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―Tell me a reason.―
Accursed room.
工場にはその野澤とやらの他には働き手がいなかったようなので男4人分、と思って材料を切り刻みグツグツと煮込んだ。
鍋が出来上がった頃には陽もとっぷりと暮れて、政宗は元親や野澤と一緒になって鍋を囲んだ。殺風景な部屋の中には、キッチンテーブルや座卓などと言った気の効いたものはなかったので、床に直座りのままだ。ソファセットなど狭過ぎる。
先刻から姿の見えない元就の事は政宗は口に乗せなかった。
野澤がもともと元親の実家の工場で働いていたのなら、元親の父親を陥れた張本人の事を快く思っていないのは明白だったからだ。
「さっそくご友人が出来て、良かったですなあ、元親さん」
ほくほくの鍋に舌鼓を打ちながら、野澤はほっこりと言い放った。
彼らの傍らでは石油ストーブがガンガンに効いていて、部屋の中は寒いどころか汗を掻く程だった。
「おうよ、俺ぁいつだって人気者だからな」
もごもごと物を咀嚼しつつ言い放つ元親は、セーターを脱いでランニング一枚だ。いい加減な事抜かしやがる、と思いつつも政宗は余計な事は言わない。
「明日から様子見だが通常授業が始まるってよ」
だから、当たり障りのない内容を口にする。
「ああ…たりいなあ、上杉センセから宿題出されててよ」
「宿題?」
「ああ、まあ何つーか」
変な所で言葉を切った元親を野澤が横目で睨みつけて来た。
「またそんな事言って、学校サボらないで下さいよ。やれば出来るのにつまらないからって投げ出すの、悪いクセですよ?」
まるで保護者のような台詞だ。三十代後半から四十代に差し掛かるかどうかと言う年頃のこの男は、恐らく、元親の父親と親しい間柄だったのだろう。長い付き合いなのが見て取れる。
「わーってるって!もう子供じゃねえっつーの!」

一通り賑やかしく食事をして、一人分の鍋の具とその出し汁で作った雑炊を器に取り分け、その場はお開きとなった。
腹がくちくなったら猛烈な眠気が襲って来たらしく、風呂にも入らず歯も磨かず、元親はフロアの壁際にあったソファにゴロンと横になるなり高鼾をかき始めた。それへ、食器を片付けていた野澤が毛布を掛け、弱にした石油ストーブに鉄製のヤカンを載せる。ヤカンからは引っ切りなしに湯気が立ち登って空気の乾燥を防いだ。
「あれ、見ててくれるか?」
キッチンで洗い物をしていた政宗の所へ戻って来た野澤がそう声を掛けて来た。
「あれ?」
「ヤカンの水」
「OK. 今夜は一晩中、無声映画でも見てるからな」
「すまないな」
「Don't worry.」
野澤は、政宗の隣に立って洗われた食器を丁寧に拭き始めた。
彼が寝起きしているのは、1階の工場と直結している薄暗くて狭い部屋の方だと言う。あの金気と油の匂い、あれがあると安心出来るのだと言って苦笑する。
昔から続く地方の生産業は、父から子へ、子から孫へ、時が移り変わっても同じ職に就く事が頻繁にあった。東京・大阪・名古屋・福岡など大都市と呼ばれる所でもなければ仕事と言うのは限られて来るし、長く続いた老舗企業と言うのは一種の神話伝説の類いのように安泰だ、と思われている節がある。実際は全く違うのだが。
そうした中で、野澤の父も祖父もやはり長曽我部の精密機器工場で働いていた。父からは何時も金気と油の臭いがしたそうだ。朝から晩までよく働いて、時には何週間も会えない日々が続いたが、家の中にその残り香が漂っていると自分が寝ている間に父が帰って来て、また仕事に出掛けたのだと分かった。
それで何となく父に見放されてはいないのだと、安心出来た。
「昔、小さい頃、元親さん、荒れてた時期があってね」
静寂の中、野澤がぽつりと零した。
政宗は手を動かしながらその横顔を見やったが、特に何も応えない。
「もともと引っ込み思案で大人し過ぎる子供だったんだが、訳が分からないのに苛々したり、やたらと憂鬱になったり。それにしょっちゅうヒステリー起こして騒ぎ立てたり、周囲にいる人間だけじゃなく自分まで傷付ける行為をして大変だった」
―――とてもそうは見えねえがな…。
「それが治まったのが、"あの人"と知り合ってからだ」
毛利元就、今も寝室で音も立てずひっそりとそこにある。
「全く元親さんに振り回されなかったなあ。子供同士だからって言うんじゃなく、何故だか、"分かっている"みたいだった」
「分かっている?」
思わず聞き返すと、食器を片付ける手を止めた野澤がシンクに手を突いたままそこに滴り落ちる水滴に見入っていた。
「何かを不安がってたんだと思う。何かをとても恐れていた。―――今でこそ精神科医は流行っちまってるがあの時は…。それに狭い世界だったから、結局、医者にも見せずじまいで本当の所は分からん」
そこで我に返り、最後の鍋を足下の棚へと仕舞った。
「あの"ご友人"には感謝している。…だが、何だか信用がおけない。元親さんのあの目も彼がやったんじゃないかと俺は―――疑ってる」
どうやらこの男は事実を何も知らないようだった。
元就が幼馴染みの父親を殺した算段に一枚噛んでいるのも、それに正しく元親の左目を灼き切ろうとした事も、全てあの青年1人の胸の裡に仕舞い込んでいる。何か他人には見えない縁のようなもので繋がっているのだ。
「すまん、変な話して」
不意に顔を上げた男は普段の表情に戻り、困ったような、衒いのない笑みを振り向けた。
「気にすんな、参考になった」
政宗の返事に安堵したような気色を見せ、そして野澤は自分の部屋へと戻って行った。

野澤を見送った政宗は、暖め直した食事をトレーに載せて持ったまま、ふと部屋の隅のソファを振り向いた。度の過ぎたお人好しでもただのバカではなかったか、そんな感慨を僅かに抱いたのだが、同情するまでもない、とは思った。相手もそれを望まないだろう。
途中で黒いボストンバッグを拾い上げ、ソファとは反対側の部屋の隅にある扉をノックした。そこが元々の寝室であり、今は元就が閉じ篭っている場所だ。
返事はなく、又期待もしていなかったので無言で扉を押し開けた。途端に吹き込む冷気に体の芯が震えた。
何かと見やれば、部屋の横手にある窓が全開にされて、その窓辺に寄り掛かって佇む元就の姿があった。
「寒いだろうが」
そう文句を言い放って、政宗は片手に持っていたトレイをベッド脇の机に置いた。それからわざわざ戸口に戻って扉を閉める。
元就は彼の台詞をふん、と鼻先一つであしらい、それから「ここでは海が見えぬのか」などと嘯いた。
見える訳がない、ここ蒲田は東京湾に接していないのだから。
「瀬戸内の海が懐かしいか」
この政宗の問いには返答がなかった。
ただ、振り向いた元就の傍らに立って黙って窓を閉め、モノトーン調のカーテンも引く。それとは入れ違いに元就は窓辺から離れ、机の上に載せられた食事を覗き込んだ。ふむ鍋か、等と呟き、徐ろに椅子に座る。
箸を取り一礼するのを見る限り、非常に躾の行き届いた良家の坊ちゃん以外の何者でもない。
政宗はシーツの乱れ一つないベッドの端に腰掛け、持って来たボストンバッグを開けた。こちらの事などもう眼中にない元就の背に向かって言ってやる。
「こいつは、お前の金だろ」
音も立てず綺麗な様で端を動かしていた元就がふと振り向いた。開けられたボストンバッグの口の中にそれを見て顔を歪ませる。
「それを何故、貴様が持っている」
険の尖った物言いには警戒の色が滲み出ていた。
「高橋杉恵は明智の手の者に拉致された。俺は彼女の住いを尋ね、誰もいない子安の里の山寺でこいつを見つけた。―――持ち主に返してやろうと思ってな」
「………」
「Dirty money. …杉恵はこいつを受け取らなかったんだろ?」
ドスン、政宗は手にしたそれを床に落とした。
「我の身辺をこそこそと嗅ぎ回り追って…薄汚い野良犬が」
「Oh, Son of a bitch! …そりゃお互い様だ…」
くくく、喉の奥で昏い笑いを一つ。そして、何事もなかったかのように机に向き直り、食事を再開する冷徹な青年の後ろ姿を見つめる。
「明智から何か連絡は?」
「ない」
「高橋杉恵を盾に協力しろ、と言われたらどうする?」
「どうもせぬ」
「どうも?」
「どうせよと言うのだ…」面倒な、そう言った心中をありありと載せて元就は息を吐く。
「危害や命を盾に、と言う意味であろう、貴様の言う意味は。そのような事をせずとも我は金を積まれれば策を授ける。だが、お前たちは我にそれを許さぬ。―――どうにもなりはせぬ」
「状況を聞いてんじゃねえよ。お前はどうしたいかって聞いてんだ」
「我が―――?」
ふと箸を止めて、元就は何もない壁を見つめた。
それから、我が物顔でベッドに腰掛け自分を無遠慮に眺めやって来る青年を振り返る。ああ、こやつも片目だったな、等と思いつつ長い前髪に隠されたそれをつくづくと言った風に見つめる。
「いずれ、殺さねば…と思っていた」
「What's…?」
「聞こえなかったか?もともと殺すつもりだった、と我は言ったのだ」
やはり政宗の予想通り、そしてその予想を遥かに超えてすっ飛んだ方向に元就の思考は向かっていた。
「何故だ」
当然聞かれるべき問いに、黙々と食事を続ける元就は応えなかった。


Accursed room.―悪意の棲む部屋―


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あきゅろす。
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