[通常モード] [URL送信]

―Tell me a reason.―
Wither and die.
そこがこの寺の中で最も生活感を感じられる場所だった。
コタツがあり、テレビがあり。それから杉恵の趣味なのだろう、可愛らしいガラス細工の動物たちがテレビの周りや、電話の置かれた棚に細々と飾られていた。
入って来た所とは別に、対角線上にもう一つ引き戸があって、これを開けると先刻の台所に直結していた。どうやら居住スペースをぐるりと一周して来たらしい。
政宗はリビングらしいその部屋をつくづくと見渡した。
ふと思い立って、裏庭に面したガラス戸を引き開けてみる。
そこで元就が明智に語った言葉が現実となって自分たちを襲ったのだ、とは政宗には想像しようもない。見る限り、そこから縁側を伝って本堂へと至るようだ。その道筋だけを確認した政宗は、ガラス戸を引いて冷気を締め出した。
古ぼけたカーテンをそっと撫で、そうして室内を振り返る。
コタツの上には一つきりの湯飲み茶碗とポットが、これまた置きっ放しだ。
人の住んでいた気配は濃厚なのに何もかもがやりかけの宙ぶらりんのまま、人間の姿だけがふと消えた、そんな感じだ。そうやって人の営みから見放されたこの古寺は、荒廃の波に静かに呑み込まれようとしていた。
ふと、政宗の左目が茶箪笥の影に無造作に置かれた黒いボストンバッグを捉えた。
それに真っ直ぐ歩み寄り、迷う事なくそのジッパーを開ける。
ひゅう、と言う景気の良い口笛と続く「Excellent」という政宗の呟きに、小十郎は立ったまま青年の手元を覗き込んだ。
「政宗様、これは…!」
「Yes, 元就が儲けた金だろうな。ざっと見積もって5千万は下らねえ」
「何故このような大金を」
「元就は毎月3、400万を杉恵に手渡しにここに来てたそうだ。それとは桁が違う。…住処を変える手付金か、それとも海外へ飛ぶ資金だったか。どちらにせよ、杉恵に渡す為に持って来たんだろう」
「知恵を授けた謝礼って奴ですか。それで義母が喜ぶとでも思っていたのでしょうか」
ジッパーを元の通り戻し、勢い良く立ち上がった政宗は、改めてリビングを見渡した。
「毛利家を追い出された元就は、杉恵に連れられて本家のあった広島市を出て安芸市で育ったそうだ。それなりの恩義は感じていたんだろ」
半ば投げやりにそう言い放ってボストンバッグを片手で掬い上げる青年を見やって、小十郎は思わず尋ねた。
「それを、どうするおつもりですか?」
「本人に返してやるんだよ」
「………」
それは、高橋杉恵が明智の手の者に拉致された事をも伝えると意味していた。

勝手口からひっそりと外に出た。まだ陽は高く、井戸の周りにはそれが降り注いで雪の名残もすっかり乾き切っていた。
「危うくは、ありませんか?」
不意に小十郎は青年の背にそう尋ねた。
「どうだろうな」
「……?」
「義母が拉致られて動揺するような可愛げのある奴ならまだマシだ。もっと言うなら、…明智に利用されるぐらいだったら見捨てる、そう言う思考回路も想定の範疇だ。だが、あいつはそこら辺もすっ飛ばした方向に考えを向けるかもしれねえ。…予想がつかねえんだ」
「―――…」
低く唸りつつ考え込む男を見やって青年はふん、と鼻を鳴らした。
「とにかく帰ろうぜ、もう用は済んだ」
黒いボストンバッグを背に引っ掛けて、政宗はさっさと踵を返す。
小十郎はその背を追おうとして、ふと背後を振り返った。
見上げれば、天をも覆い尽くす勢いで葉の落ち切った細枝が古寺の屋根の上に広がっていた。


Wither and die―枯死―



翌日、久し振りの登校日とあって、生徒たちの殆どが登校して来た。
ちらほら見掛ける欠席者はサボリか、はたまたテロを危ぶんで公共施設(特に地下鉄だ)への立ち入りを避けた結果と見られる。
「政宗どの!お怪我の方はもう宜しいんで?!」
教室に入って来た政宗を見るなり真田幸村が大声を張り上げて駆け寄って来た。その顔に手をやって政宗は苦々しげに口元を歪める。
「声がでけえ…」
「あっ、その…申し訳ござらぬ…っ」
政宗が席に着くと何時ものメンバーで周囲を固められた。幸村に続いて佐助、そして他所のクラスだと言うのにくっついて来た成実だ。
「2年の長曽我部と一緒に消えて戻って来たと思ったらもう一人別の誰かを連れて、しかも傷だらけと来た。そりゃ心配するでしょ、当然」
と言って、興味深げな視線を寄越して来るのは佐助だ。
「手前のは心配つーより好奇心だろうが」
「あら、やっぱ分かっちゃう?情報通の俺様としては、地下鉄爆破テロに一枚噛んでんじゃないの?って言うのが推測なんだけどねえ」
町中から雪の名残は殆ど消えていたが、あの夜を狙って起こされたテロに犯行声明は出されていない。
爆発物の種類から想定されるのは、IED(即席爆発装置)と呼ばれる、簡易手製爆弾を使用した爆弾テロによく見られる手口、と言うだけの事実だ。
その規模は、規格のない有り合わせの爆発物と起爆装置から作られるものの為ピンキリだが、榴弾砲の砲弾や不発弾、地雷などを幾重にも重ねて、戦車をも破壊出来るものも存在する。今回使われたのもそれだ。その上で、事件から1週間が経つと言うのに犯人から何の音沙汰もない。捜査は当然行き詰まりを見せていた。
テロには思想信仰などの主義主張を暴力と恐怖によって押し通す、と言う性格がある。そう言ったものが窺えない今回の事件は、愉快犯による無差別大量殺人と言う味方に流れていた。
佐助はそれを恐らく織田やその周辺と結び付けて考えているのだろう。
だが、政宗は「知らねえな」と受け流すだけだ。
「伊達政宗はいるか」
ざわついたグラス内に向かって戸口からそう声が掛かったのは、その時だ。
クラス中の視線を集めてそこに立っていたのは、2年の長曽我部だった。
政宗は黙って席を立つ。
「あ、ちょっと政宗、ホームルームは?」と慌てて成実は従兄弟を引き止めた。
「真田、手前が聞いとけ」
「え、政宗どのっ?!」
言い捨てるなり政宗は、振り返りもせず長曽我部と連れ立って教室を離れてしまう。「あとよろしくね」と言って、それを成実が追った。
「あらあ、駄目だね〜」佐助が彼らの消えて行った廊下へ視線をやりながら呟いた。
「…何が駄目なのだ、佐助」
「学生の顔じゃなくなっちゃってる」
「―――…」
ぎゅっと幸村の眉間に皺が寄り、そして幼馴染みの横顔から廊下の向こう側へと視線を投げやった時にはもう、クラスメイトの姿も影も見失っていた。

2人は本棟の階段を下りながら特にこれと言った会話をしなかった。成実は、そんな彼らの後にくっついて足早に歩きながら、2年の先輩の広い背中に向かって問い掛ける。
「毛利は、あんたの部屋?」
「そうだ」
素っ気ない返答は欠伸混じりだった。
ついでとばかりに大きく伸びをしてから元親が2人を振り向いた。
「一つ相談してえ事があんだけどよ、ゆっくり話せる場所あるか?」
問われて彼らが向かったのは、旧校舎の今は使われなくなった視聴覚室だ。室内に据え付けの椅子テーブルと大型モニターで、ビデオ教材の授業や音楽部員の練習場として使われて来たが、新棟に音楽室とミーティングルームが出来てからはそちらに生徒たちは集まった。どちらも防音機能がしっかり誂えてあるからだ。
狭い椅子とテーブルの隙間に体を沈めてからも、元親はそこからはみ出す勢いで大きな欠伸と伸びを繰り返した。
「何なんだ、さっきから」と政宗もさすがに呆れた調子で問い質す。
「寝てねえんだよ、ここ一週間まともに」
「何で?」と速攻で尋ねたのは成実だ。
元親は薮睨みの右目で暫し能天気そうなその鼻面を眺め、それから物問いたげな視線を政宗の方に向けた。
「気にすんな、俺のペットだとでも思っとけ」
「ペットって何だよ、政宗!」
「あーもー何でも良い、俺ぁ寝てねえんだ。とっとと本題入るぞ」
どうやら寝不足で頭が痛むのらしく、そう呻きつつ元親は片手で額を覆いながらこめかみの辺りをぐりぐりと揉んだ。
そうして気怠げに話された内容と言うのは、こうだ。

四国は土佐から東京に出て来た時に新しい住いは用意してあった。元親は渋る元就を宥めすかしたり脅しつけたりしてようやくの事で自分の部屋に連れ帰った。
その夜は腹の怪我があったのでなかなか寝付けなかったのだが、病院が診察を開始する朝9時までは休んでいたかった。
ともかく、疲労困憊だったのだ。
熱を持ってじんじんと意識を苛む傷に荒い息で耐え忍びながら、それでもうとうとしかかったのは朝日が燦々と照り出した時分だ。分厚いカーテン越しにも澄んだ陽の光が感じられるまま目を閉じていたのだが、ふとその光が陰った。
何だ、と思って薄っすら重い瞼を押し上げて見ると、青年の右だけの視界一杯に幼馴染みの端正な貌があった。
それだけならまだしも、元就は、何処に隠し持っていたのかメスのように細身のナイフを右手に持って今正に左手を元親の肩に掛けようとしている所だったのだ。
「…声も出なかったぜ……」と、この白眉の青年は口元をひん曲げた。
『何のつもりだ手前』と跳ね起きて問うのに、この冷やかな面をした幼馴染みは更に氷の刃のような口調で応えた。
『そなたの左目を今度こそ頂こうと思ったまでだ』



Having only the left eye.―左目―


[*前へ][次へ#]

3/15ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!