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―Tell me a reason.―
Lie low.
昼下がりの午後3時、彼らは名古屋市内の病院に到着した。
武田信玄が入院している所だ。
無事に戻って来た子供たちと基信を見て信玄は素直に喜んだ。そして政宗と小十郎が名乗るに至って「そうか!」と、右腕が動いたなら手を打っていただろう閃きに顔を輝かせた。
「伊達の所の遠藤基信か!どうりで見覚えがある筈だ」
「政宗どのをご存知なのですか、御館様?」
「いやいや、父親の方をな。えらく若い頭首が誕生したと思っていたが、このような懐刀がおったのだな」
「私はお宅の子供たちの命を織田に差し出そうとした」
その基信が言わでも良い事を口にする。
信玄の顔が訝しげにちょっと傾げられた。そうして、破顔する。
「呼ばれもせず、その実力もない癖にあの場へ飛び込んで行った、その報いなら致し方あるまい。だがこうして無事に戻って来た」
優しく屈託なく微笑み、信玄は言った「本当に素直な御仁だ」と。
言われた基信はほんの僅か眉を上げたに留めた。
「それでは私たちは失礼する」
大した話もせず、そう言って基信は入哉を連れて病室から出て行った。
「織田は逃したか―――」
彼の背を見送っていた信玄が、そう呟いて黙り込む。それを小十郎は見やった。
何故あの男を追うのか、信玄は政宗と小十郎に話していない。
政宗に至っては、新聞記事になっている部分しか文七郎たちから聞いてはいない。
小十郎は、人にはそれぞれ事情があるのだからと深くは追求しなかった。
織田に関しては、又何時なんどきこちらに牙を剥いて来るか分からぬ。その時は躊躇いもせず立ち向かって行くだけだ。
やがて徐に信玄は政宗と小十郎を交互に見た。
「いずれ、お主たちの力を借りるやも知れん」
小十郎はひっそりと政宗と視線を見交わした。事情を知らぬうちは約束などは出来ない。返す言葉も見つからず、二人はただ信玄を見返すだけに留めた。

病院を出ると、文七郎たちは雲隠れした後だった。
政宗を追い掛け、仙台からやって来た彼らを怒鳴りつけてやろうと思っていた小十郎の心中を読んだらしい。今度取っ捕まえたらたっぷり絞ってやる、と小十郎は心中密かに毒づいた。
今夜には退院して高尾山に帰ると言う信玄と幸村、佐助と別れて政宗と小十郎は名古屋駅から新幹線に乗った。
空いていた自由席に腰を下ろして、ほっと一息吐く。
先程から政宗とはまともに口を聞いていない、そこに思い至って小十郎はいきなり落ち着かない気分になった。
ジュースでも買って来るか、と思い席を立ち上がりかけた所へ左手の小指が激痛を訴えて来て思わず呻いた。
「わ、悪い―――!」
振り向くと、今しがた小十郎の手から指先を離した政宗が、見るからに狼狽した有様で自分を見上げていた。
テーピングをして固定しただけの小指を庇って握り締めていた小十郎は、上身を屈ませてなるたけ優しい声で彼に言ってやった。
「何か飲みたいものは?」
「―――コーラ」
「少々お待ちを」
デッキの自販機でそれと自分用にコーヒーを買って小十郎が席に戻ると、政宗はうたた寝をしていた。だが、小十郎が席に腰を下ろした気配にすぐに眼を覚ます。
「お疲れでしょう、東京に着いたら起こしますから…」
「怒ってる…よな」小十郎の台詞を遮って、少年は言った。
受け取ったペットボトルを開けもせず、両手に握り込んで俯く。長い前髪で表情を覆ってしまい、何処か遠くに感じる。
「…今回の事で、思い知りました」
周囲の座席を埋める人々を憚って小十郎は低く小さく、囁くように言った。
「貴方はお強い方だ。これからもっと強くなられる。名古屋での事件を早くにお伝えしていれば、対策の立てようもあった筈です。貴方も、新幹線に無賃乗車するなどと言う無茶はしでかさなかった筈だ。小十郎を置いて、たった一人で行動する危険も犯さなかった―――」
「………」
「貴方を子供扱いをし過ぎた小十郎のミスです…」
政宗は、何かの痛みに耐えるような小十郎の横顔を見上げていた。その彼が振り向いて戸惑うような瞳をこちらに向ける。
「しかし同時にまだ脆い。だから、怒っているかいないかと問われれば、勿論怒りたい気持ちは少なからずございます。とにかく、俺は心配性のようで…」
「それは、認める」
政宗にそう言われて、小十郎は眉を下げて苦笑した。それが、不意に真剣な顔になって「ただ―――」と続ける。
「…ただ?何だ?」
言おうか言うまいか数瞬、迷った。
言ってはいけない事のような気がしたからだ。だが、その禁忌の予感が却って強く小十郎の胸を掻き立てた。少年の方に身体を少し傾けて更に声のない囁きで、言った。
「小十郎を常にお側に…もう二度と、置いて行ってしまわないで下さい…」
「―――…」
逸る胸の音を隠して、小十郎は少年から体を離した。
言ってしまってから、何だかとてもいたたまれないぐらいの羞恥心が込み上げて来る。照れ隠しに缶コーヒーを開けて二、三口飲んだ。
肘掛けの上に乗せた左手に、するりと温かいものが絡まった。
見下ろした先で、握られた手が視界から逃げるようにさっと下へ引っ張られた。そんな事をされたら折れた骨に響くのだが。
「遅れんなよ」
俯いたまま、ぼそっと呟かれる台詞。それと、椅子の下で握られた手に力が籠る。
「…はあ」我ながら間抜け過ぎる、とは思ったのだが、そうとしか返事が出来なかった。
温かい、柔らかい掌に包まれてピクリとも動かせなくなった左手をそのまま放っておいて、小十郎はコーヒーを啜った。

やがて政宗が眠りに落ちても、その手が離される事はなかった。



Lie low.
―雌伏の時―

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