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―Tell me a reason.―
An ugly fact.◆
罠に嵌った、と思った。
この松永と言う男は人間心理の弱点を面白い程深く理解している。
例えば今の状況だ。
拓巳から慶次の身内の話を聞き出す。慶次は自身の弱みが次々に暴露されて行くのを止められない。言わなければ慶次は痛い目に合い、言えば拓巳は慶次を更に追い詰めて行く張本人となる。
拓巳に対するプレッシャーは並々ならぬものがあった。
「その、秀吉と言うのは以前、そこの友人と一緒に大怪我をした男か」
一通り話を聞いた松永が、新たな拷問道具を見つけて瞳を輝かせた。
一時は黙り込んだ拓巳だったが、二本目の指が持ち上げられたのを目にして「そうや!」と叫んだ。
「その者は今、どうしているのかね?」
「知らん…いや、ホンマに知らんのや。京都の大学病院に入院していた筈なんやけど、何時の間にかおらんようになって…」
「それでは、卿が知っているのか」
振り向けられた質問に慶次は目隠しの下の唇を噛み締めた。次に松永が口にする台詞は分かり切っていた。ぶつ、と切れた口腔内が血の味を滲ませる。
「…風の噂で、アメリカに行ったって聞いている……」
「何しに?」と情けない声で尋ねたのは、拓巳の方だった。
そんな話は全く聞いていない、仲の良い遊び友達だったのに何故一言も告げずに姿を消してしまったのだ、と。
「どうしたね、友人が訳が分からない、と言った顔をしている」
揶揄するような松永の声が耳障りだった。
「…開かれた眼を持ち、遥か高みを知っている……そんな人物がいないか、探しに―――」
「…何やねん、それ……」
くつくつ笑いが2人の耳朶を打った。
「己の身の程を知ったのだろう、秀吉と言うのは卿より賢明だったか」
「お前のせいだろう、松永!あんたが訳の分からない詭弁で秀吉を誑かした、だから秀吉は…っ!」
「人聞きの悪い―――。私は卿らが安っぽい正義感に駆られて私の仕事の邪魔をした、と言う事を教育してやったに過ぎない…。卿は何一つ学んでいないようだが、その秀吉とやらは少しは見込みがあったのだろう」
「そ、そしたら…慶次、ねねちゃんはどうしはったんや?!ねねちゃんが姿を消したんも同じくらいの時期やったやないか!!」
「拓巳!」
鋭く遮ったが、手遅れだ。
増々興味深い、と言うように男はソファから身を乗り出した。
「その、ねね、と言うのは?」
「秀吉の彼女だ」と応えたのは慶次だった。
拓巳に喋らせるよりは、と言う彼なりの思い遣りだった。だが、それも又松永の術中に嵌っている事を今は未だ気付かない。
「彼女と言うのが姿を消したのは、一緒に付いて行ったと言う事かね」
「―――…」
言葉が、なかなか出て来ない。
隣で拓巳が自分を凝視している、その視線が目隠ししているにも関わらず痛い程、突き刺す程感じられる。
本当の事を言う必要があるのか?嘘を吐くならどうやって纏める?いや、駄目だ絶対ボロが出る…しかし。
「…うぁ…っ!!」
唐突に上がった苦鳴に慶次は横を振り向いて、拘束された両手を伸ばした。
「拓巳?!おいっ……松永!!!」
「いや、あんまり待たせる卿が悪いのだよ、退屈になるではないか」
泣いているような呻き声は続いている。
幼馴染みがライダースーツの若者に何をされたのか、目隠しで見えないだけに心臓が締め上げられる程の不安が増殖する。
「………っ」
黒い布の中で慶次は眼を凝らした。
一見、紳士然とした外見の男は人間とは思われぬ事を平気でする。悪魔に魂を売り払ったとしか思えなかった。だからこそ、織田信長のような魔人に面白がって飼われているのだ。

「ねねは………秀吉が、殺した……」

心の中の虚ろに、自分の声が他人のそれのように響いた。
「ほう」
大して興味もなさそうに、だがいかにも面白いと言った風に松永は呟いた。
「卿はそれを止められなかった」
「………っ」
「そして友人を2人共失った」
何故、こいつの言葉はこんなにも身に応えるんだ、と慶次は歯噛みした。
分かっている―――。
目を反らそうと、否定しようと、忘れようと努力しても、仕方なかったのだと諦めようとしても、"事実"そうだったのだと。
「もしかすると卿も、その女の事を愛していたのかね?」
「黙れぇ……っ!」
松永の追及の手に異を唱えたのは、拓巳だった。
「黙れ、黙れ、黙れぇ…!!!」
泣き喚く声につくづくうんざりした顔をした松永は、ソファの背凭れに身を沈めた。その眼がライダースーツの若者をチラと見る。
古典的ではあったが、彼は拓巳の手の爪の間に小さな飛び出しナイフの切っ先を躊躇なく刺し入れた。
「…っあぁあぅ…!!」
「拓巳!」
「もう黙っていてもらおうか、私は卿とゆっくり話がしたい」
拓巳は黒い布で猿轡を咬まされた。
苦痛に迸る悲鳴が、くぐこもった呻き声にトーンダウンした。
両手で掴んだ大長刀がやたらと重く感じる。
今なら容易く奪える筈なのに、松永はそれを命じない。慶次が自分で、自ら、手放すのを待っているかのように。
「先程卿は友人が姿を消したのを私のせいだと言ったが、ではその者が女を殺したのも私のせいだと思っているのかね?」
「―――…」
「私がいなければ、こんな事は起こらなかったと…?」
男は静かに問い掛ける。
確かに、事件直後は混乱していて苦し過ぎて誰かを、何かを、スケープゴートに仕立ててそれを憎む事で辛うじて自我を保って来た。松永の正体を追って死に物狂いで探し、調べた。そのエネルギーが明らかな証拠だ。

復讐。

ただその一事の為に、2年の間を疾走して来た。
だがふと立ち止まった時にむくむくと心中に沸き上がり、占めて行ったのは後悔と自己嫌悪だった。
「…俺が……忠告を無視して香港に行くって言い出したから…。何も知らない秀吉を…ちょっと遊びに行く感覚で、俺が誘ったから―――」
ふむ、と出来の悪い生徒に対する優秀な教授のように松永は頷いた。
「痛ましい事だ、若気の至りと言うのは大概取り返しのつかない事をしでかすハメになる。しかし、そのような自省が出来るようになっただけでも一つの成長ではないか。卿も又、先へ進むのだよ―――世の真理に向かって」
「世の…真理…だと―――?」
「何、単純な事だ。今卿が縋ろうとしているものが全て体の良い幻想であり、心のままに振る舞う事こそ、理であると言う」
ここで松永はスーツの懐から携帯電話を取り出して見た。
何かのメッセージでも確認したのか、暫くしてそれを仕舞うとゆったりと立ち上がった。
「長刀鉾町の責任者はその点、理解していたようだ。…警察が動いた、交渉は破棄された」
「バカな!ここに大長刀はあるだろ!!とっとと稚児さんを解放しろよ!!!」
「それは卿が勝手にやった事だろう。…ああ、同じ過ちを繰り返してしまったのだな卿は…。愚かにも幼稚な正義感を振りかざして―――」
ざり、と重いものが地面を擦れる音がして、それに拓巳の唸り声が重なった。ライダースーツの青年に引き揚げられた彼はよろめきながら松永の後に続いて、この土蔵を出て行く。
「卿の成した事を知って、友人どのもショックを受けているようだ。暫く1人で良く考えたまえ」
声と、土蔵の分厚い扉が閉まる音を余韻に残して、慶次は一人そこに取り残された。
その間、指一本、唇一つ、動かせないまま。

そして引き続き、執念深く降る雨の音―――。



An ugly fact.ー醜い事実ー

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