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―記念文倉庫―

階下へ降りると広い居間には暖炉に炎が灯されていた。
吸血鬼はそれの前に直立不動の状態で立ち尽くしており、政宗が部屋に入って来ても振り向きもしない。天井の電気が時折頼りなげに明滅するのを忌々しく見上げ、政宗は窓際のソファーに腰を下ろした。
「誰か来たって、誰も来ねえじゃねえか」
言い終えるや否や、二重扉の向こう側がドンドンドン、と無粋に叩き鳴らされた。
神父は何時の間にか法衣を身に付けた背を政宗に向けて鷹揚に戸口に立った。二重扉を人間らしく一つ一つ開けて行く。
温かい部屋にどっと冷風と雨粒が飛び込んで来た。闇色に切り取られた戸口の真ん中に立つのは、やはり同じ闇色のローブを頭からすっぽり被って、川泳ぎでもして来たようにびしょぬれの人物だ。
「どちら様ですか?」
神父の戸口越しの問いに、体を揺らしたその人物は無言で居間に押し入って来た。そして、その一動作で水の激しく滴るローブを脱ぎ捨てる。
「我が輩は円卓の騎士、最上義光である!」
耳をつんざく甲高い声でずぶ濡れの男は一言叫んだ。
「…最上の、おっさん?!」
後に続いた驚愕の台詞に片倉はソファから半ば腰を浮かせた状態の青年を一瞥し、それから再びその男を見やった。
黒いローブの下は中世ヨーロッパの貴族のような出で立ちだ。目の覚めるような碧色を基調として刺繍が施されたジュストコールと言う上着にヴェスト、襟元には派手な襞を付けたクラヴァット。ジュストコールにはまた大振りのカフスに宝石のボタンと言う手の込みようだ。それも今はぐっしょり濡れてただ重たそうだが。
片倉は床が濡れるのを嫌って、放られたローブを掬い上げた。
「先ずは着替えて頂きましょうか?話はそれから」
政宗を振り向いてぽかんと言葉を失っていた最上は、落ち着いた声に静かに語りかけられると2人を見比べつつも不精不精に頷いた。

最上は、片倉の普段着であるシャツとスラックスに着替えると一も二もなく暖炉の前に陣取って冷えた手足を温めた。
短い夏が終わりを告げ、束の間の秋へ突入しようと言う季節の変わり目だ。嵐はこの時期、この土地を潔く何度も洗った。一晩で終わる事もあれば二、三日吹き荒れる事もある。夏が暑いなどと言う記憶を留める暇もないまま嵐に洗われた空と山々は、何時しか秋の装いへと変化してしまう。ここはそんな土地だった。
暖まったついでに最上は片倉から一杯のブランデーを頂くと饒舌に語り出した。
「政宗そなたがこの村での仕事を終えた後、連絡を絶っておったのでルナ・ステイツでは探していたのだぞ。我が輩の面目丸潰れではないか。仕事の依頼を何件も他所へ回さなければならなかった。こんな屈辱を尊敬すべき伯父である我が輩に味わわせて良いと思っておるのか?しかも今回は我が輩自ら動かねばならぬ事態となってしまった。ま、却って都合が良かったかも知れぬな。片倉殿が20年前世間に一大センセーションを巻き起こした時の人である事をそなたは知らぬであろうが、こうして我が輩もお目に掛かれたのであるから。それにしても片倉殿は思ったよりお若い、今年お幾つになられる?」
キリキリと耳と脳味噌を掻きむしるような不快な声が一先ず止んで、片倉は我知らず溜め息を吐いていた。
「…伊達氏には大変お世話になりました。教会だけでなく村を上げてお礼を致したいと無理を言って引き止めてしまったのです。彼を責めないで頂きたい」
神父の丁寧な謝罪に最上は狐に摘まれたような表情になり、それから確認する意味で自らの甥を怪訝に振り向いた。
「こやつが村を上げて感謝される?珍しい事もあったものだ」
ソファにどっかりと座り込んだ政宗は不愉快を隠そうともせず顔を歪めた。
「…で、最上殿は伊達氏を探しに?」
「いやいやいや、我が輩が用のあるのは片倉殿、あなたである」
「私、ですか…」
いやな予感がした。
先程20年前の話を持ち出された時に既に抱いたものだが、やむを得なかったとは言え過去に人目につく事をするんじゃなかったと後悔が忍び寄る。
「巷間に"吸血鬼研究"と言う名の付く著作は数あれど、あの当時とそれ以降、これ程物議をかもした名著はなかった。それくらい画期的な本を書かれた片倉殿の事、今度の問題にもきっと傾聴に値する貴重な意見を聞かせて頂けるものと我が輩確信しておる!」
「いや、あれは―――」
片倉の視界の隅で自分を睨みつけて来る青年の剣呑な姿が揺らいでいた。その著作とやらについて矢のような質問を放ちたくてうずうずしているのだろう。勘弁願いたかった。
「最上殿は伊達氏の伯父上であられる?…ならば積もる話もありましょう。私はこれで―――」
「片倉殿!!」
「逃げんのかコラ!」
気付くと、伯父と甥に両腕を掴まれていた。
2人揃って食っちまうぞ、と言う剣呑な思考が浮かんだが、それを実行に移せる訳もなかった。仕方なく2人の手を引き剥がしテーブルに着くと「お話を伺いましょうか」とだけ言った。

最上義光は伊達政宗の父と同じくルナ・ステイツの議員の一人だった。
議員の表の職業は様々だ。
政治家であったり、会社の役員であったり、TVタレントであったりスポーツ選手であったり。時にはただの主婦が重要な役目を持った役職を拝命する事もある。その基準は一概には言えないが大抵は"伝手"がものを言う。
因みに最上の仕事は建築業だ。
それが「円卓の騎士」などと名乗るのにはそれなりの理由があった。
人間と吸血鬼が一つのテーブルに着いて互いの安全と利益を図る協議の場ルナ・ステイツ。そのテーブルになぞらえて「円卓」と隠語で呼ばれる事もある。それを、最上は好んで「円卓の騎士」と改称していた。本来一般には秘されている存在のルナ・ステイツだ。「円卓の騎士」と幾ら最上が声高に叫ぼうと人々の誤解や冷ややかな視線に出会すだけで何の支障もない。
ただ、政宗はそんな伯父を苦々しいを通り越してバカにしているようだった。身内とは言え2人の間には飛び越せない溝があるのは火を見るより明らかだった。
そのルナ・ステイツで4、50年程前から問題に取り沙汰されている吸血鬼がいた。
名を松永久秀と言う。
この松永、7〜800年の齢を重ねる大吸血鬼であり、ユーラシア大陸の特に中央アジアを中心に時代の中で点々と足跡を残して来た伝説の根拠でもあった。その名と姿は恐怖と共に永年、人々の中に根強く刻まれている。
詰まる所、定まった住処を持たず、支配する人間を持たず、ジプシーなどの流浪の民を使役して各地を流転する「漂泊の吸血鬼」だ。
基本的に吸血鬼は生国の土塊を褥に眠る事で永続的に超人的な力を得、昼日中の死者の安寧を貪る事が出来る。そこで松永は、人間の血と共に必要不可欠な生国の土をジプシーたちに大量に運ばせ、移動を重ねているのだ。
彼が取り沙汰されるのは彼が"移動する恐怖"だからではない。
松永は吸血鬼を捕らえるとその餓えがどの程度まで耐えられるかを先ず試す。天然の岩牢に放り込み、何年も何十年も放置するのだ。その間逃げ出せたら運が良い方だ。移動する松永は閉じ込めた吸血鬼の事をしょっちゅう忘れるから。だがたまに覚えていたりして吸血鬼が壮絶な有様でも生きていたとする。そうすると別の餓えた仲間を放り込んでどうなるか試した。当然、血を血で洗うような闘いを繰り広げる吸血鬼たちを、松永は血の酒杯片手に眺めるのを浮き世の憂さ晴らしに楽しんだ。
それだけでなく、記録係のジプシーにその有様を克明に記録させてチベットの僧院の奥書院にコレクションしているとも言う。
また、吸血行為をすることが出来ず生国の土もなしに弱って行く吸血鬼が、それでも尚死ねずに狂って行くのを冷ややかな目で眺めた。
ある時には、吸血鬼が昇る陽光のどの瞬間で灰になるかを幾つものビデオカメラで抜かりなく撮影して、それを夜の焚き火が静かに爆ぜる中ジプシーたちの物悲しいギターラと歌とを背景に興味深げに眺めた。
吸血鬼の性と運命を玩ぶ悪魔の所行、と吸血鬼に彼は恐れられた。
無論、人間にも手を出すし殺すとなったらそれこそ塵芥のように容赦も慈悲もない。ハンターが狙った事も数え切れない。
だが、彼に付き従うジプシーの協力と彼自身の測り難い強靭な能力の前にそれらは悉く退けられて来た。
「我が輩に言わせれば、吸血鬼同士が殺し合おうと知った事ではない。むしろ彼奴に感謝せねばならぬのではないか?人間を襲い、血を啜る化け物どもを最も愉快な方法で滅ぼしてくれるのだからな」
大胆に言い放って最上は耳障りに甲高い声で笑い上げた。
ハンターに人間が多い事から予想はつくが最上と同意見、あるいはそれに準ずる考えを持つ者は少なくない。そうした理由からハンティングに手が抜かれていたのも又事実だった。
「だが、今回は少しばかり話が違ってな、片倉殿。…円卓の騎士であり吸血鬼でもある者が直々にハンターズギルドに依頼と協力を申し出て来た」
「それは?」
「三好長慶と言って、元は松永と共に悪行の限りを尽くして来た奸賊よ」
それが又どうして、とは続かなかった。
話を聞き終えた片倉は中空を見つめて何処かに思いを馳せているようだった。それをちらと見やった政宗は、ソファの背後にある窓に左目を投げやった。鎧戸はしっかり閉じられ、それを揺する荒々しい雨と風は未だ続いている。
政宗が松永に抱いた印象は「不愉快な野郎だ」と言うものだった。
人間であれ吸血鬼であれ、それが畜生であれ、同じ属性を持つ者同士が殺し合い食い合う事は本能的な嫌悪感を呼び起こす。そしてそれが一方的な拷問や虐殺であるならば不快感は極まれり、だ。
「ハンターズギルドは誰を寄越す事になったんだ?」
当然問われるべき問いを政宗は口に乗せた。
「それは未だ決まっておらん。…ともかく相手は奸智に長けた特殊なミディアン故、先ずは片倉殿の意見を聞こうと思ったのだ。片倉殿、是非この悪魔めと対峙する術を聞かせてくれ給え」
名を呼ばれて男は最上を振り向いた。
「私は神職に身を捧げている者ですよ」
「神父だったら悪魔払いぐらいするであろう」
ものを頼みに来たとは思えない横柄な態度だった。これに対して片倉は腹を立てるどころか穏やかに苦笑した。そして暖炉を背に自慢の髭を指先で扱いて見せる最上の目を凝っと見据える。
「その松永を滅ぼす事で幾足りの吸血鬼がルナ・ステイツに加盟する事を約束したのでしょうな?」
丁寧な片倉の言だったが、最上の細長い表情の変化は見物だった。
「あるいはもっと他に即物的な何か、を手に入れるお心算かな…?」
人間と吸血鬼が協議する場は双方の癒着をも促す温床となり得た。吸血鬼は古の財宝や奇妙なカラクリ―――主に武器などをその居城に溜め込んでいる者も多く、それはある種の人間にとって垂涎の的でもあった。例えば血の狂宴にはおいそれとは近づけなくとも、彼らの持つ闇の技術の恩恵に預かりたいと願う人間は後を断たなかったのだ。
動揺を隠して息を呑んだ最上は口の端を歪めて、言った。
「我が輩は人間と吸血鬼の架け橋となりたいのだ」
臆面もなくそう告げた男の容貌は、言葉の内容とは裏腹にいやらしい欲望の塊そのものだった。
「嵐が収まったらお引き取り下さい」
静かな物言いで答えると、片倉は立ち上がって居間を後にしようとした。
「待て!」それを追おうと最上も椅子から立ち上がる。
振り向いた神父と視線が絡み合った。
ほんの一瞬だ。
神父の法衣に縋っていた手指から力が抜け、最上は目を見開いたまま昏倒した。

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