妖戦雲事変
壱
インサーニアは、巨大な鉤爪を今度はスザアに向けた。
「どけ、邪魔するな……」
だが、スザアは首を振り、それを拒んだ。
「彼に何かあったら、かなぎ様はとてもお怒りになると思うよ。インサーニア、キミは加減を知らなすぎる」
睨み合い、お互いを牽制しながら、スザアは微かにレイグスを振り返った。
「レイグス。キミはもう、帰って」
「でも」
「僕なら大丈夫だから。──ナイトメア。レイグスを連れて行って」
スザアが言うと、レイグスの影からナイトメアが姿を現した。頭で彼の背中を押し、ここから立ち去るよう促す。
「おいっ。急にどうした、ナイトメアッ」
ナイトメアの行動に、明らかにレイグスは動揺していた。スザアを除く四人も、ナイトメアに視線を釘付けにする。
「やめろっ。俺の言うとが聞けないかっ」
「──いいから、早く連れて行くんだよ」
突然、スザアが低く言った。表情、声色、雰囲気──いつものスザアと違う。穏やかな口調と、優しい微笑みの彼ではない。そのことに、皆の顔には戸惑いが浮かんでいた。
だが、圭介は知っている。表情が冷たく、恐ろしいと思うほどの雰囲気を彼が醸し出すことを。学校で名簿を見た時の彼の様子が、頭に浮かんだ。
「……っ。──わかった」
しつこく背中を押すナイトメアに、ついにレイグスは折れた。振り返り、皆を──スザアを見た。
「気をつけて帰ってね」
レイグスを見るスザアの眼差しは、いつもの優しいものに戻っていた。
しばらくスザアを見た後、レイグスは踵すを返した。
「……前にも思ったんだがの、スザア。なんでナイトメアはお前の言うことを聞く?」
レイグスが去ってから、弦之助はスザアに訊ねた。
「僕が彼の親友だからじゃないかな。主の親友の命令なら、聞こうと思ったんじゃない? 妖は頭がいいからね」
「そうか……」
弦之助は肩を竦めた。その様子から、さして彼の言葉を信じていないことは、圭介にすらわかった。
蛇沙那に刺された時、傷が開いた時、そして今回。圭介の知る限り、スザアは三度もナイトメアに言うことを聞かせた。だが、それに何か問題があるのだろうか。
「スザア、あんたは……どう思う?」
次いでブリジットが、遠慮がちにスザアに訊ねた。
「圭介を……始末するってこと……」
「かなぎ様の命令だよね。ブリジットは、どう思うの?」
「……圭介が死ななくても、酒呑童子から遠ざけるだけでいいと思う。でも、そのために人員を裂くほど玉兎銀蟾には余裕がない。正直、圭介を始末した方が早くて安全なんだけど……」
「確かにね。だけど……そういう話は、本人がいないとこで言うべきだと思うよ」
「──!?」
「圭介君、出てきたら?」
スザアは茂みを──圭介が隠れているただ一点を見つめた。
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