泡沫レトリック
おいで、愛してあげる
母が死んだのは雨の日だった。
じっとりとあつくて、雨が降ってもちっとも涼しくならない。ぬかるんだ地面から水があふれて、ただ、世界をぐちゃぐちゃにしていくだけ。
私が確か十と二つ、年をとった頃だった。
花を手向けるそのときも、涙は見せなかった。
‐‐‐‐‐‐‐
濁った空を見上げて、由良は眉を寄せた。もう幾分もしないうちに降りだしそうだ。
………この季節は嫌い、
ひどく情緒が安定しない。去年も、その前も、私はひたすら修行に打ち込んでいたっけ。そして今年も例外でなく、頭が痛んで、時折耳鳴りがする。
「山にでも籠りましょうか」
人知れずつぶやいた由良は、背後に感じた気配に、ゆるりと振り返ろうとした。
「だめだよ」
―――それよりも早く、由良の身動きはとれなくなった。首もとに巻き付いた腕に、されるがまま。
「若様……邪魔です」
「山なんかに籠らせないよ」
「聞いてらしたんですか」
由良は抵抗しない。どうせしても無駄であると、随分前に悟った。抱き締められた体勢のまま、由良は溜め息をつく。
「若様のお母様は…」
「本家より西の町にいる」
「そう、ですか」
「ん?」
会われないのですか、そう紡ごうとした言葉は、声にならなかった。胸にはびこるこの感情は、嫉妬?そんなもの一々してどうするのだと由良はかたく俯いた。
「……ミタニ?」
「…なんでもありません」
ふう、と気の抜けるような溜め息のあと、由良の体は反転した。肩を押され、少しばかり離れて向き合う。
「なんですか」
いぶかしさに眉を寄せる。きっと今、自分はひどい顔だ。嫉妬にとらわれたこんな表情、見られたくない。
「おいで」
衣擦れの音とともに、漆黒が広がった。男の顔を見て見れば、ふいに笑う。
「おいで、愛してあげる」
馬鹿にするなと言いたかった。大きなお世話だと。
しかし由良の体は意思とは反して、ふらふらと宗二郎の腕へと向かう。そうしてとうとう、その漆黒にうずまった。
「ミタニは……泣き虫?」
「ちがいます」
「じゃあ嘘つきだ」
呼吸をした。
いつの間にか雨が降り出していた。静寂のなか、自らの息遣いだけ。
「愛なんていりません」
今度、墓参りをしよう。
由良は葬式以来一度も訪れたことのなかった母の墓を思って、目を閉じた。
fin
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