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―記念文倉庫―

ガラガラッ

斜面の上から土塊や小石が降って来た。
それをそうと意識するより早く、葉草を蹴散らして来たものが宙を飛んだ。
「おおっ?!」
鉄砲玉のように落ちて来た黒いそれが、男たちの混戦のただ中に突っ込んで来た。度肝を失って狂ったように雄叫びを上げるのは、一抱え程もある野猪だった。続いてもう一頭、いや更に一頭が斜面を転がるように駆け下りて来た。何かにぶつかるまでは止まる事を考えていない突進に、男の一人が弾き飛ばされ、一人がよろけた所に飛びかかられた。
最後に悠々と斜面を降りて来たのは、杣人の成りをした3人の男たちだった。
だが杣人ではないと一見で知れる。その手にしたものが斧や鉈ではなく、既に鞘を払われた白刃だったからだ。
2人の山伏は受けた刀傷の痛みも忘れて、突然の出来事に動きを止めてそれを見ていた。



「…いい加減、白状しろよ小十郎…」
既に就寝前の日課になりつつあった台詞を、政宗はこの時も執念深く嘯いた。
彼の居室にいるのは彼と小十郎だけだ。
その自身の近侍は決済の終わった書類を桐の箱に収め、漆箱には書道具を仕舞う手を止めない。
「白状、と言われましても…」
返す声音は心底困った風だ。
「お前いただろ、重朝の部屋に―――」
それを明らかにしてどうしようと言うのか、と小十郎は心の中だけに嘆息する。
あの女の前で交わった事を教えてやったら気が済むのか。いや、そんな事を知った暁には、この若者は自分との関係を断ち切ってしまいかねなかった。
心の奥の奥底で例えそれを望んでいたとしても、彼がそれを自分に許す筈がない。何より自分に厳しい御仁であったから。
「何度も申し上げましたように…朝一番に政宗様の居室を訪った成実が貴方様のお姿がないのに気付き、城中を探しまわる大騒ぎとなったのですよ…。そこへ重朝が自分の室にいると―――」
「でも、お前確かにいたんだよ!」
あの泥酔の中で自分の記憶があると言う事に思わず口の端が歪む。自分の一体何を覚えているのか、悪戯心が沸き上がった。
「夢でしたのでしょう、起きてからも御酒の香りを漂わされて…」
「夢だぁ?」
「夢の中で小十郎は何と?」
「………」
脇息を腹に抱えたまま、政宗はじろりと男の横顔を睨めつけた。
「…望み通りに、あから様に…って」
「―――」
男は静かに手を止め、己が主人を振り向いた。
何やら言い知れぬ穏やかさで見つめられ、政宗は微かに瞳を揺らした。だが、動揺はそれだけだ。10歳も年上で、10年以上もずっと側にいて兄として父として、又恋人として慕って来た男を凝っと見返す。
「それから?」と小十郎は囁いた。
手にしたものを文机に戻し、膝でにじり寄って来た彼には抗い難い雄の匂いがした。その獰猛さを政宗は快いものと感じた。
「―――こう…」と言って、青年は脇息を傍らに転がして両手を伸ばした。
片膝立ちの男の頭を両腕に抱えて、その後ろ髪に指先を絡める。
「…あん時、重朝がいただろう…?」
「夢の中の話ですよ」
言いながら、男は抱き返そうとしない。政宗は少し体を離して己の近侍の目を覗き込む。
「―――」
穏やかな男の顔色の中に、某かの意味はないかと政宗はつくづくそれを眺めやった。と、その左目が妻戸の方へ流された。

政宗が手を引いたのと、小十郎が身体の向きを変えたのがほぼ同時だ。それから数呼吸程して、何処からか妻戸の前に黒い影が音もなく踞った。
「連れて参りました」とその影が昏い声で言い放った。
影の背後で妻戸が勝手に引き開けられ、転がるようにして2人の男が薄暗い室内に身を滑り込ませた。一人がよろけるのをもう一人が支えつつ辛うじて二歩三歩と歩く。その白い装束は点々と黒いシミを残していて、それがもう乾いている所を見ると手当は済ませたのだろう。
2人の山伏は燭台の明かりが届くぎりぎりの所に腰を降ろした。それを見届けるまでもなく、黒い影は又しても音もなく姿を消した。
怪我をした山伏が深い息を吐き出して落ち着くのを見届けてから、残りの一人が顔を上げた。何処の国の間諜かと疑いたくなる程険の立った眼差しが、政宗と小十郎とをざっと見定めた。
「―――今度は」言いかけ、喉に絡む唾液を一度嚥下する。
「今度は真に有り難く存ずる」
「文は届いたんだな」と政宗は応えた。
「紀伊国に入る直前、信長の"眼"に見つかる前に掠め取り申した」
「十ヶ郷は跡形も?」
「我らの技術を信長にくれてやる訳には行かぬ故…、火薬と共に皆炎に包まれた」
山伏の応えに政宗は左目を眇めた。
「それで、どうする?」
問われて、2人の男はー怪我に苦しんでいた方ですらー強い意志の宿った両眼で伊達家筆頭を真っ直ぐ見返して来た。
「信長の攻勢を逃れて今はやむなく離散しているが、我ら雑賀衆、あの方の元にて一丸となって彼奴を討つ」
にい、と政宗の口角が持ち上がった。
「雑賀孫市、か」
床の間から見下ろす青年の言にも、山伏らに揺らぎはない。
「雑賀衆の頭目…伝説の銃の使い手として頭角を現したのは、俺が生まれた頃だったと聞く…あいつは何代目だ」
「3代目にあらせられる…」
ぞんざいな政宗の口調に、男は険を更に尖らせて応えた。
その目付きといい、声音といい、彼らがあの若い女に心酔しているのが手に取るように分かった。自分と同い年か、幾つも変わらぬ年頃、その上女の身で滅亡の危機に立った雑賀衆を背負って立つ事となった重朝。彼女を支えているのは成る程、彼女を頼りとする彼らのような身内の存在だったのだろう。
「Hey, 小十郎、鈴木重朝を呼んで来い」
は、と短く応えて小十郎は衣擦れの音を立てて淀みなく室を下がって行った。それを見届け、政宗は傍らに転がった脇息を拾い上げるとそれに寄り掛かった。
「お前たちの勢力はどのくらいになるんだ?」
「…それは―――」
「Ah〜, I left. そりゃ言える訳ねえよな。俺が何時なんどき敵に回るかも知れねえんだから。…だが、マジでこれからどうするよ?信長の手の者がこんな所まで追って来てるぜ」
「畏れながら…」
山伏のクソ真面目な返答に政宗はただ声もなく苦笑した。
―――それも、言えねえか。
「失礼ですが、伊達どのにおかれては何故それ程までに」
暗に雑賀衆を雇うつもりがあるのか、と問うそれで山伏は口を濁した。
「…ん〜、何だろうなぁ」政宗は本気で思い悩んだ。
「奴の身体からは硝煙の匂いが色濃く漂って来た。そいつはまるで近付く者に対する威嚇みたいだった。本人には馴染んじまってもう分からない匂いだ…まあだから、自覚はねえんだろうな」
山伏の質問に対する答えとしては的外れと思われる所を彼は呟いた。
何処か別の所へ思いを馳せている様子の若き領主を思わず眺めていた所へ、簀の子を慌ただしく小走りに渡って来る足音が響いた。
政宗共々、そちらを振り向いた山伏たちの目の前で荒々しく妻戸が引き開けられた。
「政宗様、重朝の姿がございませぬ」
深刻に強張った表情の小十郎が早口に言い放った。
「どっかその辺散歩してるんじゃねえのか?」
「昼過ぎに城下へ出て行ったまま、戻った形跡がありません。今、忍びを遣わせて探させておりますが…」
己が近侍の采配を聞いて、政宗は片眉を上げた。
「…伊達どの!」
焦燥に駆られた山伏が声を殺して訴え掛けて来た。
「手前らはここを動くな。小十郎、15騎用意させろ。直ぐに出る」
言い終わるや否や政宗は立ち上がって、小十郎の傍らを通り過ぎて颯爽と立ち去った。小十郎は黙ってそれに続く。
山伏2人は怪我人を抱えて忸怩たる思いに項垂れるしかなかった。



天才と呼ばれた銃撃センスは、三代目雑賀孫市の頭上に結実した。
点か線、それも一直線だけの攻撃しか能力のない射撃スタイルに、変化する線と複数の銃による面での攻撃と防御を併せ持った技を編み出したのは、祖父の代だ。それは剣で言う所の"型"のようなもので、肝心の銃が完成しない事には机上の空論でしかなかった。
幼い頃から新型銃に馴染んで来た重朝―――雑賀孫市にとってはそれは、鍵孔に鍵がぴったり嵌るかのように身の内に入り込んで来たものだった。そうしてその技術は机上の空論などではなくなった。
草案を起こした祖父ですら、年齢の事もあって完璧に会得出来なかった。それを三代目雑賀孫市は女の身で、いや女の身体の柔軟さがあってこそ、それを己がものとした。
こうして雑賀衆の中で、つまり日の本の国中で孫市の右に出る者はいなくなった。
今、その技を鮮やかに披露して10人前後の男たちを一人漏らさず射殺した彼女は、銃をホルスターに納めた。
その息遣いが荒く乱れている。
鴉を使った仲間内の連絡で合流地点である飯豊山山麓に至った孫市は、自分が信長の罠に嵌ったのを知った。
黒装束と覆面で身を包んだ男たちが10人前後の集団で襲って来たのは昼頃の事だ。そしてそれをものの数分と掛けずに撃ち倒したのは既に数刻前の事。それから何度同じような集団に襲撃されただろう。
―――18回だ…。
そう、18回にも及ぶ。
ほぼ10分に一度、休息する間を与えず数時間に渡って波状攻撃を受け続けた。
恐るべき行為だ。
人材の無駄遣いも甚だしい。だがそれよりも戦慄すべきなのは、その18回を悉く全滅せしめた孫市の銃の腕前をこそだったろう。
銃身が熱せられて持てなくなると言う事もなかった。確かに銃も、銃撃の型も、完璧だった。
だが、孫市はやはり人間だ。
長時間に及ぶ戦闘が及ぼす影響からは逃れ得ない。
山野を駆けずり回り、跳躍し、又地面を転がり、木と木の間を泳ぐように旋回した。息が切れるのも当然だ。
更に反動を考慮された銃身であると言っても、やはり火薬が爆発する衝撃が腕に全く響かない訳ではない。彼女の両腕が鋼鉄で出来ているのでもなければ早晩、筋骨が痺れて動かなくなる時が必ず来る。
孫市は息を大きく吸い、吐いた。
ふと気付くと、剥き出しの肩口が浅く斬りつけられていて赤い血が滲んでいた。それを拭う事もせず、孫市は再び歩き出した。
もはや、何処に向かっているのかも分からぬまま。

―――女として産まれた事に意味はあるか。

意識もせず思考の片隅でぽっとそんな疑問が浮かび上がった。
近頃は全く意識にも登らなかった事だ。頻りに考えていた時期と言えば、女の月のものが始まった時だ。
忌々しい生理現象だと思った。
食う寝る事と排泄と性欲はまあ許すとしても、これだけは頂けなかった。体調が月周期で狂う、何度舌打ちした事か。
これに、意味などあるのか。
子供を産む為、ひいては雑賀孫市の名の継承者を作るため、と言えなくもない。だが、これには彼女は早々に却下を下していた。
祖父や父が成し得なかった事を自分がいとも容易くこなしているのであれば、この技術は血筋が産むものではない。
血縁は愛情を育むが、銃撃の能力は違うと彼女は割り切っていたのだ。ならば、今後自分の技を受け継ぐに相応しい若者を見つけた時に伝授すれば良いだけの話だ。
我が子に銃の能力が開花せず、それでも雑賀孫市の名を受け継がねばならぬとあれば、それは雑賀にとっても本人にとっても悲劇だ。
そんな愚は犯せる筈がなかった。

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