車両の一部に鍵のかかる車掌の個室があった。
ヘレナ、と名乗った車掌の案内で、部屋のベッドに綱元を寝かせ簡単な治療をした。と言っても、アルコール度の高いウォッカを傷口に吹きかけて薄っぺらなタオルで包んだだけだ。
問題なのは政宗だ。
止まらない血を片手で押さえつつ、他人に一切傷を触らせようとしなかった。唇は噛み締められ続け、語る言葉も僅かだった。
心配で堪らない小十郎と成実があれこれとなく言葉をかけるが、痛みに耐えているらしい政宗は粗末なデッキチェアに腰掛けてからと言うもの、何の反応も示さなくなった。
「Ah…, Hospital―――」と女車掌が呟いた。
小十郎や成実と一緒になって黙んまりを決め込んだ政宗の横顔を見つめながらの事だ。彼女のアイスブルーの瞳が彼らを顧みた。
「Big hospital…, the operation is impossble….」
酷い片言の英語だった。要するに大病院でなければ手術は無理だと言いたいのだろう。
「Kelov?」と小十郎が返した。
「English…no English. and I think that there is problem…dirty.」
英語は駄目、全く通じないのだろう。それにロシア人の彼女にさえロシアの病院は汚い、つまり衛生上に問題があると言う。
「…Where did you come from?」
何処から来た、と問われて「Japan」と小十郎は応えた。
「Then, Go to the Japanese hospital. …it's better」
言われるまでもない、日本の病院と医療施設が世界でも高水準なのは周知の事実だ。小十郎は分かり切った事は言うなと言うように、荒々しく息を吐き出した。
女車掌は責任を感じていたようだ。自分が持ち出した消化器が結果的に政宗の残った左目を切り裂いてしまったのだ。これで両目が失明、となるとかなり彼女の心にも負荷が掛かった。
「It's so…. How many days more does the train arribe?(後何日で列車は到着する?)」と小十郎は彼女に横顔を見せたまま尋ねた。
「End terminal?」次の駅ではなく終着駅か、と彼女は聞き返す。
「Yes,…Vladivostok…?」
終着駅はウラジオストクかと小十郎は重ねて問う。
「In the terminal is Khabarovsk.…Ah…, An airplane appears from Khabarovsk to Niigata.(終着駅はハバロフスク駅よ。そこから新潟へ飛行機が出る)」
応えてからヘレナは腕時計を見た。
「It's 6th days more and 17hours.」
「―――…」
小十郎は抑え切れない溜め息と共に腕を組んだ。
身動きの取れない綱元と、一刻の猶予もならない政宗と、衛生上問題のあるロシアの病院に、6日と半日以上かかる旅程とが全部天秤にかけられる。だが、ふと思いついて隣のロシア女性を振り返った。
「May we get on a train?(列車に乗ってていいのか?)」
今更な問いにヘレナは肩を竦めて見せた。
それから、ベッドで苦しげな呼吸を繰り返す綱元と、ハンカチで左眼を抑えて身じろぎ一つしない政宗をちらりと見やる。こんな人間たちを放り出せと言うのか、とでも言いたげだった。