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―記念文倉庫―

居間に戻って半分開けたカーテンから遠ざかって行く二人の青年の後ろ姿を見送った小十郎。
遠くからでも楽しげにじゃれ合う様子が見て取れた。政宗が元親の足を引っかけて、元親が雪の中に派手にすっ転ぶ。
東京事務所を引き払った高校三年の時以来だったから六年の空白があるが、そんな事も気にならぬらしい。
「逐一、報告して差し上げましょうか?」
気配もなかったのに、背後から声を掛けられた。
「いいからとっとと行け」と不機嫌に返す小十郎はしかし、振り向きもしない。
「だーいじょうぶ、今行ったら却ってバレる」
男は、政宗が中学生の頃からその身辺警護にと鬼庭良直が遣わせた者の一人で慎吾と言った。
公立の学校に通うようになった政宗と成実に四六時中くっついて歩く訳に行かなかった小十郎の代わり、とも言える。政宗が長じて頭首になってからは、主に諜報活動に充てられていた。
そのせいか、小十郎と政宗の密かな関係を知る一握りの人間の一人でもあった。
「小十郎さんは意外に鈍いんだね」
「あ?」
ようやく振り向いた小十郎の隣に立って、彼は青年たちの消えた白い道の向こうを見る。小十郎より四つ、五つ程下の男は、その見た目と口の軽さとは裏腹に有能な諜報員だった。
「いや、見ないフリ、か」
「無駄口叩いてるヒマがあったら―――」
「狡い大人のやり口って奴?」
ぶん、
と空気の潰れる音がして、慎吾はひらりと身を翻した。
小十郎のかましたアッパーをひょいと仰け反る事で回避できる人間はそうはいない。彼も数少ないその一人だったらしく、余裕の笑みで距離を取った。
「犬に蹴られて死にたくはないんでね―――じゃ」
くるりと踵を返して居間を出て行く後ろ姿を忌々しく見送って、小十郎は視線を窓の外に戻した。
―――鈍い、だと?
一体何の事だ、とセットした髪が乱れるのも構わずガシガシと頭を掻いた小十郎。
雪の降り積もった世界に、青年たちの姿はもう何処にもなかった。



大きな車道の路肩を雪を避けて歩きながら、政宗は元親が辿った六年間をかいつまんで聞いた。
「大学で、NPO活動に参加した事があってよ」と元親は語った。
「ま、いわゆる紛争地域だった所の復興支援って奴」
「ボランティア精神に目覚めた訳か」
「まあなあ…。家も親も無くした子供の顔が、頭ん中から消えなくってよ―――」
「―――――」
昔からそうだ。
この男はガラの悪い態度や口調で辺りを威嚇して憚らないが、弱い立場の人間には惜しげも無く手を伸ばす。その事に照れも迷いも無い。だが説教臭い所もない。彼が多くの人間に恐れられると同時に慕われる要因でもあった。
「だからって何で軍だ、しかもアメリカの」
「だって日本ってよ、海外に軍派遣しちゃなんねえじゃん。民間や寄付金で出来る事は、すっげえ限られてるしよ」
「紛争の種、蒔いてんじゃねえか、アメリカは」
「そこよ」
「どこよ」お定まりの掛け合いを半ば怠そうに返してやった。
「最初はパキスタンとかバングラデシュにしようかとも思ったんだ」
「…また、ずいぶんと吹っ飛んだな…」
「何言ってんだ、PKOに派遣してる人間の数じゃ、そこがツートップなんだぜ」
それは意外だった。てっきり欧米が一番だと誰もが思う。
翻ってどちらもインドと併せて同じ王国だった歴史がある。そのインドも、前者に継ぐPKOに対する最大の貢献国家の一つだ。
「でもよ―――」
ふと俯いた横顔に陰が落ちる。
政宗と元親は、何時の間にか立ち止まっていた。
「言葉も生活習慣も、俺にゃあ全く理解できねえ…」
「………」
ざあ、と彼らの傍らを自動車が走り抜けて行く。
ぷ、と思わず吹き出していた。
次の瞬間には政宗は高らかに笑っていた。
「Are you stupid?(バッカじゃね?)そんな下らねえ理由でアメリカにしたのかよ!!」
「おまーなあ…。あそこら辺りの国じゃ、大の用を足した後、左手でアソコ拭くんだぞ」
「はあ?!」
「不浄の左手って言うんだ」
「Chase it!(おえっ)マジかよ…」
「まあ、そんなこんなでインド周辺は諦めた」
「…で、何でアメリカなんだ」
「お前もさっき言ったろ。紛争を蒔き散らしてんのはアメリカだって」
「ある意味国際的常識な」
「だーかーら!国や軍の内部から揺さぶり掛けてやろうかと思ってよ!」
「…は?」
「先ずは一般軍人から…てな」
また、呆れるぐらい遠大な計画だ。
大統領命令に逆らえる軍人がいるだろうか。いるとしたらそのきっかけはクーデターで、行き着く所と言えば軍事国家だ、と政宗は思った。今はあえて元親には言わないが。
「…まあ、せいぜい頑張れや―――」
気のない感じに吐き捨てて、政宗は再びスタスタと歩き出した。
「あ、おいちょっと待てよ!」
元親は慌てて彼の後を追った。
「PKO活動はいいのか、ボランティア君」
背中を丸めて歩く政宗は、振り向きもせずそう尋ねて来た。
「それもぼちぼちやってる」
「ぼちぼちって…」
「ん〜な事より、何時まで歩かせるつもりだ?!俺もう寒くて凍え死にそうなんだけどよ!!」
喚く元親を顧みて、政宗はいかにも残念そうな顔をしてみせた。着膨れて鼻の頭を真っ赤にしている元親は、図体ばかりデカイただのガキだった。
仙台の今の屋敷ではなく、幼年期を米沢で過ごした政宗にとっては、昔なじんだ雪化粧の世界だ。何が寒いか。
「このくらい、まだ序の口だろ」
「お前が薄着過ぎんだ…」
政宗と睨み合って呟くとずずず、と鼻をすする元親。その様が余りに哀れを誘うものだから、政宗は肩を竦めて言った。
「しょうがねえ、温泉でも入りに行くか」
「マジで?!行く行く!!!!!」
アメリカの軍をひっくり返してやると言ったのと同じ口が、犬っころのようにあられもない笑顔に取って代わられた。
本当に、面白い奴…。


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あきゅろす。
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