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―記念文倉庫―
4●
どうして、こうまで自分を掻き乱してくれるのだ。
魂を引き裂かれる程の苦しみと痛みは、欲を冷ましてくれるようのものではなく、却って非道い仕打ちにへと男を突き動かしてしまう。
青年の身体が上下に跳ねる程激しい抽挿になっていても止められず、小十郎は苦しみの内に青年の肩口に額を預けた。
すると、政宗にその口を覆っていた掌を振り払われた。途端に酷い事をしてしまったと後悔の波に呑み込まれそうになっていると、青年も又顔を小十郎の首筋に埋めた。

ガリリ

と、そんな音がしそうなぐらいの激痛が首筋に走り、小十郎は我に返る。歯を立てるどころではない、皮膚を突き破らんばかりの勢いで噛み付かれているのだ。それをそうと意識すると、背筋を電流が走ったような感覚に襲われる。
それは結局激しいピストン運動に転換され、又しても彼の髪を乱す程に突き上げ、揺さぶりをかける事となった。それに伴い噛み締める歯には更にぐ、と力が加わり、

その喉の奥を震わせ、漏れ出る悲鳴に、
そのあられもない啼き声に、

―――ああ、と小十郎は思った。

今自分の中で性衝動と暴力衝動とが鮮やかに結びついている。
ガクガクと揺れ、壊れた人形のように成すがままの政宗が愛しくて、憎らしくて、堪らなかった。
ただただ胸が苦しい。
快楽を上回る勢いで不安が胸の裡をどす黒く塗り潰して行く。それが又焦燥を煽り立て、男を追い詰める。
正しく無限ループだ。
そのリングに乗って、必死に声を押し殺して身悶える政宗に一時、我を忘れた。



朝になり、廊下で寝入っていた人々が起き出す頃、綱元がダウンしているのに彼らは気付いた。
「すんません…政宗様…」
通路にぐったりと座り込み、自らのダッフルコートを身体の上に掛けた綱元が力ない声で言うのに政宗は首を振った。
「俺が無理させた。今はとにかく休め」
言って立ち上がり、綱元の傍らに踞って濡れたハンカチを握り締める成実の頭に手を乗せた。
半ベソを掻いたような顔が俯いていて、従兄弟は揺すられるまま頭を揺らした。二十歳にもなってこの青年は何時まで経っても純真で素直だった。自分とは違って。
「Listo ne videl….(見かけない顔ね)」
早口なロシア語が女の声で投げ掛けられて、政宗とその隣に立つ小十郎は顔を上げてそちらを顧みた。
見覚えのあるカーキ色の制服は、このシベリア横断鉄道に常駐する車掌のものだ。客たちの何彼とない要求に出来うる限り応え、時にはあしらい、端々に気遣いをするのは多くが女性の車掌だ。客室の車両一台に2人付けられた彼女らが、乗客の間を通り過ぎながらパスポートのコピーと乗車券が3枚つづりになったものを確認していたのを、彼らは様々な場所に身を隠しながら盗み見ていた。
今は彼女のアイスブルーの瞳が政宗たちを順々に眺めている。
欧米人に東洋人の見分けは付きにくい。だからよくよくその特徴を見極めようとでもしているかのように。あるいは遠い星の宇宙人でも物珍しげに眺めるように。
「Shokirovan, YA dolzen byl proniknut syuda?(呆れた、こんな所にまで忍び込んでたなんて)」
溜め息と大仰なジェスチャーで細かい音節を吐き出す顔は、心底呆れていた。後ろにひっつめたブロンドが頬の上にほつれ掛かり、彼女は指先でそれを掻き退けながら歩み寄って来る。足下には綱元だけでなく、ロシア人や中国人やら沢山の乗客らが踞っているが、そんな事には馴れっこになっているらしく、大きな体を揺らしてひょいひょいと歩く女は政宗たちから目を離そうとしない。
「Neteper, vash pasport?(今更だけどパスポートは?)」
ロシア語はチンプンカンプンだったが、辛うじて「パスポート」だけが聞き取れた小十郎が政宗をちらと見やり、その政宗は顔だけを女に捻じ向けたままやはりその視線を外そうとしない。
女車掌の目が落ちて、彼女を睨み上げる綱元の顔を何気なく見やった。
脂汗を流し、紅潮した頬と充血した白目のせいですぐに病人だと分かる。だが、彼女の同情を買うまでには行かなかったようだ。
「Vyi ti na sleduyushchyei ostanovke.(次の停車駅で降りてもらう)」
一度そう言ってから彼女は何度かその台詞を繰り返した。どうせ言葉は通じないのだと分かっている者の態度だった。ジェスチャーを交えて最後に列車の外を指差す動作をされた事で、政宗たちにも彼女が言わんとする所は呑み込めた。
「Excuse me….」
耐えかね、小十郎は一歩を踏み出しながら言い掛けたその時だ。

ガチャ

重々しい金属音が響いて政宗共々振り向いた。
白く関節を浮かせた男の手がMP-443「グラッチ」を掴んでその銃口を女車掌に向けていた。それを視界に納めた彼女はしかし、あからさまな侮蔑の表情しか見せなかった。
訳あり、しかも銃を携帯している。ロシア経済の40%を荒稼ぎしていると言われる多種多様なロシアン・マフィアの一員か、そんな心の声が聞こえて来そうだった。
「K sozhaleniyu, ne vyhod na ugrogy.(悪いけど、脅しには屈しない)」
そのどっしりとした外見と同じように彼女は臆する事なく言い放つ。
綱元が舌打ちを零した。その手の銃の撃鉄を起こし、引き金に指を掛けるのでさえ、今の彼には体中を走る寒気に震えを覚えさせる。
政宗はほんのちょっと視線を下げて、片手で冷たい銃身を静かに押し下げた。戸惑いと焦りの眼を綱元は青年の横顔に注いだ。
「脅しになってねえ…。そいつは仕舞え、ガキがびびってやがる」
言われて背後を振り向くと、直ぐ側に母親らしき疲れた顔の女に取り縋ってこちらを凝視している少女と視線がかち合った。思わず盛大な溜め息が溢れ出し、綱元は自分の腿の上に銃を持った手を落とした。
仰け反らせた後頭部を何度か壁面に叩き付ける。
役立たずの自分が腹立たしかった。
それを許す政宗の甘さには涙が出そうだった。
鈍い音を立てる壁と頭の間に、成実は自らの掌を差し挟んだ。それに気付いた綱元がそちらを振り向くと、青年の方が痛みを感じているかのような表情で俯いているのが視界に飛び込んだ。
情けなさで、後は顔を伏せる事しか出来なかった。
その様と、彼らを庇うようにして立つ政宗とを女車掌は心中を伺い見せない無表情で眺めていた。



ヤロフラスキー駅を発ってから一日と経たぬ内に列車を降りねばならなくなった政宗たちは、3等車の通路からも追い出され昇降口のある狭いデッキに佇んだ。
昨夜そこで浅ましい行為に及んでいた事をおくびにも出さず、政宗は窓ガラスの外を眺めていた。変化の乏しい草原と規則正しく並んだ電柱とが延々と車窓の傍らを流れて行く。そして吹き込む真昼の風は思ったより暖かかった。
内陸性の気候のせいで寒暖の差が激しいのだ。朝晩はそれこそ零下近くまで冷え込むが、昼間は30度近くまで気温が上がる事もある。
今、夜が明けて最初の駅は1分程停車しただけで再び走り出した。次の停車駅には2時間後に到着して、そこに15分間停車する。そこで降ろされるようだ。
成実がハンカチを持って立ち上がった。
薄い扉を開けて客室のある通路へと小走りに走り去る。
列車内部に専用の洗面所や風呂があるのは特等車のみだ。2等車3等車の唯一の水回りと言えばトイレだけで、そこで乗客らは頭を洗ったり髭を剃ったりする。成実は何時も誰かが行列を作っているそこへ行って、温んだハンカチを洗って来るつもりだった。
「政宗様…」と綱元が機を見計らったかのように声を上げる。
「次の駅はキーロフです。まだ大きな都市だ。そこで車を手に入れましょう、こうなったらそれしか…」
「バカヤロウ、何日も休みなく運転出来るか」返事は速攻だった。
「キャッシュカードならケースに入れて身に付けてる。手前は余計な事考えてねえで休め」
「………」
「政宗様」
今度は何だと言うように、ちょっと苛立たしげに政宗は小十郎を振り向いた。
「キーロフにも空港があります。どうも閉鎖されたり運行されたり不安定な状態ですが、地元の航空会社が辛うじてモスクワ便だけは確保しているらしいです」
「またモスクワにトンボ帰りだと?」
「このままでは埒が明きません。日本大使館に行きましょう」
険悪なムードをものともせず小十郎はきっぱりと言い放った。
「そっから身分照会だの何だので何日足止めされんだよ」
「それは分かりませぬ」
「半兵衛の野郎の事はどう説明する。ロシア兵を操るぐらいだ、日本大使館の中に奴の息のかかった人間がいないって保証出来んのか?」
「それは―――」
「何処が安全だ?誰が信用出来る?言ってみろ」
「政宗様」思わず上げた声が相手を制するように高くなってしまった。
「喜多の事、ご心配して下さるのはまこと有り難い限りですが…。貴方の身の安全が最優先なのです。俺たちは常にその事を胸に刻んで行動している。無論、喜多も―――」
「………」
落ち着き払った表情の男を政宗は斜に睨みつけていた。

苛立ち。

目の前のこの2人の男が身内の命より自分の方が大事だと言い切るその不条理に。
苦しみ、痛みを訴えているかもしれぬ親しい女が、その本人の口からも「大事なのは貴方お一人」と言うのを聞くのも。
そして半兵衛が施した策にまんまと乗って我を失いつつある自分自身にすら。
ただ煮え滾るような苛立ちが募り募って仕方ない。
「………っ」
政宗は窓ガラスに拳を当てて、喉の奥から込み上げるものを呑み下した。
背筋から沸き上がって全身を押し包み、捕らえ、政宗を雁字搦めにしてしまうこの感情を何と名付けたら良いのだろう。もはやそれは一個の意識を持った生き物のように、彼がもがけばもがく程身動きもならぬ泥沼に引きずり込んで行く。
誰も彼も、この底なし沼から彼を救い出す事が出来なかった。
大切な人が…女(ヒト)が助けを求めているのに。

自分はそれを助けられなかった。


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