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小説
悪魔の子は月の下から連れ出される(ファンタジーパロ)
※似非ファンタジーパロです

※痛い表現がちょっとあります

※色々ひどい。

※なんでも許せる方のみどうぞ



















【悪魔の子は月の下から連れ出される】


 緑生い茂る森から獣道とも言えない道を辿ると丘に出る。小高い丘から見下ろせるのは、そこそこ賑わっていそうな小さな街だ。
何度、こうしてこの場所からあの街を見下ろしただろうか。顎から伝い落ちそうな汗を拳で乱暴に拭って少年は首を傾げた。
 何度も街を目指して歩いては、この丘に戻ってきてしまう。
随分と前に、たまたま森の中で街に住んでいるらしい人と出会った時に教えてもらった道を進んでいる筈なのに、街に近づくどころかスタート地点へ逆戻りしている気分だ。

「オレってやっぱり方向音痴なのか」

 ガックリと肩を落としながら、もう一度ここから出て教えてもらった道順と──精霊達に声をかけながら街を目指してみようと体の向きを変えると、

「っ!」

 少年の目線の先には、どこか現実感のないような、そんな雰囲気を持つ者が立っていた。紺色のタボついたローブのような服を着て、裸足で立っているが、見た限り少年とそう歳も離れていなさそうに見えるが、本当にそこに存在し、立っているのかわからなくなるようななにかを持っている。
 存在を認識した時に、姿が目に映った時に、少年の心に大きな衝撃が襲った。それがなんなのか、少年には正しくわからない。
言葉に出来ない衝動に動揺していると目の前の人物はゆっくりと口を開いた。

「なんで、ここに……」

 なぜと問われれば道に迷ったからとしか答えようがない。
太陽のように角度によっては琥珀色にも見える栗色の瞳を丸くさせながら、悪意も敵意も全くこもっていない声で、心底不思議そうに呟いた。

「ああ、ちょっと道に迷っちゃってさ」
「迷ったって……ここに用がある訳じゃないんだな?」
「用があるってより、街を目指してるんだけど、何回もここに着ちゃうって感じだな。
もしかして、キミの邪魔になってた?」
「いや、そんなことはないぜ
ただ、ここに来るのはよくないから……」

 じいっと栗色の瞳が真っ直ぐに少年を見つめる。森の中にも人や動物、はたまた精霊にもテリトリーというものがあり、それを侵したという訳では無いのかと少年は短く息を吐いた。

「よくないってのは危険な場所って意味か?」
「うーん、ある意味合ってるし間違ってもいるな」
「ふぅん、それでキミはここにいても大丈夫なのか?」

 一瞬、栗色の瞳が揺れたのを少年は確かに見た。すぐに伏せられてしまい、ローブの裾を細い指でぎゅっと握ったまま黙ってしまった。沈黙が気不味い。

「そうだ、名前をまだ聞いてなかったな
オレはヨハン。ヨハン・アンデルセンだ」
「……オウガ」

 少年──ヨハンが住んでいた地域では聞かない不思議な響きをもった名前だった。
何度か口の中で教えられた名前を繰り返し、ヨハンはオウガに向かって笑みを見せた。

「もしよかったら街まで案内してくれないか」

 オウガは困ったように眉を寄せ、視線を辺りへ巡らせた。
ヨハンとしては、道を知っていればラッキー。知らなければ、街人に教えられた道をまた歩けばいいくらいの気持ちで発した言葉なのだが、酷く困っているような、悲しげな目をされて狼狽えてしまった。

「お前、こっちの人間じゃないだろ。……じゃないと、話しかけてなんかこないもんな」
「は、え?」
「道案内も、俺はできない。そのかわり、コイツと行けば街に辿り着けるぜ」

 オウガが人差し指を天に向い指すと、周りにいた精霊がきらきらと黄金色の光を纏いながら具現化した。

「オウガって精霊に干渉できるのか?!」

 人と精霊の関係は複雑で、繊細だ。
どこにでも存在する精霊を見れる者と見えない者、この差は人が住処を、テリトリーを広げていく内に生まれたものであり、元々人と精霊は共存していく関係であった。
今では精霊は人をあまり良くは思っておらず、基本的に彼らに人間から干渉はしてはいけない事になっている。精霊と話すくらいは許されても、人間側の勝手で精霊を呼び起こす事は限られた者にしか許されないものだった。
ヨハンにも精霊を見ることや、懐いてくれた精霊と言葉を交わすことはできたし
精霊と人との歴史にもそれなりの常識は持っていたが、精霊に干渉できる人間が実在するとは思っていなかった。

「コイツが街の入り口が見えるところまで案内してくれるぜ」

 オウガはヨハンの近くまできて、ヨハンの肩に精霊をそっと乗せた。
ほとんど重さを感じないが、確かに実態を持った精霊は楽しそうにクスクスと笑っている
精霊につられるように、オウガも歯を見せて笑い、くるりと踵を返した。

「じゃあな」

 あまりの出来事にぽかんとしているヨハンを置いて、オウガは森の中へと入っていく。

「また会おうな!」

 気が付けばそんな言葉が口から出ていた。
既にオウガの背中は小さく、ヨハンの言葉が届いたかもわからないが、また会いたいと思ったのだ。
 オウガがどこに住んでるのかは聞けなかったが、街で人に聞けばいいかと納得していると、頭部に小さな痛みを感じた。
 精霊がヨハンの髪を引っ張ったのだ。
はやく行こうと言いたいのだろう。精霊が指をさす方向へと足を踏み出した。



----


 街への入り口が見えた所で精霊は姿を眩ませた。
道案内はここまでなのだろう。真っ直ぐ歩いていけば辿り着ける所まで案内してくれたのだ、精霊とオウガには感謝しなければならない。
いくら方向音痴でも、真っ直ぐな道を迷う程ではない。逆に言えば、もっと手前で案内が終わっていればまた迷ってしまっていた可能性がある。
 門番といくらかやり取りをして街に入れば、丘から見ていたより人が多く、賑わっていた。
まずは宿を、と宿屋を探すとすぐに見つかった。
比較的門から近く、街の中央にも近い場所に宿屋があり、支払いを済ませる。
部屋に荷物を置いて、中央まで行くと門付近とは打って変わって、どことなく閑散とした雰囲気に満ちていた。
 必要な物を買い足す為に、まずは薬草などを売っている店に入ると、店主らしき老婆が気だるげに声をかけた。

「いらっしゃい。アンタ、旅人かい?」
「似たようなものです。
そうだ、森でオウガって人に──」
「アンタ、悪魔に会ったのかいっ?!」

 ヨハンがオウガの名前を出した瞬間、老婆は濁った目を見開き唾を飛ばしながら恐ろしい形相でヨハンに食いかかった。

「あ、悪魔?」
「アイツがいるからこの街に旅人だってめったに来ないんだ。可哀想にね、邪払いならすぐ近くの大聖堂に行けばしてくれる。まずはそこに行ってから来な。アンタだって、悪魔なんかに会ってさぞかし嫌な目にあったろう?」
「あー、えっと心配してくれるのは嬉しいんですけど……オウガって悪魔なのか?」
「ここでオウガっていやぁ、悪魔の子、森に住んでるヤツしかおらんわ。
とにかく、まずは大聖堂に行って清めてもらいな。悪魔と会って清められてもいない者に商品を売るのも嫌でね」
「はぁ……」

 ヨハンの脳裏に浮かぶのはだぼついたローブを着た、精霊に干渉できる栗色の瞳の少年だ。
とてもではないが、悪魔のようには見えなかったし、迷子になっていたヨハンを街に辿り着けるようにと手を貸してくれた。
最後に見せた笑みは、人の良い者が浮かべるそれに見えた。
 なぜ、彼が悪魔と呼ばれているのか、なにか理由があるのか。
街に着いたばかりのヨハンにはなにもわからない。わからない、がこのまま店に居座っても老婆に迷惑をかけるだけだろう。
大聖堂に行けば、なにかわかるかもしれないとヨハンは店を出て白い壁と大きなステンドグラスで存在感がたっぷりとある場所─おそらくここが大聖堂だろうと、足を踏み入れた。




 ぐったりとしながら、道の上で佇む。
大聖堂には司祭が居て丁寧に“悪魔”のことを教えてくれた。
曰く、オウガというのは悪魔という意味の言葉らしいこと。彼の名前は街の者は誰も知らないということ。彼は所謂忌み子で、間引こうとした時に闇の精霊が阻止したと。
 精霊にも属性があり、ヨハンを街まで案内してくれたのは地の精霊だ。他にも水、火、光、そして闇の属性がある。
精霊側から人に干渉するなど、しかも人の命を助けるために動くなんて聞いたこともない。故に、彼は闇の者、悪魔の子だと街の人達は思ったらしい。
 悪魔の子だとわかるや否や、森の奥の小屋に幼い彼を置き去りにしたとか。
赤子を1人森の中へ置き去りにするというのは、見殺しにしたも同然。だったのだが、彼は生きながらえ今も森の中で生活をしている。
更に街の人達が彼を悪魔の子だと忌み嫌う理由の中で、彼は純粋な人の子ではないというのがあるようだ。
ハーフや亜種はよくいるのだが、彼は生まれてすぐ目を開け、よくわからない言語を口にしたとか。
その時、彼の目は左右違う色に光っていたとも。
 確かに、悪魔の子は生まれてすぐに言葉を操り、目を光らせ人を惑わせると言われている。
街の人たちが恐れても仕方がない、と思う反面
旅の一番の目的である、ハーフや亜種、精霊について調べているヨハンにとって彼が本当に悪魔の子なのか疑問であった。
 彼が正しく悪魔の子であったならば、ヨハンは生きて地に足を付けてなどいられていないはずだ。森に大人しく住んだりもしないだろう。

 寝静まった夜、ヨハンは音を立てないように宿から出た。
目的はオウガと名乗ったあの少年に会うこと。
門を潜る抜ける時に門番から何か言われたらどう答えようかと悩んでいたのだが──

「誰もいないって、大丈夫かぁ、この街……」

 門には人っ子1人居らず、拍子抜けしてしまうほどあっさりと街の外へと出れた。
森が近くにあるのだから、山賊や、獣、はたまた魔獣が襲ってくる可能性だって低くはないのだ。
なのに、何故誰も見張りがいないのだろうかと首を傾げながらヨハンは森へと続く道を歩く。月と、カンテラの中で発光している魔石の明かりだけだが、充分なほど明るい為、足取りはしっかりとしている。
 それにしても、特別な結界でも張っていない限り、夜に見張りを付けないなど自殺行為に等しい。
かといって、結界が張られているような気配は微塵もなかった。
 一体、どうやって街の安全を守っているのか。
その答えは、ヨハンの眼下に晒される。

「お前……」

 血で赤黒く染められた肌はほ。べったりと血がこびりついた2色の髪が風で揺れる。栗色だった瞳は左右違う色をしていて、淡く妖しい光をたたえていた。
足元には、魔獣の死骸。よく見えないが、他にも死骸が転がっているようだ。
つまり、一人で魔獣の群れを一掃したということだろう。
門番も、見張りもいない理由──彼が、悪魔の子と呼ばれている彼が闇の中の脅威から街を守っているのだと悟る。

「怪我は?! 一人で全部やったのか?」

 弾かれるように彼の元へと駆けつけ、無事を確認する。武器を持たない彼が魔獣と事を構えて生きているのは、奇跡か、彼がよほど腕の立つ戦闘慣れした者かのどちらかだ。
 例外としては、精霊に手助けをしてもらった場合。

「な、なんだよ、お前……こんな時間に森に来たら危ないだろ」
「それよりキミは大丈夫なのか」
「う、お……俺は、平気だけど……」
「よかった」

 自然と体の力が抜ける。肩を掴んでいた手に額を当てて長く息を吐くと血腥さが鼻についたが、なにより安堵感がヨハンを包んでいた。

「変なやつだな……俺が、なんて呼ばれてるのか、どんな奴なのか……街で聞かなかったのか?」
「ああ、なんとなくはな」
「なら……っ」
「オレの中じゃ街でのキミへの評価は疑問だ。だから、会いに来たんだけど……血だらけだし、びっくりしたぜ」

 気が付けば栗色に戻っていた瞳をまあるくして、彼はきょとんとしている。
そのあどけない顔が、無防備で、いかにも人間臭かった。

「オレ、キミとはじめて会った気がしないんだ」

 彼を見た時に感じた感覚、ひどく懐かしいような、求めてやまなかったものがそこにあるような、胸を締め付けられるあの衝撃。
言葉にすれば、すとんと胸に落ちた。

「もっと、知りたいんだ。まずは、名前を──本当の名前を教えてくれないか?」

 彼はふはっと笑い声をあげて、目を細めた。

「本当に変なやつだな。十代、それが俺の名前」

 もっと彼、十代と話したいと口を開いたところで、その前に、とヨハンの言葉を遮った。

「体洗いたいんだけど、それからでいいか?」

 そういえば十代は魔獣の返り血まみれでよく見るとローブにも血が染み付いていた。
頷くと、十代は歩き出し迷いなく水場へと辿り着いた。
ずっと森に住んでいるというのは本当なのだろう。奥にあるという小屋に風呂なんて立派なものがあるとも思えない。

「ヨハンは、そうだな……適当に座っててくれ」
「オレもついでに水浴びしようかなぁ」
「するなら俺の後にな」
「なんでだよ」
「気持ち悪いもん、見たくないだろ?」

 最初に悪魔という意味であるオウガと名乗ったように、十代は生まれてからずっと受けてきた扱いによって自己認識が、自己評価が低いようだ。

「男の裸が気持ち悪いとか別に思わないぜ?」
「まあ、ヨハンがいいなら……いいのか?」

 ローブを頭から抜くように脱ぎ、下着も纏めて脱ぎ捨てると服に隠されていたなめらかな肌と、
片方だけ膨らんでいる胸が顕になった。
見ようと思って見た訳ではないが、内心なるほど、とヨハンは思っていた。
 稀に男とも女ともつかない体で産まれる者がいるという事は知識として知っていた。そして、それが忌み子とされることも。

「あんまジロジロ見んなよ」
「悪い悪い、あんまりにも綺麗な肌だからさ。なんか秘訣とかあるのか?」
「はぁ? 肌とか、気にしたこともないぜ」

 ふと、臍の下に模様のようなものが浮かんでいるのが目に入った。

「腹のそれって元々付いてるのか?」
「ああ、これか。これはユベル……色々、俺のこと面倒見てくれる精霊がお守り代わりにって」
「へぇ、優しい精霊なんだな」

 十代はぱちぱちと瞬きを数回した後、薄らと笑みを乗せて頷いてみせた。


 こびりついた血を洗い流し、ヨハンも軽く水浴びをした後
風邪をひいてはいけないと言い出した十代によって、十代が住んでいる小屋まで連れてこられた。
 いくつか話をして、すっかり2人の距離は縮まった。
時折、憂いに陰る瞳は何を思っているのか、ヨハンにはまだわからないが、十代が心根の優しい人物なのだということがわかるには充分な時間だった。

「そろそろ街に戻らないと、みんな起き出すぜ
ヨハンが森から出てくるのを見られたら、何されるか……」

 様々な地に赴き、多様な視点で沢山のものを見てきたヨハンだからこそ、十代が忌み嫌われる存在などではないとわかるが、他の者にとっては街で語られているように、悪魔の子だという認識こそ正しいのだ。
 街を守っているのが十代だともしらず、十代を否定し森の中へと隔離している。

「明日も、会いに来ていいか?」

 気の利いた言葉も思い浮かばず、口から出たのはヨハンの欲望だった。
もっと一緒に居たい。声を聞いていたい。こんなにも1人の人間に関心を持つのはヨハンにとって初めてのことだった。

「止めておけ」

 低い声が、ヨハンの望みを叩き落とす。

「ヨハンが知りたいことなら、言える限り教えるし、俺に出来ることならなんでもする。でも、何回も会いに来るのはダメだ。
いつか他の奴らにバレるかもしれない。そうなった時に俺がヨハンを助けられるとも限らない……だから、」
「それでも」

 ヨハンの大きな声が狭くボロい小屋に響いた。
やけに口の中が乾いて、唾を飲み込む音が嫌に大きく聞こえた。

「オレは十代に会いたいし、もっと喋りたい。人の目をかいくぐるのなんて、慣れてるし」
「なんでヨハンはそんな無茶をしようとするんだ」

 責めるような、悲しく揺れるような声を聞いて、ヨハンは胸の内に溢れる思いを舌にのせた

「もっと仲良くなりたいんだ」

 胸が苦しくなるような想いも、あたたかにやさしく胸に小さく灯るような想いも、全て十代の隣にいたいとう気持ちへ集結する。
恋に、落ちているのだろう。はじめて姿を見た時から、声を聞いて、言葉を交わして、好きになったのだと思えば自然と笑みが浮かぶ。

「十代が、街でなんて言われていても
オレは、仲良くなりたい」

 見開かれた目があっという間に水の膜を張って、驚いているような、泣いてしまいそうな顔をして十代はヨハンを見た。

「俺、普通の人と違うんだぜ」
「なにが普通なのかは置いておいて、色んな奴をオレは見てきたぜ」
「あ、悪魔の子とか言われてて、」
「街の司祭って奴からも聞いたけど、オレには悪魔の子になんて見えないな」
「目だって、変な色になったりするんだぞ」
「さっきのあれか? 綺麗だって、思ったぜ」

 泣いてしまう寸前のようや表情で、十代は美しい声を震わせながら、変なやつと笑ってみせた。
この笑顔を、守りたいと。ヨハンに特別な力もなにもない、精霊が見えない人の方が多くなった現代で精霊が見える程度の男だが。好きになった人の笑顔を守れるようにありたいと強く思った。




______



 ここへきてから数週間が経った。
毎夜、こっそり宿から抜け出し十代に会って他愛も無い話をしたり、森を散歩したり、時には魔獣や獣から守られたりしながらも、大きな問題なく日々は過ぎていった。
 薬草や精霊について調べる為と言い森に向かうと必ず魔除の類のものを渡されたが、全て部屋に置いてあるリュックの底に眠っている。
 昼間に会いに行くと、必ず十代は驚いて、それからヨハンを叱るのだ。
最終的には仕方がないなとでも言うように許してくれるから、ヨハンはたまに昼でも森の中に入る。
勿論、街人に怪しまれない程度に頻度は抑えているが。
 元々、いずれ去る予定で街へと来たのだが
永住するのも悪くないなとヨハンは思い始めていた。
閑散とした雰囲気は決していい気持ちになるものでもないし、ことある事に“悪魔の子のせいだ”と言う街人と、仲良くなることも難しいだろうが
十代がいる森に近く、夜になれば会えるならば
ここに身を落ち着けるのもいいなと、これからを想像する。
研究は今までのように旅をしながらやっていたようなスピードではできなくとも、やれないわけじゃない。
 この街に住むと言えば、十代はどんな反応をするだろうか。変なやつだと笑ってくれるだろうか。
 そもそも、十代は少しばかり危なっかしい所があるのだ。
いくら魔獣の群れにも引けを取らないとは言え、必ず怪我なしでいられるわけではない。
怪我を負っている姿を、ヨハンも何度か目にした。
 はじめは、十代を蔑む、街自体が十代を否定し、悪しきものと決めつける場所を守る理由がわからなかったが
なんとも簡単なことだった。理由なんてないのだ。
そこに人が居て、何かに襲われそうになっていれば十代は身を呈してでも守ろうとする。
 そこが愛おしくも、もどかしい。
十代の想いは誰にも伝わらず、どれだけ血を流しても、叫んでも、決して届くことはないのだ。
ならば、自分は理解者でいよう。届くことのない想いを受け止めよう。震えているなら、抱きしめよう。
 些細な行動が、どこまでも人を愛し守ろうとする姿が、眩しく愛しい。
今日はどんな話をしようか。そう考えているだけで、ヨハンは確かに幸せだった。



 だが、穏やかで、ヨハンにとって充実した日々は残酷に、呆気なく、終わりを告げた。



 月も隠れている夜、いつものように小屋で話していると十代は突然黙り、ヨハンの腕を引っ張り小屋の奥、物が乱雑に置かれている所に押し込んだ。

「絶対に声出すなよ、大丈夫、大丈夫だから…素晴らしさに俺が絶対にヨハンを守るから」

 突然の事態に目を白黒させていると小屋の扉の向こうから大勢の人の気配と、怒気を孕んだ怒号が聞こえてきた。
十代は振り返ることもなく、扉に向かい、軋む音を立てながら扉を開けた。

「お前と魔獣が居るのを見た者がいる」

 そこに立っていたのは、大聖堂で会った司祭だった。
司祭の後ろにも人がいるようで、怒鳴っていたのは後にいる方の奴のようだ。

「やはり、悪魔の子という訳か。魔獣を従え、我々に復讐をするつもりだったのだろう」

 司祭の言っている事が、ヨハンにはわからなかった。復讐? 魔獣? そんなことを十代がするわけがない。十代は街に魔獣が行かないよう、人を襲わないようにしていたんだ。
ヨハンかま叫びだしそうになった時に、十代の低い──はじめて会った日の夜、ヨハンに会いに来てはいけないと告げた時よりも低く感情を感じられない声で、司祭に向かって言葉を放った。

「それが、お前達の見え方なんだな」
「貴様か認めようと、否定しようと答えはもう出ている」
「そう、か……。一つだけ、頼みがある」
「悪魔の子の言葉に耳を貸すと思ったか?!」

 司祭の後から十代を親の敵のように睨んでいた男が声を荒らげた。

「夜になれば魔獣が活発になる、だから見張りを……」
「はっ、何を言うかと思えば戯言をっ
夜の間は司祭様の法力で守られてるんだ、魔獣が街に近付くことさえできねぇよ」

 男が、蔑みをあからさまに孕ませた声で怒鳴りつけると、それまで黙っていた他の者達も十代を詰った。
聞くに耐えない、罵詈雑言。
十代が守っていた、街が、十代を見捨て、今、十代を傷つけている。

「結界もなにも貼られてないんだ! 今はなくてもこれからは張らないとッ」

 ごん、と鈍い音が響き、なにかが倒れた音がヨハンの耳を苛む。
よく見えないが、怒鳴っていた誰かに十代が殴られて倒れた音だろう。

「もういいでしょう」

 ガタガタと音を立て、十代が立ち上がる気配と、司祭が詠唱をはじてたのはほぼ同時だ。
耐えきれなくなり、ヨハンが動こうとした時には、司祭の詠唱が終わり、音が無くなってしまったような静寂に包まれた。

「……これで、悪魔の子は永遠に封印された。皆安心してくれ」

 膝から力が抜けてがたんと、大きな音をたててヨハンはその場に崩れ落ちた。しかしその音は男達のけたたましい歓声によってかき消された。

「なんて歪んだ顔っ! せめて、その目を伏せさせてください。おぞましくて……」
「わかりました」
「これで多少マシな顔になったな」

 汚い笑い声が飽和するように頭の中で響いて、何も考えられなくなった。
次第に遠ざかる足音と声。
封印、とはどういう意味なのか。十代になにがあったのか。確かめようとしても体が言うことを聞かない。意思に反してみっともなく震えるだけだ。
 人の気配がなくなった小屋を、重い闇がつつみこむ。
すると、まるで嵐でも襲ってきたような暴力的な気の乱れが暴れ回る。
あっという間に、ボロい小屋は破壊され、木の破片や吹き飛ぶ物が当たり、頬に切り傷が走り、肩に重い何かがぶつかった。
 痛みで意識が多少クリアになったヨハンが見たものは、

「精霊……」

 精霊の中では珍しい人形の、雌雄同体の精霊が居た。
歪な手で氷のようなものを愛げに撫で、その精霊は飛び立っていった。
 なにが起こったのか、全く理解できていないヨハンがノロノロと立ち上がると、大きな氷のような塊があった。
ついすこし前にはなかったそれ。その中には──

「じゅう、だい……」

 足を縺れさせながらその塊の前に立つと、目を瞑ったままの十代が閉じ込められていた。

「あ、ああ……ああああああッ」

 意味をなさない言葉が口から出て喉を震わせる。どれだけ叫んでも、胸の痛みは軽減されない。見開いた目からは滂沱の涙が止めどもなく溢れて止まらない。
 触れても冷たさを感じないその塊は、氷ではなくクリスタルなのだろう。
 皮膚が裂けて血が滲むほど殴ってもビクともせず、ただそこにあった。
守りたいと、守れる人であろうと己の中で誓ったはずが
現実としては、何一つ出来ないまま、ヨハンは愛しい体温も美しい声も、全て失った。




 どれほど時間が経ったのか、或いは何度朝が来て夜になり、また朝が訪れたのか。
なにもしないまま、できないままクリスタルに縋るような姿勢のままヨハンはそこにいた。
 司祭が口にした封印という言葉が真実であるなら、この世のなにをもってしてもクリスタルがひび割れ、中から十代が出てくることは無い。
封印の為のクリスタルは、破壊すらできないのだ。
 カサついた唇から洩れる声は掠れて、風が吹けば掻き消えてしまいそうなほど小さい。
ふと、足元に温もりを感じ目線を落とすと精霊がまるで閉じ込められてしまった十代を悼むかのように悲しげに震えていた。
周りを見れば、その精霊だけでなく、数え切れないほどの精霊が十代を閉じ込めるクリスタルの周りにいた。
 もしかしたら、精霊の力があればと期待する心が熱を持ってヨハンの瞳に光を灯す。
精霊の力を増長できるような物が荷物の中にあったかもしれない。
 飲まず食わずで過ごし、ボロボロな体に鞭を打って立ち上がり、僅かな変化すらないクリスタルの中で時を止めた十代を見て、ヨハンは街に向かって走り出した。何度も転げそうになり、倒れてしまいそうなほど意識が朦朧としたが、門の前までたどり着けた。
 しかし、その門は破壊され、街に人の気配もなくなっていた。
確証などないが、ヨハンが見たあの人形の精霊がやったのだろうと思った。
 ヨハンが泊まっていた宿屋は瓦礫の山と化していたが、なんの躊躇いもなくヨハンは素手で瓦礫と砕けた硝子の山を掘り返した。
爪が剥がれ、指先が歪になるほどぐしゃぐしゃになっても痛みなど気にならなかった。十代の受けた痛みを思えば、痛みですらない。
ようやく、見つかったヨハンのリュックはズタズタになっていて、中に入っていた物で無事だったのは森に行く度に街人から貰った魔除グッズくらいだった。
 それらが、十代が閉じ込められているクリスタルの周りにいる精霊に微力でも力を与えたりできる物ではない事は、頭を回すまでもなくわかりきっている残酷なまでの真実であった。
 精霊が人間の魔法に関与できるのは、精霊に関与できる者が発動する時のみであるということまた、現状を打破することが出来ないことをヨハンに叩き付ける知識。
いっそ、無知なまま目に映る全てに縋れればヨハンの心はこれほど打ちのめされることは無かっただろう。
 物陰に隠れて、身動きもできずただ見ていることしかできなかった。愚かで、無力な己をいくら嫌悪しても何も変わらない。慟哭でさえも、虚しく破壊された街に響くだけ。






 茜に染まる空の下で、無気力になにも映さない──否、クリスタルの中で時を刻むことも、生きることも許されないまま閉じ込められている十代の姿のみを映している──翡翠の瞳は赤く充血し、唇はカサついて乾いた血が赤黒く汚している。
 もっとはやく、好きだと伝え、どこへでもいい。とにかくここではない場所へ。十代を悪魔の子と忌む者の居ない場所へと連れ出せば良かったのだ。もしくは、せめてあの時、ヨハンだけではなく十代も隠れていれば。
 ヨハンの内に焼き尽くすように後悔と己の無力さ、嫌悪が渦巻いている。
 どれも、遅すぎたものであり、起こってしまった現実を変えることなどできない。そうわかっていても、不甲斐なさに死んでしまいたくなる。
 ヨハンが十代にしたのは束の間の、本人に確認したわけではないいくらかヨハンの願望混じりの、なんでもない時間を僅かに与えただけだろう。
忌み嫌われ続けた十代に、なんの躊躇いも嫌悪も抱かずに接した人間がヨハン以外にも居たのか、わからないが。そうした時間の中で差別に塗れた視線に晒され続けていた十代に少しでも穏やかな気持ちになれるようになれた。そう思いたい自分勝手な想いだが。
だが、それだけだ。なにもできなかった。なにも与えれなかった。ヨハンの目の前で、永遠の終わりなき終わりを受ける十代を庇うこともできず。


 大気が震えるような感覚が思考の海に溺れていたヨハンの意識を現実へと引き戻した。
鈍く辺りを見渡せば精霊達はなにかを威嚇するように敵意をむき出しにし、暗くなった森の奥を見ている。
 そこへ視線を向ければ牙を剥き出しにした魔獣の群れがいた。武器もなく、立ち向かう気力もないヨハンは魔獣の群れになす術などない。
このまま、食われてしまうのだろうと思い至っても恐怖は訪れなかった。痛いのは嫌だし、死というものへの本能的な恐れもあるが
それを覆すほど、十代がいない世界を生きていく事へ意味を見出せていない。何も出来なかった己の罪を背負い、見殺しにしたともいえる存在を置き去りにしてまでも生き残ることなど、ヨハンにはできない。
 魔獣が地を蹴った瞬間、光を感じた。
すぐ側で感じた光は輝きを放ち、世界から音とヨハンの意識を奪った。



______


 この数週間ですっかり慣れ親しんだ声が鼓膜を震わせる。愛しさに胸が軋み目の奥が熱を持つ。
今すぐに触れたい、抱きしめたいという想いが溢れ出してしまいそうなほどヨハンに強く訴えかけるが、どう腕を動かせばいいのか、指をどうすれば動かせるのかがわからない。

「危ないだろ」

 怒りを孕んだ声がヨハンへと向けられる。
もっと、もっともっともっともっと声が聞きたい

「もうちょっとお前は賢いと思ってたのに。あのまま、食われるつもりだったのか」

 責め立てる声さえ甘美な喜びをヨハンに与える
もう2度と聞くことが叶わない筈の声。

「あと、俺がそうしたかったからそうしたことなんだから……あんなに、自分を責めてるとこを見てるのはつらい、ぜ」

 愛しい、愛しい愛しい愛しい声が震える。どうして震えている。悲しいことが、いやなことがあったなら、今度こそそれを払いのけよう。だから笑って、笑っていてほしい。

「す、好きだ、とか……そういうのも全部聞こえてくるし……」

 ふわりと、なにかがヨハンの頭に触れた。

「……本当に、変なやつだな」



______


 眩しい光が瞼を刺激する。心地よい怠さに浸かっていた体が目覚めていく。
気怠げに瞼を持ち上げると栗色の瞳が見えた。

「よう、おはよう」

 苦笑を乗せた声が、緩む目尻が、覚醒しきむっていなかったヨハンの意識を一気に引っ張り上げる。

「どっか痛いところは? 手とか、すげぇ痛そうだけど……」

 目の前で動いて、喋っているのは、

「おま、なん……え、」

 ヨハンがもう取り戻せないと絶望していたはずの存在。十代が、ヨハンの目の前で喋り動いている。

「えっと、俺にもよくわかんなくて……ユベルの付けた臍のとこがぶわーって熱くなって、気付いたらって……よ、ヨハン?」

 目から熱い大粒の涙が頬を濡らしていることに十代の指が目尻を拭ってはじめてヨハンは気付いた。

「おれ、なにも、できなくて、」
「……なぁ、ヨハン」

 目を細めて微笑するその姿は、光を受け神々しくさえ見えた。喉が震えて上手く喋れないヨハンを慈しむような優しさととっておきの話をするような穏やかさを乗せて十代は口を開く。

「お前の声がずっと聞こえてて、泣いてるのとか、全部聞こえててさ、どうにかしなきゃ……いや、どうにかしたいって思ったんだ。
俺が、お前の涙を拭いたいって。ヨハンが、俺をたくさん助けてくれたみたいに、助けたいって思ったら、外に出れた」
「オレが……?」
「ヨハンが、俺の体見ても、変なとこ見せてもなんでもないって言ってくれるたびに。ヨハンが会いに来てくれるたびに。笑ってくれるたびに、俺は助けられてた」
「───」
「そんでもって、ヨハンと会えない間、さ……寂しいとか、そんな風に思うようになっちまったんだぜ……今までそんな事、思ったこともなかったのに……どうすんだよ」

 衝動のまま抱きしめると、ローブ越しに確かな温もりを感じた。
どんな原理が働き、何故クリスタルに閉じ込められていたはずの十代が今ここにいられるのかもわからない。ただ、奇跡が起きたのだとしか思えない。その奇跡にどれだけ感謝しても、足りないし、十代の可愛らしい発言を愛しすぎて受け止めきれない。とりあえず、

「十代、オレと、色んなものを見ようぜ……もっとたくさんの事をして、もっとお前と笑いたいんだ」

 ヨハンと十代の時間ははじまったばかりだ。






end

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