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―記念文倉庫―

すっ飛んだ頭部が地面に落ちて砂埃を上げた。
政宗はだがしかし、振り切った長剣を再び、目の前の死体に向かって構えた。
それはびくりびくりと断末魔の痙攣を起こし、流れ出る血も半減して下半身を真紅の腰布のように真っ赤に染めている。女吸血鬼がもう一度復活する事など有り得ない筈だった。
だが、ボコボコと泡を立てながら未だ湧き出る血潮と共に不吉な気配は去っていなかった。滅びたのなら、その体も灰となっている筈だ。
それがないまま、数瞬。
見守る政宗と元就の眼前でそれは起こった。
三枚下ろし状態の女吸血鬼、その体は自らの痙攣ではなく何かに揺さぶられたかのように激しく手足をバタつかせた。その動きのせいで美しい肉付きをした足が跪く。斬られて、脇腹で辛うじて繋がっていた両肩がだらりと下がる。
一方、脊椎で支えられていた体の中央が出し抜けに仰け反った。
腹の辺りでVの字に斬られた肉がめくれ上がる。
そこから―――。
内臓を掻き分けてずるずると人の頭らしきものが押し出されて来た。俯けられた顔が抜け出て、続いて肩、胸元、腕と、一瞬の停滞もなく、1つの肉体の中からもう1つの身体が吐き出される。
最後によいしょとばかりに引き抜かれた脚が地面を踏んで"それ"はすらりと立ち上がった。

女だ。

政宗に三枚下しにされた筈の女そっくり、あるいはそのものの美貌と妖艶な容姿が今そこに再び復活した。
ふふふ、と女は声に出して笑ってその場に突っ立ったままの男たちをざっと眺めやった。政宗と元就、2人のハンターの他に立っていられた者はと言えば、早々に前線を離れた片倉と3人のシェルパのみだった。最上だったら生きているようだが地面で伸びているだけだ。
「松永卿の元へ案内致しますわ」
女は流暢な日本語でそう言った。
そして男たちの反応を見る事もなく背を向ける。
「…松永の眷属か……」
そう呟いて歩き出そうとした政宗の眼前に、湾曲した刃がぬっと現れた。それの根本を左目だけで辿る。
円月刀で政宗の首を引っかける仕草をしながら元就が怜悧な視線で凝視していた。敵を見やる時も、路傍の石を見捨てる時も同じ色と温度の彼の眼差しに、政宗は鼻で笑った。
「貴様が吸血鬼だなどと言うデータは我の中にはなかった」「……つい最近デヴューしたばっかだ」
「ルナ・ステイツは知って…おらぬのだな―――?」
一瞬、元就の視線が崖の麓に振り向けられた。そこには失神したままの最上が横たわっている。
「おいおい良いのか?あの女、行っちまうぜ?」
「―――…」
元就は渋々刃を引いて、靄と共に移動する女を追った。
その細い背を見送る青年の傍らにふと立ち止まった者がいる。
片倉は感情の読めない表情で黙然と政宗を見下ろしていた。
松永の誘いが来た、覚悟は出来てるんだろうな?と言う風に。
政宗はそれを挑み掛かるように睨み返してやった。

―――と。

男の左手が動いて政宗の前髪に触れた。
指先だけで軽く、その下の眼帯の在り処を確かめるように。そして、するりと滑って頬を僅かに撫でられる。
厳しさの塊のその容貌とは裏腹の優しげな手つきに、思わずまじまじと眺めてしまう。
微動だにしないその眼差しが、不意と反らされ男は背を向けた。
遠離って行く白い靄を、うねる谷間の影に垣間見ながら政宗も慌ててそれを追った。
何となく分かってながら未だ認められない。
そんな曖昧模糊とした感情が、1つと言わず幾つも青年の中に渦巻いていた。それを抱えたままで。



地図にも載っていない、名も無い湖の傍らには人々に忘れ去られたチベット仏教の寺院があった。
万年雪を頂く5000〜6000メートル級の山々から、あるいは黒く凝った氷河から溢たれた水は高い所から低い所へ流れ、山々の狭間に水溜まりを作る。ここもそうして出来た湖であろう。透明度の高い冷淡な水が星明かりに端然と横たわる。狭い山の峡谷故、細長く曲がりくねった様は湖と言うより一見小さな河に見えた。その水際、山の斜面にへばりつくようにして建つチベット寺院は白く高い基礎部分も、その上に乗る木造部分も陽光と風と砂に洗われて色彩を無くし、朽ち果てんばかりだった。
裏山から長い長い階段を下りて来た一行は、崩れかけほぼ段差の見分けの付かないその細い道を回り込んで寺の門前へ至った。
かつて人々の信仰の対象であった証しが壁面に描かれた仏や僧侶の絵柄で辛うじて分かる。それも又、顔料は剥げ落ち下書きと見られる輪郭線がボロボロになった表面に所々残るのみだ。
建物の規模の割に人一人通るのがやっとの内陣入り口を潜り、中庭や本堂を囲んで巡る回廊を言葉もなく歩いた。
女の周囲を漂う靄以外に何処かで香が焚かれているらしく、空気にはその波打つ様が薄っすらとだが見て取れた。それが回廊を支える列柱にやんわりと纏い付く。仄かに甘くてツンと鼻腔を突く香りだった。
回廊を幾度か曲がり、石段を何度か上り下りしてチベット寺院の中心部に辿り着いた。

中庭の1つを見下ろす最上階の中心部、優美な反りを持った屋根とその頂きに仏塔を捧げ持った礼拝堂。今はその仏塔も悉く折れ、赤く塗られていたであろう壁も今はどす黒い。窓枠の落ちた窓の中は星明かりも届かない全き闇だ。
女は一度、開け放たれた木戸の前で立ち止まって彼らを振り向き微笑んだ。そしてその闇の中へとそのまま吸い込まれて行く。
金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、それを描いたタペストリーは時の止まった砂のように最奥に飾られていた。その前には忿怒の形相も凄まじい極彩色の明王像や、狂ったように目や牙を剥き出す全裸の女神像などがまるで今しがた彫り上がったもののように鎮座していた。
他は全て時の風化に晒されていると言うのにその対照的な有様、そしてその男は明王像の足下にひっそりと立っていた。
片足に体重を掛け、両手を腰の後ろで組んだ男はシルエットのすっきりしたコートに身を包み、このような破れ寺には相応しくない上品さを漂わせている。
「ここに、何か奪えるものでもあるのかね、諸卿ら?」
笑気含みの声が、多少ならず皮肉を込めた口調で問いを放った。
それへ向かって歩いた女吸血鬼が身に靄を纏いつつ、また己自身の身体をも薄い気体に変じつつ松永の周囲を経巡って霧散した。最後に政宗たちを微笑みながら見やる事も忘れない。
「まどろっこしい問答は抜きだ、手前にゃ消えてもらう」
「おやおやつれない…しかし、私もまだまだ滅びたくはないのでな」
その言葉に政宗と元就は既に剥き身の刃を構えた。
と、ごく軽い気配が一斉にざわめいた。
闇に沈む床に壁に天井に梁に、その悉くを埋め尽くし蠢くものどもが雪崩のように押し寄せて来た。
小さな蜘蛛だ。
黒い身体に五つの赤い斑点を持ったそれが全体で一匹の獣のように、ある意志を持って3人を取り囲む。間断なく襲い来るそれを長剣や円月刀では塞ぎようもないかに思われた。
ふと、元就が円月刀を噛み合わせて真円のチャクラムを作ると前方の床に翳した。そこから円の中央を潜り抜けてあり得ないサイズの黒いものが生み出される。
タールのようにぶよぶよした身体を持った、何かだ。
それが身体の前面に真っ赤な口と思しき空洞をがばりと開く。単純そうな外見の割にすばしこい動きでそれは高波のように襲い来る蜘蛛を喰らい始めた。
大型の掃除機のようだ。
吸い込み、押し潰し、咀嚼する。
ぶちぶちぶち、と言う薄気味悪い音がそれの胎内から上がって、蜘蛛はなす術もなく食い尽くされて行った。
松永の表情がほう、と言うように感嘆とも喜びともつかないものに染め上げられる。
それが消える前に元就は地を蹴っていた。
「夜の子供たちの真理が汲み取れるか」
嬉しげに言い放つ松永の口元には、常に消えない笑みが刻まれている。
振りかぶったチャクラムがガキンと2刀に割れて吸血鬼を挟み込むように左右から襲った。
男は動いた、とも思えぬ動きで後退しており、身体を揺らす事もなく更に左へと移動した。それを元就が追い、反対側から政宗が必殺の突きを繰り出す。
しかし、そのどちらも松永を擦りもしなかった。
己の武器を振り切った所で顔を見合わせる形になった政宗と元就は同時に背後を振り向いた。
そこに松永は彼らに背を向けて立っていた。
彼の面前に立つ小柄な男―――釣り鐘マントに山高帽を身に付けた三好長慶だ。かつて行動を共にし、人間と吸血鬼とに対する残虐の限りを尽くして来た盟友が、今何十年振りかに相見えた。
「これは懐かしい顔に会った、…それとも、どなたかな?」
挑発的な松永の言葉にも三好は眉一つ動かさない。その唇がめくれ上がり、剥き出しの乱杭歯がガチガチと鳴りながら男は言う。
「答は、得られたのか松永殿」
その言葉に途端、松永は鼻白んだ。
「貴方は何も仰って下さらなかった。儂もただ夜ごとを破壊と吸血の享楽の中、生きて来た…。だが、貴方の行動の全ては"試し"であったのだろう。何を試しておられた、人か?我ら吸血鬼か?それとも神か?そしてその答は?」
三好の台詞の中程から、松永の冷笑は深まって行った。
取るに足らぬ戯れ言を抜かす頑是無い幼な子を見るようでもあった。それとも、瀕死で助けを求める我が子を見る親のようであったか。
「三好長慶よ、答などとっくに知れている。答などない、それが答よ」
笑みは深まり、大柄な男が見下ろすその頬に笑いえくぼまでがくっきりと見えた。
だが、三好の表情に変化はない。
その気配が彼が納得していない事をあから様に伝えた。

「初めに無もなく有もなかった。空も天もなかった。誰が思い立って、誰の庇護の元に発動せしか。その時、死も不死もなかった。昼も夜もなく、ただ"一"だけが風もなく呼吸をする。初め暗黒は暗黒に蔽われ、一切は標識のない空虚な"水"に蔽われていた。ただ"一"だけが、熱の力より生まれ出でた…」

それは唐突に、松永は詩を吟ずるように世界でも最古の部類に入る聖伝の一節を詠った。

「誰が正しく知ろう、誰が宣言出来る?世界は何処より生じ、何処より来たか。神々は世界の創造より後に来た。なれば誰が創造の起縁を知る者か―――最高点にあってこの世界を監視するもののみ実にこれを知る。あるいは彼も又知らず…」

魔術のような文言だった。
無もなく有もなく、死も不死もない。創造主だけがそれを知り、あるいは彼ですらそれを知らない世界の始まり。そして答などない、それが答だと抜かした松永の矛盾だ。
「まだ…貴方は続けるのか。答などない、それが答だと言っておきながら」唸るように三好は問いを重ねた。
「続ける?卿は何か勘違いをしているようだ。私は招いたつもりはない、向こうから勝手にやって来るだけで―――こんな風に」
風に押されるように松永の身体が揺らいだ。
政宗と元就が僅かタイミングをずらして斬ったのは、しかし吸血鬼の残像だけで、彼がひらりと舞い降りたのは少し離れた所に立つ片倉の背後だった。
松永はちらと男の振り向く横顔を見たがその容貌に変化はなかった。
片倉の傍らを2人の熱い身体が走り過ぎた。


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