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―Tell me a reason.―
Break ― It's possible to cut a good thing and a bad thing off.
湿っぽい下水道の水を蹴りながら進んだ。
足音は2つ、そして会話はない。
流れで何となく着いて来てしまった長曽我部だとて尋ねたい事は山ほどあるだろうに、何を問う事もない。政宗にとっては邪魔の一言だろうが追い払う事もない。
何処からか差し込む非常灯の蒼白い光がタールのような水面で揺れる。時折、鼠や蝙蝠の上げる細く甲高い鳴き声が静寂を切り裂く。
レーダー上の赤い点は既に100メートルを切って接近を示していた。
「俺の左目な、幼馴染みにやられたんだ」
唐突に吐き出された台詞に、さすがの政宗も足を止めて振り向いた。
「人の持ってるもん、何でも欲しがる奴でよ」
自然、2人の歩みは止まる。
「こっちの眼、光彩異常で真っ赤なんだけど、そいつが欲しいっつって」
「くれてやったのか?」
政宗の問いに長曽我部は微かに首を振った。
「ガキのやる事だ、灼き切りゃ問題ないっつってたんだが、俺が泣き喚いて失敗した。―――まあ、当たり前だよな」
「―――…」
「あいつには、何でもくれてやりたかった」
「………」
「でも、そいつは間違いだって気付いた」
返す言葉はない。
こんなに暗い場所では互いの表情すら見て取れなかった。
「あんたは、その右目…誰にくれてやったんだ?」
最後の問いに政宗は鼻先で笑って応えた。
「くれてやったんじゃねえ、俺が、与えられたんだ」
「与えられた?…何を?」
「―――さあな、」
素っ気なく呟いて、政宗は再び背を向け歩き出した。
目標との距離は50メートルを切った。通風口を探して政宗の左目が下水道の壁面を舐めるように流れた。
そこへ、「こちらです筆頭」と言う微かな声。
声だけで姿の見えない伊達の者の導きに従って横道に反れ、狭い通路の壁面にあった鉄の扉を開ける。
強い風が吹き付けて来た。
遠くから、ゴーと言う列車が走る音も聞こえて来る。
扉の奥は身体を横にしなければならないくらい狭隘な道で、暫く行くと側面に大きな鉄格子が嵌っていた。それの一つが外されて丁寧に横に置かれている。「…ここを下って行くと現場の真上に出ます」声は忍びやかに告げて、最後にお気をつけて、と添えた。
彼らがひっそりと探すものは恐らく、仕掛けられた別の爆弾だったろう。地下鉄の駅内部にも紛れ込んで人知れず行動している筈だ。慎吾の言うように彼らの目的が明智ただ一人だとしても、それらを放っておく伊達家ではない。そうでなければ、政宗は自ら伊達と名乗る気にもなれなかったろう。
そうして、埃臭く僅かに生温い風の吹き付ける通風口へと身を滑り込ませる。

這って進むような通路の先に明かりが見えた。
そこから下を見下ろせば、瓦礫と屍体の直中に小十郎の背中とそれと対峙する青白い顔の男が見えた。
政宗はほんの僅か呼吸を整える間を空けてからその鉄格子をぶち破ってやろうとした。
が、
見開かれた男の狂気の瞳が自分のそれを射抜いた。
そうと認識した次の瞬間、耳を聾す轟音と衝撃に意識が持って行かれた。気を失う寸前網膜に焼き付いたのは、明智の狂喜する歪んだ顔で。
その後立て続けに起こった爆発音に脳髄も身も心も飲まれて行った。
「政宗!」
と誰かが己を呼んだようだが、彼の意識は一時ブラックアウトした。

恐ろしくスローモーに椀曲してバラバラになりながら堕ちてくる天井を、小十郎は見上げた。その視線を剥がした刹那、瞳で射止めていた狂戦士が地を蹴ったのを視界の隅に捉えてはいた。
だが、雪崩落ちて来る瓦礫の中に2人の青年の姿を認めた瞬間、意識すら目の前に迫り来る刃を忘れた。
別の場所でも立て続けに爆音が轟く。
本当だったら後退しなければならない所を、その場に踏み止まったまま顔を反らして左手へと身を捩ると言う愚かな行為をしたのは、チラと見えたその青年が見間違う筈のない人だったからだ。
背中と肩口に炎が点った、と思った。
ガラガラと降りしきる瓦礫の雨の中に頭から突っ込みながら、落ちて来る彼の制服を鷲掴んだ。尖ったコンクリに頭をぶつける寸前で両腕の中に抱え込み、そのまま身体を丸めて瓦礫と鉄骨の凶器が転がる地面へとスライディングする。

ゴン、ゴンゴン…

遠くでも崩壊を教える轟きが響いていた。
降りしきる瓦礫と破片が止んで、政宗は我に返った。
己の頭に手をやって隣に力なく横たわる小十郎の姿がその唯一の左目に飛び込むや否や、がばと跳ね起きて明智の姿を探した。
そこへ翳す、翳り。
光と影が交錯して揺れるのは、破壊された天井から細いコードでぶら下がる蛍光灯が爆発の余韻に右へ左へと揺れるからだ。それを背後にして隠し切れない愉悦の表情に満面を歪ませて、その男は立ちはだかっていた。
「ミイラ取りがミイラになる、…と言うんですよ、こういう場合……」
うふふ、と続くその笑いは虫酸が走る程気味が悪く、そして憎悪と嫌悪に油を注ぐ。
「弱い者の悲鳴でも…それはそれで心地良い…。良い声で鳴いて下さいね、…独眼竜…?」
片手が振りかぶられる。
政宗は上身を横たわる男の上に覆い被せながらそれを見た。

今、ここで、

首を刎ねられて終わりなのか?
果たすべき勤めも、本当に欲しいものも、やり直したい事も、もっと知りたかった世界も何もかも、ここで文字通り断ち切られてしまうのか。
―――絶望。
それがこの男の糧なのだ。
そうと気付くや否や、政宗の脳天から爪先までを一本の糸のような衝撃が刺し貫いた。
それは動け、と言っていた。
四つん這いの状態からそのまま前へ体を投げ出した。
ガキン
甲高い音を立てて、政宗の背後にあった天井の欠片が斜めに切り倒された。
前転しつつ左右の足を全くの真逆に振って体に捻りを加えた。片足は踵落としの要領で明智のいる辺りを払い、もう片方はそれ以上体が転がらぬように大きく広げる。両手が床を押し上げ、政宗はくるりと一回転して地面に着地した。
両脚は空を蹴ったが、上体を起こした片手は地面に転がっていた鉄骨を掴んでいた。
だが、やって来るべき第二陣が来なかったのは、政宗の体技に明智が面食らった為ではない。
長曽我部がその大鎌の間合いに入り込み、明智の両腕を掴み上げていたのだ。
「薄っ気味悪ィな…てめえ…」
「おや、新手のナイトのお出ましですか…?」
バチバチと爆ぜる漏電が男たちの顔色に一層の蒼を刻む。
「誰がナイトだ、こんな場所でドンパチ派手にやらかしやがって…」
言いながら長曽我部は相手の両腕をギリギリと頭上へ捩じ上げる。
男の手首は彼の掌に余る程細く脆弱に思われたが、実の所、自分と拮抗する腕力に長曽我部は人に見せぬ汗を掻いていた。
ギリギリと締め上げて、2人の両手が高く掲げられる。
大鎌が鉄骨を剥き出しにした天井まで届く。
「ああ…凄い力ですね…」
明智はうっとりと呟く。
そうしながら、両手を釣り上げられているにも拘らず薄い笑みが刻まれた顔面を長曽我部に近付ける。
「あなたは…どんな顔で泣くんですか…?」
間近で囁かれて、背筋を走り抜けた感覚は怖気だったか、
嫌悪だったか―――。
これ以上この男に触れていては大事な何かが奪われる、と思った。長曽我部は捻り上げていた両腕を更に捻りながら片足を蹴り上げた。
男の腹に決まる筈だった回し蹴りは空を切り、明智はどう言った体技を使ったか、ひらりと身を捩りながら後退していた。
それを追おうとした長曽我部の鼻先に、バシュアと言う音が風圧と共に降って来た。
それまでチョロチョロと何処からか流れ出ていた水が勢いを付けて吹き出したのだ。その茶色く濁った水は勢いを増す一方で止む事を知らない。それ所かあちらからもこちらからも、次々と吹き出す。
男の哄笑が耳朶を打った。
ざあざあと氷のような濁流があっという間に靴を浸す。
長曽我部は逃げ場を探して右目を慌ただしくその場に走らせた。
「おい、小十郎!」と政宗は地に伏せた男を揺さぶった。
気を失ったまま水没したら確実に溺れ死ぬ。荒々しくその肩を叩き叩き揺さぶると、うーんと一つ唸って小十郎が薄目を開けた。
「…堀の水が全て地下鉄に流れ込んだら、どうなるでしょうね…?」
狂戦士の上ずった声は実に楽しげに、興奮気味に言い放つ。
「電気系統は壊滅状態、当然電車は止まるでしょう…。地下鉄と地下階を共有している都内のビルの基礎にも浸水し、ビルは半壊もしくは倒壊するかもしれません。…更に水没した地下トンネルは復旧する事さえ出来なくなるかも…。高低差で考えたなら、ここ市ヶ谷から水は永田町へと流れて行きますね…。そうすると有楽町線、南北線のみならず、霞ヶ関辺りで千代田線、半蔵門線までが使用不可能となる。それに…今はこの寒さに雪……水に浸かった人々は、どれだけ保ち堪えられるでしょうか…?」
空恐ろしい予測が次々と並べ立てられる。
その間にも足下のそれは水嵩を増して、制服のズボンまでを濡らした。
小十郎が身を起こして明智を振り向いた。
「手前…」小さく呻きつつ、よろけながらも立ち上がる。
「東京に来た目的は、何だ…?」
地を這うような唸り声が問うて、明智はにんまりと笑んだ。
「…昔は東京に火を放つ事がクーデターの手段だったらしいですね…」
「クーデター…?」
「時の帝を奪還して政権を手にしようと計画したそうですよ」
「―――…」
政宗が前へ足を踏み出そうとしたのを、小十郎はその肩を掴んで停めた。
「でも、そんな直裁的なやり方は現代では流行らないし、面白くも何ともないでしょう…?…例えば、こんなのはどうです?…日本国民一億総人質を盾に、国家の象徴を自由に動かす、とか―――…」
険しい表情を強張らせる3つの面々に囲まれて、思わず明智は失笑する。
「…例えば、の話ですよ…。けれど、私たちはこれくらいの事が容易く出来てしまうのも事実……。さて…ああ、冷たいですね…退散しましょうか…」
ゆらり、と上体を揺らした細身の男に向かって2つの影が動いた。
「政宗様!!」
政宗と長曽我部だった。
2人が全く別々の方角から、あるいは掴み掛かりあるいは殴り掛かる。そこから得体の知れない動きでするりと抜けた明智。その彼が降り立ったのは数メートルは離れている改札の機械の上だ。
「……のやろ…」と長曽我部が呻く。
「…いいんですか?私になど拘っていて…」
言い掛けた男の声を突如降った轟音が遮った。

ドオン

一際大きな轟きが、質量すら伴って鼓膜を震わせる。それが辛うじて残っていた天井を丸ごとぶち抜いて、水の塊を吐き出した。

逃げ場などない。
水は一瞬で全てを呑み込んだ。


Break ― It's possible to cut a good thing and a bad thing off.
―断絶、良い事も悪い事も断ち切る事は出来る―

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