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―Tell me a reason.―
Escape.
ゴゴゴゴゴ…

迫る音が大きくなる。
小十郎は子供たちを抱えたまま綱元の側に歩み寄った。政宗は自ら身を捩って彼の腕から逃れ出た。先程まで瀕死の状態だった小十郎が、まるで鉄人に生まれ変わったかのようにしっかりした足取りでその場に立っていた。それを訝しがるが、問い質す隙が大人たちにはない。
「小十郎、政宗様を連れて先に行け」綱元は訝る様子もなくそう言った。
「わかった」
「―――」政宗が背後を振り返った。
高校生たちが呆然と立ち尽くしている。
「わかっております、政宗様」
噛んで含めるように言われて、ひょいと引かれるまま整備口の中へ身を躍らせた。
「…おい、左月」
天井から降り立った彼を綱元が呼んだ。
撃ち抜かれた片足を引きずってはいるが、他はどうやら無事らしい。その彼が壁際に倒れた慎吾の傍らに跪いた。
「連れて行きます、綱元様」
「…好きにしろ」
色のない声でそう言ってから綱元は元敵だった男たちをざっと見やった。
「お前らも好きにしろ」
追い払うような仕草に言葉が通じなくても何事か悟ったのか、彼らは互いに顔を見合わせて武器を体から剥ぎ取った。
「おい学生!」
「!!」
文七郎たちが茫然自失から我に返る。
「とっとと行け」
もう否やは聞かぬ体で言下に命令され、文七郎・佐馬助・孫兵衛の順で狭い整備口から上へと登って行く。
船がガクンと大きく傾いた。
ずり落ちかけた左月と慎吾を、綱元は両手に鷲掴んで引っ張り上げた。
「…ったく、世話の焼ける…」
船は右舷側に傾いているようだった。
中央隔壁の機関室と燃料タンク、そこから入水が始まったのなら船は真っ二つに割れながら沈んで行くだろう。船首が海水に浸かる前に外に出られれば、脱出は可能だ。
綱元はアーミーベストごと装備を外すと慎吾を背負った。
「―――すみません」と左月は小さく謝った。
「お前も死ぬ気で着いて来いよ」
言って綱元も整備口へそろそろと身を潜ませる。
続く左月と実働隊二人。
それを見送った他の男たちは、ひたひたと押し寄せて来た海水をただ昏い眼差しで見守っていた。



小十郎の感覚は恐ろしいまでに研ぎ澄まされていた。
ゴンゴンと遠く船に打ち寄せる波の音、水圧にひしゃげて軋む船体、錨鎖路の壁を伝って流れ落ちる海水のその後先。全てが鮮明に聞き分けられる。更に言えば、明かりのほとんどない薄暗がりに、詰まった鎖がよじれる様も色のない光景として見る事が出来た。
―――どんだけ純度の高い覚醒剤よこしやがったんだ。
傷の痛みすら奇跡のように消え失せている。
あとどれだけその状態が保つのか、とにかく海上へ政宗を連れて行くまでは、と祈らずにはいられない。
「…小十郎」と上を先に行く彼の細い声がした。
「どうしました?」
上を見やって、用心しいしい政宗の隣まで壁の凹みだけの梯子を上る。ロッククライミングと同じ要領なので手足の指先だけが頼りの道行きだ。
見ると、鎖が錨鎖庫の中でトグロを巻いて梯子を中断していた。
「―――――」
小十郎はその鎖の一つを掴んだ。
リングの一つ一つが一抱えもあるものだ。掴むと言っても輪の一部に手を掛けたに過ぎない。もし、これが外れたら。
勢い余って落下する鎖が鞭のようにしなって、今この狭い通路を登って行く自分たちを無情に打たぬとも限らない。だが、このままでは先に進めないのも確かだ。
迷っていると文七郎たちが下から追い付いた。
「何だこれ」
「鎖が絡まってやがる」
「…先に進めないんですか、小十郎さん…」
「見ての通りだ」
どうしたらいい、と思い惑ううちに慎吾を背負った綱元と左月も追い付いてしまった。自分たちの成した仕儀の結果だ。憤然としたものをどこへやる訳にも行かない。
そうこうしているうちにも、下から這い上がって来る水の音はちろちろ、からばしゃばしゃ、と言ったものに変わりつつある。
すると、最後に一人だけ小十郎たちに追い付いたNK国の男が何やら壁を伝って鎖の向こう側へ回り込んだ。じゃらじゃらと音を立てて側壁のボックスから普通サイズの鎖を引っ張り出す。その姿の見えない男が英語でこちらに何か言った。
「小十郎さん、あんたの側にも同じものがある筈だって言ってる」
左月が男の言葉を聞き取って、そう小十郎に伝えた。小十郎が壁を弄ると、凹んだコイルが指に引っかかりそれを回すとボックスが開いた。そうやって鎖の揺れを止める為の繋ぎを何本も錨鎖に絡ませる。続いて、絡まった鎖から垂れ下がっているリングを大人たちがガンガン蹴った。
下からの海水が、終に視野に捕らえられた。
鎖はびくともしない。
焦燥に駆られ、緊張と打ち付ける海水のせいで子供たちは震えた。
「畜生!」
一言叫んで孫兵衛が鉄のリングの上に飛び乗った。
80〜90キロはありそうな彼がその上で飛び跳ねると、頭上で絡まった鎖はぐらぐら傾いだ。
「もういい、降りろ!落っこちるぞ!!」
そう小十郎が叫んだ時、空気を圧して水の塊が下からどっとばかりに押し寄せて来た。
最後の抵抗をぶち抜いて、鎖がふわりと浮き上がったようだ。
それに巻き込まれた人間たちも、言わずもがな。



水の中は静かだった。
壁や錨鎖が凶器となって体中を打ち砕く。それでも、繋ぎの為に絡ませた鎖のお陰で錨鎖の動きは制限されていたし、空中を落下するよりは吹き上げて来る水がクッションになったのは言うまでもないだろう。
それも息が続けばの話だが。
船は中央で折れながら転覆し、船首甲板から脱出した時にはそこはすでに海水の中だった。
船は容赦なく沈む。
沈む船を中心に荒立つ波が渦を巻いている。水の中からは水泡と、しつこく燃え上がる黒煙が上がっていた。
小十郎は、船の巻き起こす強力の波を掻き分けながら少年の姿を求めた。流れに翻弄されながら何度か彼の服を掴んだが、その度に運命に嘲笑われるかのように引き離される。―――もう、二度と離さない。
見慣れた袖を掴み、それから体ごと引き寄せた。
意思のない少年の細っこい身体は気を失っているだけなのか、それとも打ち所が悪くてもう命の失せたものなのか、それも分からないまま。
小十郎も何時しか意識を手放していた。

鉄の塊は一度浸水を許すと瞬く間に沈む。
後には、うねる波頭の白い飛沫だけが残された。



Escape.
―脱出―

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