[携帯モード] [URL送信]

―記念文倉庫―
10●
笑み崩れた顔が、それは子供のようで。
腕を伸ばして向こう側の耳を抑えてしまうと、片倉は青年の耳元に唇を寄せて、言った。
「…何か、急にしたくなった―――」
耳朶とその周辺がざわり、とざわめき立つ。
「…したい、ってな、に…!」
リネンのシャツを掴んで来た青年の手を取って、握り締められた拳の中に指を掻き入れる。そうして掌の中央の柔らかい所を爪で強く掻いてやった。くすぐったいのか、政宗は体を縮込ませてその手を引こうとする。
「カマ掘ろうと何しても良いんだろ?」
嫌がる耳の中に、熱い息と共にそんな卑猥な言葉を吹き込んでやる。自分の声は青年にどんな風に映っているのだろうか、と思った。快く響いてくれれば良いがと思いつつ、更に声を潜める。
「武田の借金ならもう全額返済した」
強張っていた顔を上げて政宗がこちらを窺って来た。
「今ここでお前が武田の為に体を売る必要はないって事だ」
「な、んで―――…」
力の抜けて来た政宗の腕の中で、メルがずり落ち始めた。
「借金のカタに嫌々俺に抱かれる風を装うなんて詰まらねえだろ?…お前を悦ばせたいんだ」
とた、
軽い音を立てて子猫は畳の上に降り立った。
それを待っていたかのように肩を引き寄せられ、ぐずぐずとその場に座り込む。煙草の味がする舌が口腔内を弄り、誘いかけるように青年の舌を軽く突いた。
「バカ、ヤロウ…真っ昼間だ…ぞ―――」
口付けては惑乱の表情に歪む青年の貌を窺い、片倉は応える。
「夜まで待てねえよ…」そう言っておいてから気付く「夜なら問題ないのか?」と。
「―――バカ!」
小さく吐き捨てた唇が、男のそれに食らい付いて来た。


夕方頃から数日振りの雨になった。
梅雨の終わりを告げる最後の驟雨だろう。軒先を叩く音は強かったが、季節の移り変わりを示すかのように軽やかでもあった。
政宗は全裸のまま、腰の上にタオルケットを引っ掛けて窓辺に寄り掛かった。それを追って男が隣に這い寄って来て、肩に手を回す。更にその手が滑って腰を抱き寄せ体を密着させた。
そんな相手に、青年は長年の恋人のように寄り掛かった。男の左手に挟まれた煙草が紫煙をくゆらせるのを、半ば呆然とした面持ちで眺めやる。
何もかもが見た事も聞いた事も無いものに満ちていた。青年は未だその余韻に浸っていた。
片倉は、煙草を口に銜えてから青年の額に張り付いた前髪を掻き上げてやった。
「うだっただろ」
「うるせえ」
掠れた応えに男は声もなく笑った。
「仕事は続けられそうか?」窓の外に灰を落としながら男はそう尋ねた。
「―――ん」
「あそこにいれば二度と手出しはさせねえ」
「…手出しって…」
「女にも―――男にも…」
「………」
片倉の言葉には青年は苦々しく顔を反らすだけだ。
ふと思いついてその台詞を口に乗せた「あんたもホスト、嫌いなのか?」と。
片倉の店がそこいらに良くあるようなホストの大前提を覆しているのがそんな風に思わせたのだ。だが片倉は、煙を吐きながら首を振った。
「ああいうノリを否定はしねえよ、若さの特権だろ。けど、このまんまじゃホスト業界に未来がないのも確かだな。女が男を歓待する形態はピンからキリまである。なのにその逆はバリエーションに乏しい。俺はテストケースとしてあの店を立ち上げた。今の所、勝負はとんとんて所か。もう少し手を加える必要があるかも知れねえな」
「…ずいぶん野心家なんだな」
「そうか?―――どうだろうな」微かに首を傾けつつ、片倉は窓の外に吸い殻を捨てた。
雨と共に落ちて行くそれを政宗は視界の隅っこで追った。灰皿を買っておかないと、などと薄ぼんやりと考えていた。
「いつから」
脈絡のない青年の言葉に、ん?と片倉は顔を上げた。
「……いつから…こんな下心持ってた」
必要以上に感情を抑えた台詞に男は破顔する「下心はねえだろ」と。
「いいから応えろよ」
んーと唸ってから自分の足下にじゃれ付いていたメルを片手で掬い上げた。
「お前とぶつかった、あの晩からかな」
「―――…」
「あんまり軽く弾け飛ばされてんのを見て、守ってやらなきゃなんて思った」
「ウソだろ」と青年は速攻で突っ込んだ。
「…メルが言ったんだ、こいつは運命の人だって」
「…もう良い」
爪を立てて遊ぶメルを膝の上に置いて撫でてやりながら、片倉が青年を顧みた。すっきりしたラインを描く横顔が子供のように不貞腐れている。
それへ口元を寄せながら青年の身体を抱き寄せた。
「一目惚れに理由なんざいらねえだろ」耳元で囁いてやると、すらりとして形の良い項を見せながら顔を背ける。その様が何とも言えず堪らない。
「お前は?」
汗でしっとりと濡れた首筋に唇を落としながら尋ね返してみた。
「ずっと俺を待ってた、って言ったよな。あの雨の夜からずっと」
応えはない。
まあ良いか、と思った。
何はともあれ、男を狂わす程に欲しがった彼がここにいて、自分の腕の中に包まれているのだから。
腰の肉を何気なく揉んでいた男の手がするりと滑って、もう何度も玩んだ胸の尖りを指先で押し潰した。身を捩って逃れようとする身体が、男の劣情を煽る。
片倉は青年の動きを利用して俯せにその身体を抑え付けた。
その太腿に当たる堅いものに、政宗は首を捩じ曲げて背後の男を顧みようとした。
「…おまっ…また…っ」
「あ?ああ…」
彼の滑らかな背に手を滑らせ、片倉はその耳に熱い息と共に色っぽい声を吹き込む「また勃っちまった…」と。
「!…盛りの付いた猫みてえに…っ」
「猫?メルも混ぜてやるか?」
「このっ、クソったれ…っ」
文句は最後まで続かなかった。
雨だれのように降りしきる口付けと、するりするりと滑る男の手によって直ぐに我を忘れてしまうから。


20110306 Special thanks!

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!