[携帯モード] [URL送信]

―Tell me a reason.―
The war called the war.
彼女が向かった先は、枯山水の小さな庭が臨める明るい一間だ。
そこの縁側に腰を下ろし、湯飲みを傾けながら手元の書類を眺める男の背がある。それの少し後方で膝を折った帰蝶は、美しい姿勢で畳に三つ指を突いた。
「ただ今戻りました、上総介様」
彼女の恭しい挨拶に男はうむ、と一声唸るのみ。
「松永が死んだとか?」
「うむ」
「上総介様の命に従わず、宝だ何だと勝手を致した報いでございましょう。これからはわたくしが上総介様のお側にて、その手足となって働きますわ」
「中東はどうであったか」
ばさり、紙束を縁側に放り、上総介と呼ばれた織田信長は再度湯飲みを傾けた。
「使える人間は山ほど。一昔前は東南アジアやロシアなどに分散していた火力も今や中東に集中しておりますわ。戦争屋の昨今のビジネスパーツはテロでそのリストを埋めている事でしょう」
「テロなど生温いわ」
ぼそり、湯飲みの中の立ち登る湯気を何気なく見やりつつ男は言った。
「帰蝶、ここにこうしているのにも飽いた。―――次は、何処を落とす?」
「それならば、わたくしに考えがあります」
名古屋を拠点としていた暴力団を無力化したこの男は、気紛れに野に遊ぶ子供のように次の獲物を求める。そしてそれを受けて1人の妖艶な女は美しい微笑みを讃えながらそれを捧げるだろう。
それは、日本の死生観を支える仏法の使徒らか、はたまた日本の未来を背負って立つ若者たちを育成する学び舎の子弟らか。

女が寺を出ると歩道に寄せられた黒塗りの車から1人の黒スーツ姿の男が降り立って、無言で後部座席のドアを引き開けた。
躊躇う事なくそれに身を引き入れた帰蝶は、扉を閉める前に男が差し出して来たファイルを受け取った。内容を眺める間に車は静かに発進した。
東京タワーの下を通り過ぎ、何処へ向かおうと言うのか迷いもなく国道を往く。
一通り文面に目を通した帰蝶は、自分の隣のシートに納まっている先客を振り向いた。消沈して俯く横顔は福々しく丸まっちい。女らしさと言うより昭和の時代の母親像を絵に描いたような姿だ。緩くパーマを掛けて撫で付けられた白髪混じりの頭髪も、時代遅れの冴えないセーターとスカートも、福々しいがちょっとたるんだ頬の肉も。
「…毛利元就……彼が余りにも頭が切れ過ぎて、一部の人間の間では謀神、などと呼ばれているのはご存知かしら、杉恵さん?」
「あなたたちは何者ですか」
問い掛けたら思ったよりも意志の通った声音と眼差しを振り向けられた。
「それを聞いたらあなたも、謀神も、生命はなくてよ」
「…………」
「そう、謀神も私たちが身柄を預かってる。ただね、困った事にあの坊や、頑固でね。分かるでしょう、あなた、彼を育てて来たのだから…どうしても言う事を聞かないの」
「私を…人質にしたって…!」
「あら、やっぱり良く分かってるじゃない」
自虐的な台詞に帰蝶は女をせせら笑った。
杉恵は彼女に横顔を見せたまま唇を噛む。元就が自分の為に意に沿わぬ事を曲げるなど考えも及ばなかった。それが事実だと突き付けられて、忸怩たる思いに胸が塞がれる。自分を義母として大事と思っていても、それはある一線までなのだ。
「そこで、謀神の代わりにあなたに動いてもらいたい、そう言う事よ」
「………」
「自分のような女にあの坊やの代わりなんか勤まらない…そんな杞憂は必要ないわ。あなただからこそ出来る事もある。―――いいわね?」
それは問いではなく、確認でもなく、命令だった。
「何が目的なの」杉恵はただ硬い声でそう問い返す。
「この国は平和よね」
応えにもならない返答を帰蝶は返した。
「仕事でついこの間まで中東の紛争地帯に行ってたの、私。レバノン、シリア、ヨルダン、イスラエル。地球上で最も早く文明国家が出来た豊穣の土地だったのに今や長引く内戦と革命とテロとでボロボロ。一体どうしてあそこは争いが絶えないのかしら?妥協とか折衷とか言うグレーゾーンに染まる事を知らないから?"目には目を、歯には歯を"なんて言葉もあるくらい、犯した罪は等価で支払え、そこに同情の余地はない、そんな厳格な宗教の国々だから?その上、石油と言う全世界が喉から手が出るぐらい欲しがるものが埋蔵されているから。炎は炎を呼ぶ、って事かしら」
「…何が言いたいの」
「日本には争いの火種となる主義思想も、自然資源もない。だから、中東まで引っ張って行ってあげようと思って」
「……な…」
何て事を言い出すのだこの女は、そんな憎悪にも似た表情で杉恵は相手を凝視した。見返す美女はただ薄ら笑い。
「闘う事を忘れた人間は腑抜けだわ。そんなの生きる価値もない」
構わず帰蝶は言い返し、怯えた様子で体を縮こませる女に迫った。
「生きてる、そのリアルを感じさせてあげる」
狂っている、杉恵は確かにそう思った。図らずも、明智が政宗たちに語った内容とそっくりそのままの台詞に対して。


The war called the war.
―火は火を呼ぶ―




早くも12月の声を聞けば街はクリスマス・年末に向けて各所でイルミネーションに溢れ返っているものだが、その年に限っては"自粛ムード"とやらのおかげでイルミネーションの名所も通常の常夜灯のみでひっそりとしていた。
「あ〜明智のヤロウ〜全部あいつのせいだぁ〜〜〜」
居間のテレビに齧り付き、そうした閑散とした街並みを映し出す画面に向かって成実は先程から延々と繰り言を繰り返していた。
「東京に来たら彼女とロマンチックなデートするのが夢だったのにぃ〜」
「その前に彼女いないだろ、お前」
そう言って、ソファの一角に腰を下ろしたのは、両手にカップを持った政宗だ。自分には紅茶を、成実にはホットココアを差し出す。
「…に言ってんだよ!これからだよ、これから!!」
クッションを丸抱きにして成実は喚き返す。
通常授業が始まって2、3日経った。
事件の事は語られる機会こそ失われはしなかったが、日常生活の繰り返しの中で徐々に薄れつつあるのは確かだ。3年は受験に向けて対策を練り、2年は部活を始めとした学校行事の中心となり、1年は高校生活に慣れてたるみ始める時期。
戦争を望む輩が暗躍しているなどとは夢にも思わない。
温かい飲み物を手に、床暖房の入ったカーペットに直座りした成実は、テレビから流されるニュースがCMに切り替わった所でソファの上に座り直した。
伊達事務所の周辺は中堅のオフィスビルが建ち並び、繁華街には程遠い。近所のスポットと言えば東京ドームだが、そこも複合型アミューズメントが灯火を消し運営を休止している。
何故か皆コソコソと息を殺していた。
「冗談抜きでクリスマスにはさあ、あいつら呼んでホームパーティでもしようぜ。この分じゃどっか行ってもつまんないだろうし」
「結局そこか」くすり、政宗は笑いながら湯気を立てるカップへ口を寄せる。
む、と唇を尖らせた成実だったが、不意に何かを思い出したかのように表情を変えた。
「そう言やさ」と言って、政宗の方へ身を乗り出した。
「2年の長曽我部、良く毛利を学校に引っ張り出せたよね」
「ああ…」呟きながら政宗はカップの中身を何となく見つめる。
謀神、と呼ばれるほど頭脳明晰な青年が、今更普通の私立高校に通う事は当人だけでなく、それを知る周囲の人間ですら鼻白ませる。だが、何も知らない他の生徒にしてみれば見た目的には違和感はない。ただ転校生が2人、仲良く常に一緒にいる、ぐらいの認識だ。
「上杉先生が保護者代わりなんだって。生活費がお陰で入って来るって長曽我部が言ってた。んでもって、毛利にとっては学校は金稼ぐ為のお勤めだ、って。よくわかんねえよなあ」
「…お前、それ元親から聞いたのか?」
「うん、そうだけど?」
何?と言うようにココアを啜りながら小首を傾げる成実。
彼が人懐っこいのは知っていたが、早速何彼となくあの白眉の青年と口をきくようになっていたとは。本人に相手の動向を探る、と言う意識がないのが警戒心を抱かせない最たる理由だろう。
「あ、毛利は全然駄目な。俺の話に乗って来ねえ。長曽我部としか話さないんだよね。あいつの視界には長曽我部しかいないみたいでさ」
物凄い執着だ、そう言って成実は口を閉ざした。
まだ何か言いたそうだったので、政宗はカップをローテーブルに戻しながら呟いた「パーティに元親呼びてえなら元就も呼ばねえと駄目だぞ」と。
「えー、やっぱりぃ?」
大層、不服そうだ。
「元親が放っとかねえだろ。あいつを家に置いて自分だけ楽しむなんざ出来ねえ奴だ」
「だよねえ」
つくづくと言った感じに呟いて、テレビで始まったドラマに成実が視線を戻した時だ、居間の扉がノックされて、2階事務所で仕事をしていた小十郎が入って来た。
「政宗様、今、長曽我部から電話が」
何だ?と2人揃って顔を上げると、元親の名を苦々しげに告げる小十郎が続けて言った。
「同居人が腕を切断した、と」
顔面を硬直させて立ち上がった政宗が男に詰め寄る。
「今何処だ?自宅か?」
「いえ、病院だそうで―――」
車出せ小十郎、と言い捨てるなり政宗は居間を飛び出して行った。それを成実と小十郎も追う。


車を飛ばして大田区蒲田にある救急病院に駆け付けると、他の患者が踞り、医師が慌ただしげに行き交う待合室のベンチの中に、元親と元就の姿があった。
「おい、元親」と政宗が声を掛ければ、ぱっと持ち上がった無防備な顔貌にそこはかとない疲労が見て取れた。
元親は隣に大人しく座る同居人にチラと視線をやったが、すぐに立ち上がってこちらへと足早に歩み寄って来た。
「何だ、同居人てのは野澤の方だったのか?」
そう問う政宗を取り敢えず、と言うように制して、待合室を外れたトイレ脇の人気のない所まで引っ張って行った。
「なぁに〜チカちゃん、こんな所まであいつ連れて来てんのぉ?」
一応辺りを憚った成実に詰るようにそう告げられると、元親は途端苦々しく顔を歪めた。
「1人にする訳にゃ行かねえだろうが…」
「んで、野澤のおっさんの容態は」と政宗。
「鉄を削る旋盤に作業服が巻き込まれて右腕を肘からばっさりだ。もう少しずれてたら首が落ちてた」
「うわ〜…」
「あいつの仕業か」
不意に低い声が背後から掛けられて、元親は振り向いた。
青年は小十郎とは初見ではない。だが、まるで親の仇にでも出会したかのように、小十郎の冷やかな視線を受け止め、そして不意と反らした。
「…事故が起こった時、あいつは風呂入ってた。俺はリビングでパソコンと睨めっこしてたが、誰かが部屋を出入りして1階の工場に行きゃすぐ気付く……証拠は、ねえ」
「だが、疑ってもいる」
図星だ。
自分の身の周りに起きる凶事は全てあの幼馴染みが一枚噛んでいる気がしてならない。だから政宗のいる事務所に電話を入れてしまった。
「何故自由に遊ばせる。奴が危険な人間だってのは手前が身を以て承知してる事だろうが」
尚も責め立てる小十郎を政宗は制止しようとした。だが、それより先に、元親の右手が動いていた。


Call the bad luck.
―凶事を招く―



[*前へ][次へ#]

7/15ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!