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―記念文倉庫―

翌日、南陽の白鷹山山頂に射撃場が用意された。
同心円の描かれた的が、樹を切り拓いて均されたそこにずらりと並べられている。火縄銃の有効射程距離は90メートルと言われる。射撃場は100×100メートル四方のほぼ四角形だ。その片隅に武装した伊達家家臣と鉄砲隊の狙撃自慢が整列していた。
その面前で政宗は重朝と相対した。
「あの的」と言って政宗は右手を伸ばして指差した。
「10枚を連撃して当てた数と時間の早さを競う」
「ふん」と重朝は嘯いた。
余りに普通過ぎる、と思ったのだ。だが今ここで説明するより実演して見せる方が手っ取り早いだろう。重朝は立ち位置と決められた扇の前に立った。
太腿のホルスターに納まった銃把の手触りを確かめる。
政宗は退屈だと判じたが、彼女は自前の10挺の銃を毎日手入れして来た。
一つ一つの部品を分解して、油を染み込ませた絹で磨く。手荒な武器だが繊細な機器でもある。手入れを怠ると途端に使い物にならなくなる。我が子よりも面倒を見ているつもりだった。
それが、無造作に抜かれる。

ガン、
ガンガン、ガガン、ガン、
ガ…ン、

10発、息も吐かせぬ連撃で撃ち放たれた。
通常の火縄銃であれば本来幾つもの行程を経なければならない。
玉薬を銃口から流し込み、弾を押し込む。火皿に口薬を盛って一度火蓋を閉じる。銃身を構えてから火蓋を切り、狙いを定めて引き金を引く。すると火縄が火皿に叩き付けられ口薬に着火、この火が銃身内部の孔を通して玉薬に引火、そして弾丸は飛び出る―――それがほとんど省かれていた。
更に言うなら、的は全てど真ん中に命中だ。
皆呆気に取られたのは言うまでもない。その中でも政宗は、兜の眼廂の下の片目を眇めて重朝の後ろ姿を凝視していた。
「そいつは、信長の野郎と同じタイプの銃か…」
表情のない美貌が振り向く。
「国の十個分で売ってやった」と女は言った。
「……手前…」
今はその織田信長によって雑賀衆は壊滅状態に陥っている。
「時勢がそのように動いていた。我らは今、奴と決着をつけねばならん」
「外国から買い入れた火縄銃を、手前ン所で改良して来たのか」
冷静な声音の問いに、女は冷酷な眼差しの色を強くする。
「当初は根来衆と共同で開発に当たった。徐々にこの威力に対する意見の相違を見て彼奴らとは袂を分かった。その後は我ら雑賀衆の努力の賜物だ、他所には決して明かさぬ」
「―――」
「我らを雇いたくなったか?」
初めて女の顔面に無以外のものが浮かんだ。
しかしそれは政宗の好む所ではなかった。彼は溜め息を吐きつつ首を振った。
「興醒めだ…」最後にそう呟いて女に背を向ける。
「貴様、我らを愚弄するか!」
初めて女が声を荒げた。
雑賀衆である事の誇り、その火器の絶対的な威力。―――確かに雑賀衆を手に入れた者こそが日の本の覇権を掌握する、と言う評判にも頷ける。
だが、政宗には最初から最後まで雑賀衆を雇い入れる頭はなかった。
彼らの誇りとする所は余りに―――、

余りに脆い両刃の剣だったのだ。

「勉強にはなった」
政宗の背はそれだけを応えて、己が愛馬にひらりと跨がった。それを迎え入れる家臣団も重朝を見やる眼は冷ややかだ。彼らは馬首を巡らせて射撃場を出て行った。土埃を立てて駆けて行く家臣団の騎馬を、鉄砲隊は徒歩で追う。
雑賀衆の真の能力を目の当たりにした時の武将の反応は、2種類に絞られる。
1つは信長や本願寺のように幾ら金を積んでも手に入れたいと願う者。
もう1つは。
「………っ」
重朝は舌打ちを1つ、打った。

もう1つは、真の評価を下しつつも雑賀衆を雇う事を潔しとしない者、だ。

「く…」
彼女の喉から漏れるのは、嗚咽だったか。
嘲笑だったか。



城にすぐ様戻った政宗は、一人居室に籠って何やらコソコソやっていた。
小十郎が様子を見に行っても近寄らせない。他の者なら尚更だ。
そして夕刻になってようやく姿を見せたかと思えば、一人馬に飛び乗って城下へと駆け出して行ってしまった。
野駆けは中止、鉄砲試合は無意味に終わって、城中の者らは皆白けた顔を見合わせるばかりだ。

深夜。
重朝が銃の手入れをしていると濡れ縁に人の気配が湧いた。
ちらりとだけ視線を流し、バラした銃の部品を床に広げた絹で覆った。
間もなく、何の挨拶もなしに妻戸が引き開けられた。
そこに立っていたのは、具足を脱いだ伊達家筆頭その人だった。
「…城主とは言え、無礼な奴だな」
「Ladyの部屋に忍び込むのに訪ないは不要だろ」
しれっとそう言い放つと、燭台を挟んで彼女の向かいに青年は腰を下ろした。
そして懐から一枚の紙切れを引っ張り出して2人の間の床に広げて見せた。傍らに押しやられた絹の山を気にしもしない。
だがそれを見て、軽く眼を見張ったのは重朝の方だった。
それは図面だった。
詳細なそれが、小型にして新型の銃のものだと一目で分かったのは彼女が雑賀衆であるが故だ。他の者にはそれは読めない。恐らく、この時代でこの図面を読める者は数人しかいないだろう。
「お前の銃とそのActionを見て俺が想定したもんを、城下のカラクリ師に補強してもらった。理屈じゃこれなら確かに弾込めや火口のSystemは不要になり連撃が可能になるってよ。今、城中の鍛治師に試作品を作らせている。部品の殆どは今の火縄銃を再利用するが、改良も加えなくちゃならねえ。第一連撃に絶え得るぐれえの質の良い玉鋼が貴重だからな。それに火薬だ。黒色火薬の原料になる硝石の入手も困難だ。だがまあ、これもそれなりのルートから手に入れられる見通しだ」
「……驚いたな…」
本気で、心からそう呟いていた。
目の前の青年はどうだ、と言わんばかりに顔を輝かせて重朝に見入っていた。それが不意に笑み崩れて足を投げ出す。
「―――遊びだ」と、薄暗い天井を見上げて彼は言った。
「つまらねえよ、こんなもん」
不意に政宗は、複雑な図形の描かれた図面を片手で掬い上げた。
「…けど、いずれこんなもんが戦の主流になるんだろうな」
「多分…」と意外にも重朝は鋭い眼を伏せ、穏やかな口調で言った。
「多分我らの想像もつかぬ程、高度な武器で殺し合うことになるだろう」
そして見返す青年の片目の輝きを真っ向から見つめつつ、女は言う。
「戦は武器と戦術の凌ぎ合いだ。それは坂を転げ落ちるように勢いを増して行くものだ」
「それが雑賀衆の中で実際起こった事の真実か?」
「―――そうだ…」
再び眼を伏せ、呟く重朝を政宗は何となく見やった。
それからずいと身を乗り出すと、伏せられた視線を追うように覗き込む。
「なあ、一杯やらねえか?」
ほんの僅か、見開いた瞳が悪戯っぽい青年の顔を映していた。
それが燭台の仄明かりに苦笑に歪む。


明け方近く、小十郎は意外な人物に叩き起こされた。
正確には、居室に忍び込んで来たその人物を間者と間違えて床に倒し伏せてしまっただけだ。その腕が余りに細く、身体も柔らかかったのに驚いて、火桶の灰から燭台に火を移した。
鈴木重朝だった。
彼女に連れられて彼女に与えた居室に行くと、そこで己が主人が眠りこけているのを発見した。
辺りには酒瓶が何本も転がっており、暖められた室内は酒の匂いでむっとする程だった。
「…どのくらい、召された」と小十郎は振り向く事なく隣に立つ女に問うた。
「ほんの半合程だ」
「………」
大仰な溜息が漏れた。
「この事は他言無用に願う」
小十郎の不機嫌丸出しの言葉に、重朝は口の端を歪めた。
「お前たちは他言無用が好きだな…」
「何だと」
「こいつはお前に夜伽の相手をさせているだろう」
「………」表情を失った顔面を小十郎は女に振り向けた。
「興味のない事だ。…それにしても彼は一風変わっているな」
「…何の事だ……」
忌々しげに呟いた小十郎は、身体を丸めて小気味良さそうな寝息を立てる政宗の肩を揺さぶった。どうにも起きそうで起きない。
「一日とかけずに新型銃の図面を作って来た」
言って重朝はその紙切れを小十郎の眼前に突き出した。小十郎はそれを引ったくってまじまじと見入る。
確かにそこここに書かれた端書きの文字は主の手になるものだった。だが何だこの迷路みたいなもんは、と男は眉間の皺を深くするだけだ。
重朝は彼の手からそれを引ったくり返した。
「図面が引けても"もの"は直ぐには出来ぬだろうがな。10年や20年は軽く掛かる。天才一人では新兵器は開発出来ぬ」
そうして、ひらりと紙切れを放った。
「それでいながら酒は呑めぬ、衆道はみっともない…?まるで子供だ」
「…何が言いたい」
「別に」
一度小十郎は女を振り向き、それが静かに部屋の隅に移動するのを見やってから改めて政宗の体に手を掛けた。
「全てあから様にしたらどうだ」少し離れた所から女の声が投げ掛けられる。

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