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―記念文倉庫―

小十郎は宴のはねた後、侍女らが抜かりなく書院を片付け、領主が居室に下がったかを確認しに来た。
その目がふと、書院の奥に明かりが灯っているのを見つけた。小十郎は襖をそっと引き開けて中に入った。
「政宗様、何を」
言い掛けた言葉を思わず止める。
呆れた事に、政宗は書院机の上に瓶子を一つ持ち込んで小さな盃でそれを嗜んでいたのだ。その左目が下方に注がれているのに、気を取り直す。
「文、でございますか?」
「Yes.…紀伊国十ヶ郷に、ちょっとな…」
「―――…」
政宗が認めている書状は雑賀衆鈴木氏の本拠地、紀ノ川河口付近に向けて出すものらしい。その内容を覗き見る無礼は犯せぬが、小十郎には何となく領主の性格からしてそれを推し量る事が出来た。
「よし、出来た。―――まあ、十ヶ郷に受け取る側が生き残っていたらの話だがな…。小十郎、こいつを届けさせてくれ」
「承知致しました…」
折り畳まれたそれを押し頂き、小十郎は懐に仕舞う。その目の前で政宗は盃の中の酒を呷った。
「政宗様、御酒はもう」
「小十郎、…I'm so good feeling…」
空の盃を見つめる横顔がそう小さく呟いた。
それが男を振り向いて、空いた右手を伸ばして来る。応じて、腰を抱き寄せたのとどちらからともなく唇が唇に重ねられたのがほぼ同時だ。
穏やかな口付けが、ちゅっちゅと可愛らしい音を立てる。
それを少し離して小十郎が囁いた。
「この先に進むなら、それこそ御酒はおやめ下され」
「…んだよ、俺はまだ酔ってねえぞ…」
酔っ払らいは大概がそう言うものだ。小十郎は未だ彼が手にしていた酒杯を取り上げて、文机の上に置いた。
「そう仰って事の最中に眠ってしまわれたのは、何処のどなた様でしたか」
「―――悪かったな…」
言いながら青年が唇を押し付けて来た。
翌日の事を慮って彼の身体全部を暴く事はせず、揺れる身体の中心をそっと握り込んでやった。熱い吐息が吹き掛けられ、自分の方こそこの方に酔わされていると自覚する。
文は、政宗と鈴木重朝の思いを乗せて"彼ら"に届くだろうか、と思った。それが届くも届かぬも天の采配次第、と深くは考えるのを止めた。



四半刻程で小十郎は書院を出て行った。
それを、広大な庭に散歩に出ていた重朝が庭木の影から見掛けた。
上空は澄み渡る半月からの明かりがあり、夜目に慣れた視界にそれが何者なのかを重朝に教えた。
宿直の者も寝静まったこの時刻に火の落ちた書院から出て来たのを訝しく思いながら、踵を返そうとした視界の隅にもう一つの人影が現れた。
振り返る事なく立ち去って行く片倉小十郎を見送り、夜空を見上げたのはこの城の城主・伊達政宗だった。
重朝の頭の中でその事実が告げる"隠し事"がカチリと音を立てて当て嵌った。だが、特にさしたる感慨も湧かず、彼女はそのまま立ち去ろうとした。
「覗き見たぁ、頂けないシュミだな」
その背にそんな揶揄が飛ぶ。
さすがに眉間に力が入って振り向いた所へ、簀の子から降りて来た政宗が懐手に歩み寄って来た。
「Can’t you sleep?」
「いらぬお世話だ」
自分の言葉に対する彼女の返しに政宗はおや、と言うような表情を刻んだ。それからニヤリと不適に笑む。
「やっぱり鉄砲作るにゃ国外との通商が欠かせねえか。…熊野信仰と関係が深く、修験道たちの面倒見る神官の血筋が鉄砲抱えてドンパチやるようになるなんざ、如来様でも思いつきゃしねえだろうよ」
「別に隠している訳ではない」
「分かってるよ」
言って、先に歩き出した背中を見ていた重朝が不意に尋ねた。
「私は何時までここにいて良い」
「………」
政宗が何気に振り向いた。
「何時でも?別に食い扶持が一人増えたって俺んちは困らねえ」
気軽な物言いに女の眉間に皺が浮かんだが、それを気にする風も見せず良いから来いよ、と言うように政宗は顎をしゃくった。
2人は何となく連れ立って城中を抜けると、門衛に一声掛けて城門を出た。
高台から月光に浮かび上がった城下町と田畑が見渡せる。
それを眺めていた政宗がまるで良い事を思いついたと言うように、顔を振り向けた。
「明日お前もやるか?野駆け」
これにはさすがの鉄面皮も苦い顔を隠せなかった。
「私はお前の麾下に入った覚えはない」
剣もほろろの言い草に政宗は下唇を突き出した。
「別にそんなんじゃねえんだけどな、退屈だろうと思っただけだ」
日がな一日、時にはこうして真夜中でも城中をふらふらしている彼女がじっとしているのは堪え難いだろうと思ったまでだ。だが彼女には彼女の思惑があるのだろう。
「…それに、得手ではない」
「Ha?」
付け足された言葉を聞き逃した政宗が聞き返した。
重朝は伏せていた目を上げると、一見軽そうな伊達家筆頭を見やった。
「馬の扱いに慣れた者たちの中に入って着いて行けるとは思えぬ」
「…そりゃどーも」
褒められたのだと気付いた政宗が皮肉に笑んで見せる。
「京で信長の天覧馬揃えを見た事がある」と重朝が呟いた。
時の帝の前に信長は諸候を呼び寄せ、それは見事な馬揃え(いわゆる軍事パレード)を照覧した事がある。
それが息を呑む程壮麗だった事、一糸乱れぬ行軍の華に誰もが嘆息した事、それらを政宗は聞き知っていた。だが同時に天覧馬揃えは信長に忠誠を立てる証であり、叛逆の意志の有無を質す意図をも孕んでいたと聞く。
都に程近い所を生地とする重朝ならば、民衆に紛れてそれを見学するのも可能だったろう。
「華々しさは欠くが、その技術は勝るとも劣らない」
「そこまで言われると還って薄気味悪ィな」
「勘違いするな、信長の馬揃えは権威をしろしめすものだ。規模の違い、その背後に従う諸候の数を鑑みてみれば、お前の野駆けなど田舎侍の泥遊びに過ぎぬ」
「―――…」
政宗と重朝は睨み合うように相対した。
「戦の趨勢は未だ信長に絶対の利がある。お前如きが挑んで勝てると思うな」
ふと政宗は破顔した。
「そりゃ…熊野権現様のお告げか?」
「事実を言ったまでだ」
何処までも冷徹な女傑に対して政宗はふう、と息を吐いた。
それが未だ白く煙る。
「その事実を覆すのが雑賀衆の鉄砲とその戦術の威力だって訳か…」
「当然だ。我ら雑賀衆、誇り高き一族に敗北はない」
「………」
虚しくならねえか、と問い掛けようとして止めた。
女の鋭い眼光には迷いも、疑いも一切なかったからだ。そして政宗はそんな目つきが嫌いではない。
「おーし、なら明日の予定は変更だ。あんたの鉄砲の腕を披露してもらおうじゃねえか」
「…何だと…?見世物ではないぞ、これは」
重朝は右腿の短筒に手をやりつつ、伊達家筆頭を睨めつけた。
「そういきり立つな、鉄砲の腕比べをしようって俺は言ってんだ。まさか、伊達の鉄砲隊に勝てないなんて言わねえよな?」
「―――バカバカしい…」
「んじゃあ、幼稚な伊達の鉄砲隊に雑賀衆自慢の射手を教えてくれよ、頼むよ」
コロコロとその戦法を変える"いい加減な男"を重朝は睨み続ける。
「領主がそれでは家臣は苦労するだろう」声を低めた彼女は顔を背けた、汚らわしさを嫌うように。
「あの軍師とてお前の夜伽に付き合わされて、呆れ果ててものも言えまい…」
言い掛け、不意に気配が変わったのに言葉を切る。
思わず振り向いた先に、伊達家筆頭は身体ごと顔を反らして明後日の方角を眺めていた。
「………?」
青年の態度の豹変に、重朝は微かに首を傾けた。
「…Excuse me…」と非常に気まずそうな声がそこから漏れた。
「そいつは他言無用に願えねえか?」
重朝はちょっと呆れた。
「…んな事、野郎共に知られた日にゃ情けなくて下知も飛ばせやしねえよ。第一、Coolじゃねえだろ…軍師と領主が…みっともねえ……」
続く言い訳は本気で重朝を呆れさせた。
「武将の衆道など良くある話ではないか。稚児や小姓と乳繰り合う事をお前が恥じてどうする?」
「…ばっ!!別に恥じてなんかいやしねえよ!」
月明かりでなかったら面白いように赤面しているのが分かっただろう。
やけに初心な反応を見せる伊達家筆頭に、終に重朝は呆れるを通り越して笑った。声を出すまでもないとは言え、思わず口角が歪むのに片手の拳を当てて隠す。笑気は抑え難いが笑ったらさすがに可哀想だと思ったのだ。
「別に誰も言いやしない…興味もない…」
「―――Thanks…」
「ついでに明日は付き合ってやる」
「本当か?!Yeah, come on!」
自分と大して年の変わらない青年が喜色満面で声を張り上げる。
それを重朝は不思議な心地で眺めた。これで国主などやって行けるのだろうか、他人事ながらも疑問に思う。周囲の人間が盛り立て支えているのだろう。あの軍師とて、逸る青年の性欲を諌める手段の一つとして夜伽の相手をしているに違いない。それを政宗はみっともない事だと思っているのだ。
彼女はそう結論付けた。
いずれ、自分の住む世界とは全く違う住人だった。
「一度だけだ―――、二度はない」
元の鉄面皮に戻った女はそう言い捨て、その場から立ち去った。
置いてけぼりを喰らった形になった政宗は、ちょっと情けない表情を浮かべて溜め息を吐きつつそれを見送った。

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