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―Tell me a reason.―
Divine will.
「慶次!!」
胸を抉られる程の痛みに、呼ばれて顔を上げる動作は緩慢だった。
飛びつくように走り来った拓巳は跪いたまま背後を振り返った。
慶次と松永の間に割り入った形で両手を広げ、梟雄から親友を庇うように。しかしその全身もびしょぬれで、ガタガタと合わない歯を噛み締めつつ正気を保っているのがやっと、と言う有様だ。
松永は拓巳の必死の形相を詰まらなそうに見下ろした。
「最低や…あんた最低や!こないな小さな子供に…何て事…」
泣き喚く声を、慶次は遠く聞いた。
心がぐらぐら揺れて悪酔いしそうだ。ほんの僅か、男に対して同情を抱きかかった自分が信じられない。秀吉の口からねねを殺したと言う事実を聞かされた時と同じだ。何が善で何が悪か、何が正しくて何処を間違えたのかさっぱり分からなくなる。
目を、閉じてしまいたかった。

ドン

それが、背に受けた衝撃に蘇った脇腹の痛みと同時に慶次は我に返った。振り向き、松永以上に冷徹な眼差しで自分を見下ろす政宗と視線が絡み合った。彼は、裸足の足裏で慶次の背に蹴りを入れた姿のまま、無言で松永を顧みた。
辺りに祇園祭の欠片も残ってはいない。
静かな雨脚、そして無言の刻。
ぐ、と慶次の背を踏む足に力が加わって、次の瞬間には政宗の体は宙に舞っていた。
矢のように飛ぶ政宗。
そしてそれを微動だにせず迎え打つ松永。
政宗は両手の打刀を全く別々の奇跡を描いて振るった。
「苛烈―――!」と松永は口の端を歪ませながら嘯く。

ガガッ

両手の斬撃の内一撃は完全に撥ね除けられた。
もう一撃はタイミングを外したフェイントで、一度振り下ろしてから横へ薙いだものだった。
威力は半減していたが、思わず庇うように上げた松永の左腕を浅からず斬りつけていた。
一方、ただ防御に回ったのではない松永の直刀は、政宗の利き足に当たる右の太腿にざっくりと朱の華を咲かせていた。
地に降り立ち、大地を踏み締める毎にその傷からどっと血が吹き出る。
「迷いのない眼は私も好きだよ…それが例え片目でも」
松永は慶次を無視して政宗を振り向いた。
「ただ、こんな何の価値もない者たちの為に卿の命を賭ける必要はあるのかね?私を殺してしまっては、信長公の居所を聞き出す事も出来なくなるが、それで良いのか?」
「口の減らねえ野郎だ…」
表情のない声で、蒼白い容貌をひたと向けて政宗は嘯いた。
「手前なら死んだ後でもべらべら喋るだろうから心配してねえよ―――それに」
「それに?」
「一度、闘争に火を点けちまったんだ、責任取りやがれ」
吠えて、政宗は両手にした左右の打刀を火が点りそうな勢いで振り払った。松永が評したように迷いのない独眼から闘気が溢れ出す。切られた腿の痛みも忘れて踏み込み、庭木ごと松永を叩き切らんと白刃を踊らせる。
夜の帳に刃と刃が噛み合う世にも美しい音が響く。
松永の斬激はガタイの逞しい慶次でも受け流すのがやっとだと言うのに、それよりも一回り小柄な政宗が片方ずつの打刀で防御と攻撃を交互に、あるいは同時にやって退ける。
それを呆然と見やっていた慶次は大長刀に縋りつつ立ち上がった。
片腕には力なくぐったりとした勇午の体が抱えられていて、それが降りしきる雨にか徐々に冷たくなって行く。慶次の心の中も。
「慶次…」戸惑いに揺れる拓巳の眼が、そんな友人を捉えた。
「勇午を連れて…ちょっと離れててくれないか」
吐く息が、雨の中仄かな血臭を漂わせた。
「…に、言うてんのや!腹から血が出とるやないか!!」
「あいつに…、松永に代償は支払ってもらわなきゃ…」
「慶次!」
言い募る拓巳に半ば無理矢理、勇午の体を押し付けた。



政宗と松永が激しく刃を交え、庭木を破壊しつつ移動を重ねている所へ慶次は飛び込んだ。
鍔迫り合いをしている2人を掻き分けるようにして大長刀を振り下ろす。2人が飛び退り地面に食い込んで止まったそれを、土を撥ね除けながら横殴りにぶん回した。
右へ振り切った所へ後ろから強力に殴られた。間髪入れず、それへ向かって左手を添えた大長刀をくるりと旋回させる。腹から血が吹き出た。
反対側に回った政宗が、退こうとした松永の左へ両手の打刀を叩き込む。
それを松永は二本とも跳ね上げ、更に襲って来た大長刀の刃から飛び退った。
政宗と慶次の連撃を悉く読んで先回りしているとしか思えない動きだった。そしてその証拠に、片手で直刀を操る男の口元には楽しくてたまらない、と言った笑みが消えず、時折気紛れに政宗の腕を慶次の膝裏を掠めるように斬りつける。
無言の激烈な攻防、それは一見不利と思える松永の支配下に未だあった。
縁側に勇午を横たわらせた拓巳は、それを振り返って唇を噛んだ。
自分だって奴に一泡吹かせてやりたい。だが、触れれば忽ち炎を上げそうな彼らの闘争に近付く事さえ出来なかった。
ふと、ここに来る前に左月と名乗った男から貰い受けた物がGパンの背に差してあったのを思い出した。
―――どうしてもヤバくなったらこれを使って逃げろ。
そう言って、書斎で気を失って倒れていた見知らぬ男の手当をしていた左月は、銀色の筒状のものを拓巳に渡したのだ。それを取り出し、端から出ていた紐を引き抜く。
バシュ
と火薬の立てる火花が上がって、激しく煙を立て始めた。
拓巳は3人の闘争の場に水を差すべくそれへ走り寄って、もうもうと黒煙を上げる銀筒を放り投げた。
「逃げろや、慶次!!」
煙に包まれる前に拓巳は彼らに向かってそう叫んだ。
叫んだ途端、風が流れて暗い灰色の煙は拓巳をも覆い尽くした。だが、視界の完全に効かなくなった中でも幻のように刃の噛み合う鋭利な音は続いていた。
まさか、こんな、足下さえ見えなくなる煙幕の中で彼らは真剣を振り回しているのか、と息を呑んだ。拓巳は音源を探りながら右へ左へと、ちょっとずつ歩を進めて行った。
「…おい…慶次…?」
すぐそこでガキ、と刃の噛み合う音がしたかと思えば、壁に何かが激突したかのようなドゴンと言う轟きにびくりと肩を跳ね上げる。
「…けい……」
「贄に、なってみるかね…?」
ふと、耳に息が掛かる程の側近くで囁かれた男の声。
そしてトン、と軽く背を突き飛ばされた事で煙幕の中に二、三歩踏み込んでいた。そこへ、風の唸り声を上げて巨大な刃が飛び出して来て、拓巳はそれを腹に抱えるようにして喰らった。
息が詰まった。
骨のない柔らかなそこはさくり、と刃を容易く食い込ませる。そうして、力任せに振り抜けられるのへ腹の肉は真っ二つに切り裂かれた。ガヅン、と背骨に突き当たって体は弾かれ、刃はその脇を通り抜けて行った。
衝撃は感じた。
自分が地面に倒れたらしいのは分かったが、背にも掌にも何の感覚もなかった。煙幕のせいだけではない、視界の悪さに息苦しさが重なって思わず咳き込んだ。それが訳の分からない激痛を呼んで瞼を堅く閉ざした。
最期に、慶次の声が自分を呼んだような気がしたが拓巳の意識はそれきり、ふつと途絶えた。



「拓巳!!!」
慶次は大長刀を振り切った後に自分が何を斬ったのかを知った。
「終に己が手で友人を屠って見せたかね…」
言葉の後に、煙の向こうで松永は声を上げて笑った。
「欲しいものを手に入れる為には多少の犠牲は仕方ない、そんな事は分かっている筈だ。卿らにはその覚悟は出来ていただろうか?」
わんわんと松永の言葉が脳内に響き渡る。
消えろ、消えてくれ。
と、祈りにも似た思いが沸き起こった。
打ち続く喪失の事実が慶次の中からごっそり闘志を奪い取って行く。
勇午だけでなく、拓巳まで。

しかも、この手で―――!

「まだだ…まだ終わっちゃいねえ……」
煙幕の別の場所から、地を這うような唸り声が聞こえて来た。
「手前が言ってる事はガキの屁理屈だ…」
「ほう!」と松永はさも嬉しそうに声を上げた。
「破壊衝動をそのような言葉で正当化するのが卿のやり方かね?それこそ乱暴で短絡的な思考回路ではないのかね。私を論破する程の倫理を持ち合わせていない故に力尽くで捩じ伏せる、それが今卿のやろうとしている事だ、違うかね?」
「Ha!手前ごときにゃそれで十分だ!!」
しつこくわだかまる煙幕の中でそうした言葉の応酬がなされ、激しい斬激の連続が打ち鳴らされる。
慶次は、地面に横たわる拓巳の傍らに跪いていたが、左手に携えた大長刀の重さを量るようにそれを握り締めた。1メートルを越えるその刃には友人の血糊がべったりと張り付いて、神威を感じさせていたそれをただの生々しい凶器にと変貌させていた。
そうだ、これは宝物なんかじゃなく、ただの凶器なのだ。それを手に取り振り回した以上、何かを破壊する結果は眼に見えていた、筈。
―――でも、それがお前じゃなくたって…。
泥沼に落ち込みそうになっていた慶次の耳に、鋭い音が飛び込んだ。
雨と吹き渡る風が徐々に煙を薄らげて行く中に、政宗と松永が未だに刃を噛み合わせているシルエットを浮かび上がらせる。

―――あんた、須佐之男命になろうって?

そう言った自分の声が蘇った。
何度も、何度でも、政宗は投げ出す事なく奴に挑み掛かる。
それは、慶次に思い出させる。

今、成すべき事は何だ、と。



Divine will.
ー神意ー

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