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―Tell me a reason.―
Disappearance.
雨の雑木林にバイクを停めて、それに跨がったまま左月は携帯を所在なしに弄っていた。
仙台からこちら、松永久秀の動向を追っていた彼は、これまでの経緯を松永視点で見ていた。
厳重な庇護の元、日々を祇園祭の為に潔斎精進していた稚児を、あのライダースーツを纏った寡黙な若者に見事攫わせ、大長刀を持って勇んでやって来た慶次と拓巳をこの奈良郊外の屋敷に連れ去るまで。
―――さて、誰にこの事を知らせるか。
政宗が高校に上がり織田信長と言う脅威に出会ってからは、彼ら良直直下の諜報員は主にその動向を追う為に政宗からは離れて活動していた。東京に来ているらしい織田の塒を追い求める事は引き続き慎吾と涼太らがしているが、その居所はふつと途絶えて気配も見せなくなった。
そこへ降って湧いた誘拐騒ぎである。
松永の行動はどう考えても奇妙だった。織田の意志に呼応しているとは思われなかった。趣味の古物集めをただ淡々と楽しんでいる、それだけだ。
普通に考えるなら祇園祭を軸として引き起こされたこの事件は、警察に任せるのがスジだ。長刀鉾町会長はそのように判断して、実際行動している。伊達家としてもこれにわざわざ首を突っ込む必要はない、輝宗はそう考えるだろう。
左月は、次期頭首と目されているあの青年の顔を思い出した。
松永が慶次を評して言った「幼稚な正義感」そんなものが彼にもある、と左月は思っていた。
幼い頃から冷淡に人界の裏側を見つめ続けて来た彼にとってはそれは、唾棄すべきものだった。何処か松永の言い分に頷く自分がいるのを感じる、それは冷笑的な一面だ。
ふと細く息を吐いて、左月は内容を打ち込んだメールを送信した。
顔を上げた彼が、落ちた松の葉の敷き詰められた地面にダイブするように転がった時、ようやく人の気配が湧いた。
スタンドを立てて停めたバイクのシートの上にすくと立つしなやかな姿態だ。
大柄でもなく、又筋肉質でもない。だが鋼のように強靭な力強さをその物静かな立ち姿に感じる。
左月は耳の下辺りから伸ばしっ放しにした毛髪がはらりと零れ落ちるのを感じ取って、首筋に鳥肌を立てた。正に間一髪で急所を狙った一撃から逃れられたのだ。
―――気付かれていたか…。
地に手を突きながら膝を上げた。
そこへ矢のように飛んで来る青年の体、バイクを倒す事のない跳躍だったが横に転げて逃げるのがやっとだった。
青年の右手の中で銀色のものがギラリと鈍く輝いた。
左月もイエローコーンのライダージャケットからピンナイフを取り出す。
リーチは互角、だが身体能力は。
青年が地面に手を突きながら低く回し蹴りを放った。
飛び上がってそれをやり過ごした左月は、信じられないものを見た。ふわ、と風が吹き付けて空中で顔を上げた所に右手を振りかぶったライダースーツの影が浮かび上がっていた。
その体の周囲に雨が、散る。
右手に気を取られ思わず両手を上げた所へ、肋骨をへし折る程の膝蹴りが叩き込まれた。そして、詰まった息に硬直した視界の片隅で銀色の刃が閃いた。
左月の意識は闇に落ちた。



ガラガラガラ…

静かに町屋の戸を開いて、政宗は雨空を眺めた。
昼前から降り出した雨は降ったり止んだりを繰り返しながら何時までもだらだら続いていた。今、陽が傾いてすっかり薄暗くなってからは、時折家屋をミシミシ言わせる程の強風までも吹き始めた。
彼の傍らに小唄の師匠の詩織が立って、軒先から滴る雨粒を見上げた。
「やみそうにあらへんなあ…」
おっとりとしてそう言われて政宗は女を振り向いた。
「夕方からの神輿は出るのか、これで?」
「神輿さんにビニールシートを被せて出なはるで」はんなり笑いながら詩織は応えた。
「祇園祭はもともと梅雨が明けんうちに執り行われるもんやよって、雨に祟られるのは何時もの事ですから。晴れる方が珍しいんです。担ぎ方にはでも、涼みの雨かも知れまへんなあ」
見物に行かはるんなら傘お貸ししますえ、と言って彼女は奥座敷へと戻って行った。
詩織は今夜、鉾町連で行われる宴会に呼ばれている。その為、雨降りの中三味線の様子を見つつそぞろに小唄を流し唄っていた。
今も弦を爪弾きながら祇園小唄を口ずさむのが聞こえて来る。

 月はおぼろに東山
 霞む夜ごとの かがり火に
 夢もいざよう 紅ざくら
 しのぶ思いを 振り袖に
 祇園恋しや だらりの帯よ

アンニュイな声音にそっと添えられる三味線の音色。
ざりざり、と雪駄で土間の土を咬む音がそれに重なって、振り向くと傍らに小十郎が立った所だった。
神泉苑から帰って直ぐシャワーを浴び、服を着替えた彼らは雨降りを恨めしげに眺めやりつつ所在なく屋敷の中でダラダラしていた。多分そうした余暇を持て余した頃だろう、と小十郎は政宗の様子を見ていた。
「小十郎、橘ン所行くぞ」
だからと言って唐突に言われた台詞に素直にうんとは頷けない。
「祭の後始末でお忙しくしてると思いますが」
「……そうかな」
「?」
政宗は玄関口に用意してあった番傘を掴んだ。
そして、小十郎が呼び止める暇もなく、ばっとばかりに濡れた町へと飛び出していた。

長刀鉾町会の会所に着くと、長刀鉾は骨格だけを残してほぼ解体されていた。この残りは明日中にはバラバラにされて町会の蔵に仕舞われる。
青いビニールシートを被って、青い薄闇に黙然と立ち竦む長刀鉾は不吉な小山のようだった。
山鉾巡行が終わって直ぐ全ての山鉾が解体されるのは、巡行によってご神体に集められた疫病神が再び四散せぬようにと言う思いからだが、剥き出しの残骸は未だそこに不吉の影が宿っているように思われた。
会所の中は本来なら解体を終え、祭の大役を果たした町衆やボランティアの人々をもてなして、浮かれ気分の宴会場になっている筈だったが明かりは最低限にしか灯されていず、人気も殆どなかった。
鍵の掛かっていない小間口を潜り、片付けのすっかり終わった売店の跡を政宗は小十郎と一緒に眺めた。
畳んだ番傘が滴を垂らすのを片手に、小十郎は奥へと続く上がり框に寄って声を掛けた。
間もなく出て来たのは、素朴なスーツ姿の男だ。
「どちら様で?」
とそう尋ねるのに応えたのは、政宗だった。
「長刀鉾の稚児の件で橘会長に話がある、そう伝えてくれ」
何事かとその男だけでなく、小十郎までもが青年をまじまじと見やった。
間もなく2人が通されたのは、会所の一階奥にある神棚の祭られた一間だった。そこの和机に着いていた橘が政宗たちの姿を見ると訝しげに眉が顰められた。その彼も和装を解いて、今は会社役員のご重鎮と言ったスーツ姿だ。
「神泉苑で、お会いした方々ですな」
ま、掛けなはれ、と言われて政宗と小十郎は和机の前に腰を下ろした。
「で―――?」と話を促す橘に何処か変わった様子は見受けられなかった。
それに対して政宗は、やけに静かな調子で切り出した。
「前田慶次が今何処にいるか、知ってるか?」
「………」
橘に動揺はなかった。困った風に身じろぎして「お前さんは慶次の友達かね?」と尋ね返して来た。
「そんな良いもんじゃねえ。…稚児の少年は?昼間会ったのは、あれは禿の2人だろ。"神の使い"は何処行ったんだ」
「自宅に帰らはった…何が言いたいんや?」
「長刀の本物が今も無事にあると、確かめたか?」
「―――…」
狸の皮を被った橘をまるきり無視して政宗は話を進めた。唯事ではないその内容に小十郎はちらと青年を盗み見、そして橘の様子を観察した。
「お前さん方、何者や」
やけにドスの効いた台詞だった。
実直そうなガンコ爺、と言った体を成してはいるが、年相応の世界を渡って来たらしい。そんな様子に政宗は口の端を歪ませた。
「稚児を攫った奴にちょっと用事があるだけだ…。あんた、身代についちゃ警察に何も言ってねえだろ?ただ、稚児がいなくなった、それで捜索願を出しただけだ、…違うか?」
何処まで知ってるんだこのガキは、と言うように橘の顔が歪んだ。
「何の話やらとんと見当もつかへんな。寝言なら家帰って寝てからにしなはれ」
「手前の息子も一緒に見殺しか」
この一言にさすがの橘も豊かな鬢の下に血管を浮かび上がらせた。
「何が目的や」
「言ったろ、稚児を攫った奴に用がある。…あんたには覚悟を決めてもらう為に、こうしてここに来た」
「覚悟、……やて…?」
「何もかも失う覚悟だ」
政宗の言に橘は口を半開きにして固まった。



Disappearance.ー失踪ー


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