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―記念文倉庫―

ざっと見上げた樹上から黒ずくめの男たちが降って来た。
孫市は一動作で銃を抜き放ち撃った。撃ちながら右手から左手へ持ち替え、さらにもう一挺の銃を抜き出して前方へ向けて、撃った。
そうやって彼女が上空を見上げている隙に斬り倒せるとでも思ったのだろう。背後から忍んで来た男が、見やりもせずに向けられた銃口の前に鮮血を流しつつ昏倒した。
孫市には全身に眼がある、と言われる程彼女は気配に敏感だった。
瞬く間に5、6人が地に伏した。ツン、と鼻を突く硝煙の匂いが再び周囲に満ちる。
樹上から着地する男たちを避けて孫市は走った。

―――自分は何故、女として産まれて来たのだ。

目の前の立ち木を回り込みながら、270度周囲に向かって弾丸は放たれた。銃身から白煙を引いて空薬莢が散る。
弾の尽きた銃身をホルスターに戻し、別の銃を抜いた。
カートリッジ式の弾の装填はホルスターに納めると自動的に行われるよう工夫されている。
それは祖父ではなく自分のアイデアだ。

―――相性が良かったんだろう。

父の声が蘇った。
幼い頃ただ一度だけその疑問をぶつけた時に返って来た言葉だ。
軍馬には雌が多い。何故なら気性の荒さ、神経の図太さ、それに粘り強さは相対的に言って雄馬より雌の方が遥かに優秀だったからだ。これに跨がる武将らは「彼女」に気に入られるかどうかで名馬を得たとの評を下される。それと同じような事だと父は言った。

―――銃は、いや基本的に武器と言うのは雄器だ。どれも男根を模している。お前はその新型銃に心底惚れられたんだよ。

未だ若かった孫市は怒ったように羞恥に染まった顔を背けただけだった。
だが今なら分かる。
他の武器は相性以前に腕力に勝る男の独壇場とも言うべきものだったが、銃ならその影響は少ない。相性が働く部分は大いにあるだろう。
そして、孫市にとってその新型銃は産まれる前から魂で結ばれていたかのように離れ難いものとなった。

―――自分はこの銃と出会う為に女として生まれて来たのだ。

降って湧いたような天啓だった。



我に返ると、自分以外二本の足で立つ者はいなかった。
地面から低く聞こえて来る声に銃を仕舞いながら振り向くと、草地に仰向けに倒れた男が虫の息で血反吐を口から溢れさせていた。それが、血走った両の眼で自分を見上げている。
「……お前は、…この世にあって、は、ならぬ…ものだ…そいつと一緒に」
皆まで言わせず、抜き手も見せずに撃ち放った弾丸が男の眉間を貫いていた。

―――禁忌。

それは何度も議論された事だ。
土橋氏との間だけでなく、鈴木氏の中でも、だ。自分たちは恐ろしいものを作り出してしまったのではないだろうか、これはこのまま封じてしまった方が良いのではなかろうか、と。
それに対して強堅な態度に出た鈴木重意、つまり孫市の父の心中に娘の事がなかった、とは言い切れない。
いや、孫市は愛しい新型銃と別れる事を拒んだのだった。

結実せぬ硝煙の華。

は、と口から息が抜けた、笑ったのだ。
今の雑賀衆の有様は自分が招いた事だ。それは薄々分かっていた。今の一刹那、怒りに頭が真っ白になった事で影だったものは眼を反らし難い現実となった。
「…私が皆をこんな目に……」
銃を持った腕で己が額を小突いた。
孫市は歩き続けていた足を終に止めてしまった。
疲労が重い澱のように体中に溜まっていた。もう一歩も動けない気がした。膝がガクガクと細かく震えて、立っているのでさえやっとだ。その場に踞ってしまいたかった―――終わらせるのも良いかも知れぬ、と思った。

終わらせたくはなかったのだけれども。



その時だ。
四囲を全て囲まれているのに気付いた。遅過ぎる、と彼女は自分を罵りつつあから様に舌打ちした。
歩き続けていたのは何処かに行き着く事を期待していたのではない。進行方向があれば包囲網は成立し難いのを知っていたからだ。そして、それが銃と言う武器の唯一の弱点である事も。
全て一瞬でも気を抜き、弱気になった己の責だ。
こんな所で終わってなるものか、持ち前の気の強さが頭を擡げるがそれだけを暗愚に信じ込む事もしなかった。
全国に散った雑賀衆の連中を思った。自分がどれ程彼らに頼りにされているか、いや頼りにしているか。
つくづく、一人ではどうしようもない事実があると言う事を思い知る。
やっと疲れを見せ始めた彼女を一気に潰さんと、30人程の男たちが立ち木を盾にしながらジリジリと近付いて来た。狙いを定めるべき方向を固定出来ずに孫市は、右へ左へと銃を振った。こうなっては旋回しながらの発砲も効力はない。
掃射を始めた地点の者が、彼女が背を向けた途端襲いかかって来るのは目に見えていた。更に頭上を振り仰げば枯れた枝々に一人また一人と黒装束の男が集まって来る。
全方向を塞がれた。
後は土中に潜って逃げるしかない。
最期の最期まで抵抗を、それを考えつつも己が身と雑賀の銃を敵に渡さぬ覚悟を、決めた。
ありふれた打刀なら、屍から戦泥棒に盗まれて人の手を転々とするのは珍しくない。だが、この新型銃を残して独り逝く訳には行かなかった。
孫市は手にした銃を新たなそれと入れ替え持ち替えた。
両腕にだらりとそれを下げたまま、男たちの覆面から覘く目を1つ1つ見返す―――もっと近くへ寄って来い、とそう胸中に念じながら。
腰の後ろのポーチとホルスターで自動装填される弾丸とが、一本の銅線で具足の下に結ばれているのを知る者はいない。男に身体を委ねる時もほとんど着衣を脱がないくらいだ。孫市の警戒心は正に尋常ではなかった。
自爆用の最期の引き金は、より多くの生け贄の血を求めるだろう。
じりじりと包囲網は狭まって行く。
孫市はゆっくりと周囲を見渡した。近付いて、白刃の間合いに踏み込まれる前に速射で包囲の一角を崩す。無傷では済むまいが雑賀衆頭目、孫市の命は高く付く事を思い知らせてやる。
冷んやりとした山颪と、傾きかけてオレンジ色を投げかける太陽。
今一歩、踏み出した男の手にした脇差しがギラリとそれを反射した。
沈黙に支配され、
緊張の糸が張り詰められる。


ザザッ

草ずれの音に思わず孫市が振り向いた。
男たちの背後の叢から飛び出した影が孫市の死角に降り立ったのだ。反射的にさっと後ろ手に振り上げ掛けた腕を、誰かに掴まれ顔を跳ね上げた。
「その判断は時期尚早ですぞ、孫市様」
こちらに背を向け、ごつごつした横顔を見せる男を孫市は良く見知っていた。いや、見知っているどころではない。
冷淡な態度に終始する彼女に代わって、諸国や内部の組頭と折衝を行う男は、孫市の片腕と言っても過言ではなかった。
突如現れた助っ人に刹那殺気立った忍びたちだったが、高が相手は2人きりと更に用心深くその輪を小さくして行く。
「幸鷹と虎次には会いませんでしたか?」とそれを睨んで男は言った。
「知らぬ、何の事だ」
「伊達どのより文を受け取りました。貴女が城にいるから引き取りに来いと…何故ここに?」
「―――…」
「2人が最も奥州の近くにいたので先に向かわせたのですが」
「どうやら、すれ違ってしまったようだ…」
隻眼の青年を思い出して、孫市は隠し切れない苦笑をその頬に刻んだ。あの男はすっとぼけた顔をしていながら人としての道をちゃんと弁えていたのだ。
「粋な事をする…」
「は?」
「私に付いて来い、源二」
鋭く叫んで孫市は地を蹴った。
一拍遅れて源二、と呼ばれた男も同じ方向へ駆けた。
2人はぴったりと寄り添いながら互いの背を守って、雑賀衆自慢の新型銃を撃って撃って撃ちまくった。
そのコンビネーションたるや見るも鮮やかなものだった。後数歩の所までにじり寄って来ていた者らが刃を打ち降ろせば、くるりと2人が位置を変えてしまう。次の瞬間にはたたらを踏んだ忍びの死角から必殺の一撃が放たれる。
狙いを定めたのとは逆の方角から銃撃された男は訳も分からぬまま昏倒した。
そうやって目まぐるしく位置を入れ替え、駆ける2人の雑賀衆によってあっという間に6人が倒れた。
残った者たちが飛び退って立ち木の陰に隠れると、今度は樹上に忍んでいた男たちが幹を伝って一斉に滑り降りて来た。
気配を殺した所から苦無が雨霰と降り注ぐ。
源二がそれを自在に操る両手の銃で撃ち落とした。孫市の銃撃の腕に勝るとも劣らぬ早業だった。
その彼の隙を突こうとして駆け寄る男たちを、孫市が泳ぐような動作で薙ぎ払った。苦無を狙った弾道を避けているのだ。そのくせ碌に狙いを定めている訳でもないのに、発砲した弾が外れる事はない。
この見事な連携には舌を巻くしかなかった。
2人が移動を始め、9人まで倒されると包囲は解かれた。
獣道を小走りに駆ける2人を追って、黒装束の集団は樹下と樹上とに見え隠れしつつ走った。

ビュン、

と空を切る音がして、孫市は意識するより早く、右手へ源二を突き飛ばしつつ退いた。間髪入れず直ぐ側で小さな爆発が起こった。
癇癪玉、と言うには威力が大き過ぎるそれはもう既に手榴弾と言ったレベルだった。

ボン、ボンボン…

静かな山間に轟きが響く。
山の端から夕空に黒い鳥影が飛び立った。それに続いて、黒煙も幾筋か立ち登る。
他国領と言う事すら頓着せず、もはや前後見境もなく彼らは雑賀衆頭目を討ち滅ぼす事に血眼になっていた。
ふと、道を駆け下っていた孫市が足を止めた。
続いて、彼女の背後に警戒の目を走らせていた源二が彼女の視線を追って顔を上げる。
「…何と…!」
山の斜面が一時途切れる辺りに2人は立ち止まっていた。
そこから先は枯れ薄が頭を垂れる小さな谷間となっており、その向こうの小高い岡へと続いている。そして、その尾根にずらりと居並ぶ一軍に2人は言葉を失った。
旗印は―――、
「…上杉、軍…」
毘沙門天の「毘」の文字が風に翻っていた。
飯豊山は越後との国境だ。
伊達とは敵対関係にある彼の者の領地側へは、いかな政宗でも近付くまいと睨んだ忍びの主の采配だった。
岡の上の軍勢は、騎馬隊の前に長駆の火縄銃を構えた鉄砲隊を据えて、それを進ませて来る。
後ろからは信長の遣わせた忍び集団。
前からは謙信の一軍。
正に、進退窮まった。

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