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―記念文倉庫―

―One only will in the darkness.―

横殴りの雨と風、そして雷鳴とで世界は飽和状態となる。
小路の傍らの樅の樹はしなやかなその体で斜めに傾ぎながら強風をしのいでおり、なだらかな丘の上の雑草やそれに紛れて咲くカンパネルラやエーデルワイスの可憐な花々は今にも花弁を引き千切られそうになりながらも闇の中、ひっそりと耐えている。村を歩く人影など勿論皆無で、道端に不用意に放置されていた鉢植えやバケツなどはとうの昔に吹き飛ばされていた。釘で打ち付けていなかったスレートや煉瓦の屋根瓦は凶器の如く空を舞い、嵐の後になってから何キロも離れた牧草地や湖畔で発見されることになる。
家屋の中にいてもその騒々しさは耐え難いもので、窓を覆う鎧戸だけでなく建物全体が、風が大きくうねる度に巨人の手で揺さぶられでもしたかのように大きく軋んだ。
上空で不吉に喉を鳴らす雷は、時折思い出したかのように蒼白い光で世界を照らし、間髪入れず大地を揺るがす咆哮を上げる。
こんなに騒がしくては寝付こうにも寝付けない、と思いつつベッドに横になっていた政宗は一瞬意識が途切れたようだ。はっと気付くと先程よりも風雨の起こす音が遠離ったように思える。
目を閉じたまま、「栄光の丘」を薙いで行く嵐の気配の中に意識を飛ばして浮沈に身を任せてみる。
吸血鬼の血を飲んでからと言うもの、目に見えるもの、耳に聞こえるもの全てがやたらとクリアで、一つ一つがはっきりしていた。それは特に夜に顕著で、今も家屋のどの辺りが痛んで風にガタガタ震えているのか、屋根のどの辺りに水が染み込み建材を腐らせようとしているのかが手に取るように分かった。隣の教会はもう修繕が済んでいるがかなり古い建物らしく、強い風が吹くと骨格である大黒柱が数本悲鳴を上げていた。
そう言う事で眠れない意識の気を紛らわせていると、体の上にかけたシーツの中に乾いた風がふわりと舞い込んで来た。
―――生まれたての小さな嵐のように。

背後から冷んやりとした両手を伸ばし、同じく冷んやりとした胸と腹とをぴったりと添わせて来る。そして全くの無防備な首筋に口元に寄せる。
この、1000年を生き抜いたと言う吸血鬼は時折、政宗の理解の及ばぬ事をする。
ぬいぐるみのように抱き締められて、青年の体温が死者の肌えを暖めるまでじっとして。
そうして、首の後ろの骨に皮膚を破らない程度に歯を立てる。

カリ、カリ、と。

時折、歯の間から舌を伸ばしてちろちろと舐る。
冷たい吐息が仄かに香る―――あれは何の匂いだったろうか。
乾いた石棺の匂い、墓地に降り注ぐ陽光の匂い、焼け落ちた十字架の欠片の匂い―――。
目を閉じて身じろぎもしない政宗は何か大きな生物に親愛の情を示されているような気分になる。それは性的な行為とは全く無縁で、多少のくすぐったさと共に幼い悪戯心を思い出させた。
だが、そうやって心地良い微睡みに戯れている内に自然と青年の下半身が熱くなって来るのだから堪らない。
腰に押し付けられた吸血鬼のそれは沈黙を保っているのだから尚更だ。

「欲しいか?」

耳元でそう尋ねられ、隠す事も偽る事も叶わぬまま男には全て筒抜けなのだと理解する。
鼓動の高まりに息苦しさが募り、それには細い溜め息で応えた。
「欲しい」
そう答えれば速やかに齎されるであろう快楽に素直になるには、普段個人として持つ矜持が邪魔をして今暫く時間が掛かる。自分から折れるのは癪なのだ。どうせなら、力尽くでやむを得ず、2人の間に横たわる諦観の果てに取り交わす"取引"であって欲しかった。
そうした行為の方がむしろ多かったのだ。
「村の修繕が終わるまで」
そうした約束の上で神父の所に留まった青年を、吸血鬼は嵐のように乱した。
毎晩のように、
一夜に何度も、
数え切れぬ程―――。
だが時折ふと静寂に立ち返る。
こうして何もせず背後から抱き込まれて眠った夜もあった。
全く理解に苦しむ。
尋ねられ、何も答えずにいるとまたカリ、カリ、とやられた。
堪らない。
何処かで立て付けの悪い戸がけたたましく騒ぎ立てる。雨と言うよりももはや滝のような水が家屋の壁にぶち当たっては砕ける。緩急を付けて寄せては返す潮騒のように、嵐は踊り狂った。
不意に、背後の男が身じろぎしたかと思うと、項の後れ毛を大きく掻き上げられた。そこへ獣の剣呑な吐息が当たり、冷たく濡れた柔らかいものにべったりと首筋を覆われていた。耳元まで口の裂けた吸血鬼にがっぷり噛み付かれたのだ。
そう意識するより早く背筋を痺れが走り、思わず声が漏れた。
濡れた声は小さかったが吸血鬼が聞き逃す筈もない。肩を引かれ無理矢理振り向かされると、呼吸も止まるような口付けを受けた。
餓えた獣が捕らえた獲物にむしゃぶりつくような激しさで。
首筋―――頸動脈を掌で抑えられ耳の中で血が膨張する。閉じた瞼の中で雷ではない閃光が幾筋も走る。
叩き付ける雨音に雷鳴が加わった。
けたたましさに拍車がかかる。
口付けの合間に漏れる水音も、溜め息混じりの艶声も、全て掻き消してしまう嵐の夜だ。体の中で闇がざわめくのと同時に、2人を包む空間はテュポーン(タイフーン)と言う名の神の胎内と変ずる。

不意に吸血鬼が動きを止めた。
耳を澄ませているらしい気配に政宗は気怠げに身じろぎした。
「誰か来た」と男は呟き、体の何処に力を入れたのか分からない動作でベッドから離れていた。
それと同時に部屋の隅に置かれていた枝状の燭台に蝋燭の炎が点る。ちろちろと揺れる赤い明かりの中で政宗も上身を起こした。シャツと黒いレザーパンツが中途半端に乱され、シーツの刻む陰影の中淫靡に浮かび上がる。吸血鬼は蒼白い容貌の中の鋼のように冷たい瞳でそれを眺め降ろしていた。まだ頭がふらふらする政宗は額に手をやってそれに耐えるばかりだ。
そして顔を上げた時にはもう吸血鬼の姿はない。
「…誰か、来た、だ…?」
この暴風雨と遠く近くに轟く雷鳴の最中、何が聞こえたのだと言うのだ。それに、こんな夜中に表を出歩く者など。
そこまで考えて政宗は軽い溜め息を吐いた。
相手は1000年を生き抜いた吸血鬼、エルダーだ。間違いでも思い過ごしでもないだろう。
立ち上がった政宗はふと背後を振り向いた。
白いベッドの周囲を赤いベルベッドのカーテンが包んでいる。窓のないこの部屋にはイーゼルに立て掛けられたキャンバスが数多く放置されており、キャンバスは全て黒一色に塗り潰されていた。これら絵画の保管場所だったものが今の政宗の仮の宿だ。
その黒い画面に何か意味深なものを感じつつ、青年も部屋を出た。


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