[携帯モード] [URL送信]

―Tell me a reason.―
The night of the eve.

 コンコンチキチ
 コンチキチン

 コンコンチキチ
 コンチキチン…

その時期、町から祭り囃子が途絶える事はなかった。
京都の町屋に居を構える小唄の師匠とやらの住居に二日間間借りして、いかにもそれらしい日本の夏を満喫するのには至れり尽くせりのセッティングだった。
表通りに面した外観は紅殻格子に虫籠窓、犬矢来と言う典型的な情緒を持ち、玄関灯の他に小降りの提灯などを下げて道往く人々の心を浮き立たせている。用意された服もTシャツやGパンなどではなく、京友禅の渋い浴衣や夏着物だった。
厨子二階は元は物置部屋だったものだが、それを面白がった政宗と成実の寝室に充てられた。屋根裏部屋の様相を呈するそこには埃の被った裸電球が一つあるきりで、今は部屋の隅に折り畳まれた寝具一式が二組置かれている他は、時代がかって使われていない黒い箪笥が二棹放置されたままになっていた。
政宗はその虫籠のような窓辺に腰掛けて、夜の祇園町をそぞろ歩く人々をぼんやりと眺め下ろしていた。
と、そこへ、長梯子をバタバタと駆け上がって来た者がいる。
「まさむー!どうよ?!」
どうよ、と言われても、立ち上がる事の出来ない薄暗い部屋で四つん這いに近寄られても成実が浴衣を来ているな、程度の認識しか持てない。政宗は左目をちらりとそちらに流したきり、関心もなさそうに格子窓の向こうに再び視線を投げやった。
「あ〜も〜ホラ、まさむーも早く来いよ。着付けてもらえって!」
気乗りのしない従兄弟を半ば無理矢理引っ張って行って、階下へと連れて行った。
そこでは、成実の着付けを終えた小唄の師匠が今度は綱元に男物の夏着物を当てて様子を見ていた所だった。
「ああ、政宗様」と言って、彼の姿を認めた綱元が何故か安堵の声を上げた。
「すんません、俺よりも彼に浴衣を」
そう言われた女は「あらそう?」と名残惜しげに手にした衣を下げた。
生成りに細かい絣紋の入ったそれは、洋装の綱元に当てただけで大層似合っていた。女の見立てに間違いはないようだ。
「おい…俺は…」
浴衣なんか着ない、と言い掛けたのを成実が背を押して長押の下から政宗を着替えの一間に押し込んだ。簾戸や御簾だけで区切られたそこに、桐の箱に収められた何枚もの男物の着物が広げられていた。着物にまつわる角帯、長襦袢、足袋なども奇麗に並べられてコーディネートし易いように陳列されている。
「やあ、やっぱり若い人が着るに限りますよ。俺や小十郎が着ると、どうもね…」
戸惑う政宗に場所を譲って綱元は言葉を濁した。
それを面白そうに見やった成実が、政宗の耳元にわざとらしく呟く「どうもこうも、こいつらが着物なんか着るとどうしてもそっちの筋の人に見えちゃんだよ、だからさ」
これ見よがしの台詞に綱元の苦笑が引きつった。
それを見て思わず声を上げて笑ったのは、小唄の師匠の詩織だった。
「そないな事、…誰も気にしいひん思いますけどねえ」
四十路前後と思われるが、化粧っ気も少ない割に徒っぽい所のある師匠に言われると綱元は所在なさげに頭を掻いた。
「小十郎はどうしたんだ?」
姿の見えない一人を捜して、視線を彷徨わせてから政宗はその綱元に尋ねた。
「夕飯の仕出しを料亭まで取りに。直ぐ戻りますよ」
その返事を聞いている端からTシャツを剥がされGパンのベルトを解かれた。成実と詩織2人に寄ってたかってだ。政宗は憮然とした表情のまま成り行きに任せた。


 コンコンチキチ
 コンチキチン…


近所の料亭から受け取った袱紗包みをぶら下げて帰る道すがら、町の景色と行き交う人々、それに掻き鳴らされるお囃子が古い町並みも新しいビルも全部ひっくるめて京都祇園の町を押し包んでいた。その様子にいかにも普段着でうろつく自分が場違いなような気がして、さすがに気恥ずかしさを隠せなかった。
そのくらい出来過ぎた雰囲気だと言えば良いのか。
何にせよ、折角の夏休み(しかも終業式を蹴って期末考査が終わって直ぐ突入してしまったものだ)、祇園祭の宵山に遭遇出来た滅多にないチャンスだ。日本の風情を若者たちには存分に味わって欲しいものだった。
「ただ今戻りました」
声を掛けつつ格子戸を引き開ける。
上がり框から見通せる所に人気はないが、奥から声が聞こえて来た。小十郎は袱紗包みを片手に持ったままそちらに向かった。
簾戸を掻き退ける前から中の明かりは漏れ出で人影も見えていた。にも拘らず小十郎は電気の明かりの下、たった今着付けの終わったらしい政宗と眼を合わせて戸惑いと共に言葉を見失った。
隣に立って出来映えを確認する成実も黒橡色の浴衣が良く似合っていた。だが政宗の縹色のそれは、何とも言えずしっとりと身に馴染んで一際瑞々しい若さに満ち溢れていた。
こりゃ俺も相当キてるな、とは思いはしたものの、ニッコリ愛想良く微笑んで「お二人とも、とても良くお似合いです」と社交辞令を口にするのは忘れなかった。
「だろ〜?やっぱ日本の夏はこれだよな!と言う訳で今度はかたくーとつなもっちゃんの番な。先生よろしく!!」
元気よく成実が言い放つと当の本人らは顔を見合わせて苦い表情を刻んだ。道場ならまだしも町中で着流し、はやはり躊躇われる。
「そんな厭ぁな顔せんと…浴衣みたいな軽装やのうて夏着物やったらかましまへんやろ?」
さあさ、とやんわりとだが押しの強い詩織に勧められて、2人もこれ以上駄々を捏ねる訳にも行かなくなった。結局、綱元は先程体に当てていた生成りの一重を、小十郎は新たに選んだ濃檜皮色の一重を、それぞれ襦袢にステテコの上から羽織らされた。浴衣よりはちゃんとした大人の装いで、足袋に雪駄を突っかければ完成だった。
「いってきまーす!」
下駄の音も賑やかに成実は元気にその町家を出て行き、政宗はやはりそれに引き摺られるようにして続いた。成実の襟足にはご丁寧に団扇が挿し込まれていて、あれじゃまるでバカ殿様だ、と政宗などは顔を歪めた。
後からゆっくりと続く小十郎と綱元は、最初こそ嫌がったもののやはり紗絽のような通気性の良い素材で出来た着物の着心地は良く、しっくりと身に馴染んだ着付けにも満足していた。
それを、提灯の明かりの下で見送る詩織はこっそり一人笑みを漏らした。
「やっぱり…おっかない人たちに見えてまうなあ…」
そう言った呟きは、もはや人波に紛れた小十郎たちには届いていない。



The night of the eve.ー宵山ー

[次へ#]

1/10ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!