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―Tell me a reason.―
Thought to remember.
取締役会の前日、虎哉がヨーロッパから帰って来た。
政宗たちが高校に進学したのと前後して、元の研究室に戻った虎哉が今の今まで音沙汰がなかったのは、向こうで病に倒れたからだった。距離があるせいで詳しくは聞けなかったが、どうやら咽頭ガンだったらしい。
転移は今の所見られず、腫瘍を摘出して抗がん剤治療を続けつつ仕事も病室でこなしていたのだと言う。
その為、輝宗の葬式にも顔を出せなかった。
二年半振りに見る男は病のせいかさすがに老けて見えた。
その彼を仙台空港まで出迎えた政宗たちは、小十郎の運転する車で伊達家へ一路向かった。
「大変な時にお側にいられなくて、申し訳ありませんでした。政宗様、成実様」
「お前が元気になってくれたなら、それでいい」
「そうだよー、ちゃんと治療して来てくれたんならホント一安心だよ!」
後部座席に虎哉を挟んで若い二人が座った。その両方から優しく声を掛けられ、やっぱり年齢不詳ののっぺり顔に笑みを浮かべる虎哉。
「あちらに着いたら瑞巌寺にお参りしたいと思います」
その笑顔のまま、彼はそう言った。
「では、屋敷へは寄らずにこのまま―――」
「いえ…」運転席の小十郎が言い差すのを、虎哉は静かに遮った。
「政宗様と二人で、参ります」
「…わかりました」
二人を仙台駅で降ろし、小十郎の運転するクーペは成実一人を乗せて走り去った。


手荷物一つない政宗と虎哉は散歩のついでに足を伸ばす身軽さで、東北本線に乗り込んだ。そこから多賀城、塩竈を通って松島へと向かう。
瑞巌寺は伊達家の菩提寺だ。輝宗だけでなく先祖代々の遺骨が眠る墓がある。
本堂へ続く参道の両脇を背丈の高い杉の木が覆っていた。
二人は言葉もなく、そこをひっそりと歩いた。
整備された道は歩きやすく、4月直前の日差しは緩やかで温かかった。
参道の右手に岩窟が見える頃になって、虎哉がポツリと言った。
「苦しいですか?」と。
「お悔やみの言葉ですら、その手で父上を葬った貴方には鋭い刃になる。父を仏と成したご気分は如何です?」
「最悪だ…―――いや、わからねえ」
剥き出しの酷な言葉は虎哉ならではだっただろう。むしろ政宗にとってはそうしてくれた方が気が楽だ。腫れ物に障るような気遣いは却って滅入る。
長い長い沈黙の後に、政宗は言った。
「まるで現実味がなくなった気がする。水の中から水面を見るとそこに空が映り込むだろう。あんな感じだ。掴めそうなのに、触れると波立って消える」
頷いて「それから?」と虎哉は続きを促す。
「周りが心配してんのは百も承知だ。けど、何もかも薄いんだよ」
「薄い、と言うと?」
「存在が。…いや、それに伴う感情が」
「ご自分の事なのに傍観者の気分ですか」
「仕方ないだろ、親父を撃った時だってあんまり記憶がないんだ。それこそ断片的で、途切れ途切れのワンシーンが意味も無い配列で思い浮かぶだけだ。現実味がねえんだよ、とにかく」
「そうしていると、落ち着きますか」
「ああ―――」
二人は既に咲いて散った梅の古木の脇を通り抜けた。やがて目の前に桃山様式の豪奢な本堂が聳え立つ。
「確かに、自分でも呆れるくらい冷静だな」
「昔馴染んだ場所にいるように?」
「そうだな。―――何が言いたいのかはわかってるぜ、虎哉。俺のガキの頃の事だろ?」
「ええ、癖になってらっしゃるようなので」
「クセ、ねえ…」
痛みをまともに受け取らぬように、悲しみをそれと認識せぬように、己の中枢を散じて希薄と成す。そうやって幼い政宗は自分の心を守って来たのだと、赤ん坊の頃から側にいる虎哉にはお見通しだった。
それが、周囲には「人形のようだ」と言わしめていた事も。
「基信さんの事も聞きましたよ、百合香さんの事も」
「ああ―――」
「彼らは今、貴方に何と話しかけようとしていると思いますか?」
「は?死んだ者が喋る訳ないだろ」
「例えばの話ですよ…。例えば、輝宗様。あの方は何と仰っているでしょうね」
本堂へ靴を脱いで二人は前後して上がった。寺の手伝いの老婆がのっそりと現れて、無言で奥を指し示した。
二人はその後に着いて行く。
「…まだまだやらなきゃ行けない事が、たくさんあった」
「それから?」
「心残りだ」
「それで?」
「息子に出来るだろうか?…まだきちんと経営のノウハウや気構えなんかを教えずに離れなきゃならなかった。本当に、もう少し時間が欲しかった…」
「そうですね」
何かが胸の奥から込み上げて来て、政宗は不意と顔を反らした。縁側の外には侘び住居に佇んだ庭が広がっている。
「悲しんで良いのですよ。貴方は輝宗様を愛していらして、輝宗様も貴方を愛してらした。それは嘘偽りなく―――。尊いのは人の生き死にではなく、良きにつけ悪しきにつけ人が抱くそう言った"思い"なのですから」
「思いが尊いか、さすがに言う事が違うな」
「また、そうやって茶化す…」
微かに笑みを交わし合って、やがて彼らは住職の前に通された。訪う事をあらかじめ連絡してあったので、丸い顔した僧侶は二人を振り向いて袈裟の裾を捌きながら一礼する。
輝宗の菩提を弔う読経に、政宗と虎哉は目を閉じた。


読経の後は墓参りだ。
仏花は無い。
寺で売っていた線香に火を灯した。
火が満遍なく線香に灯るのを政宗は静かに見下ろしていた。その横顔を見るとも無しに視界に収めていた虎哉は、背後を振り返った。山腹にへばりつくようにして広がる墓所から松島湾が臨める。その穏やかな湾内には薄っすら靄が掛かっていた。
「基信さんとは、学生時代に知り合ったそうです」
虎哉がポツリと呟いたのに、政宗はひっそりと振り向いた。
「高校を卒業してからは各地を転々として、次に彼と出会ったのは、中野宗時の部下の一人としてでした。中野を排斥した時も名目上、基信さんは中野の部下でした。とは言え伊達と杯を交わした訳でもなく、彼独自に勢力を伸ばして中野の庇護なしに動く権威は持っていましたがね。それ以前から彼は全く自由人でした、晴宗様も手が出せない程」
「―――」
政宗は黙って、分けた線香を虎哉に差し出した。自分の手に残ったそれを、無造作に墓の前に置く。
「彼は若い頃から浮世離れしていたそうですよ」
「何故今その話をする」
「聞くのはお辛いですか?」
質問に質問で返されて、政宗は色の無い横顔を向けた。
「過去がどうあれ、あいつももうこの世にはいない」
「そう―――確かに」
ですが、と虎哉は言葉を続ける。
「あなたの知らない所にも、人の思いがあると言うのは知って頂きたいのです。…輝宗様と基信さん、お二人は全くの陰と陽でしたよ。一枚の紙の裏と表とでも申しましょうか。完全に性質の違う彼らが、まるで双子の兄弟のようにお互いの存在を求めた。それはとても自然な事だったのです。―――ただ、それが通う事はありませんでしたが」
「…通わなかった?」
肩を竦めて、男は手にした線香をそっと墓の前に供えた。
「あの方の眼は、己の心を殺し尽くした者のそれでした」
「………」
「餓えた虎の子の為に、生きた己が身を投げ捨てる。降り積もった雪の中の兎のように、純真な心の持ち主だったのでしょう。ごくたまに、輝宗様が基信さんの成した所行に激昂する事がありました。そんな時、彼は迷子の子供みたいに途方に暮れた表情で、何故輝宗様がそんなに怒るのか、何故自分を見る目がそんなに哀しそうなのか分からないと言った様子で―――。結局、輝宗様は彼を許してしまう」
「……ただの悪だ、あいつは」
辛うじて政宗はそれだけ言った。
息苦しい。
又あの発作が起きそうだ。
「先程言いましたよ。…善であれ悪であれ、人の思いはかくも尊い」
「百合香があんな目にあってもか?!」
思わず声高に叫んでいた。
折り合いのつかない真逆の思いが、政宗の中でひしめき合っていた。それは一人の人間の中では両立出来ない。よって、その人物を真っ二つに引き裂く程の威力を持っているものだった。
「彼女は基信さんを愛していらした、まるで我が子のように」
「……っ!」
「愛しても報われないと分かっていながら、与え続ける事に迷いはなかったようです。たくさん、たくさん与えて、その中の一つか二つでも受け取ってもらえたら幸福だと彼女は仰っていました」
「―――…」
「政宗様の思いは、だからどれも尊いのですよ」


憎んでいた筈だ、冷酷な悪魔のようなあの男を。
百合香は何の為に産まれて来て、何の為に死んだのだ。基信を許したら百合香の死が、生が、全くの無意味になってしまう。
だが、それなのに、自分はあの男が好きだったと気付いてしまった。

あの男が自害したのは自分のせいだと、自己嫌悪で自分を攻撃せずにはいられない程。
あの男から、輝宗だけでなく百合香をも奪ってしまったと、罪悪感で己を縛り付けてしまう程に。
一から十までが全部自分のせいだと、事実ではない事までも思い込んでしまう程に―――。


政宗は天を仰いで大きく息を吐いた。
ぐらぐらと揺らいで崩折れそうな心の欠片をすっくと拾い集めては、締め上げる。
「…すまねえな、久々に動揺した」
「大した意地っ張りですね」
「御陰さまで」
二人は頬から微笑を消して、伊達家代々の墓石を見やった。

死を思う、それは人間だけの特権だ。又同時に人間だけに与えられた業罰でもある。もうこの世には無い者の為に過去に捕われ、未来を恐れる。
価値を定め、自らの人生を裁く。
そうしながらでも、前に進んで行かなければならない。
一体、どうやって…?



Thought to remember.
―偲ぶ想い―

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