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―記念文倉庫―

雨と風の吠えたけぶ音が空気を圧した。
居間の中央に立ち尽くす吸血鬼はしかし、静けさの中枢だった。倒れた政宗の伯父を振り向く事もなく、小さな舌打ちを零して見せる。
「手前の身内だ、嵐の中に放り出さずにはいてやる」
吸血鬼の背中が冷ややかにそう告げるのに、政宗はソファから立ち上がった。
「別に放り出してくれたって構やしねえよ」
そんな事より、と言って部屋を出て行こうとしてドアノヴを掴んだ神父の傍らに立った青年は、男の精悍な横顔を眺めながら尋ねた。
「何なんだ、その20年前の著作ってのは」
片倉は思いっ切りイヤな顔で振り向くと犬歯を剥き出しにして口元を歪めた。
「…カソリックの洗礼を受けた後、所属教会の司教や教区の司祭に推薦されなきゃ神父にはなれなかったんだ、仕方ねえだろ…」
「…………」
つまり、神父になる為に仲間を売った訳だ。
「そりゃ何だ、吸血鬼退治のノウハウ本だった訳か?」
「…まあ、似たようなもんだ」
そう言いながら青年は彼が自分ではなくテーブルの向こうの何もない空間を振り向いているのを見た。その鼻の頭に皺が寄り、めくれ上がった唇から鋭利な牙が剥き出される。
「気に食わねえな、他人のテリトリーにこそこそ入り込みやがって…」
唸るように吐き出された台詞に、居間の何処とも知れぬ虚空からくぐこもった忍び笑いが漏れた。
「かくも名高きエルダー殿の前に罷り出る事、いささか躊躇していた所よ…」
慇懃無礼な台詞は、いかにも面白いと言った風に太々しく響いた。すると、居間の中央にじわりと水らしきものが広がり、それが空気に触れて黒い蒸気となって立ち上がると忽ち人の形を取った。
釣り鐘マントに山高帽と言う出で立ちの小柄な男だ。何処に隠れていたのか知らないが、その服には滴一つ付いていない。枯れてしなびた植物の腐った匂いがし、又片倉にはない血腥さがその服の中から、いや皮膚の下から芬々と漂って来る気がした。あるいは、殺した人間や吸血鬼の数が禍々しい気配と障気となって男の周囲にマントのように纏わり付くのかも知れない。
「儂は三好長慶…、松永久秀と共に悪行の数々を成して来た奸賊である」
先程の最上の話を聞いていたのか、吸血鬼はその台詞を真似て自分を評した。山高帽の下のそれは全くの無表情だった。乱杭歯の零れ出た口元は語る度に奇妙に歪んで、ぼそぼそと聞き取りずらい言葉を発する。
「如何致せば動いてくれようか、片倉殿?」
「自分でやれよ、側にいたんなら弱点の一つや二つ、見当はつくだろうが」
「それが分かれば苦労は致さぬ…、あの方に一点の欠けたる処なし」
声は苦渋の色が滲んでいたが表情は鉄のように固まったまま動かない。
「じゃあ無理なんだろうよ、手前が奴に屈服している限り」
「―――…」
「何で奴を滅ぼしてえんだ、仲間だったんだろ?」
沈黙の隙間に口を差し挟んで来たのは政宗だ。
三好は漆黒の眼球だけを動かして初めて青年を視界に納めた。その光をも吸い込む瞳の中に侮蔑にも似た色が混じる。
「貴様が片倉殿の眷属でなければ、発言した時点で八つ裂きにしている所だ。控えよ、貴様の出る幕ではない…」
眷属、と言う単語と打ち続く屈辱的な台詞に政宗は徐々に表情を無くし、唯一の左目を据えた。
「All-right…. 松永の前に先ずは手前だ」
言いながら腰の後ろに手を回し、レザーパンツの背に隠し持っていた白木の杭を引き抜いて構えた。かと思うなり一気に地を蹴って三好との距離を詰める。
部屋の中央に突っ立ったままの三好の両目が僅かに細められる。
突き出した右手は妙な手応えを伝えて来た。
泥土に頭から突っ込んだ、そう感じ取った刹那、突き抜けるのが分かっていたので体を反転しつつ逆手に持った杭をこの辺りと見当付けた所へ振るった。
今度は手応えがあった。
三好のこめかみを狙った白木の切っ先は、カバーの為に差し出されたその腕に深々と突き刺さり、突き抜け、吸血鬼の眼球寸前の所で止まっていた。
「貴様…ハンターか―――」
三好の鉄の無表情に奇妙な色が流れた、エルダーの眷属がハンターとは如何にも解せぬと言う風に。
年経た吸血鬼は己の中の疑念をも打ち払うように杭の突き立った右腕を振るった。それの巻き起こす風圧に押された政宗は、二度三度床を蹴って後退する。振るった腕の勢いで引き抜かれた杭も床に転がった。
「俺の家で騒ぎを起こすな」
再び対峙した2人がぴたりと動きを止めた。
「何と言われようと俺は動かねえ、とっとと失せろ」
「―――…」
無情にも最後通牒を告げたエルダーを静かに顧みた吸血鬼は、現れた時と同様、黒い靄となり床のシミと化して姿を消した。



翌日は朝から快晴となった。
吹く風の中に昨夜の嵐の名残が漂い、辺りにはその爪痕が点々と転がっているが、空は大嵐が全て掻っ攫って行ったせいで雲一つない。清涼とした小気味良い朝だった。
政宗は納戸に仕舞ってあった自らの黒いバイクを引っ張り出して、そこに付属している端末にアクセスしていた。
確かにルナ・ステイツを通じてハンターズギルドから何件かの仕事依頼が来ており、それは悉く他のハンターに振り分けられていた。
理解に苦しむエルダーと、抗い難い欲望とに翻弄されている間に飛んだ醜態を晒したものだ。政宗はそれらの記録を全てデリートすると別の情報を呼び出した。松永久秀に関するハンターたちの覚え書きである。
吸血鬼ハンターには、噂にしろ風聞にしろハンター同士の交流によって吸血鬼に関する情報を一つの電子仮想空間に書き留めておく事を習いとしていた。
そう言った些細な情報によって正に紙一重の生死を分けるやも知れぬからだ。松永の過去の所行はどうでも良かった。奴が今何処にいるのか、何処に向かっているのかが分かれば良い。
そうやってバイクに跨がっている所へ、居間であのまま伸びていた最上が扉を開けて外に出て来た。大欠伸を一発かまし、教会の傍らに横付けされた政宗のバイクを見つけると、肩と眉とを怒らせながらずんずんと歩み寄って来る。
「政宗、片倉殿は?!」
詰問される調子に政宗は片眉を上げた。そして振り向きもせず答える。
「Ah, 教会で朝のお勤めだろ」
「そうか!」
朝から張り切って説得に当たろうとしている伯父を青年は呼び止めた。
「松永の討伐、その依頼は俺が受ける」と。
「…お、うむ。そなたの実力は承知しておる故それは構わぬが…実は今度はもう一人雇おうとしているのだ」
「もう一人?そんなの必要ねえだろうよ。奴の飼ってるジプシーなんざただの人間だ」
「それでも雇い主が既に金を用意してギルドに申し入れをしておる」
「金?幾らだ」
伯父の口から飛び出したその金額を聞いて、政宗はバイクのパネルを覗き込んでいた顔を呆れたようにして上げた。
「さすが吸血鬼だぜ、持ち金の桁が違い過ぎる」
それで多額の報酬を巡ってハンターが決まらないのかと思ったが、その辺りを探るとどうも違うらしかった。
吸血鬼殺しの吸血鬼に対する同情心、更に同行する予定の依頼主ーつまり三好長慶と言う吸血鬼の存在が疎まれているらしい。罠だと見るハンターもいるそうだ。松永と三好が組んで、のこのことやって来たハンターを一網打尽、と言う訳だ。金額の割に人気のない仕事であるらしかった。
「何でも良い、俺の名前をギルドに申請してやった。手前は雇い主に話を付けとけ―――。人間と吸血鬼の橋渡し役になりてえんだろ?」
政宗は吐き捨てるように言い、最上は痛烈な嫌味を受け取って口をへの字にひん曲げつつ自慢の髭を忙しなく扱いた。
そこへ、教会の拝殿へ通じる扉を開けて神父が姿を現した。
今もう折り目正しい神父の法衣を纏って聖書を小脇に抱えて澄ました顔をしているが、政宗と最上の姿を認めるなりほんの僅か眉間に皺を寄せた。
「片倉殿!」と詰め寄って来る最上をやんわりと押し退け、バイクに跨がったままの青年の傍らに立ち止まる。何か言うべき事があって一度は開きかけた口をそのまま閉ざして、片倉は政宗の腕を取った。
「……んだよ…」
「最上殿」と神父は青年の声を無視した。
「とにかくお引き取り下さい。伊達氏にはちょっと私から話がありますので、お見送りもしない非礼をお許し下さい」
そう一気に捲し立て、相手の返事も聞かずに青年の体を引っ立てて行く。
「や、あの、その…だね」口をぱくつかせて住居の戸口までしつこく追って行った最上の目の前で扉は音高く閉ざされた。ご丁寧に鍵が下ろされる音までおまけ付きだ。

暖炉の炎が落ちた居間は冷んやりとした不在を物語っていた。
扉を背に立ちはだかる男の前で、政宗は所在なさげに数歩歩いて彼を振り向いた。
「…村のそこかしこも修理がだいぶ終わってる。村長の家だって後は外装や内装の仕上げだけだろ…俺が手伝える事はもうねえ」
あんただって十分愉しんだ筈だ、そう続く筈の言葉は何故か言い出せなかった。
―――村の修繕が終わるまで。
ここで、この居間で初めて闇の世界の愉悦を味わった政宗は男の口車に乗せられてそう約束していた。それで助けられた借りが返せるのなら安いものだと頷いたのは政宗だ。その青年の職業を思えば、彼を永遠に吸血鬼の傍らに留め置くのは不可能だと神父だとて分かっていた筈だ。だが彼は自分の口が勝手に動くのを止められなかった。
「手前は松永の危険性を何も分かっちゃいねえ…」
「…んだと?」
「"人間"だったら殺されるだけで済む、だが手前は俺の闇の賜物を受けた。―――死ぬより辛え目に合わされんのは目に見えてる…」
エルダーはひっそりと覗く牙を時折剥き出して、ごく低い声でそう言った。
その、一見強い眼差しに流れた複雑な色を青年は見極められたかどうか。知らぬ間に掴まれていた腕を振り払って政宗は吠えた。
「俺が奴にやられんのが前提かよ!どんだけ俺をバカにしやがる!!」
男の中で闇がぞわり、と蠢いた。
黒い法衣が有り得ない動きを示してざらりと広がったかと思うと、目にも留まらぬ素早さで青年の体を掴み上げていた。本人の肉体さえ変化したかのように、片倉とは5、6歩の距離があると言うのに黒い闇の中から白い男の手が現れ、青年の顎を掴んで顔を上げさせた。締め上げる苦痛と屈辱による口惜しさが政宗の顔を歪めていた。
「……俺を斃せなかった奴が大口叩くな…」
「―――っ!!」
政宗は鼻の頭に皺を寄せ、喉の奥で威嚇の低い唸りを上げた。
「じゃあ今ここで手前を滅ぼしてやるよ!」
手も足も出ない状態で叫ぶハンターの様は文字通り負け犬の遠吠えだった。ギリ、と片倉は牙を噛み締め、青年以上に顔を歪めた。
どう、すれば良いのか、どう、伝えれば良いのか、未だ答が見つからぬまま、青年の体を引き寄せていた。


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