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短編
さようなら、ありがとう


命あるものは必ず死ぬ。それは自然界の摂理。それが今まさに、目の前に迫っていた。


────………


人間は年をとるとヨボヨボになる。それは犬も同じ。

ウチには犬が二匹いた。一匹はアメリカンボクサーっていう犬で名前はプル。もう一匹は雑種。

アメリカンのほうはもう死んでいて、もう一匹の雑種しかいない。名前はコマっていう。犬の年でいうと十八。人間だと八十か九十くらいの高年齢だ。

日が経つにつれて、コマに色々障害が出てきた。

まず目が見えなくなった。ウチが見てわかるほど目の真ん中が白くなって、白内障っていうのかな。

今度は足の筋肉が衰え、立てなくなった。立てたとしてもプルプルと震えて、すぐに地べたに座ってしまう。

そして耳が聞こえなくなった。コマと呼んでも気付かない。それほど耳が聞こえなくなった。

あと一人で排泄出来なくなって、オムツになった。犬なのにオムツして、その姿は可笑しくて、そして悲しかった。

そして、ついにコマに死が訪れた。

ある日、ほんとに突然、コマの元気がなくなった。寝たきりで、何を言っても反応がない。でも目はうっすらと開いていて、息をしている。

あぁ、死ぬんだな。

そう確信した。

老衰。眠るように死んでいく死に方。

色んな死に方があって、老衰が一番楽。

だけどさ。

その死ぬまでの過程をジッと見守るっていうのは、見守る側として死ぬほどキツイんだよね。

実際そうだった。

ホントに、ゆっくりと死んでいくんだよ。あれってさ。

お母さんとお兄ちゃん、お父さん、そしてウチ。家族皆で死んでいくコマを見守った。

お母さんは涙で顔を濡らしながら、横たわって毛布にくるまるコマを労るように撫でていた。

プルが迎えに来るからね。天国に連れてってあげるからね。

お母さんはコマの耳にずっと言い続けた。

コマは依然として薄く目を開けていて、でもその目は、思い違いだけど潤んでいた。

お兄ちゃんとお父さんはそんなお母さんとコマの様子を見守っていた。

じわじわとゆっくりと、でも確実に来るコマの死に、ウチはホントに耐えられなくて、横たわるコマを見たくなくて、皆がいる部屋を出ていった。そして自分の部屋に閉じこもった。

馬鹿野郎。戻れ。戻れよ。コマの最期を見届けろよ。

そう言いきかせるんだけど、また死んでいくコマを見るんだと思うと足が動かない。動かせなかった。

その場にうずくまって、死んでいくコマにごめん、ごめんなさい、ごめん、と何度も心の中で謝った。

こんな主人でごめん。

鼻水垂らして涙で顔をくしゃくしゃにしてボロボロ泣いた。

頭ん中では今までコマとの思い出が沢山溢れ出してた。

散歩したり。首輪が取れて脱走したり。部屋にオシッコして叱ったりした。ウチのお菓子食って取り合いにもなった。寝てたら何か腹が重いなって思って起きたらコマがウチの腹の上に頭置いて寝てて。

今までの思い出で頭ん中がいっぱいになった。

懐かしかった。あぁ、そんなこともあったなって。懐かしい。でもあの時はそれが悲しくて悲しくて堪らなかった。

もうコマは死ぬんだ。明日にはいないんだ。

明日にはコマがいない現実。コマとの思い出でいっぱいの頭ん中。

マジで、きつかった。

部屋の電話が鳴った。

コマが死んだ。

お兄ちゃんからそう伝えられた。

あぁ、死んだんだ。

ほっとした。

苦しまずにコマが楽に死んだことに。そして、コマが死ぬところを見なかったことに。

お兄ちゃんに早くこっちこいと言われて、重い足取りで皆がいる部屋に戻った。

入ったら線香の匂いがした。

ウチはコマを見た。

死んでた。

目は閉じていて、見るからに眠ってるみたいだった。コマって言って揺すったら起きそうだった。

ウチはコマの身体を触った。そして、コマ、と呼びかけた。

返事はやっぱりなかった。今にも起きそうな顔なのに。でも身体は冷たくて、足を握ったら重くて。

あぁ、ほんとに、ほんとにコマは死んだんだ。

コマの死をリアルに感じたその瞬間、すごい後悔した。

なんで、なんでウチ、コマを見届けなかったんだ。

死ぬ時、コマが自分を見守る主人達の中にウチがいないことにきづいた時、コマはどう思ったんだろう。

死んでいくコマにウチは一言も声をかけられなかった。触らなかった。コマが死んでいくのを見たくなくて、部屋に閉じこもって。

最悪だ、自分。

後悔でいっぱいで、涙でクシャクシャにしてただただ泣いた。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

結局は楽をしたかったんじゃん、ウチは。皆は辛くてもコマを見届けて、けどウチはコマを見るのが辛いからって逃げて。

ほんとに、最悪だ。

まだ十八年しか生きてないけどさ、人生の中であれがほんとの後悔だった。

泣いても謝っても、コマは生き帰らない。コマ、コマといくら呼んでもコマは起き上がらないし返事を返さない。

だって、死んだんだから。

大切なものが死んだということを、命あるものは必ず死んでいくことを、芯から実感した。


────………


死んだコマの遺体は火葬場に運んだ。

お父さんとお兄ちゃんは業者に手続きを頼んで、ウチはコマのそばにいた。

燃やされるんだ、コマは。

燃やされて、骨と灰になって、コマと、先に死んだプルと一緒に墓に埋められる。

ほんとのお別れだ。

散々泣いたのにまた泣けてきて、でもどうにか堪えて、ウチは最期にコマの頭を撫でた。

ほんとにすぐに起きそうだったんだよ。

目を開けてさ、何か用?みたいな目で見上げてきそうなんだよ?

帰るぞって言われて、立ち上がってお父さん達のとこへ戻ろうとした。

その時思ったのは、後ろを振り返ったらコマがついてきてるんじゃないか、ってこと。

置いてくなよみたいにウチを追いかけてきてるんじゃないかな、って。

後ろを振り返りたかった。でも振り返ることは出来なかった。

だって、コマは死んだんだから。


コマが死んで三年くらい経った。

コマが死んで火葬した次の日というもの、あいつがいないということに慣れなかったよ。

ただいまっていったらどっからかヒョコって顔を出すんじゃないかな。寝てたらウチの布団で寝てるんじゃないかな、てそう思った。

ある日、短大の研修旅行で行った店に看板犬がいて、ウチと友達二人でその犬を触った。そしたらその犬は友達二人いるのにウチの方にばっか来て尻尾を振った。

そうしたら飼い主て店長のおばちゃんが言った。

犬飼ってた?

ウチは、飼ってました、って言ったらおばちゃんはニコニコしながら言った。

犬飼ってたってわかったんだろうね、この子。

ウチはおばちゃんの言葉に黙ってしまった。

相変わらずその犬はウチにじゃれついてきた。その犬の頭を撫でながら思った。

死んだコマとプルがそばにいるのかな。

ねぇ、もしそうだったらさあいつらに伝えてくんないかな。

ごめんな。

今までありがとう。

愛してるよ。

また犬を飼うんだったら、またお前らと一緒にいたいよ、って。




さようなら、ありがとう

(会ってごめんと伝えたい)



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