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―記念文倉庫―

威嚇の為に火縄銃を構えた鉄砲隊の顔が見分けられる所まで近付いた。
その銃口が僅かに上げられる。
孫市は背後を振り返った。
山の斜面、枯れ木の間で二の足を踏む忍びたちの黒装束が見え隠れしていた。だが更に上へと彼女の視線は上がり、それを捉えた。
葉を落とした枝の絡まる向こう、斜面から少し張り出した尾根の上に十数騎の騎馬のシルエットがあった。
孫市は、夕日を背後にして騎馬群の先頭に立ち、ぴしりを背筋を正す若者が自分たちを見ているのをそこはかとなく感じた。
「Let's perty! Yeah-ha!!」
その彼が異国の言葉で鬨の声を上げた。
まさかとは思ったがその十数騎のシルエットは竿立ちになるや否や、急峻な山の斜面を一気に駆け下り始めた。

ドドドドドドドド…

地を揺るがす程の轟音が轟き、人馬は次々と斜面を降りて行った。ただの斜面ではない、原生林の木々が葉を落としたままとは言え密集して林立している。その中を下り坂に勢いを増しながら馬勒を巧みに操って、彼らは幹木に激突する事なく駆け抜ける。
目を転じて上杉謙信の軍勢に目をやれば、鉄砲隊の中央を割って一組の人馬が前へ進み出た所だ。
「…あれは―――」と源二が呟いた。
特徴的な頭巾のシルエットは、見間違う事なき上杉謙信その人だ。
土埃を立てて十数騎の人馬がその眼前に到達した。僅かな距離を取って双方睨み合う。
「あの愚か者が…」
孫市の呟きに源二は思わず隣の女の顔をまじまじと見つめた。
氷柱の如き冷淡さで知られている彼女が、これ程までに鮮やかな感情を剥き出しにするとは。
十数騎の人馬はしかし、具足に身を包んではいなかった。
狩装束の簡易版、小袖小袴に篭手と行縢、それに風に着流した陣羽織だけだ。その姿で政宗は一人馬を前に進ませた。
「越後の龍、うちの客人があんたんちを騒がせちまったようだ」
馬身を横に並べて向かい合う。
謙信の鋭利な貌が感情を伺わせないまま、政宗を見返していた。彼は応えもせず、山の麓に立ち止まる男女を見やった。その両手に下げた銃をも含めて。
冷ややかな両目が青年の独眼を再び顧みた。
「やとわれたのですか、かれらを」
「客人だって言ってんだろ」せせら笑いながら青年は応えた。
それから不意に挑み掛かるような目付きで越後の龍を睨む。
「それともあんたが雇うか?雑賀衆、戦の趨勢を握るKey persons」
見返す美貌に変化はなかった。
「やとう、ともうしたらいかがいたすつもりです」
は、と政宗は吐き捨てるように笑った。
「あんたがそんな事する訳ねえなあ、甲斐の虎相手に」
ここで初めて謙信は苦笑らしき者を浮かべた。ふふ、と声に出してまで笑って「かないませんね」と彼は言った。
「しかし、かれらのそんざいはさらにこのよをかきみだします。いま、きえてもらったほうが、たいへいへのちかみちとなるでしょう」
謙信の言に応じて背後の鉄砲隊が弾込めを始めた。
「おい…ちょっと待てよ―――」
「しょうすうのせいりょくがもつ、きわめてきけんなちからできまるみらいなど、わたしはみとめません」
「おい、越後の」
「みにすぎたちからはおのれじしんをほろぼすものです…そうはおもいませんか?」
「―――…」
弾込め、火蓋切りを済ませた鉄砲隊は、その第一陣が片膝を突いて狙いを定めた。
「待てよ!」
政宗の叫びに銃声が重なった。
彼と、小十郎たち伊達軍はとっさに背後を振り向いた。
孫市と源二は立っていた。
その背後で様子を窺い忍び寄っていた忍びたちこそが悉く倒れたのを除いて。
政宗は改めて越後の龍を振り向いた。
「…わがうえすぎぐんのてっぽうたいにねらわれて、にげおおせられるものはありませんよ。たとえ、しのびでも…」
常と変わらぬ冷ややかな台詞には苦笑するしかない。
「えれえSniperどもだぜ…」と政宗は焦りを隠して嘯いた。
当時の火縄銃の精度、それを編成する小隊の教育度合から言って、鉄砲隊は"軍勢"と言う大きな塊に対する一斉掃射の効果が大部分だ。つまり下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、の境地だ。それを一小隊全てに狙撃の技術を叩き込んだ上杉謙信の勤勉さをこそ称賛すべきだろう。
「…それはともかく、わがりょうちをおかしているじかくはありますか、どくがんりゅう?」
「う…」謙信の気配に不穏なものを感じて、政宗は返す言葉を見失った。
「お待ち下さい、上杉どの」
そう言って馬を進ませて来たのは小十郎だ。
「我らはたった15人、しかも狩りに出て山間深くまで追い縋った挙げ句、偶々この場に居合わせただけ…他意はありませぬ」
「ほう、たまたま?」
謙信の目が伊達軍の騎馬をざっと一瞥した。確かに配下の者たちには弦を張った弓を持たせているが、肝心の政宗と小十郎は帯刀しているのみだ。
ふ、と謙信は声もなく笑った。
「…よろしい、こたびはそういうことにしてみのがしてあげましょう」
「Oh, you are smart. …恩に着るぜ」
「しかし」と謙信は更に言った。
「おのれでかえしたたまごから、じゃやおにがとびだしてもこうかいせぬよう…」
言うだけ言うと謙信は馬首を巡らせて政宗に背を向けた。
「…それこそいらねえ世話だぜ…」青年は遠離るその背に小さく毒吐いた。
「政宗様…」
同じ危惧は小十郎の中にもあったのだろう、戦乱の世の傭兵部隊だ。金の為なら容易く主を変える。しかもその戦力は言わずもがなの伝家の宝刀と来ている。
しかし政宗はそんな近侍の杞憂を無視した。
ゆっくりと馬を進ませて、様子見と決め込んでいる孫市の傍らで蹄を止める。
「一時、城へ帰るぞ」
孫市は自分を見下ろす独眼を鋭く睨み上げた。
立ち去る上杉軍は見事な隊列を成して岡の向こうに消えて行く。又しても助けられたのだ、と思うと目の前のこの青年の底知れぬ懐の深さに素直に感じ入った。
狭量だったのは自分の方だったのかも知れぬ。
こんな所に片倉小十郎も男として、又一人の人間として青年に惚れ込んだのだろう。
「礼は言う、だが戦場で相見えたその時は我ら雑賀衆、容赦はせぬ」
「好きにしな」
可愛げのない孫市の台詞に短く応え、政宗は馬首を巡らせた。


「如何なさいますか?」
近侍の問いに、政宗は半ば夢見心地で唸り声を上げた。
「…Ah〜?何がだ…」
小十郎が胡座を掻いたその腿の上に頭を乗せて、横たわる青年は全くの無防備だ。
二藍の着流しの上に葡萄色の綿入れを引っ掛けている。そうしてしどけなく横たわる仕草には、微睡む肉食獣の貫禄が漂っていた。
「雑賀衆の事です。彼らの事が他国に知れては…。それに彼らをこのまま野に解き放つ事は、越後の龍の危ぶむ所に行き着きかねないかと」
「何で禁ずるよ」
「は…?」
小十郎は主人の耳かきをする手を止めた。
「危険だ、ヤバいっつって奴らを消そうとする、その心は何だと聞いてる」
「それは―――」
「奴らが信長の野郎みたいに何もかんもぶっ潰そうとでもしたか?それともあれか、奴らの新型銃や能力に対する嫉妬か?」
「政宗様…」
「別にお前を責めてる訳じゃねえよ」
政宗に促されて、小十郎は再びその手を動かし始めた。
「―――同情、ってつもりはねえんだが、禁じられ否定されてる奴を見てるとな、どうも」
言葉を切り、政宗は片目を薄っすら開いた。そうして左手で着物の袷を鷲掴む。
「どうしても、ここが苦しい」
「―――惚れましたか?」
「そんなんじゃねえよ…」
政宗は寝返りを打つと、横たわったまま小十郎の顔を見上げる。
だが、何かを言う前に彼は身体を起こした。同時に、小十郎の眼が妻戸の方へ向けられる。
領主の居室に、小姓に導かれて孫市とその副官である源二がやって来たのは間もなくの事だった。それを見て何を思ったか、小十郎は青年の腕を引いて再びその頭を自分の腿に押し付けた。
「…おいっ、小十郎…!」
「構いませぬ」
構いませぬって…と絶句した政宗は、燭台の明かりの内に座した孫市と源二の顔色を変な姿勢で伺った。こんな形で余人と相対する事など初めてだったから居心地の悪い事この上ない、だが孫市も、その隣の厳つい顔をした男も何の気色も浮かべていなかった。
「2人を助けて下さった事、心より感謝申し上げる」と男の方が何食わない顔で頭を下げた。
「…ああ、気にすんな……っておい!」
雑賀との話が始まった傍らで己の近侍が甲斐甲斐しく耳かきを始めるものだから、くすぐったくて仕方ない。思わず声を張り上げ顔を捩じ曲げて己を睨みつける青年を、しれっとした表情で小十郎は見下ろした。
「何か?」と白々しく尋ね返して来るのに、政宗は舌打ちを一つ零した。
「伊達どのにおかれましては…」
主従の会話の隙に、するりと源二は言葉を差し挟んで来た。
「我ら雑賀衆を雇うお心算はないとの事、我が頭目から伺いました。その上で我らを匿って下さるそのお心遣いを問いは致しませぬ。が、無礼を承知で更に乞い願いたき義がございます」
「…と言うと?」気怠げに政宗は返した。
「今暫くの逗留を。勿論、ただでとは申しませぬ」
「ほう?」
「鉄砲隊の修練に幸鷹をご使役下さい。又、鉄砲鍛冶師には某を」
「…おい」
「ただ、我らの技術をそのままお伝えする事は出来ません。今あるものに改良を加えるに留めます…が、他国の鉄砲隊より抜きん出る事はお約束します」
「―――…」
耳かきが、耳腔の中を掻き回すのに政宗は意識を集中出来ずにいた。
源二の提言を是とするか否とするか、判断が付きかねる。まるで阿呆になった気分だった。だから小十郎との事は表には伏せて来たし、自分にも許しては来なかったのに。

何かが、

掌からざらざらと溢れて行くような気がする。
呑み込まれそうな不安と、抗い難い眠気とが一緒くたになって襲い来る。政宗は人知れずそれと戦った。
「お申し出、お受け致しましょう」
そう返したのは、手を止めようとしない小十郎の方だった。
「…おい…?」近侍の顔を見上げると、穏やかな視線が降って来た。
「政宗様が雑賀衆を庇護なさるとお決めになっていらっしゃるのはこの小十郎、承知致しました。また、彼らがただ飯を喰らい続ける事を潔しとしていないのも理解しているつもりです。ならば、彼らの申し出を断る理由はございませんでしょう」
この有様でいながら小十郎は落ち着きを失ってはいなかった。
「成る程」と呟いて、政宗は孫市の顔を顧みた。
「雑賀衆の総意と見て良いんだな?」
「無論」と女は冷たく切り返す。
彼女の隣でゆったりと座す男の眼差しにも迷いや猜疑はなかった。政宗が相手の腹を読む沈黙が暫く降りて、不意に小十郎は口を開いた。
「得た技術を使うか否か、又はどのように使いこなすかは政宗様がお決めになる事です。どのような武器であれ戦術であれ、それそのものとしては善でも悪でもない。ようは、それを扱う人間によって結果は決定付けられるのでしょう…」
孫市はその冷ややかな視線を伊達の知将に向けた。言葉を言い終えた男は、自分の役目はもう終わったと言うように主人の耳かきに余念がない。
「鉄砲隊の中で馬の扱いに長けた者を選んでおけ。鉄砲隊でなくとも馬術の優れた者、勘の良い者もだ」
そう言った先で、政宗は軽く片目を見開いていた。
「鉄砲騎馬隊を作る」
「―――…」
本当に絶句していた。
相手の返事を待たずに、孫市はすらりと立ち上がった。
彼女が身動きする度、そこはかとない硝煙の香りが漂う。そうか、と政宗は思い至った。この香りは周囲を拒絶しているのではなく、銃火器と火薬とに彼女が祝福されている証しなのだ、と。
「あんたはあんたの銃を大事にしろ」と思わず言い放っていた。
刹那、孫市は虚を突かれたかのような表情を無防備に晒した。
「―――お前もな」
そのように返して、孫市はさっさと立ち去った。
慌てて源二がその後を追う。

何処かの主従を見ているようだった。

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