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―Tell me a reason.―
Are you ready to jump into there?
―覚悟はいいか?




「切るな、小十郎!!」
不意に飛び込んで来た声に手が止まった。
だが、何を言っていいのかわからない、戸惑いの気配だけが小十郎の手にしたケータイから伝わってくる。
気安く言葉を掛ける事など出来ない。何も、何一つ約束してやれない。
「すまん…情けないな。偉そうな事を言っておきながら…」
『いえ、俺の方こそ馬鹿な事を言ってしまって申し訳ありません』
「いや、言ってくれて良かった…そんな気持ちを抱えながらじゃお前も辛いだろうしな―――何より、他の男相手じゃ気が気じゃない」
言っておいて輝宗はあはは、と笑った、「私が言うのはおかしいかな…」。
目の前に河川敷の堤防が見えて来た。その上に、小さな人影。
『俺があなたに暴力を目覚めさせても?』
シルエットになった影が、電話越しに低く尋ねる。
ぞくり、と来た。
小十郎は、自分に対して性的虐待されることを望むのか。彼に手を出したら最後、あの白人男性が犯した二の轍を踏む事になる運命だと言うのか。
そして、それをわかっていて彼は自分を試そうと言うのか?
―――そんな訳がない。
「なあ、小十郎…私がそうなるかどうかは、わからない。だがそれは決してお前のせいじゃないだろう?」
『そうでしょうか?』
その黒い影、不吉な影が小十郎の中で蠢いているのがわかる。
それは小十郎の「不安」が形を成しているのだと、輝宗は本能に近いもので看破していた。
『その引き金を求めてしまう俺はやっぱり、恐ろしい悪魔みたいだ…』
不安に飲み込まれそうだ、と輝宗は思った。
その不安――闇に向かい合う覚悟はあるか、と男は己に問いかけた。息子達や妻の事、仕事のあれこれが頭の中を駆け抜けて行った。理性が、リスクが大き過ぎると喚いていた。
『すみません…言うだけ言ったら気が楽になりました。輝宗様には負担になってしまっただろうけど、気にしないで下さい』
鼻を啜る音と涙声で、自嘲の笑みを思い浮かばせるように言うと、小十郎はケータイを切った。輝宗は慌てて堤防の上に眼をやった。
消えている。
近くに鉄錆びた階段を見つけ、錠前で閉じられた扉を乗り越え駆け上がった。
堤防の上は遊歩道になっていて小十郎はその川沿いの柵に凭れ掛かって川面を眺めていた。
「川に飛び、込んだかと思ったぞ―――」
息を切らして言う輝宗を驚いたように振り向いて小十郎は小さく「すみません…」と言った。
「帰ろう」


この罪の重さに耐えられるのか…?
小十郎の告白を聞いた上では、見捨てるも応えるも同じだけの重罪を犯すことになる、今の輝宗にわかったのはそれだけだ。



輝宗の息子・政宗が退院したとかで、その日曜日は朝から輝宗は屋敷を空けていた。

あれから一週間。
何事もなかったかのように輝宗の後について様々なところを回った。めまぐるしく過ぎ去って行った七日間だった。全く手探りだったものが少しずつ見えて来る手ごたえが感じられた。
あの夜の自分はどうかしていたとしか思えない。
後になって思い返してみて、どうしてあんな事を言ってしまったのだろうと激しく後悔していた。まるで輝宗を挑発しているみたいじゃないか。
だって本当にあの人は優しくて優しすぎて、本気にしてないみたいな所とか、冗談に摩り替えようとした所とかが、ガマンならなかった。
いっその事、汚らわしい、気狂い、変態などと罵って突き放して欲しかった。
と思う自分が心の泥沼の中でもがいている。
輝宗の恥にならぬよう、伊達の名を汚さぬよう、立派に勤め上げると誓ったその同じ胸中に湧き上がるどす黒い欲望。
全く以って、自分自身をもてあまし気味だ。

小十郎は一人、鴻塚の所へ腕の抜糸に来ていた。
傷はすっかり塞がっている。透明な糸は癒着する前だったのでするすると抜けた。
カシャン
ピンセットを置く音が鋭く響き医師はゴム手袋を外した。
「検査の結果は来たか?」
「え…あ、はい。―――全て陰性でした」
「それは、重畳」
「…あの、先生―――」
「何だね」
この医師は病気や怪我以外には無関心を装いながら、その実人間を良く見ている。心理学をも齧っているのだろうかと思ったから聞いてみたくなった。
「先生は輝宗様を、心の欠けた人間だと思ってらっしゃるんですか?」
「―――いや、心の一部を置き去りにはしているようだが」
置き去り…確かにそうだ。彼は自分の痛みに関しては目を逸らし続けている節がある。それが小十郎に放っておけないと思わせる要因なのだが。
「何故だ?」
「その…」ちゃんと説明できるだろうか、と言う迷いが一瞬小十郎を口ごもらせた。「本当は、俺の中に相手からそういう暴力を引き出す何かがあるんじゃないかと思って…」
ふむ、と言うように改めて眺められて居心地の悪さに身じろぎする小十郎。
「人と人との関係の中で、何が原因で何が誘因となるかは、正直断言できないものだ」と医師は答えた。
「相性、というのを君も知っているだろう」
「はい」
「占いの類のように言われるが実は遺伝子レベルで予め決められた条件が揃うと発動するものも大いに関係がある。…例えば遺伝子学上、なるべく自分とは違った者を選んでより強い子孫を残そうとする働きだとかだ。私は運命など信じないから、君の場合にもそうした条件があるものと思う」
「心理、ではなく?」
「脳も遺伝子の孫だ」
「―――――」
「相手の脳に条件が揃っていた場合もあれば、君が誘発する場合もあるだろう。それだけの話だ。罪悪感を感じる問題ではない」
「でもそれは男女のことですよね?」
「そうだな。だが子供を残すことだけが人間と言う生命の役目ではない。例えば、自分が死んだ後に残せるもの、それはピラミッドであれ城であれ道であれ、美術であれ音楽であれ、または名声であれ…人間として生まれたからにはどんな形でもいいのではないか?」
「はあ」
まるで煙に巻かれた気分になった小十郎を、鴻塚はつくづくと眺めた。
「輝宗に抱いてくれとでも頼んだか?」
歯に衣着せぬ物言いに、小十郎の顔面が真っ赤に染まった。
「え、えーと」
「スルーしたのなら見所はあるかもな」
「え」
鴻塚医師は傍らの机の上から銀の万年筆を取り上げて、長い指の間で器用にくるくる回していた。
「暴力に走る男なら君の同情に溺れる所だろう。それくらい君の深淵は深い。逆に君を思いやり、社会的常識を考え、己の身の程を顧みる事の出来る男であれば暴力の衝動を抑える事が出来るのだろう。遺伝子の命令に必ずしも従わないのが、人間の面白い所だ」
「じゃあ輝宗様は…」
「だが、やめておいた方がいい…」パチン、と万年筆が机に置かれた。
「あれは難しい立場の男だ、そして君はまだ若い」
「―――――」
「不服かね?」
「いえ、多分理性ではわかっているつもりです」
ふむ、とまたしても感慨深げに眺められた。
「その点でも君はまだ若い、と言う事か」
―――その点って…。
ますます顔に朱を昇らせて、小十郎は羞恥に耐えた。
「まあいい、私は忠告すべき事は全てした」



Both I and you are so.
―私も、お前も。




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