エデンの果実 A

心の底から貴方を愛してるなんて、死んでも言わない

貴方の幸せを願えば願う程、私と貴方の距離は遠くなるでしょう

私なんかが貴方を留め置いてはいけないの

だからそれで構わないよ

最初から終わりを見透かしてた私には、どうってことないよ




「これで、最後っ…と」


見事に物のなくなった部屋を見て、なんだか心細くなった。詰め込んだ荷物。殺風景な部屋の床を雑巾で磨く。
そしてふと思い出すことがあった。ああ、そう言えば一番最初、神託の盾騎士団に配属された時もこんな状態だったなぁ。
夢を見ていた自分。魔界から来た私は、外殻大地の青い空を、美しい楽園のような場所を夢見てた。そして割り当てられたこの部屋。今とは全く違った自分が喜んで荷物を置いていた。

総長に、ヴァンに折り入って頼まれたことがある。
それは重大な機密事項で詳しくは話せないけれど、同じユリアシティで過ごした時間がある私だからこそとの事だった。
導師イオンのレプリカ計画。それによって生まれ廃棄されたレプリカの一体を身体能力を買って拾って来たとヴァンは言った。そしてその子供を慣れるまで世話してほしい、と。

私は最初それに眉を顰めた。
廃棄された一体?レプリカ?その子は生きてるんでしょう?じゃあどうしてザレッホ火山なんかに……。
怒りが沸いた。ヴァンの頬を力任せにぶん殴った。
そして、見てしまったんだ。あの瞳に宿る狂気を…。


「刹那……」


ギィィ、と軋んだ扉。現れた深緑色に目を細める。
この子はもう、第五師団長になることが決まった。私の世話が必要な時期は過ぎたんだ。私が守ってあげられるのは此所まで。これから彼は世界に絶望するだろう。傍にいてあげることが、もう、どうしたって出来ないけれど。

そう、私は神託の盾を出る。レプリカ計画に携わった者は、そうなる決まりだ。
実際レプリカを造った研究者は情報漏洩を恐れてどこか遠くの街へとばされて行ったという。
アリエッタが導師守護役から解任されたのも、全部全部つぎはぎだらけの隙間を埋めた結果。ああ、なんて愚かしいの。


「どうしたの?シンク、おいで」


有りっ丈微笑んで見せる。まだまだ幼い彼は、扉の鍵を閉めて踏み込んだ。そっと仮面を外したその素顔は、なんとも複雑に歪んでいる。
私は立ち上がって、少し待っててねと告げる。雑巾を片付けて手を洗い戻れば、さっきと変わらない位置にシンクが立っていた。


「お待たせ。何かあったのかな?」


わざとらしく尋ねる自分はなんて嫌らしいのか。シンクが訪れた理由なんて分かってるよ。狡い私は、それを自分から言いたくないだけなんだ。
するとシンクは食ってかかるみたいに声を荒げた。泣きそうに歪んだ瞳は、それでも強い。哀しみや怒りに縁取られた双眸は、宝石みたい。


「本当にいなくなるわけ?」

「うん。それが決まりだからね。」

「っ、ボクはこれからどうすればいいのさ!」

「分かってるでしょ?第五師団長」

「!!!」


本当は私だって、去りたくなんてない。思い出にされて、忘れられたくなんてない。過去になんてされたくはない。
一緒に過ごした時間なんてそう長くはないけれど、同じ部屋で刻んだ時間は偽物なんかじゃないから。その中で芽生えた愛おしさも、言葉も、そんなの口にしなくたって分かってる。
彼の弱さも悲しさも辛さも、悪夢に魘され苦しむ姿だって、見て来たんだ。それは誰も知らない、私だけの胸に銷沈して消えることはないでしょう。


「おいで、シンク」


ぎゅううと抱き締めた体は、一番最初に会った時より逞しくなっていた。ヴァンめ、一体どんな過酷な鍛練をさせたのよ。
私のが背が高いから、埋もれる翡翠の髪。ゆっくりと指で梳いてたら、胸の奥がじんと痺れた。込み上げる言葉を押し殺しながら、唇を噛み締める。
なんて残酷な仕打ちをしているんだろう。でもシンク、私以外にもきっと見つかるから。貴方の苦しみをちゃんと見つめてくれる人が、きっといるから。諦めないで、なんて、酷いね。諦めた方が楽に決まってるのに、そんなことを言う私は酷い。これはエゴだけど、でも、遠くで祈っているから。


「刹那っ!ボクはあんたがいなくなるなんて――」


言葉は、最後まで続かなかった。抱き締めていた腕を解いて、頬に口づける。シンクが驚きに息を呑んだのが分かった。
それは最初で最後。かじってしまった禁断の赤い果実。その蜜が私を貴方で浸蝕する前に、はやく、はやく。


「忘れないで、シンク。貴方をとても大切に想ってる人間が、ここにいること」


最後にもう一度だけ。諦めたようにうなだれたシンクの細い体を抱いて、耳元で囁いた。


「     」


シンクは勢いよく顔を上げて、何か言いたそうに唇を震わせる。怒りや哀しみといった数多の感情がぐちゃぐちゃに混じりあったような、表情。


「そんなことっ――――」


言いかけて、口を噤む。そんな彼に背を向けて、私は荷物を背負った。…重い。でも、背負って生きなければ。忘れないように。消してしまわないように、ちゃんと――


「さよならシンク」


扉の鍵を開いて、外に出る。逃げ出すように、長い長い教団の廊下を。もう振り向くことすら出来なくて、私はみっともなく泣きながら走った。



心の底から貴方を愛してるなんて、死んでも言わない

貴方の幸せを願えば願う程、私と貴方の距離は遠くなるでしょう

私なんかが貴方を留め置いてはいけないの

だからそれで構わないよ

最初から終わりを見透かしてた私には、どうってことないよ



だから、だからね、シンク








"私のことは、忘れていいからね"







「そんなこと、出来る訳ないだろ…バカ」



取り残された部屋の中。楽園なんてどこにもない。




蝙蝠商店(僕と君の距離をはかる、傷だらけの定規)

20090129




あきゅろす。
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