端から登る太陽はまるで何も知らぬげに能天気ですらあって、夜の陰惨な闘いが冗談のように思えて来るから不思議だ。
チベット寺院の礼拝堂、そのあちらとこちらに離れて座り込む政宗と元就は背を向け合ったまま一言も交そうとはしない。別にどちらかがどちらかを待っている訳でもない。ただ疲れて立ち上がれないのだ。
そこへ、寺院の周辺を見回って来た片倉が姿を見せた。
血みどろのインナーは脱ぎ捨てジャケットだけを羽織っている。その登山服自体、血と泥とで文字通りドロドロだったが彼自身には傷一つない。その様が元就をげんなりさせる事実を物語っていたが、今の彼にそれについて触れる気力はなかった。
「ジプシーたちは皆いなくなっていましたよ。幾つかの彼らの死体と野営の跡が残っているばかりで、…そこでもどうやら闘争があったようですね」
「三好長慶だ」
考えるより早くその名が口を突いて出た。
「…成る程、あの女吸血鬼の姿が見当たりません。斃したのでしょうか」
「お前それ以上喋るな!わざとらしくて反吐が出る!」
「―――…」
元就の背から発せられた情けない声に片倉は一瞬、面食らったように黙り込んだ。それから苦笑を零しつつ肩を竦める。
そうして男は床に踞ったまま身じろぎ一つしない政宗の傍らに跪いた。剥き出しの肩が寒々しい、そこへ自分のジャケットを掛けてやる。
「汚れてるが、ないよりはましだろ」
「―――…」
ボロボロのジャケットを一瞥し、政宗はエルダーを見上げた。
自分の知らない所でこの吸血鬼がこれ程ボロボロになるまで痛めつけられていたのだ、と今更ながらに思い至る。
その男の手が宥めるようにジャケットの上から青年の腕をそっと撫でた。
「………」
政宗は立てた膝の上に顔を伏せた。
それを眺め下ろして、男は彼がこのような有様に至った経緯を推測する。どす黒い忿怒が腹の底で滾々と湧き出て来る。
松永久秀、その存在を赦せはしなかった。
不意に、陽光より眩い光が水平に飛び込んで来てエルダーは手を翳しつつ振り向いた。
礼拝堂の前庭に伸びる空中回廊を巡って歩き来る小さな影の手にした光源が、吸血鬼の肌を容赦なく焼いた。
政宗が男の腕の中で苦悶の悲鳴を上げる。
「……てめ、篁妃…っ!」
だぼだぼのローブを頭からすっぽり被った小さな人物は、それを捧げ持ったまま礼拝堂へと物怖じもせず入って来た。
その白光が触れた片倉の剥き出しの上半身が白煙を上げて忽ち沸騰し、色のない炎を上げる。
体で庇った青年の皮膚も例外ではない、ブクブクと水ぶくれが出来てケロイド状に焼け爛れた。
入り口の、崩れていない柱の傍らに立ち止まった篁妃は頭から鈍色のフードを払い落とした。
黒髪を無数の三つ編みにして、耳の上で団子にした複雑な髪型を持った少女だった。
ぷっくりとした頬に、ちょんとした小さな唇、そして漆黒の大きな瞳が如何にも愛らしい。だが人間離れした気配はその全てに漂っていた。肌が白過ぎる、瞳の輝きが金属光沢のよう、そして何よりも生気を感じられない作り物じみた容姿、全てに。
その闇色をした瞳が彼らを一通り一瞥した。
人間である元就にとっては光源はただ眩しいだけだ。目の上に手を翳して不機嫌極まりないと言った表情をこちらに向けている。
一方、闇の賜物を受けた政宗は、吸血鬼を滅ぼす太陽の本性を垣間見た気がした。男の腕の中に逃げ場を求めて震えを起こしている。
「ふむ…成る程―――」
少女は如何にも興味深いと言った風に呟いて、手にした珠をローブの内側に仕舞った。
「……おいっ…」
それを見た片倉が呻いた。
声に振り向いた少女は薄っすらと笑みのようなものを浮かべた。
「これは儂が預かっておく。悪ガキどもに悪戯されても面白くない故な」
「……お前は、大丈夫なのか…篁妃?」
血の汗を掻いたような額に手をやって、片倉は呆然と問うた。それに対して少女は似つかわしくない歪んだ笑みを寄越して来る。
「宇宙線に過敏に反応するのはそなたがまだまだ未熟者だからだ」
「―――…」
返す言葉も見つからなくて、片倉はただ口をぽかんと開けて少女を見つめた。
「何者だ、手前?」
苦痛から解放された政宗は、男の手を払って少女に向かって身構えた。
ふと思いついたように篁妃は青年の傍らに歩み寄った。
膝立ちになった政宗の視線より少女は少し背が高いだけだ。その人形のように愛らしい顔がじっと青年を見つめる。
全裸の男を無遠慮にじろじろ眺める様は全くの子供だ。政宗も先の勢いを忘れて、居心地が悪そうに身じろぎする。
「その格好で人里に降りて行こうと言うのではあるまいな?」
「………」
返事をせずにいると、少女は自らのケープを取り払って放って寄越した。
篁妃のローブの下には、綺羅びやかな錦繍の衣、そして絹の腰裳の裾がはためいた。見るからに重そうなその衣裳を事も無げに翻して少女はくるりと背を向ける。
「もう用は済んだであろう。神々の峯に静寂は必要だ、帰れ」
最後の捨て台詞を言い放って彼女はとっとと立ち去ってしまった。
全く何をしに来たのか分からぬ、と言った三つの間抜けた顔がそれを見送っていた。
耐えられぬ、と言った風に無言で立ち上がったのは元就だ。
平気で吸血鬼がうろつく昼日中など彼には認められなかったのだろう。しかもこの場で人間は自分一人だ。
床を踏み鳴らしつつ礼拝堂を出て行くと彼は一目散に寺院の出口を目指した。


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