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―Tell me a reason.―
The blank of the heart.
翌日、季理子のチームがやって来るまでに凡その資料は整った。だが、どうしても間に合わないものもあった。
それに関して季理子は可でも不可でもなく、ただ「その辺は後回しにする」と言った。そうしてチームは動き出した。
過去数年間のキャッシュフローがそれぞれの企業ごとに読み出され、グラフ化される。納税記録と収支の比率が計算され、給与や社会保険の支払いなどと付き合わされる。
あるいは土地の権利に付与される条件や保証が吟味され、株や為替の取引に不正や無駄がないか洗い出される。
成る程、6人それぞれが己の勤めを理解していて、チームリーダーの季理子の指示を仰ぐ必要もなく集められた資料は噛み砕かれて行った。
あの葵ですら、段ボールを持ち運ぶ事やPCソフトの設定に戸惑っていたのが嘘のように彼女の専門分野である行政書士としての裁量を遺憾なく発揮した。
今まで作られて来た役所や警察、保健所などへの許認可に関する申請書類を、その目的と効果、事実証明としての存在価値のレベルから再吟味してランク付けして行くのだ。

小十郎、綱元、文七郎が今日も書類集めに駆けずり回っている間、政宗と成実は彼らが次々と作成する資料に眼を通した。通すと同時に説明を求める。
彼らは自分の仕事に誇りを持っていて、そして自信にも満ち溢れていたので懇切丁寧に教えてくれた。
公認会計士の男、松本康志は利益や純利益と粗利や売り上げなどのバランスを、幾つかの企業をモデルに簡潔に説明してくれた。その事で、例えものが売れても黒字倒産と言う現象が起きるのだと知った。
税理士の女、樋口靖子は軽い口調で納税義務に対する穴がある事を青年らに教えた。年末調整で無理矢理消費される経費など愚の骨頂だとも言った。
情報処理専門の男、金口護は自分の仕事を最初説明する事に積極的ではなかった。だが一度口を開くとやたらと饒舌で、しかもIT用語を多用するので聞いてる方はさっぱりちんぷんかんぷんだ。
「コンピュータに関しては専門家に任せた方が良いですよ、ソフト面での相談には乗れると思いますけど」
「ソフト面?」
「…例えば、もっと見栄え良くしてくれ、だとか分かり易い表示にしてくれ、だとか」
「成る程ね」
政宗は隣の成実と顔を見合わせた。

彼らが夕方6時過ぎには三々五々引き揚げて行った後に、小十郎たちもほぼ目処が立って伊達屋敷に帰って来た。
これに喜多が加わって夕飯を済ませると、今日1日で作成された資料を元に彼らなりの検証を行った。
「成る程…分かり易いなあ」と唸るように零したのは綱元だ。
彼も社労士としての免許を持ち、幾つかの会社経営を任されている身ではあったが、やはり客観的な視点での自社の検証と言う点では彼らに及ばなかったようだ。
「小十郎、お前法律には詳しかったわよね?どうなの?」
リビングのテーブルに纏められたファイルの1冊を置きながら義姉が尋ねるのに、小十郎は肩を竦めて見せた。
「舌を巻いてる所です」
法律に対する知識と、それに裏付けされた文書だと言うのは一見して見て取れた。若いのに、いや若いからこそのバイタリティだったか。
「コンサルティングオタクだね、あいつら」
成実の軽口にも苦笑するしかない。実際、道を究めた者をオタクなどと呼ぶのは日本くらいなものだろう。
「政宗様、いかがですか?」
最後に話を振られた本人は、ファイルから左目だけを挙げた。
「面白えんじゃねえの?これぐらい作り込んでるもんの為なら、ジジイどもの矢面に立っても良い」
「では、引き続き作業を進めてもらいましょう…。ここに彼らが今日提出して来たスケジュール表がございます。眼を通しておいて下さい」
配られたコピーにはみっしりその行程が書き込まれていた。
政宗は呆れた。これを1ヶ月でこなそうと言う彼らのチャレンジ精神を好ましいものと捉えていてもだ。
―――葵の奴は付いて行けるのかね…。
そんな要らない心配までしてしまう。
ふと、綱元がふわぁなどと言いながら大欠伸をかました。つられて小十郎も欠伸を噛み殺している。
「ふふ…、2人とも今日は早く寝なさい」言って立ち上がった喜多は、傍らに置いてあった自身のハンドバックを手に取る。
「…姉さんは?」
立ち去りかけて振り向いた女傑は、色っぽい口元に悪戯げな笑みを浮かべて「根回し」と告げた。
何のかまでは聞けなかったが、聞かない方が身の為だとも思えた。

風呂上がりにリビングで雑誌を眺めていたら、もう寝たものと思っていた小十郎が出掛ける身支度をして2階から降りて来た。
「…何だ小十郎、これから出掛けるのか?」
「は、この間の使い込みの件で動きがあったそうなので確認に」
「―――それは、お前がしなきゃならねえ事なのか?」
視線を反らして告げられる言葉には、何処か小十郎を責めるような色を帯びていて男を戸惑わせた。
「今はコンサルタントが入っている事ですし、伊達グループの中でもあの企業は小さい方ではありませんから」
「ふーん」と気のない相槌を打って、見てもいない雑誌をさも眺めているように振る舞った。
と、そこへ、ふわりとした空気の移動が頬に触れ、かと思う間に温かい掌に額を覆われた。
「―――…」
「痺れや怠さは、もうありませんか?」
「………」
ソファの背凭れ越しに回された掌と、背後から降って来る声音にふと身を任せた。こいつは本当にヒトを甘やかすのが巧い、などと感じ入りながら。
「…政宗様?」
「Ah、…I am in good condition….(調子はいい)」
ぐい、と政宗は小十郎の手を無視して顔を仰け反らせた。直ぐ真上にちょっと驚いたような表情の男の顔があった。
「Does not you need to be decide it soon?(お前の方こそ、そろそろ観念しなくて良いのか?)」
「え…一体何を…?」
言い掛けたのが途切れた。
政宗の額を覆っていた左手首が、不意に無造作に掴まれたからだ。
逆さで見つめ合う事、暫時。
政宗はその唯一の瞳を閉じつつ手を離した。
「行って来いよ…疲れてるだろうから運転には気を付けろ」
そう言って頭を起こす寸前、その口元に刻まれていたのは形こそ笑みであったのに、何故か小十郎の胸を突き刺した。
だがそれ以上は何を語りかける事も許さない気配だけが政宗の後ろ姿にはあった。
「行って参ります」短くそう告げると男はリビングから出て行った。

何を観念しなくてはならないのか、その事がぼんやりと頭の周りを覆ってまんじりともしなかった。
ただその直前、小十郎の胸の中を満たしていたのは、全幅の信頼に身を寄せられた事への満足感だった。
あのような幸福なら永遠に続いてくれれば良いのに。男としての、いや雄としての性が穏やかさとは無縁の醜い情動に自らを駆り立ててしまう。
愛しているからだ。だからこそ体は体を求め―――。
愛しているから、

貴方と真実、向き合えない。

政宗の父・輝宗に生涯の全てを捧げ、そして殉じた遠藤基信。あの男の中にも自分と同じようなモンスターが潜んでいたのだろうか。そして彼はそれを最期まで己の胸の裡に隠し通して逝ったのか。
だから、彼の心の一部は生きたまま壊死していたのだろうか。
―――私のようにはならないで欲しい。
そう小十郎に告げた男の、しっとりとした表情を思い出す。

30分程で到着したその会社の2階事務所だけが夜中にも関わらず煌々と明かりを灯していた。
小十郎には自覚があったし、予感もしていた。
自分を呼び出した経理の女は嘘を吐いていて、そしてそれを自分は許してしまうだろうと言う事を。
―――確かに…欲求不満かも知れねえな、こりゃ…。
駐車場に車を停めて、そこからエントランスへと上がる階段に踏み出した時、男の口元には自らを嘲笑するものが浮かんでいた。


The blank of the heart.
―心の空白―


大学から戻って自分の部屋に入った虎哉は、明かりを点けるなりソファから上がった呻き声に眼を見開いた。
「政宗様…如何なされたのです?」
デスクに鞄を置きネクタイを緩める、その一連の動作の中で虎哉は今しがたまでソファで眠り込んでいたらしい青年に声を掛けた。
政宗は今自分が何処にいるのかを確認した所だ。「ああ」と呟いて男の帰りを待っている間に眠ってしまった事に気付く。
「明日もコンサルティングの作業がおありなのでしょう?眠らなくて良いのですか?」
「虎哉」
「…何ですか?」
「お前、結婚しないのか?」
「―――…」
深夜の教師の部屋でわざわざ待ち伏せしていて問われる質問がいきなりそれとは、と虎哉はほんの少し考え、そして考えるのをやめた。戸惑う相手の腹を探る事などこの場合、無意味だったからだ。
上着を脱ぎ、ソファの背凭れに掛けると虎哉は政宗の向かいに腰を下ろした。「酒でも用意しましょうか?」と微笑みながら尋ね返してみる。
「いきなり何で酒だよ」
「いえ、飲んだ方が口が回り易くなるかと思いまして」
「俺の発作は…」
「酒が契機になるのでしたっけ?ですが今はだいぶ快復されたと窺っております。もし発作が起きたら虎哉が薬を飲ませて差し上げますよ」
「……んじゃ、もらう」
不貞腐れた風ではあったが、嬉しそうな雰囲気を纏って政宗は言った。



They make it up in a fraud.
―それはまやかしで埋めるもの―

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あきゅろす。
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