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―Tell me a reason.―
Each private.
しばらくソファに横になってぼうっとしていたら、何時の間にか蒼白い光がブラインドの隙間から差し込んで来ていた。
小十郎は物憂げに腕時計を見やり、夜が明けるのが早くなったもんだと思いながら上身を起こした。首筋や顔にべっとりとした汗の感触が残っている。それについてちょっとだけ苦い思いを抱きながらも直ぐに忘れる。
考えてみても仕方ない。大概、彼女らは勝手に近付いて来て勝手に立ち去るのだ。人の心が弱くなっているのを鋭く嗅ぎ取って。
仙台市にあるその伊達グループの事務所から出た小十郎は、人通りが少ないのを良い事に伊達屋敷までロードワークとばかりに走り抜けた。
屋敷に着く頃にはワイシャツも黒いスラックスもドロドロで、朝食の準備に忙しく立ち働いていた女中らに風呂へ入れとせっつかれた。
リビングに焼きたてのパンやスクランブルエッグの香ばしい香りが漂い、ぼちぼち人も集まり始める頃に風呂から上がって来た小十郎に対して「お疲れ〜」と言う声が上がった。
欠伸を噛み殺しながらの成実の言葉だ。
「どうだったんだ、小十郎?」と苦い顔で尋ねて来たのは綱元だった。
小十郎はテーブルに着きながら小さく唸った。
「使い込みの事実を確認しました。誰がやったのかも凡そ」
「誰だ?」
「課長の1人です」
確実な事が分かるまでは名指しをしない小十郎の慎重な態度に、綱元は満足したような、がっかりしたような複雑な表情を見せた。
社内の不正は別に珍しい事ではない。グループ企業の従業員は下っ端や子会社、孫会社などを併せれば数千人に上る。そんな中では様々な思惑が働き、様々な立場があって当然だった。
「以後、その課長の上司と経理の人間に経過を監視してもらうように計らいました。証拠を掴んだら懲戒免職ですね。もしくは海外に赴任してもらうか」
「石巻湾に沈めたりしないのか?」と言い差して来たのは政宗だ。
それに対して、小十郎と綱元は顔を見合わせ苦笑した。
「そう言った事は昔ならともかく、今は…」その表情のまま綱元は語尾を濁した。
「うちが暴力団だって事、すぐ忘れちまうよな」
「そうそう、こないだの取締役会だって俺らにサインやら握手やら求めて来たの、あれって素人さんだろ?なーんか拍子抜けだよ」
政宗の言葉に成実も勢い込んで乗って来た。
そこへ、喜多と虎哉が前後してリビングにやって来ると徐ろに朝食が始まる。
「何が拍子抜けなんですの、成実様」と早速尋ねて来たのは喜多だ。
「や、だってさ、伊達家継いだら斬った張ったの騒ぎとか、オトシマエとかユビキリとか普通に見られるのかと思ってたのにさー」
「…成実様は町中を歩いていてその筋の人とすれ違った事がおあり?」
喜多は余裕ありげに微笑みつつ、そう尋ね返して来た。
「んー、ないかなあ。夜の国分町歩いてても、いかにもって奴見掛けないよね」
「虎屋横町の性風俗店が宮城県警の摘発を受けて総ざらいされたのは、資料の新聞にあったから覚えてらっしゃるでしょう?日本中どこもかしこもそうした動きが活発になっているの。今や表立っては活動出来ないのが暴力団の現状ね。ただアンダーグラウンドへ潜り込んで上手く立ち回る事が生き残りの道かしら。海外のマフィアに対する抑止力なんて警察の面子にかけても認められない事でしょうし、日本の暴力団にはもうそんな力はないわね」
「だから普通の会社っぽくする訳?」
「それもありますけど、伊達が目指している所はもう少し違う所でしょう。普通の企業でも平気で犯罪行為をするものは絶えた試しがありません。私たちはそれすら逆手に取ったり利用したりして利益を上げて行くものだと思いますわ」
「悪い奴らの更に上を行こうって?」
ふと口を挟んで来たのは政宗だ。
「でないと、警察や一般人に潰されてしまいますからな」
綱元は物騒な事をさらりと言って退けた。
「その為にも私たちは通常を遥かに上回る能力と体力を求められてるのですよ」
弟の言葉を受けて喜多はそう言うと、コーヒーに口を付けた。
「能力と体力?」
「法令に関するあらゆる知識と、物理的なトラブルに対処する具体的な力、ですわ」言って喜多はいよいよ本題と言うようにテーブルに肘を突いて身を乗り出した。
「経営コンサルティングと顧問契約を致しました。本日、彼らがやって来ますので早速お会いして頂きます」
「…経営コンサルティング?」
何をするんだ?と言うように政宗と成実は訝しげな表情を小十郎と綱元に代わる代わる向けた。
高校の選択授業で経済学を学んでいたが、あれは社会全体あるいは一部を対象として統計学や心理学、認知科学による行動実験を用いた人文科学・社会科学の中において数理的検証を試みるものであったから、実際一つの企業に関わるコンサルタントが何をするのかなど彼らにはさっぱりだった。
「ま、会ってからのお楽しみ、と言う事ですな。な、小十郎?」
綱元に話を向けられた小十郎ははっとして我に返った。
「お前…一回寝た方が良くないか?貫徹だったんだろ?」
「あ…いや、大丈夫ですよ綱元さん」
「小十郎」
呼ばれて、小十郎は思わず姿勢を正しながら義姉を振り向いた。
「コンサルタントが来るのは10時、それまで休んでなさい」
「……はい」
彼らに渡す資料作りなどの準備があるのだが、と思いつつもこの女傑には逆らえなかった。多分、小十郎だけでなく伊達に関わる男は皆そうだろう。彼は食事もそこそこに席を立った。



朝食の後、政宗と成実は虎哉に呼ばれて彼の部屋へ赴いた。
彼の大学での講義は午後からと言う事もあり、政宗が少し前にパニック障害のような症状を起こしていたのを知ってからは時折、彼はこうして2人を揃って自室に招いた。
ちょっと懐かしいが、子供の頃「お絵描きの時間」と称して情操教育の一環を担っていた虎哉の提案だ。リラックスの為に音楽を聴かせたり、文学を読み聞かせたりした。
今日は「馨る音楽」とも言われるインドネシアの民族音楽、「ガムラン」の生演奏をブルーレイディスクに録画したものが流された。
民族衣装を身に纏い、黄金の龍が装飾された打楽器に向かって胡座を掻いている人物たちがずらりと舞台の左右に並んでいる。その中央を同じく華麗な民族衣装に身を包んだ美しい女たちが花を降り蒔きながら優雅に舞う。
「うわー、すげえエキゾチック〜」と成実が評したように、その音色といいメロディといい、東南アジアの密林と王宮を思わせるような魅力のある音楽だった。太鼓以外は青銅製の打楽器だと虎哉は説明したが、その打楽器がこれ程まろやかな音を出せるとは意外だった。ピアノのそれにも近いが、それより更に柔らかで長く響いて空間を漂う。
「でも何か、懐かしい感じもするな」
ソファに深く腰掛けリラックスして目を閉じつつ音楽を聞いていた政宗がポツリと呟いた。
「あ〜何か分かる。子守唄みたいな感じ?俺また眠っちゃいそう」
そう言って間もなく成実は本当に眠ってしまった。
ソファの一人掛けに腰を降ろして無言で画面を眺めていた虎哉が、不意に顔を戻して政宗の静かな横顔を顧みた。
「以前からお聞きしようと思っていたのですが…」と男は音楽を邪魔しないひっそりとした声で言った。
「政宗様には付き合ってらっしゃる方はいないんですか?」
「……いきなり何だ、もう跡継ぎの心配か?」
目を閉じたまま、全く相手にしていない口調で政宗は返した。
「ステディな方がいらっしゃると人間落ち着くものです。貴方が滅多に人に弱音を吐かないのは存じておりますからね、そんな方の1人や2人見つけたらよろしいのにと思ったんですよ」
「―――1人や2人って…」
「特にSEXは究極のコミュニケーションツールです。体だけでなく心まで繋がれば、味わった事のない安心感が得られます」
「……………」
政宗はソファに預けていた上身を起こして、胡散臭い預言者を見る目で虎哉をジト見した。見られた方は飄々としてもので、年齢不詳ののっぺり顔に何時ものアルカイックスマイルを浮かべている。
「別に私は倫理についてとやかく言うつもりもありません」
そうとまでこの男は宣った。
「そのうち、最上なり芦名なりが娘を貰ってくれって話を持って来るまでの自由の身、って訳か」
「まあ、そうでしょうが、勿論断る事も可能ですよ?」
「―――…」
黙り込む政宗に対して、ふと虎哉は表情を和らげた。
「もしかして、気になる方がおありなのでは?」
男の台詞に乗ってガムランの曲調と音量が不意に山場を迎えていた。
スピードが上がり、折り重なる音響に音響が乗せられ、シャーマンがトランス状態に入るような酩酊感を煽ってクラトンは煌めく。その高まりが極まり、やがて終に曲はスローになる。
ゆったり大地を踏み締めるようなテンポで楽曲はエンディングに向かっているのだと教え、祈りつつ、腰を降ろすような静けさで一曲目は終わった。
二曲目が始まるまで政宗は男から目を反らしたまま、黙り込んでいた。
「その方とは道ならぬ恋、であるとか…」
「カンベンしろよ、虎哉。そっち方面まで今から面倒見られなきゃならねえのか?」
不貞腐れてソファに身を投げ打つ青年を、微かに笑って虎哉は首を振った。
「いずれ私などより余程煩く仰って来る御仁はきっとおられます。今から覚悟なさって下さいね」と、やんわりと言い返しつつ。
これには政宗は溜め息だけで応えた。



Each private.ーひとり、ひとりー

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