小説
根無し草と共に
信じられない。にこにこと満足気に笑っている男を見て重いため息が口から吐き出される。
今なら覇王のデュエルディスクで色んなものを粉砕してみたい。持ってないけど。
今と似たような状況に数日前なったばかりなのに。これはいったいどういうつもりなんだ。
【根無し草と共に】
適当に宿をとって、近場にあった古い飲み屋に入るとアルコールの匂いとざわざわとした空気が流れてきた。
人気のない隅の席に座ってとりあえず飲み物を頼む。
酒が飲めるようになってから、疲れた身体にはアルコールが染みると知ってしまってからはこうしてふらりと立ち寄った街で、これまたふらりと立ち寄った飲み屋で飲む癖がついた。
ユベルは飲みすぎるなとかうるさいが、大徳寺先生は「十代クンも大人になったんだニャー」とかうれしそうに笑っていた。親戚のおじさんか。
しばらくちびちびとアルコールを舐めていると長身の男に声をかけられた。
人当たりの良さそうな無害な笑みで隣の席を指さす。
「ここ、座ってもいいかな?」
「好きにしろよ」
ありがとうと言って座ると色素の薄い目を輝かせて見つめてきた。
うわ、絶対面倒臭いやつだ。無害そうに見えても、これは面倒臭い展開になる。
「キミ1人?決闘者だよね?」
あーはいはい、そうですよ。適当に返事をしても男はめげない。
しまった。無視をしていればよかったか。
「キミってなんだかセクシーだよね。どんなデュエルをするのか知りたいな」
腰を抱こうとする腕を叩き落とす。
もっと1人で楽しみたかったが邪魔が入ってしまっては仕方がない。
代金を叩きつけて店を出る。
ああいった面倒臭い男は早めに見切りをつけるに限る。経験上。
「違う店に行く? それとも僕の部屋に来て飲み直すかい?」
驚いたことにそいつはどこまでもついてきた。
無視をしても何度も話しかけてくる。
やっぱり最初に相手するんじゃなかった。
にこにこと笑う男は俺が足を止めると満足気に笑った。
面倒臭い。粘着質な男は嫌われるぜ。たぶん。
少なくとも俺は嫌いだ。
「ついてこないでくれるか。これから恋人と過ごす予定なんだよ」
ユベルの太鼓判付きのしかめっ面を貼り付けて男を睨む。
この表情なら大体の奴は逃げる。ユベルは妊娠できそうだと喜んでいたけど。
「なんだよ、恋人がいるなら先に言えよ!」
舌打ちをして男は去っていった。おめでとう俺。面倒臭い奴をここまで引きずるハメになった原因である数十分前の俺は殴っておいた。心の中で。
と、ここまで前置きだ。フリってやつだな。
こんなのもうごめんだと思った数日後にそいつはやってきた。
それはもうそこらの女が見たら倒れるくらいいい笑顔で。
最初は信じられなくて無視をしたが奴には効かない。
うろうろと俺の周りでなんで無視をするんだとか、なにか一言くらいくれてもいいだろうとうるさい。
足を止めればこれ以上ないってくらい眩しい笑顔を咲かせた。
これってデジャヴ?あれ、意味が違うか。
「何しにきたんだよ、ヨハン」
そう、何故か俺の後を追ってきたのは親友のヨハンだった。
頭も容姿もいい、卒業した後もあちこちから引っ張りだこのヨハン・アンデルセンくんだ。
忙しいんじゃなかったのか、とか用事があるって言ってたのにそれはどうしたんだ、という文句を込めてじろりと睨むがヨハンは笑みを崩さない。
「十代に会いたくなっちゃってさ!」
会いたくなっちゃってさ!って。かわいいな。いや違う。そういう事じゃない。
「お前、恋人はどうしたんだよ」
そう。恋人。
ヨハンに恋人ができたようだとジムから聞かされた時は血がいっぺんに凍る思いをした。
それまで俺はヨハンと付き合っているもんだと思っていたからだ。
告白もなにもなかったが、キスをしたり抱きしめ合ったりしていたし、俺はこれが恋人同士ってやつなんだと疑っていなかった。
何も言わず、ヨハンと会う回数をぐっと減らした。
ヨハンと恋人でいたつもりだったことも恥ずかしかったし、ヨハンが本当の恋人といちゃついている所を見たら立ち直れないと思ったからだ。
好きだけど、ヨハンが幸せならいいと身を引いたのに、ヨハンはのこのこ俺に会いに来たらしい。
信じられない。
俺がどれだけ我慢してたと思ってるんだ。そもそもなんでキスなんかしたりしたんだよ。
悔しい。
会ってしまえばどんな覚悟をしていても高鳴ってしまう心臓が憎い。
「金髪の、綺麗な女の子だって聞いたぜ」
「はあ?」
「だから、お前の恋人の子! ジムがデートしてる所に居合わせたらしいな」
「ああ、あの時か!」
あの時か。じゃない!
俺の中にあったもしかしたら、ジムの勘違いなんじゃないかという儚い希望は砕け散った。
「たまたまジムが来てたなんて知らなくてさ。びっくりしたぜ」
これ以上聞きたくない。でもヨハンの声は聞きたい。わがままか。わがままだな。
「アンナには悪いことしたなぁ……つい話し込んじまって、後で怒られたぜ」
やっぱ無理だ。今すぐサレンダーしてしまいたい。
力を使って飛んで逃げたい。
「へえ、アンナっていうのか」
これ以上は俺の心の平穏によろしくない。
よし、逃げよう。それじゃあそのアンナと仲良くな!そう言って逃げてしまおうと思い足に力を入れたら肩をがしりと掴まれた。
「仕事ばかりしてたら恋人にふられたって愚痴を聞いてただけなんだけど、なんでアンナがオレの恋人みたいになってるんだ?」
「は?」
「オレ、十代と付き合ってるはずなんだけどなぁ」
地雷原のカードの絵が脳裏にちらつく。
あれ?うん。俺もそう思ってたけど、恋人ができたって……
「それで、十代はどこに行こうとしたんだ? 恋人を置いて、どこに、行こうと思ったんだ」
トラップ発動。墓場からジムの勘違いのカードが召喚される。
現実逃避気味の俺の脳内にどろりと溶かすような声が流し込まれる。
「詳しいことはベッドの上で聞くぜ」
今回のことで俺は2つ学んだ。
一つは面倒臭いことに巻き込まれる前に無視をする。
もう一つは、確認は大事って事だ。
END
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