夕刻5(後編) 「…………」 「お、父さん……?」 俯く、お父さんは何も答えてはくれない。 あれから何日、何週間もたった。家計はまさに火の車と言う言葉があるが、今の我が家はそれ以上に困窮している。加えて、日に日に段々と憔悴していくお父さんは見るに耐えない。出来るなら、変わってあげたい。そういう気持ちでいっぱいだけど、実際はそんなことはできない。 自分の無力を噛みしめることしか私には出来ない。 ――神さまはみんなに平等に接してくださって居るんだ。いつも僕たちのことを見てくれていて、困った人を助けてくれるんだよ、クレハ。 ……そう、語ってくれた『お父さん』。 だけども、そのお父さんは今、どうだろう? お父さんは、今、まさに困っているんじゃ無いのだろうか。 神さまにはこれが、この姿が何かに歓喜している風に見えるのだろうか。 ――誰にでも、平等に。愛を、幸せを与えてくれる? ――あぁ、なんて博愛主義。 誰にでも優しくて平等にと言うことは、誰にでも態度を変えないと言うことで。 つまりは、接し方を変えないと言うことは、特別を与えてはくれはしないのだ。博愛は、誰か一人にでも肩入れしてくれはしない。 誰にでもそんな風に同じく見守ってくださる神さまのなんと素晴らしいことか。そんなこと、昔から分かっていたと言うのに、幸せぼけをして居た私が恨めしい。 土下座をして懇願、したところで神さまがしてくれることと言えば見ていて下さることだけなのに。 ―――*−*−*――― 陽が沈んで、仕事をしていたなら父が帰ってきていたであろう時間帯。 幸いにしてか何なのか。我が家は亡くなったおばあちゃんから貰いうけたものなので、住むところには困らなかった。 問題は食べるモノ、だ。何も無い。お腹がすいてすいてすき過ぎた時にはお腹が痛くなるのだということも分かってしまった。だって今、身を持ってそれを体験しているから。 仕方が無いと諦めてしまえるほど、物事は簡単にはいかない。 子どもである私は、もうとっくに寝なければいけない時間なのだろうけど、どうにも今日は寝付けそうにない。それどころか、逆に目が冴えていくような気さえする。 リビングといえる場所からは、話し声が聴こえてくる。 この時間に両親が起きているのは当たり前のことなので、私はなんの気なしにそこへと向かった。 せめて眠気が来るまでで良いから、誰かと話していよう。 微かに扉の隙間からもれて来る光を見ながら、取っ手へと手を掛けた。 「……ねぇ、あなた……クレハが」 「五月蠅い!! 文句があるなら、出ていけばいいだろう! ここは僕の家だ。僕がルールなんだよ」 聞えて来た自分の声、そして怒声に思わず動きを止める。 「でも、そんな……っ!」 「文句があるなら、出ていってくれて構わない。――分かるだろう……? 仕方が無いんだよ」 ――お父さん? あんなに、憔悴しきっていて、元気が無かったのに。何処にこんな大きな声を出す元気があったのだろう。光がもれてくる場所から、のぞき見ると、その声を出しているのは、どうやらやはり、お父さんらしい。 喧嘩なんてしているのを、始めてみた。 二人とも喧嘩なんてしないし、ましてや怒鳴るなんてことは無い。私が何かをしても、ただ静かな声で咎めるだけだった。 「あなた……ッ、クレハに聞える……ッ!」 「――あ……あぁ、そうだな。……とにかく、このままじゃ三人でのたれ死ぬだけなんだよ。こうするしか無いんだ。――子どもなら、また作ればいい」 ――ッ!? 子どもなら、また、作レバ良イ? 何、それ。 お父さんは、それから声音を優しいものへとガラリと変えた。 「僕とクレハ、どちらが君にとって大事なんだい?」 「そんな聞き方って、」 「とにかくっ! 仕方が無いんだよ。つてはある。君さえ頷いてくれれば、また幸せな日々が戻って来るんだよ。お金が手に入るんだ」 「そんな……、そんな……っ」 だから、クレハのことは諦めて、売ッテシマオウ? うろたえるお母さんを押し切るようにして、言い切ったお父さんの声を聞く。隙間から見えるお父さんは未だ微笑んだままで。 私は音を立てないようにゆっくりと静かに後ずさる。 逃げないと。――これは、きっと、夢だから。 ―――*―*―*――― 「――あッ」 ――夢だった? あれは、きっと夢だったんだよ。 まわりを見回して、ここが自分の部屋であることに安堵する。 たいだい、馬鹿馬鹿しいじゃない。お父さんが、私のお父さんが、あんなことを言うはず無いじゃない。 ドアを開け、落ちないように気をつけながら階段を降りる。 だって、お父さんは元気が無いもの。ほら、皆いつも通り――、 「あ……、お父さん……?」 「あぁ、クレハ。おはよう、昨夜はよく眠れたかな?」 私はお父さんに飛びついた。 「お父さんッ! 元気でたの? もう大丈夫!?」 「心配かけてごめん、もう大丈夫だよ」 優しく、私に向けて笑顔をくれる。ほら、悪くなるどころか、どんどん事態は良い方へと進んでいく。 「クレハ、朝ごはん出来たわよ」 「はーい!」 お母さんに呼ばれてから、食器を並べ始める。 お母さんの笑顔は、どこか歪。だけども、私はお父さんが『元に』戻ってくれたことが嬉しくて、そんなこと、全然気づかなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |