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―記念文倉庫―
10
絶妙の感覚でもって心臓を外して刺し貫かれた松永の剣が、堅い地面に突き立っている。肺が破れて片方使い物になっていない。血混じりの呼気が咳を呼び、その衝撃が又手足が痺れる程の激痛を生んだ。
不意に、回廊の影からジプシーが2、3人駆け出して来て、光り輝く珠を素早く手にした黒い布の中に仕舞った。
光は落ち、静寂と闇の平穏が戻る。
「ああ、済まないね。思い出したよ…片倉小十郎殿?」
わざと足音を立てて中庭に出て来た人物がちりとも済まないと思っていない口調で嘯いた。
首を捩じ曲げ、顔を向けた先に松永の冷笑はあった。
身体が楽になった、と言う事はこの男ですら輝く珠の威力には適わないのだろう。急速に体中の細胞が活性化して行くのを感じながら、片倉は牙を剥き出した。
「松永久秀…!」
「その昔、私を狩りに来たハンター、そして唯一私が取り逃がした獲物…。わざわざ戻って来てくれたのかね」
焼け爛れた耳では聞き取りずらいが、多少感応能力に響くもので何とか松永の言葉を聞き分けて理解した。
「手前が飽き、も…せずにこんなもん作って…るって、知ってたら二度と来、やしな…かったぜ―――」
崩れ掛かった舌で何とか痛罵を言い放つ。
「ふふ、エルダーと呼ばれる身になって命が惜しくなったかね?」
「……下らねえ、虐殺を繰り返してる奴よりマシだ…」
「いいや、違うな」
「なに…?」
松永は互いの顔が良く見えるように、片倉の肩口にしゃがみ込んだ。そうして、血と灰に塗れた男の原型を留めぬ顔を覗き込む。ぐずぐずに崩れた顔の中で男の眼だけが意志を失わず、ギラついていた。
「余程、大切な宝を見つけたと見える」
「…………」
「あの若い、稚いハンターに如何にして心動かされたのかね?」
「…………」
「1010年と20年そこそこの時間、その空白を埋めたものは?」
「……あいつに、何しやがった…?」
「―――何も?」
僅かに目を閉じ、そう応えると松永は立ち上がった。
「己を滅ぼしに来た者を、卿は歓待出来るかね?」と呟いて、松永はエルダーの身体に突き立った剣の柄頭に手を置いて力任せに捻った。

ぐぉおおおぉっ

獣のような咆哮が片倉の口から溢れ出した。
それと、血塊が。
「では、…卿の手中の珠に会いに行ってみるか」
「松永!!」
苦痛を圧して男は叫んだ。
だが、松永は立ち止まりもせずに回廊を渡って姿を消してしまった。
その後に、良く躾けられた犬のようにジプシーたちが現れ、再び黄金の珠を片倉の上に残して行った。
それは男の肌を、目を、服の下の皮膚を容赦なく灼いた。


寺院の門前に半地下へ続く階段がある。
そこを音も立てずに降りて木製の扉を開けると、気怠い煙とも靄ともつかないものがゆるり、と流れて来た。中はヤクの乳が燃えた時に上がるもの以外の生臭い匂いと共に、むっとした湿っぽさが充満していた。
「ケーララ、遊びも程々にしたまえ、何事も腹八分と言うだろう」松永は呆れたように口の端を歪めてそう呟いた。
「ああ…松永様…」
淡い声がそれに応え、松永の身体に巻き付くように流れた靄が女の形を取った。そうして吸血鬼の首っ玉にしなだれかかる。
「ステキ…あのハンター痺れるくらい良い男だわ…私に下さらない?」
「骨抜きにしようとして骨抜きにされてどうする?」
「だって…本当に良い男…、いえ、可愛らしい。弄り倒したくなる…」
「…何だねそれは。ともあれ、もう一人のハンターの様子を見に行って来給え」
吸血鬼に笑い飛ばされ、追い払われると女吸血鬼は名残惜しそうに再び元の靄となって流れて行った。
扉を閉めて階段を下りる。と、最後まで行かずにその脚が止まった。燈明堂でちらちらと揺らぐ炎の下、黒光りする床に服を乱されしどけなく横たわる青年の蒼白い肌が仄かに浮かび上がった。
ヤクのバターに混ぜた炎舌香の粉の効果が青年を身動き出来なくさせている。その上、媚薬が呼吸を忙しなくさせて。
彼女に己が血を与えて闇の賜物の恩恵に預からせてやったのは何時もの気紛れだったが、あれ程欲の深い女だとは思わなかった。
―――ここ2〜300年、相手にしてやらなかったせいか?
この男にしては珍しく軽い溜め息を吐きつつ、その青年の傍らに立った。
力なく横たわったその横顔から醜い傷跡が覗く。そして男の姿をまともな左目で見る為にのろのろと顔が上げられる。
その蒼白い容貌に、別の生き物のように赤い唇、それが唾液に塗れぬらぬらと輝いて、浅く速い呼吸を繰り返している。
―――ほほう、これは…。
青年の凛とした容姿が欲に蕩けている様は、得も言われず艶かしいものがあった。顔だけではない、程良く又均等に鍛えられた筋肉質な肉体はギリシャ彫刻が今に伝える美そのものに通じていた。今は力なくしなだれている股間のものも、まろい尻も例えようもなく旨そうだ。
「卿は片倉殿の眷属かね?」
「―――…」
「卿もだんまりかね、やれやれ」
「…他の連中は、どうした…」
青年はそれでも目一杯の威嚇の眼差しを投げて寄越した。その掠れた声と悩ましい表情からは甘怠い微睡みしか感じられないのだが。
「他人の心配をしている余裕があるのかね?今、卿を滅ぼすのは赤子の首を捻るより容易い」
「…だが、手前は今俺の手の届く所にいる…」
ほう、と男の眼が一瞬見開かれた。
「諦めてはいないのだな。どのような策があるのか知らないが私の首が獲れるとそう信じている…。涙ぐましい努力だ、美しい信念だ、だが、儚い夢だ…」
「……………」
残虐で名を馳せた吸血鬼は詩的に言い放ってその場に跪いた。
「さあ、私をどうしてくれるのかね?」
そう問う声は楽しそうですらある。
政宗は片目の険を尖らせて忌々しげに顔を歪めた。
力が入らない身体を叱咤して床に手を突いた。その腕が肩が、見るも無惨に震え、息が乱れた。
「……はっ…!」
ようやっとの事で床に座り込んだ政宗だったが、突いた腕を上げる事が出来ない。体の中に血の代わりに鉛が流れているみたいだった。同じ空気を吸っている筈なのに男の方は何ともないのが憎々しかった。
伸ばした手は、だからむしろ取り縋るようになった。
男の仕立ての良いコートが皺になるのも構わず握り締める。
顔を上げると冷笑を浮かべた吸血鬼と至近距離で視線が絡み合った。それに、背をするりと滑った男の手だ。
「う…っ、はぁ、あ……っ!」
顎を仰け反らせて細い悲鳴が上がっていた。
「ふむ」と呟いて松永は立ち上がった。両腕に青年の体を抱えて。
「色仕掛けなら、もう少し可愛く媚を売るものだ」
皮肉に笑んで嗜虐的に歪んだ表情を振り向ける。

陽のある間中、釘のついた鎖で鞭打たれ続けた元就は、もはや生ける屍と成り果てていた。
交代でその鞭を振るい続けたジプシーたちも、さすがにこれ以上やっては殺してしまうと判断して陽が落ちる前に彼を檻に入れた。松永の実験台にされ、生けるミイラと成り果てた吸血鬼たちが放り込まれたのと同じ木製の粗末なものだ。平常だったら円月刀なしでもハンターの常識を上回る筋力で破壊出来たであろう程度の、それ。
元就は朦朧とした意識の中でも冷静に状況を判断しようとした。
体中に付いた傷、錆で朽ちかけた釘が齎したものは無数にある。問題はその道具が古く使い込まれていて何ものの物とも知れぬ血脂がこびりついていた事だ。あるいは吸血鬼のものも混じっていたやも知れぬ。
それに、自分の使役するミディアンを呼び出せなかった彼らは自分をどうするだろうか。これだけの出血を見せていながら吸血鬼が自分を襲いに来ないとすれば早晩、山犬どもの餌食となるか。ジプシーたちが掻き鳴らす打楽器にでも加工されるのかも知れない。
いずれにせよハンターとして、いや"毛利元就"としてこれ以上ない程の辱めだ。決して最後の切り札は手放してなるものか、と決意する。
「………ふん…」
苛立ち紛れに鼻から息を吐き出しながら、身体を寝返らせた。
見上げた空は眼に滲みる程のオレンジと濃紺の素晴らしいグラデーションだ。もう間もなく陽が沈む。食事はなく、先程犬の餌入れのような皿に一杯の水を口にしただけだ。
せいぜい体力の回復と温存を図っておこう、と目を閉じた。
何時の間にか微睡んでいた元就は何かに急き立てられるように目を覚ました。辺りはすっかり闇に包まれている。
ジプシーたちが直ぐ側でテントを張っている筈だが、明かりも消して寝静まっているようだ。いや、そうではない。
何故か誰も囲む者のない焚き火が元就からは見えない岩場の影でパチパチと爆ぜている音だけが聞こえている。
静けさは、禍々しさに支配されていた。
―――逃げ出さなくては。
大量の失血を見た身体を起こして檻の木片を掴んでみる。
小さな焦りが元就を急き立てていた、ここから早く逃げ出さなくては。
あのチベット仏教の寺院が近くにある筈だ。傍らには湖があったのを拷問の最中確認している。闇に紛れて、湖畔をぐるりと回って―――果てしない道のりが待っているようだ。
元就は檻を両手で掴んで揺さぶった。
ふと、何かの気配に気付いて顔を上げると、目の前の闇に更に濃い影があって2つの赤い点が自分を見下ろしていた。
吸血鬼だ。
元就の生命の起源が捕食者を前に意識を食い潰して恐怖に固まらせる。
―――食われる…。
水に浮いた油のように頼りない思考が浮かんで、消えた。
その釣り鐘マントの下から伸びた手が木製の檻に掛けられ、紙を破るようにそれを引き千切った。一本、それともう一本。そうすると人一人通り抜けられる隙間が開いた。
吸血鬼は一歩退いてから言った。
「出て来るが良い」
くぐこもった聞き取りずらい言葉が静かに命ずる。
「―――…」
元就は催眠術にかけられたように呆然としたままそれに従った。
乾いた砂とごろごろ岩の転がった地面に降り立つと目眩がしてよろけた。それを、吸血鬼は腕一本で軽々と支える。支えられながら吸血鬼の向こうを見やれば、焚き火の齎す遠い明かりの中、地面に横たわるジプシーたちの影が長々と伸びていた。
そしてそれはぴくりとも動かない。

カシャン…

と言う音にはっと気付いて顔を上げた。吸血鬼のもう片方の手には纏めて二振りの円月刀が剥き出しのまま握られている。
「…貴様、何故―――」
口惜しげに言い放った台詞は情けない事に震えていた。
闇の中で血のように赤い眼光が無慈悲に見つめて来る。
「そなたがして来た事、儂は見ていた。それを裁いて欲しいか?」
吸血鬼は―――仕事の依頼人であり、又滅ぼすべき敵のかつての盟友である三好長慶は、人間1人を苦もなく小脇に抱えながら足音もなく歩き出した。
「仕事は果たしてもらう」
「………」
「もう一人のハンターも捕らえられておる。吸血鬼である彼にあの方を倒す事は難しいであろう。そなたが、ミディアンを使役し知略を尽くしやらねばならぬ。…儂も出来る限りは協力する」
「…何故、人間だ」
元就の問いに吸血鬼の横顔の中でその赤い瞳がきらりと輝いた。
だが、返されるべき言葉はなく静かに山間の靄が辺りを包んだ。靄には、邪な意志が宿っていた。
三好は人間から手を放し、ついでに円月刀も手渡した。
「急げ」
そう言う声に押されて元就は駆け出していた。


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