―Tell me a reason.― The act that can't be over.◆ 山鉾巡行のコースは長方形を成す。 スタート地点の四条烏丸から東行して河原町を右手に折れて北上し、御池通の京都市役所前を通って今度は西行すると、新町御池通に入ってからそれぞれの町へ散る、と言う案配だった。 鴨川を渡って八坂神社へ至る事がない。 もっと言えば祇園の町とは関わりのない所で引き回しが行われるのは、この後夕方から行われる神幸祭の神輿が御旅所へやって来る為の露払いと言う意味合いがあったろう。 山鉾と神輿の巡行が重なるのは、河原町と寺町の2つの通りを挟んだ1ブロックだけだ。そこに繊細な祭の意図が汲み取れる。 政宗たちは巡行のコースを追わず、一先ず四条烏丸に戻ってそこを北上し、烏丸御池で順繰りにやって来る山鉾を眺める事にした。 「神泉苑って何処だ?」 それにもやがて飽きたのか、人混みの多さとじめじめした熱さに辟易したのか、政宗が小十郎に問うた。 「この…御池通を真っ直ぐ西へ行った所にありますよ」 小十郎の返答に彼は軽く片目を見開いた。 やはり祇園祭は神泉苑と通じていたのだ、と言う驚きだったが小十郎には分からない。ただ本当に、烏丸御池の交差点に溢れ返った人の群れに正直うんざりしていた所だ。 「地下鉄でひと駅です。二条城前駅で降りて…5分くらいでしょうか」 続く説明に政宗は、汗だくになっている己が世話役をまじまじと眺めてしまった。自分だって暑いがあそこまで滝のような汗は掻いていない。振り返れば綱元や成実も自分の顔をバタバタ団扇で扇ぎながら手拭いで吹き出る汗を拭っている。 「…行くか、もう十分見た」 政宗の提言に、小十郎たちは隠し切れない安堵の表情を刻んだ。 浴衣や着物で地下鉄などと言う文明世界をうろつくのに抵抗があったのは、そこに潜り込むまでの事だ。今は祇園祭の真っ直中だったし、地上の暑さを逃れて地下鉄から何処かへ行こうと言うのは政宗たちだけではなかったからだ。 冷房の効いた構内を移動している内に汗も引いた。 二条城前駅には15分20分程かかり、彼らは神泉苑に辿り着いた。 が、この短い移動時間の間に空は俄かに掻き曇っていた。 「こりゃ降るな―――」と綱元が曇天を見やりながら呟いた。 神泉苑の瑞々しい緑と、昏い色の水は確かに涼とマイナスイオン効果を孕んで町中にぽっかり佇んでいた。 往時、平安京建立当初は今の16倍もの面積があった。二条大路から三条大路までを占める程の規模だったものが、今は大路小路の区切る一角、さらにその一部にまで納まってしまっている。 それでも、苑内にある料亭が屋形船を押し出せるくらいには広い。 そこをそぞろ歩いていると、池の中州の向こうに杜に囲まれた立派な屋根が見えた。南側まで歩けば北上する道上に真っ直ぐ正面を向いて善女竜王社が建っていた。その脇にはあの赤い太鼓橋が。 政宗は惹かれるように、緩いカーブを描くそれの真ん中まで歩いた。 朱色の欄干が色素の少ない景色を一層華やかにしていた。 水の面を覗き込めば、光をも吸い込むように昏い水の流れ。 そこへ、終にポツポツと水滴が散って来た。 池の面は途端に騒がしくなり、鎮守の杜もしっとりと濡れて佇む。 「政宗様、雨が―――」 小十郎の声に振り向いた政宗の目が、善女竜王社に今お参りに来たらしい人影を捉えた。傘も差していない男3人と少年2人の妙な取り合わせだ。 それを見ていた成実がふと声を上げた。 「あれ…って長刀鉾に乗ってた子供じゃん?」 祭に出る稚児は皆白粉を塗りたくって素顔を見せない。にも拘らずその顔を見分けられたのは成実独特の勘、だったろうか。 何となく彼らはその慎ましやかな一行に近付いて行った。 雨がぽつぽつ、から本降りに近くなる。 政宗たちを訝しげに振り向く男たち。 「山鉾巡行が無事終わった報告か」 政宗はその男たちではなく、くりくりした瞳を興味深そうにこちらに向ける子供2人に声を掛けた。 「まだ終わってない」 「そうや、優吾の奴が」 「どちら様でしょうか?」 子供の言葉を遮って、恰幅の良い壮年の男がずいと前へ出た。 「ただの祭見物客だ、あんたは?」 「わしは…長刀鉾町会長の橘言います」 「橘?」 慶次を迎えに来た橘拓巳の父、と言う訳か。 歴史と伝統を重んじ、京の古い家柄を支え続け祇園の文化を継承して行く、その強い意志を宿している誇り高い男と見た。 「山鉾巡行、素晴らしかった」とそう政宗が思ったままを口にすると、多少警戒の色を示していた男の表情が緩んだ。 「楽しんで頂けたようで何よりです、是非又のお越しを」 「昔の祇園祭は神泉苑まで送ったんだってな、今もそうやって竜神にお参りするのか?」 「いや、これは…」政宗の問いに橘は言葉を濁した。 「今年は…、今年だけの例外です」 「―――…」 政宗の片目が橘の背後の2人の男を捉えた。 表情の抜け落ちた、その呆然とした顔。白髪の禿げ上がった壮年の男の方は疲労困憊と言った有様、30前後の男の方は感情極まって思考停止と言った状態だ。 そして子供たちは大人の会話に退屈している。 「それでは、わしらは鉾の解体作業がありますんで」 問い掛けを許さない口調で橘は早口に言いながら頭を下げた。 立ち去る彼らを政宗たちは無言で見送った。 「でもおかしいよなあ」ポツリ呟いたのは成実だ。 「鉾に乗ってたのって3人だよな、お稚児さん。何で2人なの?」 そう言えば、と水の淵を回って立ち去る小さい人影を政宗は再び顧みた。 その場所には見覚えがあった。 いや、見覚え所か忘れたくても忘れられない忌まわしい場所だ。 2年前、香港で開かれたどう考えてもまともではない闇のオークション会場で、SPのような連中に捕まりボコボコにされた後、何故かわざわざ荷物のように日本へ送り届けられた慶次たちが連れて来られた場所だ。 調べに調べて、松永久秀と言う古物商が持つ幾つかの別荘の内の一つだと知ったのは、つい最近の事だ。松永自身は日本や、あるいは海外を転々としていて自宅や別荘に寄り付く事は余りない。豪遊、とまでは行かないが、ホテル暮らしの連続だからだ。 基本的には江戸時代から残る豪商の邸宅の様相を呈していた。 平屋建てで、後年増築した一棟だけ2階建て、雪見障子と明るい書院、質素な床の間と別棟に倉や納戸など、いかにももの佗しい佇まいだ。 それの土蔵が今の慶次と拓巳の居場所だった。 「攫った稚児は無事なんだろうな」 今、あの時と同じように、ダークグレーのスーツを纏った男は目の前のソファに寛いでおり、慶次は冷たい剥き出しの地べたに座り込んでいる。そして、抱え込んだ大長刀を死んでも離さないつもりだった。 「他人の心配より、自分の身を案じたらどうだね」 そんな彼を、松永は物珍しい動物でも眺める目付きで見つめていた。 「ああ、だが分かっているよ…本当は恐怖で鼓動が上がっている。呼吸も乱れがちだ。―――例えば」 ちらり、と男の視線が慶次の隣で踞る拓巳を捉えた。 「友人の身に何かあったら…」 「………」 拓巳の顔が怯えに強張った。 何時もは威勢が良く、父には思う様反抗して来た若者だが所詮それも甘えだった。 一頻り、拓巳の反応を楽しんだ松永はふと軽く息を吐いた。 「卿は、本当に詰まらない男だ」 言いながらも、薄暗い土蔵の中で男の眼が細められる。 高い所にある格子戸からは、絶え間ない雨音が忍び入って来ていた。他に車が走る物音すらしない。奈良の、その又郊外の何もない所だ。 悲鳴を上げても、泣き叫んで助けを呼んでも、決して誰の耳にも届かない。 松永が膝の上で組んでいた片手を挙げて軽く振った。 すると、この土蔵の闇の中に潜んでいた例のライダースーツの若者が音もなく進み出て来て慶次の前に跪いた。 慶次と拓巳は既に両手両脚を手枷足枷で括られ、腰は壁から伸びたロープで繋がれていた。 そうして若者は黒い布で慶次に目隠しを巻き付けた。 「それを取ったら友人に危害が加えられる、そう言うルールにしてみよう」 「………」 今正に取ろうとしていた慶次の動きが止まった。 「次に卿…、そう卿だ」 突如呼ばれた拓巳が、息を呑んで男の顔を食い入るように見つめた。 「そこにいる友人の家族を知っているかね?…ああ、そうそう。私の質問に全て答えられたら卿は解放してやろう。ここが何処かは誰にも告げない事は約束してもらうが」 「アホぬかすなや!誰がお前なんぞに応えるかいな!!」 「……では、仕方ない―――」 松永はライダースーツの若者に目配せをした。 そして、拓巳の目の前にわざと晒すようにして、大長刀を掴んだ慶次の腕を引き上げる。握り締められた指を一本、無理矢理引き剥がして、 ポキリ それは容易く折れた。 「………っ!!」 「慶次!」 「喋る気になったかね?」 「―――…っ」 拓巳は痛みを耐える慶次から、見も知らぬ男へと視線を移した。 呆然と。 The act that can't be over.ー見えない終幕ー [*前へ][次へ#] [戻る] |