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二次創作/夢
新緑芽吹けば
















―篝楪には、決して手放しはしまいと誓った物がある。
それは普段堂の壁に掛けられていた打刀であった。まだ己の頬が痩け細っていた頃から、御師様が丹念に手入れをしていた様をよく覚えている。彼曰くその打刀は自身の師匠から賜ったものであり、その師匠もまた師から託された業物であると述べていたそうだ。その歴史は遡ること、およそ500年。何故そのように血族でもない人に託されていったのかは、己の預かり知らぬ所であった。御師様は我が子を慈しむように刃を磨き上げていたが、幼い時分でも、その刃の煌めきは大層美しく思えた。大事に使われ、人から人へと渡っていったその刀が、今目の前で輝きを放っていることに、素直に驚いたものである。

動揺も疲労も乗せてはならぬ、そう言われた通りに、ただひたすら呼吸を繰り返す。玉のような汗が額から頬へと伝うのが、酷く気持ち悪い。固く握り締めた柄には己の血と汗が滲み、滴り落ちていた。力の加減を間違えている事には気が付いていたが、彼女には自分の意思で手を緩めることが出来そうにない。


「ああ……それでいい」

「御師様…」


心の縁だったからだ。己が力を振り絞って軌道を描いた鋒が、敬愛する男の―…否、鬼の首を断った(・・・・・・・)今、この時に於いては。


* * * * * * * *


最期だと、彼は言った。そう言った己が師匠の背後では、愛しい弟妹たちが体のあちこちを欠損させ、血を流して絶命している。しかしその表情はいやに穏やかで、胸の上で手を組んで綺麗に横たえられていた。鬼となった男が驚異的な精神力だけでそれを為したのだと察した篝は、僅かに希望を抱く。

(御師様は、誰も食べていない!ならばこのまま、身を隠せば良いのではないか!?)

愚かな考えであった。
少なくとも、一番弟子の表情からそれを読み取った男自身には、そう思えたのであろう。甘いことを言うなと、男は激昂した獣のごとく牙を剥き出しに笑った。その笑みは人から乖離した狂気を孕んでおり、彼女はハッと息を呑む。
正座をしたまま傍らに置いていた刀を握った男は、感じ入るように一度目を閉じ、そのまま刀を弟子へと放った。彼女がそれを手にすると同時に、男は腰の刀に手を置き、道場の床を踏み抜く。瞬きの間に、死の気配が篝を包み込んだ。


「その刀で私の首を狙え」

「御師さっ、!!」


腕が折れそうな程の衝撃が、刀越しに己を襲う。目を見開いた間抜けな顔が、男の瞳に映っていた。呼吸を乱さぬまま人間離れした怪力に対応する事は、彼女にとって初めてである。そして動揺する間もなく、上からの連打、中腹からの連打、突きの連打。未だ覚悟が決められない彼女を打ち据える男は、打ち込み毎に咆哮した。


「鞘で受け止める時は全体重で支えよ!!!」

「っ、」

「そのような逃げ腰で私を捉えるつもりか!?」


―悲しい気配がした。それは、獣の影で泣いていた。己がもっと強ければ、あの子たちをもっと育てられていれば、無惨に命を散らすことも無かっただろうに。すまない、すまない……私が、間違っていたのだ。

確かに男は泣いていた。例え瞳に揺らめく光が無かったとしても、篝には分かってしまった。男の心は、後悔と悲しみに溢れ、そして強い決意に満ち満ちていた。

―せめてお前だけは、私の全てを今ここで教え込む。悔いなきよう、悲しまぬように。掬えるものを掬えるだけ手に出来るように。楪、どうか…


「…あ、アァアアアッ!!!!!」


ドン、と強く床を蹴る。腹の底から声を張り上げて、鞘から刀を抜いた。その瞬間、呼吸をするように刃が黄緑色に染め上げられていったが、彼女は気にも留めない。ただただ目の前の男に一太刀浴びせんとしたのである。
額、鼻と、一筋の線が男の顔に走る。傷口から少量の血が流れたが、すぐに皮膚が繋がって修復していく。一呼吸の間に塞がった痕をなぞるように、男は額に指を這わせた。


「そう、そうだ。それでいい…だが、まだ速さが足りない!!血を巡らせ、足の先、髪の一筋まで己の支配下に置け!!」

「っはい、はい!御師様!!」

「では続きだ」


何も知らぬ者からすれば、この光景は異様だっただろうか。鬼に教えを受けながら刀を振るう女と、女に指摘を繰り返しながら攻撃を受け流す鬼の姿は。だが当事者達には、何物にも変え難い一時であった。
男は、教えることの喜びを味わっていた。弟子が成長していく様を見て、楽しんでいた。
女は、師の技術を盗み成長しようと必死だった。そうすることが彼への最大の手向けとなると分かっていて、刀を握った。

ある時を境に、男の動きが鈍くなった。鬼になった時には既に瀕死であったこと、それにも拘わらず食事をせず闘いを続けていたこと、人の血肉の臭いを間近で嗅ぎ続けたこと、その全てが原因であった。勿論両者ともに振るう力を弱めることは決してない。互いに侮辱することになると分かっていて、どうしてそんな真似が出来ようか。そうして空が明るみを増してくるまで、二つの刃の煌めきが道場を満たし続けた。

―やがて女の刃は、男の首を捉える。

ゴトンと重い音を響かせて、その頭は足元に転がった。


「ああ……それでいい」

「御師様…」

「大きくなった、強くなったなあ、楪」


ゆっくりと屈んで膝に寄せると、男は空気を震わせて笑った。獣の影はなく、本来の静かな笑みであった。出会った時に比べれば量を増していた白髪は、全体を灰色に見せている。己と師が、共に時を歩んだ証拠だった。
手が震えて、未だ握ったままの刀がカチャカチャと鍔を鳴らす。先程己の首をはねた代物であるのに、男は愛しそうに目を細めた。言葉少なに、刀の来歴を語りながら。


「これは鬼狩りが古来より使用してきた物だ」

「名のある刀匠が拵えた業物でな、世を忍ぶ鬼殺であったから、銘こそ無いが…」

「これはお前に託そう、手入れの仕方は見ていたから分かるだろう」


その一つ一つにはい、分かっていますよ、そう返事をしながら、篝は時が迫っていることを悟っていた。もうじき、夜が明ける。鬼を滅する、光が世に満ちる。
そう思い至ってようやっと柄から離した手で、衝動的に師を腕に抱いた。唐突に抱き寄せられたものだから、男は驚いて二度瞬きをした。それから目尻に皺を寄せつつ、優しく弟子を諭すように囁く。


「楪、お前にこの名を与えて良かった。名の通りの人物に成るだろうなあ、最期の願いも叶えてくれた。なんと良い子だろう」

「…ああ、御師様。私は貴方の自慢になれたでしょうか」

「勿論だとも、むしろお前が自慢の子でないとしたら、誰がそうだと言うのだ?」


遠くの山で、鳥が覚醒の声をあげた。道場から見える塀の向こうは、橙に染まりつつある。こんな時でも呼吸は乱せない。そう思いながら、篝は堪えきれなかった雫を一つ二つ、静かに落とした。


「私の一番弟子、私達はお前を置いていくけれど、どうか生き抜いてくれ。私位は年を重ねてもらわねばな」

「ええ、勿論…貴方よりも長生きをして、大往生してみせます。その時には、迎えに来ていただけますか?」

「ああいいとも…川岸で会おうか、あの時のように」


あの日、男が己の一番弟子に出会った場所。
あの日、女が己の生涯の師に出会った場所。
忘れることはなかった。二人の始まりの場所だったから。寒さに震えながら手を繋ぎ、暖めあったあの日のことを―…


道場に光が射し込む。
体がボロリボロリと消えてゆき、篝が抱き締めた男の頭も、灰の如く崩れていった。穏やかに目を閉じたその顔は、女が知る中でも殊更柔らかな笑みを浮かべている。比喩ではなく、本当に眠りに落ちるような、そんな最期だった。























「だけど少し…疲れまして」


炭治郎を探して部屋を回っていると、友人の声を耳にした。軒下から窺ってみれば、庭に二人の影が映っている。炭治郎と胡蝶は、屋根の上で肩を並べているらしい。
鬼は嘘ばかり、本能のまま人を殺す。そう言いながら胡蝶は、禰豆子をどうか守り抜いて見せて、と続けた。


「自分の代わりに君が頑張ってくれていると思うと私は安心する」


―嗚呼、と篝は胸を押さえた。胡蝶しのぶという娘は、聡明で冷静で、静かな微笑みが似合う女である。そんな話を聞くことも多いが、その実内情はそんな柔な表現で表せるようなものではなかった。
女はえもいわれぬ気持ちになっていたが、その大半は安堵の感情である。己は鬼に酷い憎しみを持つかと言われればそうでもなく、鬼殺にしがみついて生きている訳でもない。その点で胡蝶と篝は相容れぬ存在であり、互いに暗黙の不可侵領域だった。彼の少年ならそういう胡蝶の柔いところ(・・・・・)を傷付けず、素直に飲み込める。妹である鬼を連れている事から、それは明らかであった。

激励を終えてその場を後にした胡蝶の後ろ姿を、女は静かに見送る。そうして暫く立ち尽くしてから、女はやっと竈門炭治郎に声をかけることにした。足癖が悪いが、塀を蹴って屋根へと飛び、炭治郎の横に降り立つ。


「炭治郎君」

「篝さん!」

「頑張っているようだね、瞑想していたのかな?常に全集中の呼吸をするのには慣れてきたかい」

「頑張ってる最中です!明日にはなほちゃんときよちゃんとすみちゃんの三人に協力をお願いしようかと思いまして!!」

「ああ、それはいい。彼女たちも胡蝶殿やカナヲちゃんの様子を側で見てきている。助けになってくれるだろうよ」


しかし、ここまで炭治郎が頑張っている中、訓練に顔を見せなくなった善逸と伊之助は何をしているのだろう。そう引っ掛かりを覚えていた篝は、相棒―鎹烏に頼んで様子を見てきてもらっていた。それによると、善逸は機敏に身を隠しつつ甘味の盗み食いを繰り返し、伊之助は屋敷の裏にある山で野性動物と戯れていたそうだ。なんとも自由である。
そんな同期たちの様子を知ってか知らでか、炭治郎は爛々と純粋な瞳を輝かせながら修行に励んでいる。元の性格の違いが顕著に出ているな、と女はしみじみと思った。


「さ、夜ももう遅い。君も許可が出たとはいえ、病み上がりには変わりないのだから確と休みなさい」

「はい!訓練を終えたら篝さんの手解きを直々に受けられるんですよね?俺頑張ります!!」

「そうとも、私もそろそろ補助の仕事に飽きてきてね。君が一日も早く課題を終えることを楽しみにしているよ」


* * * * * * * *


さて、十日が過ぎた。元々の素質が高かったのか生真面目な性格が幸いしたのか、竈門炭治郎は遊び呆けていた同期を置き去りにして訓練を終えていた。娘三人組と課題を達成できた喜びを体全体で表しながらはしゃぐ姿を、焦燥の眼差しで見つめる者が二人いる。言わずとも知れているが、それは炭治郎の同期―我妻善逸と嘴平伊之助の二人であった。
ここまで特に口を挟まず雑務に徹していた篝は、焦りからか訓練に全く身の入らない二人を見て、胡蝶を呼ぶことにした。彼女がここまで放っておいたのは、恐らくこの展開に持っていくのが目的だったのだろう…そう思いながら。予想の通り心得た顔の胡蝶は、伊之助と善逸を上手く口車に乗せてやる気を引き出していた。こうした経緯で、二人もまた開始から十日足らずで訓練を終えたのである。
彼らが会得した物は目新しくはないが、呼吸を如何なる時も絶やさず行うことで基礎体力を伸ばす、全集中・常中という技だ。これを知っているか知らないかで、鬼殺隊士としての強さや生存率が大きく変動する。故に、この技は柱までは行かずとも、昇級への足掛かりと言われていた。

ここから彼らは、更に強くなるだろう。篝はそう考えて、一笑に付した。強くなったところで、死ぬ時は死ぬのだ。生々流転、生きるも死ぬも己次第。だからこそ、あの時自身がそうであったように、持ちうる全てを後へ継いでゆく。
まあそうは言っても、三人とも鬼殺の剣士としてはぺーぺーだ。柱からすればやっと一人立ちしたばかりという所だろうか。であれば、既に柱の一つ下の階級まで上り詰めている篝からしてみても、彼らの相手は然程難しいものではなかった。


「炭治郎君、呼吸と足の踏み込みを統一させなさい!渾身の力を刀に乗せたいなら弱すぎる!!はいもう一度、弱い!!!」

「速さが売りの呼吸だろう、善逸君!!遅い遅い!!闘気を刃に乗せるつもりでかかってききなさい、こら!!腰が引けてる!!!」

「柔軟な身のこなしと聞いていたがその程度かな伊之助君!?もっと稼働域を広げて技に幅を持たせて!!直進的ではいつか背後を衝かれますよ!!!ほら今その首取れますね!!!」


うら若き少年達の心は、篝の容赦ない言葉を突き立てられて悲鳴を上げていた。炭治郎はともかく、一度挫折してから訓練を乗り越えたというのにボロクソに言われた二人からしてみれば、天国から地獄である。特に善逸は、厳しいながら女の子達と触れ合えた訓練の方が良かったと、汚い高音で喚いていた。束の間の休憩時間に、縁側で三人は這う這うの体で水分補給をする。吹き抜ける涼やかな風と冷たい水は、火照った体にはとても有り難いものだった。


「鬼だよぉお!!!なんなのォあの人!?確かに俺は弱いけどさあ!!!あそこまでビシバシ容赦なく打ってくる!!!??無理無理無理ィィィ」

「善逸、篝さんは鬼じゃない、ぞ……」

「知ってるよそんなことぉ!言葉の綾だよ分かれよォ!!炭治郎だって息絶え絶えじゃんかあ」

「るっせえ弱味噌…余裕だわこら、おれはまだまだやれるぜぇえ………」

「無理すんなよぉ俺はもう無理だよう助けてくれえええ!!」


しかし逃げ出そうものなら、地の果てまでも追ってくるのが篝楪という人物である。因みに善逸は三回逃げ出したが、あえなく失敗している。何せ彼女は、初めての本格的な指導行為に大層力を入れていた。三人を己の最初の門下生にしようとまで考えていたのである(勿論先走りすぎて本人達に了承を得ていない)。なまじ見込みがある三人組だったので、決して逃がさない鍛え上げるぞ、という強い意志が稽古の端々に滲み出ていた。(善逸にとっての)命綱である胡蝶も、やる気勇む友人にあらまあと微笑ましげに見守るだけである。
ただ、稽古を終える毎に力が増すとはいかないまでも、己の剣の僅かなズレやぶれといったものが修整されていることに各々気が付いていた。炭治郎は元々やる気に満ち溢れていたし、伊之助は嬉々として篝に襲い掛かって返り討ちにされている。二人に先を越され置いていかれるのでは、と危惧した善逸もまた、涙と鼻水と嗚咽を垂れ流し漏らしながら、渋々木刀を握るのであった。


「さ、休憩は終わりだ!ここからは先程の助言を型に生かせているかを見るから、君たちそれぞれの流派で振るってみてくれ!!」

「イヤアアアもう休憩終わりなのォオ!?!!!?」

「叫ぶ元気があって結構、さあ立って!」


スパーン!と引き戸を開け放った篝は、縁側までつかつかと歩み寄り、横たわる三人に次の課題を告げる。相変わらず善逸は嫌だ嫌だと泣き叫んでいるが、彼女は意にも介さない。高く結い上げた緑を帯びた黒髪を上機嫌に揺らしつつ、萌黄色の瞳をにんまりと細めて、篝はカラリと声をあげた。


―ああ教師とは偉大なものよ!後続の成長を間近で助け、見られるとはなんと幸福なのだろう!























同期三人組にとっては地獄の鍛練だったが、その指導を一通り終えた篝は、非常に晴れやかな心持ちであった。それはもう足取りはウキウキとしていて、これから鬼殺の任務であるというのに、まるで恋仲との逢瀬に臨むかのような様である。
見た目だけは優男の容貌であったから、喜色を隠さずにこやかに歩む姿は、とても注目を集めている。道行く町娘はまあと目をやり、隣立つ男性陣は鋭くそれを察知して、篝を敵のごとく睨み付けていた。


(御師様が我々が弱音を吐こうとも厳しくなさったのは、我々のためだった。今それが身に染みてよく分かる)


一度でも己の下に来たのであれば、死力を尽くして技術を叩き込む。そうして自己研鑽を積み、やっと人を守るようになれるのだ。自身すら守れぬ刀はなまくらである。
御師様がそうであったように、最期にこれだけはと願ったように、篝は己のみならず他者をも守れる剣士となった。腰にさした愛刀―受け継いだ打刀の柄を撫で、獣の気配がする林へと足を踏み入れる。注意深く奥の方に進みながら、そういえばと頭の中に周辺の地理を思い浮かべた。
相棒によれば、この林の近くには列車が走るための"レール"なるものがあるという。無限列車、という名の機関車に炎柱が任務で向かったことも同時に聞いている。列車ということは大勢の一般人が同乗していることになるが、さて炎柱は彼らを人質に取られた場合、どのように戦うのであろうか。戦いには戦術も相性も存在する(・・・・・・・・・・)。
一抹の不安を覚えた女は、事が早く片付いたなら合流した方が良さそうだなと考え、背後から迫る気配に構えた。


* * * * * * * *


散々篝楪という隊士に扱き下ろされた炭治郎、善逸、伊之助の三人は、胡蝶に心身共に異常なしと診断されたため、蝶屋敷を出立していた。しかし娘三人組と涙の別れをしたくせ、未だ指令が来ていないことに納得が行かず、善逸だけは駄々をこねている。
それはそうと、ヒノカミ神楽について炎柱―煉獄杏寿郎に話を聞くため、炭治郎達はその後を追って無限列車に乗り込んでいた。


「知らん!!「ヒノカミ神楽」という言葉も初耳だ!!」


―まあその本題すらも、強烈なインパクトと共に一蹴されてしまったのだが。

矢継ぎ早に継子になれと言う割には、何故か隣に座る炭治郎の方に視線を向けもしない。終いには名前を間違え刀の色にケチを付け、散々な言われようである。しかしヒノカミ神楽に何か思う所があるのか、己の元で鍛えてやろうと響く声で宣言していた。どこかずれている人だが、面倒見の良い人だなあ。炭治郎は素直な心でそう感じていた。


「そういえば君達は篝の指導を受けたのではなかったか!」

「はっはい!そうです、かなり厳しく基礎から叩き込まれました…本当に辛くて休憩時間が極楽のように思えたというか……」

「うむ!篝らしいな!柱任命を何度も辞退してまで貫き通そうとするだけはある」

「それは一体…?」

「なに、篝には柱よりも優先して成し遂げたいものがあるということだ。まあ深くは俺も聞いてはいないがな」


篝さんの成し遂げたいものとは何だろう。

突然蝶屋敷に現れて、機能回復訓練の時から手助けをしてくれた優しい人。彼からは、安らぐ匂いがした。豊かに葉が繁る、大木のように。何か隠し事をしているような感じもしたが、それは己が踏み込んで良い領域ではない。誰にだって隠したい事はあるし、彼もその例に漏れないだけだ。でも一つだけ分かるのは、彼は本当に自分達の成長を喜んでくれていたという事だ。人の成長を妬み、恨む人がいることを、炭治郎は知っている。他人の進歩や成長を見て、心底喜びに溢れる匂いを放つ人は、知る限り篝楪只一人だろう。

ガタンゴトン、文明開化の象徴が音を立てて揺れ、前へと進む。その速度に興奮した伊之助は窓を開けて外へと身を乗り出し、機関車と競争すると喚き始めた。その隣に座っていた善逸が頭をはたいて止めようとするが、伊之助は依然としてはしゃぐのをやめようとしない。そんな姿を見て案じたのかそうでないのか、なんとも判断しにくい制止の言葉を煉獄が発した。


「危険だぞ!いつ鬼が出てくるか分からないんだ!」

「え?嘘でしょ鬼出るんですかこの汽車」

「出る!!」


思いもよらない柱の言葉にギョッとした善逸の顔は、どんどん青ざめていく。まさかと問い掛ければ即座に是と返され、善逸は汚い悲鳴を上げて俺汽車降りる!!と人目も憚らず叫んだ。先程まで伊之助を制止していた人物とは思えない変わり身の早さである。そして顔の崩れ方が半端なく汚い。


「短期間のうちにこの汽車で四十人以上の人が行方不明となっている!数名の剣士を送り込んだが全員消息を絶った!
だから柱である俺が来た!」


簡潔に要点を述べる煉獄だが、善逸の混乱は深まるばかりだ。降りる降りると狂乱する様は見ている分には愉快だが、喧しくはないだろうか…と、炭治郎は少しばかり検討違いな方向に心配した。
騒がしい乗客に注意の言葉もなく、静かに車掌が切符の提示を求める。切符に切り込みを入れるパチン、パチンという音が、嫌に大きく響いた。おや、と炭治郎は鼻をひくつかせる。炭治郎が匂いから違和感を感じ取ったその時には、汽車の中は穏やかな寝息で満たされていた。
























剣士としての技量が高い者ほど、刃を振るった際に血を浴びることはない。それは間合いの取り方が上手く、己の刀の軌道をしっかりと把握しているからである。

(頬に少し血がついたか…まだ甘いな)

傷一つなく萌黄の輝きを放つ愛刀は、月の光を反射して持ち主の顔を映していた。はあやれやれ、一帯の森林を根城にしているだけあって、地の利を生かした攻撃の上手い鬼だった。そう一人ごちた女は、足下にある着物を近くの木にくくりつけ、それに向かって手を合わせる。


「お前も、人を食う前に私が斬れていればなあ。鬼ではあっても、人の心のまま死ねたかもしれない」


そう呟いてみるが、元々自分の手の届く範疇ではなかったのが事実だ。どうしようもないことだった。師と同じように、鬼となってしまえばその体は塵すら残さず消えてしまう。せめて人を食べる前に心だけは、志だけは掬い上げられたと考えてしまうのは、気休めにすぎないだろうか。
それを思えば、竈門炭治郎の妹・竈門禰豆子は本当に異質な存在だ。鬼でありながら人を食わずに生きることを可能としている。師も愛し子達の遺体を喰らってしまわぬよう耐え抜いていたが、それも時間の問題だった (・・・・・・・・)。だから己が首を落としたのである。そこに悲しみはあれど、後悔はなかった。互いに死力を尽くした稽古だった。竈門禰豆子を恨むのはお門違いというものである。


「さて、今どうなっているのか分からないが、行くだけ損はないだろう。
―相棒!!汽車までの案内を頼む!!」


了解した、と甲高い一鳴きが夜空に響く。その羽音と気配を頼りに、女は駆け出した。杞憂であれば良いのだが、と胸のざわつきの原因を確かめるべく、炎柱と弟子候補三人が乗る機関車に向かう。勿論その車体は人では追い付けない速さで走行しているが、そんな事は然したる問題ではない。緊急事態であればその動きを止めてしまえば良いし、そうでなければ通過を待って上から飛び乗れば良いのだ。中々に乱雑な考えだが、それを最善の策とする一人と一羽は、やはり相棒らしく思考が似通っているのであった。


* * * * * * * *


ボ、と暗闇に火の粉が舞う。


「ヒノカミ神楽―…碧羅の天!!!」


汽車と融合した鬼の首を絶つべく、伊之助と炭治郎は共に先頭車両にて刀を振るっていた。炭治郎の放った技は確実に鬼の生命線を穿ち、首と体は分かたれる。それと同時に肉体である後方車両の暴走が始まった。


「ギャアアアアア!!!!!」

鬼は最期の抵抗とばかりに四方八方へ手を増殖させ、のた打ち暴れまわる。そして車体はレールを外れ、激しい音を立てながら中にいる乗客ごと横倒しになった。
外に投げ出された炭治郎は、刺された腹を気にするでもなく、無事であった伊之助に車掌らの救助を求めた。仕方がない、と騒がしくその場を後にする後ろ姿を見送って、炭治郎はふうふうと呼吸を整えようとする。早く助けに向かわねば、煉獄さんや善逸、禰豆子…乗客は皆無事だろうか。

そう心配されていた煉獄はといえば、五体満足で倒れる寸前に汽車から飛び出していた。勿論着地にも問題はない。即座に民間人の安否を確かめ、重傷者はいないことを確かめる。その中に禰豆子を守るようにして力なく横たわっている善逸を見つけた。軽く様子を見て呼吸は正常であると感じ、すぐ目が覚めるだろうとその場を離れた。動ける者同士で助け合いながら汽車外に出るよう指示を飛ばし、残る隊士二人の姿を求めて先頭車両の方へと向かう。テキパキとテンポよく場を納める姿は、鬼殺の代表足り得る柱に相応しいものだった。
地面に力なく横たわるのは、竈門炭治郎であった。しかし意識ははっきりとしており、腹の傷以外にも体を固くさせている原因があるようだ。無理をさせない方がいいと判断し、全集中・常中を継続するよう指示を出す。素直に意識を集中させて止血を成功させた炭治郎に、煉獄は晴れやかな笑みを浮かべた。

―ドオン、と二人のすぐ近くで砂煙が上がる。

炭治郎の鼻は、直ぐ様その音の原因が鬼であることを嗅ぎ取っていた。しかも半端ではなく強い、心臓を震わせる程の圧倒的な存在感。
そこにいた鬼の目には、上弦・参の文字が刻まれている。穏やかなまでの表情、ゆるりと弧を描く口元。しかし目にも止まらぬ速さで動けない炭治郎に肉迫し、その命を散らさんとした―…ことしか、当の本人には認識できなかった。寸での所で煉獄が炎の呼吸・弐ノ型―昇り炎天を繰り出し、鬼の拳を肘まで裂いたのである。


「(再生が速いな…これが上弦か)
何故手負いの者から狙うのか理解できない」


煉獄の静かな問いに、鬼はにこやかな表情を崩さぬまま、答えた。己と煉獄の話を弱者に邪魔されては叶わぬ、弱者を見ると虫酸が走る…だからだ、と。そして、提案があるのだと続けた。


「お前も鬼にならないか?」

「ならない」


一蹴されても途切れることなく、鬼の滔々とした物言いは続く。煉獄杏寿郎を一目見て柱だと気がついた、練り上げられた闘気を感じる。そして、至高の領域に近いと評した。
柱であると言い当てられた煉獄は、己の名と炎柱であることを告げる。その表情は冷え冷えとしていて、最初から話に乗るつもりなど全くないと言わんばかりだった。猗窩座と名乗った鬼は、己の言う至高の領域に煉獄が未だ至らない理由を教えよう、と述べる。


「人間だからだ。老いるからだ、死ぬからだ!
鬼になろう杏寿郎、そうすれば百年でも二百年でも鍛練し続けられる…強くなれる」

「……老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」


強さを求める者には甘言に聞こえるのだろうか。しかし煉獄杏寿郎という男には、確とした核(・)がある。死の間際でありながらピンと背筋を伸ばした母の、強い言葉を胸に刻んでいる。煉獄杏寿郎という一個人として、そして鬼殺隊の柱として、何も魅力に感じない誘いであった。


「俺は如何なる理由があろうとも

―鬼にならない」

「そうか」


では、鬼にならないなら殺してしまおう―…そう猗窩座は呟いて、血鬼術を発動させた。






















「まあ待って下さいよ、お二方」


止血の為に向けていた意識を、炭治郎は声の方へと向けた。ああ、あの人だ。つい先日まで感じていた、大木のごとき―…


「葉の呼吸、肆ノ型!葉嵐!!」


煉獄と猗窩座の間に、ゴウゴウと唸る葉渦の塔が突如として現れる。小規模な竜巻とも言うべきそれは、他にも複数発生していた。鬼の肌を無数に傷付けておきながら、不思議なことに人には包み込むような柔らかさがある。塔はうねりながら地面に横転した汽車の車体を包み込み、一度宙に浮かせてからレールの上へと元の通りに戻してしまった。
技を繰り出した当の本人―篝楪は涼しい顔で煉獄の前に立ち、猗窩座と対峙している。

(な、なんて離れ業!すごい、篝さん…乗客達を傷付けもせず、煉獄さんとあの鬼を引き離した!!繊細な技術だ!!)

この時、炭治郎は地獄の稽古で篝に繰り返された文言を思い出していた。

鋒を揺らすな。剣の先、足の爪、髪の一筋まで己の意思で扱いなさい。そうして初めて、技が生きるのだから…

同時に事を為すとは、どんなに難しいだろう。今の自分では決して出来ない離れ業に、炭治郎は衝撃を受けていた。


「邪魔が入ったな」

「いや申し訳ない、上弦の参の方。だが困るのですよ、こちらは鬼殺隊の柱だ。おいそれと手を出されては困るというもの…
いやあ急いで来て良かった!事が始まってしまえば私も間に入るのは難しいですからね」

「篝!お前もほぼ柱のようなものだろう!!」

「…何?」

「ああちょっと煉獄殿、ややこしくなるから少しばかり黙ってくださいね。
それに私、申し上げたはずです。鬼殺の幟旗は私には背負えない…背負う資格はない、と」


さすがに柱と柱並みの実力者を一度に相手するには骨が折れると思ったのか、猗窩座は距離を保ちながら二人をうかがうように見据えていた。
並び立つ煉獄と篝は、一時も目線を鬼から逸らさず刀を構えたまま、話を続ける。


「煉獄殿、まさか聡明な貴殿が分からぬ筈はないでしょう。お一人で彼の鬼を迎え撃てば、貴方は間違いなく死んでいる
…一対一ならともかく、我々の後ろにあるのは戦いに於いてお荷物だ (・・・・・・・・・・)」


冷やとした声で、篝は告げる。傍らで聞くことしか出来ない炭治郎には、耳の痛い話であった。図星だったのだ。何せ、篝が二人の間に割り込むその瞬間、また煉獄と猗窩座が同時に地を蹴った瞬間、どちらも認識できないほど速かった。仮に動けたとして、目ですら追えないのに、一体何の役に立てよう。


「篝!その言い方は何だ!!!後ろにいるのは、我々が守るべき存在だろう!!!!!」

「では!!では…貴方は汽車に乗れる程の僅かな人々を守り死ぬつもりであった、と?
っ笑わせないで頂きたい!!!柱の価値とはそのように軽いものか!!!そんな僅かな命と柱の命が同等な訳がない!!!!!」


ぐあ、と女が羽織る白衣が木葉と共に揺れる。女は怒っていた。汽車の頭上に躍り出て、煉獄が覚悟を決めた眼差しで鬼に向かっていたその様を見た…その瞬間から。


「無辜の民を鬼から救いたい?それは結構!ではそれを生きて為そうと、何故決意なさらないのです!!鬼を殺す技術に長ける存在が、我々以外にあるとお思いか!?
貴方が死ねば柱が減る!隊の士気が上がるとは限らない!隊の底上げを図ろうとしている今、そのような事が許されますか!!」

「篝さん…」


悲痛な、血が滲むような叫びだ。炭治郎の隣には、いつの間にか伊之助が佇んでいる。いつもの騒々しさは鳴りを潜め、ビリビリと肌に響く篝の声を、ただ静かに聞いていた。


「貴方には!…貴方には、他を犠牲にする覚悟が足りない (・・・・・・・・・・・・・・)!!」

「―!!」

「使え!!決断しろ、貴方がすべき事はなんなのです!!!」


殺気と言えるほど尖りきった篝の怒気に初めて触れ、煉獄の肌は粟立つ。
柱になりたがらない偏屈者、そう噂されてきた篝楪という鬼殺隊士は、意外と親しみやすい人物である。これまでも合同で任務をこなしてきたし、煉獄はそれなりの仲であると自認していた。それがどうだろう、表情こそ見ることが出来ないものの、その言葉の全てに彼の魂が宿っている。こんなに全力で己にぶつかってくる姿は初めてだ。素直に嬉しいと思ってしまうのは、可笑しな話だ。状況が状況なのに、何を馬鹿な。
揺れる気配を察知した女は、心なし怒らせた肩をゆっくりと下ろす。


「…何故笑っていらっしゃるのです、煉獄殿。何が可笑しいのですか」

「いいや、すまないな篝。お前に言わせてしまった…その覚悟、確と受け取った!」

「!」

「篝楪!
これより上弦の参・猗窩座との戦いを命ずる!!後ろは俺が守る、好きなようにやれ!!!」

「―了解しました、煉獄殿」


律儀なことに、猗窩座は話に決着がつくまで様子を見守っていた。猗窩座という鬼が武を重んじる質であったからか、先の発言からか、篝という隊士と戦うのも悪くはないと考えたからである。煉獄は燃え上がり命の煌めきを放つ闘気であるのに対し、傍らの隊士は青々と葉が繁る幹太の大樹のごとき闘気であった。系統は違えど、強い人間であることは分かっている。獣は、暴れたがっていた。


「話は纏まったか?」

「ええ、待たせましたね上弦の参の方」

「猗窩座でいい、お前の名はなんだ」

「鬼殺隊士、階級は甲。名を篝楪」

「―そうか、では楪!俺と殺し合おう!!」


待ちに待った死闘の時間である。猗窩座の頬は心なしか紅潮し、興奮が言葉尻に表れていた。


「良いでしょう、猗窩座殿。
人の極めたる技の威力を、貴方にお教えいたします」

「ほう、俺を相手に教師気取りか?」

「手は抜きません。何せ私は御師様との死闘の末に首を落とし、その最期を看取ったのだから…今さら死を代償とした稽古に怖じ気つくとでも?
故に、貴殿も遠慮なくその力を私に教え込んでくださって結構ですよ」

「…良い!気に入ったぞ、楪!!さあ始めよう、限りを尽くして俺とも死合ってくれ!!!」


―炭治郎君、伊之助君。よく見ておきなさい、私から技を盗むために。これは君達に対する講義でもある

微かに聞こえた声は、地面を鋭く抉る音に紛れてかき消えた。























篝は何も、勝算があって上弦の参と戦おうと決めた訳ではない。しかし、煉獄は鬼との相性が悪い一方で、自分ならば何とかなる可能性があった。一目見て悟ったが、あの鬼は速さが桁違いだ。煉獄の炎の呼吸は速さよりも火力が物を言うが、速さと技の届く範囲に限って言えば、己に分がある。そこが煉獄と篝の違いだった。ただ篝が鬼と戦ったとして、決して容易に勝てる相手ではない。長引かせれば長引かせるほど、生存率は下がるだろう。ただしそれは、一と一の場合だ。

鬼は群れない(・・・・・・)―そこに機があった。


「破壊殺・空式!!!」

「葉の呼吸、壱ノ型!!緑針雨!!!」


猗窩座は空中から打撃を繰り出し、篝は地上から動かぬまま針状の鋭い葉撃で相殺する。一定の距離を保ちながら繰り広げられる戦いは、殺し合いであるはずなのにひどく美しい。緑色が闇夜に散っては消えるのを、炭治郎と伊之助は固唾を飲んで見守っていた。彼らを守るように、その前には腕組みをした煉獄が立っている。見事な技術だ、彼の呟きがひそりと地に落ちた。

―葉の呼吸とは、水の呼吸から派生した篝楪独自の呼吸法である。元々繊細なコントロールに長けていた彼女は、刃に技を纏わせることが主流とされる中、刃から生じさせた技を纏わせることなく調節して放つことを考え付いた。その思い付きから水の呼吸をだんだんと変化させ、木から落ちた葉を操るかのような流派を確立させたのである。故にその戦いの多くは、接近することなく遠方から相手の動きを封じ込める物が多い。自ら危地に飛び込まぬよう考え込まれた、一つの策でもあった。
また水や炎といった大振りな攻撃とは異なり、葉は一つ一つの的が小さく捉えにくい。葉が無数に集まって成る技は、その全てが複数攻撃である(・・・・・・・・・・・・)と言えた。


「クッきりがない…!鬱陶しい、だが良い攻撃だ!!」

「光栄ですね猗窩座殿!しかしすぐに傷が塞がってしまっているではありませぬか!!まだまだ及ばぬというもの!!」

「では楪、お前も鬼に成るか!俺と戦い続けようではないか!!」

「お断り申し上げます、私、人の食事が好きなもので!!」


グルリと空中で回転し低く構えた猗窩座は、拳を振るって生まれる圧を攻撃とし、無数に繰り出す。まるで爆風のように熱を伴うそれは、篝の頬をチリリと暑く掠めていった。


「成る程、確かに技の極地といったところか!お前の身のこなし、反応速度、素晴らしい!だが」

「!」

「そう遠巻きにされては寂しいではないか。拳を交わそうぞ、楪!!!」


それは瞬きにも満たない間。
最小限の葉で攻撃を受け止め流していた篝の目前に、一足で潜り込んできた猗窩座の姿があった。咄嗟に顔を背後に反らせば、強烈な衝撃が左肩を襲う。その勢いのまま地面に叩きつけられようとして、篝は地につけた腕を支えに蹴りを見舞わせた。蹴りに呼応するかのように、周囲を漂っていた無数の葉も爪先が押し上げた鬼の腹を襲う。

(ああ、肩から血が出ている!避けきれなかったんだ!!)

繰り広げられる拳撃はあまりに速く、炭治郎達にはほんの少ししか捉えられない。何も出来ない歯痒さを胸に、せめてもと鬼を迎え撃つ後ろ姿を目に焼き付ける。
篝は左肩を少し抉られたが、然程深い傷ではないと本人は感じていたし、猗窩座は不意をついた筈が己も不意をつかれたことに驚き、喜んでいた。タタッと軽い音を立て、互いに距離を開けた猗窩座と篝は、同時に笑い声をあげる。


「楪、剣術だけでないのだな!何とも足癖が悪い!」

「失敬、この足が粗相を致しましたね。しかし猗窩座殿、貴方も相当鍛練されたのでは?拳一つ、足の運び一つ、全てが素晴らしい」

「…ああ、良いな。もっと、もっとだ!!強いお前が弱くなる前に、殺し合おう!!強いまま殺してやろうではないか (・・・・・・・・・・・・・・・)!!!」

「鬼にされるよりかは、そちらの方が良いですね。では死合いの続きを」


両者は再び刀と拳を握り、砂煙を巻き上げる。片や心底楽しそうに、もう一方は笑みを取り繕った様子で。
煉獄は組んでいた腕をほどき、ふむと一息漏らした。成る程、確かに己ではあの速さが襲い来る前に対処できない。勿論技が決まれば首を落とす自信はある。しかし目の前の戦いを見ていれば、己が足を踏み込んだ瞬間に体を貫かれているだろう。なればこそ、篝は己の技こそが鬼を留める事ができると判じたのだ。近距離で絶対的な火力を持つ煉獄と、遠距離で繊細な操作が可能な技術を持つ己を秤にかけて。


「ああ無駄な攻撃だ!俺を見てみろ、怪我などもうどこにもない!!」

「そんなことは分かりきっていますよ、無粋なことを申しますねえ貴方は!」

「己の怪我を気にしないのか?肩は抉れ、足は折れている!辛いだろう、楪」

「この程度の傷で私の技が曇るとでも言いたいのですか。冗談も程ほどになさってくださいな!」


肉迫する猗窩座を目の前に、篝は刀の側面で衝撃波を受け流す。しかし波は留まることを知らず、その内のいくつかを被弾してしまっていた。その時に足が折れたことを、目敏く気が付いていたらしい。舌打ちしそうになるのをぐっと堪えて、篝は笑みを崩さず鬼を煽った。


「ですが、そうですね…ならば、私の奥義を貴方に味わって頂きましょう」

「…確かにお前の技は素晴らしい、研ぎ澄まされている。
だが、だが!!俺には分かるぞ、お前には俺に決定打を打ち込む程の力がない (・・・・・・・・・・・・・・)!!」


ハッと、誰が息を呑んだのだろうか。それは柔く漂っていた懸念が、明瞭に形にされてしまったような空気だった。
そう。篝楪の扱う葉の呼吸は、本来ならば味方が複数いる上でこそ生きる、補助に長けた呼吸なのだ。一打一打が酷く重く、体の回復速度も異常に速い上弦の鬼を相手取るには、苛酷なまでに苦しい。耐える事はできても、撃破はできない。耐える事しかできないのである。炭治郎と伊之助が焦りに思わず身動ぎをする中、煉獄はただただ、前を見据えた。

―篝は、不敵に笑っていたのである。


「貴方に分かる道理が私に分からない筈が無いでしょう。奥義と言ったはずだ!!!

葉の呼吸、奥義―拾ノ型!!!!」


刺突の構えを見せたその時、鋒から葉の渦が巻き起こる。その細身を優に超すほど大きく弧を描きつつ、目にも止まらぬ速さで葉が舞った。不思議なことに、その渦から生じた轟音の中で、パチパチと弾けるような音も聴こえる。
槍術の如く柄を両の手で握り―利き脚が地を割った。


「 絢爛焦腐(けんらんしょうぶ) 」











ゴア、と砂嵐が立つ。これでは何も見えず、安否の確認ができない。どうかどうかと無事を祈る中、炭治郎は匂いで異変を感じ取っていた。先程からパチパチと微かに聞こえていた音、何かが急速に朽ちていくような―…


「!!おい、見えたぞ!」

「っ篝さん…!」


伊之助が声をあげる。先に確認できたのは、篝楪その人であった。技を発動した時の体勢のまま、鋭い眼光で刃の先を見つめている。しかし、その隊服は至る所が無惨に破れており、覗く肌は血が出ていない所を探す方が難しかった。その内幾つかは肉を抉っているように見える。彼女が技を繰り出したその時、猗窩座もまた無数の衝撃波を盾のように展開していた。その際防御を無視した技故に、篝は拳撃を避けることはできなかったのである。


「ぐ、ゥ……!!!」


鬼の唸り声だ。
風に煙が流されていき、やっとその姿が現れる。それを目の当たりにして、炭治郎は目を見開いた。

(片脇から片足を削ぎ落とした…!そしてこの、肉が焼けるような嫌な匂い、傷口が腐っている (・・・・・・・・)!!修復が思うようにいっていない!!!)


「な、んだこれはァ…!何をした!!」

「ふふ、良い様ですね…」

「答えろ楪ァ!!!!!」

「せっかちなお方だ、私も傷を負っているというのに…。
これは私の奥義、確実に鬼を殺すためのもの…とはいっても、上弦相手にはキツかったようですね。腐葉土って知ってますか?今貴方を腐らせてるんです。脅威的な速さの回復力があろうと、私の葉が何度も抉っていきましたから…後少しは持つでしょう」


片腹がやっと修復されていく中、篝は遂に膝を地につける。それと同時に、赤い炎が灯った。


「任せましたよ、煉獄殿」

「―ああ、ご苦労だった」


山の向こうに、橙色が滲む。


「日の出と共にお前を葬ろう。これで終いだ、猗窩座!!!」






「 炎の呼吸、奥義―

―玖ノ型・煉獄!!!!! 」























「…邪魔をする」

「あら冨岡さん。本当に邪魔ですねえ、一体何回お見舞いに来てるんです?炭治郎君ならもう回復に向かってるんですから必要ないでしょう」

「…」


今日も変わらず口が少ない人だこと。
呆れた眼差しを向ける胡蝶しのぶは、診察室の机に広がる問診票を片付けながらしみじみと思った。言葉を探している様子の水柱―冨岡義勇が任務の合間を縫って蝶屋敷を訪れるのは、かれこれ六度目である。見舞いの目的が弟弟子で無いことを分かっていた胡蝶は、意地悪をしたと自覚していた。


「…心配なんでしょう、篝さんのこと」

「分かっていたのか」


驚き!と分かりにくく顔に書いてあるのを見て、胡蝶ははああと深く深くため息をつく。
分からいでか。勿論弟弟子のことも心配して声をかけていた。しかし、屋敷に来たら必ず…必ず!篝楪が眠る病室に足を運び、その寝顔を不躾にも一刻二刻と眺めているのだ。分からない筈がない。


「全く…篝さんなら二日前に目を覚ましましたよ。ご自身で血流の調整をしてくれてましたので、回復に支障はありません。後遺症も残らないでしょう…こればかりは感服します」


そこまで口にして、扉に背を向けていた椅子をクルリと回転させた。医者御用達の、あの回転椅子である。二の句を告げようとして、違和感を覚える。伏せていた目を上げてみれば、そこには既に冨岡の姿は無かった。


「…あの人は…………」


ヒクリとする米神を押さえ、胡蝶は低く唸る。よもや気配が消えたことすら感じさせず、しかも話の途中で立ち去るとは。
やはり冨岡義勇という男は、嫌われる事しか出来ないのだ。そう無理やり自身を納得させて、彼女は中断させられていた業務に取り掛かった。


* * * * * * * *


―穏やかなものだ。

静かな寝息を耳にしながら、煉獄はじっと目の前に横たわる人物…篝楪の顔を眺める。篝は二日前に目覚めたものの、度重なる技の発動に磨り減った体力を快復させるため、未だ眠っていることが多い。かくいう煉獄自身も、奥義を発動させた後に猗窩座の悪足掻きを食らってしまい、脇腹を抉られ怪我を負っていた。



あれから三週間。
無限列車において下弦の壱を撃破し、二百人の乗客を背に上弦の参と死闘を繰り広げたあの夜。篝の身を削った攻撃に報いんと、煉獄は己の持ちうる全ての力を刀に乗せた。しかし、手負いの獣が怖いとはよく言ったものである。猗窩座は自らも技を放ちつつ僅かに体を反らし、渾身の一撃を己の腐っていく傷口に当たるよう調節したのだ。炎撃により腐敗は止まり、彼の鬼は日差しから身を隠そうと近くの林へと飛び込んでいった。炭治郎が力を振り絞って己の日輪刀を投擲し、それが鬼の体を貫く様を見たが…結果としては取り逃がしてしまったことに変わりはない。
不甲斐ないものだ、と煉獄は恥じる。悔いはなかった。あれは己の全力であり、篝が望む最大の攻撃手段だったのである。だが後を託されておきながらそれを成し遂げられないとは、なんとも口惜しい。しかしそんな煉獄を、微かに意識を保つ篝は笑い飛ばした。


「良いのです、これで。生きている限り次がある…こんなに素晴らしいことはないでしょう?」

―如何でしたか、私の戦術は(・・・・・)。皆が生きている、これに勝るものがありますか。


澄んだ萌黄の眼差しが、煉獄を柔らかく包む。もしやと思ってはいたが、鬼の前に現れてから今に至るまで、策を弄しながら戦っていたというのか。思い起こせば、篝は対峙した時既に鬼の特性を把握していたし、やたらと鬼の意識を己に引き付け他へ向かないようコントロールしていた。まるで隠し玉があるかのように―…それは言わずもがな、煉獄の奥義を最大限生かすためであったが。
男はからりと笑い、ありがとうと一言述べる。それを聞いて安心したのか、眠りにつくように篝は目蓋を下ろし、意識を彼方へとやった。



あの朝焼けが今では遥か遠くのことのような、そうでないような、不思議な感覚だ。次は決して逃がさぬ、そう決意して、煉獄は今日もこんこんと眠る篝の手を握った。

余談になるが、この時既に煉獄はある事実に気が付いていた。否、気がつかざるを得なかったというべきか。
―それは篝楪が女であることを隠している、という事実。
朝日が辺りを照らす中、煉獄は己の応急措置を終えてから、意識が朦朧としている篝の傷口を押さえようと服を剥いだ。そう、剥いだのである。無遠慮に袂を広げられたその胸元は、血に染まったさらしできつく押さえ付けられてはいたものの、やんわりと膨らんでいるのが分かった。脳内に疑問符が無数に浮かんで処理落ちしそうになった煉獄だが、ここは男として配慮せねばならぬ所である。遠くに佇む炭治郎と伊之助が此方を見ていないことを確認し、篝の襟元を即座に正した。何事もなかったかのように取り繕い、取り敢えずの止血処理を施す。隠が事後処理に訪れた後でも、煉獄は背に負った篝を誰にも任せることなく、蝶屋敷まで自力で向かったのであった。このせいで隠からはすわ衆道かと疑われていることを、本人は知らない。


「女だったとはなあ、よもやよもやだ」


(…鬼殺隊とは何ら関係なく、ただただ憧れた背中に追い付きたい―)

脳裏にいつぞやの縁側で聞いた言葉が過る。それに加味して、戦いの最中でも篝は人に教えることに執着していたのを思い出した。未だ根強く残る男尊女卑の風潮は、女に職業選択の余地を与えない。鬼殺隊でこそ男女も貴賤も無く、鬼滅が物を言う実力社会だが、一度外に出ればそうはいかないのだ。
煉獄は、生きにくい選択をするものだと篝を評した。それと同時に、性を偽ってまで願いを遂げようとする意思の強さを、眩しく思う。己も一度、彼女程の苛烈さをもって父にぶつかる時が来たのではないか―


「んん…、」

「!篝、目が覚めたのか?」


とその時、女が身動ぎをした。煉獄が握る掌の感触を確かめるようにやわやわと触れてから、また寝息を立て始める。
―なんだ、まだ寝ているのか。浮かした腰を備え付けの椅子に戻し、顔にかかった髪を払ってやった。伸ばした手で、無数にあった切り傷の痕を確かめるようになぞる。額、頬、首…と順に触れていると、横から伸びてきた手がその動きを制した。


「了承なく触れるものではない」

「おお、冨岡!!元気か!!!」

「…」

「問題ないようだな!して、どうした?」


ぺっと音がしそうな程乱雑に煉獄の手を振り払ったのは、胡蝶から篝の容態を聞いて足早に病室を訪れた冨岡義勇であった。煉獄の問いには答えず、無言で目の前の男と篝が繋ぐ手に視線をやる。今度は静かに二人の手首を掴み、確実に引き剥がしてから、煉獄よりも寝台に近い所に椅子を出して座った。


「竈門少年の病室なら二つ向こうだが、良いのか?」

「ここで合っている」

「…そうか!なら俺か篝の見舞いということだな!!」

「!?」

「む!!」


人の手を振り払い引き剥がしておきながら、自分はちゃっかりと篝の手を握っている冨岡を見て、煉獄は弟弟子は良いのかと問う。最も気にしていたのは篝であり、目を覚ましたと聞いた瞬間診察室を飛び出した冨岡は、目的地は間違えていないと返した。すると、思いもよらない煉獄の言葉を耳にして、冨岡はここ最近で一番表情筋を稼働させるではないか。それはそれはもう驚いており、その顔に直面した煉獄も驚いた。


「部屋が同じなのか…?」

「うむ、つい二日前からな!篝も回復のため安静にするだけなので、胡蝶が俺の隣に移した」


何ということだろう。
冨岡は篝の身が危ないと本能で感じた。自分が病室に入ろうとした時、煉獄が篝の隠し事に気が付いていることを知った。呟きが聞こえたのだ。当の煉獄は、蕩けるような眼差しを向けつつ柔らかに篝へと触れているではないか。そういうことに鈍い己でも、流石に察する物がある。煉獄は固い男で、みだりに婦女子を期待させるような行動はしない。そんな男が―相手が眠っているとはいえ、己の熱を伝えるかのように手を伸ばしていたのだ。

この温もりは、お前のための物じゃない。


「だ、めだ」

「何がだ?」

「胡蝶…胡蝶だ」

「一体どうしたんだ!胡蝶がどうしたと!?」


支離滅裂な言葉を残して風のように去っていく後ろ姿に、煉獄はただポカンと呆気にとられる。暫くしてからハッと彼方にあった意識を戻したが、やはり冨岡の謎の言動は理解できなかった。
窓の向こうからは、伊之助と善逸が鍛練に励む声が聴こえる。暫くすればそこに炭治郎の声も混じるのだろうと容易に想像できて、自然と口元が綻ぶ太陽が気持ちいい日のことだった。








(胡蝶、煉獄は駄目だ)

(まあ話を聞かない冨岡さん、私にまだご用が?)

(用しかない…煉獄は篝の事情を分かっている)

(…それは知りませんでしたね……)

(だから部屋を)

(ですが煉獄さんですしね。まあ良いでしょう、空き部屋もあまりないのでこのまま様子を見ましょう)

(!?)

(なんですその面白い顔は?当然でしょう、話を聞かず思うことの九割言葉にしないどこかの誰かさんよりも信頼が置けますよ、煉獄さんは。篝さんとの共闘も息ピッタリだったそうですしねえ)

(……)

(ほらまた何も言わない)
























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