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二次創作/夢
萌えよ若葉











黎明に泣く









―嗚呼哀しきかな、夜の獣。


「さあ楪(ゆずりは) 、
躊躇いは要らぬ。手加減も許さぬ。刀を掲げよ、身を構えよ。

これより最期の講義を始める」


ニタリ、初老の男は目を弓形にしならせた。





















(やれやれ、袴の方がよっぽど楽なんだがなあ)


黒い詰め襟は息苦しく、夏になると内側にじんわりと熱がこもって不快になる。いくら隊服が身を守ってくれるとはいえ、窮屈な洋物のつくりに内心文句を溢した。
ふっと頭上に影がかかり、羽音が耳に届く。自身の相棒が言伝てに来たことに気がついた女は、腕を掲げて相棒―鎹烏を迎えた。


「カァー!伝令!!伝令ィ!!」

「はいはい、何かな」

「篝(かがり)楪ァ!!再三ノ柱就任ノ打診ヲ伝エルゥ!!!」

「…親方様も食い下がるなあ。お断りの文言を何度も直接申し上げたのにかい?」

「今回ノ伝令ハ他ノ柱タッテノ要望デアァル!!」

「ええ?止めてくれないってことはまだ親方様も諦めてないのか。はぁ困った困った…
申し訳ないがお断り申し上げておいてくれ。頼むよ相棒」

「次イデ任務ヲ言イ渡ァス!
コレヨリ西方ノ谷底ノ村へ向カェエ!!死者ノ幻ヲ霧ニ映ス血鬼術ヲ使ウ鬼ガ居ルゥ!!」

「君って奴は…、!優先すべきは任務の方ではないのかい!?何故任務の伝令を後回しにしてるんだ!!ってこら、逃げるな!!」


烏に表情など在るはずもないが、馬鹿にしたようなそのしらっとした態度には普通に腹が立つ。思わず大きな声を出せば、腕を止まり木にしていた鎹烏は翼をはためかせて追求を逃れていった。


「ああもう、お断りすることはしっかり伝えておいてくれよ!分かったな!!」


まるで普通の烏のように一鳴きして去っていく姿を見送り、女は深く息を吐く。鬼殺隊に入って以降共に過ごしてきた相棒は、時が増すにつれて生意気さと不遜さが目立つようになってきている。それがあの鎹烏の元々の性分なのかどうかは分からないが、まあそれは置いておこう。


「何はともあれ、任務だな」


日は頭上から少し傾いてきているが、急げば日没までに村へと辿り着けるはずだ。相棒がしっかりと役目を果たしてくれるか一抹の不安を抱きながら、女は踵がやや高めに作られている洋靴で地面を踏み締めた。





* * * * * *





静寂の暗闇に包まれた村の中は、血の臭いが充満していた。心なしか身に纏わりつく霧すら、うっすらと赤みがかって見える。


(これはまた…一体どれだけの人を喰らったんだ)


まだ村の入り口に辿り着いたばかりだ。ちらほらと遠くに家が点在しているのが見えるくらいの距離である。それなのにここまで状況が最悪のものであると読めてしまう現実に、彼女は目を細めた。しかし鬼殺隊に属する者は、こういう事例に直面することはざらにあるのだ。一々心を乱して怒るのにはいささか疲れてしまう。

―鼓動を乱さず、呼吸を乱さず、己の全てを掌握せよ。


「分かっているとも、御師様」


決して間違えはしない (・・・・・・・・・・)、今度こそ。

霧の中でこちらをうかがう鬼の気配に一つ笑えば、腰を落とし、柄に手を添え、刀を抜きさった。


「葉の呼吸、参ノ型―

―木枯らし」


居合い切りの如く構えた鋒から、ごうごうと無数の朽葉が渦を描いて舞う。葉の形をした剣技は、意思を持つ生き物のようにうねり、猛々しい音をあげる。遂には足元の砂もろとも巻き上げ、赤の帳を霧散させた。
ああすっきりした。そう言わんばかりの女は、無造作に鞘へと刀を納める。霧が晴れた宵闇の村は、悲しいほど静寂が響いていた。ザリ、ザリ、玉砂利が靴底を転がっていく。道なりに進んで行けば、横目に捉えた家の中には、金槌や石塊が転がっていた。谷底にあるため石材が豊富なこの場所は、近辺では有名な石工の村であるという。かつては村出身の石工が将軍に召し抱えられていたこともあるらしく、時を経てもなおその技術は健在と評判であった。この村を霧が覆う、その時までは。入れば生きては帰れぬ、魔境になるまでは。


「さあ、悪い夢は終わりの時間だ」


確かに人の見目をしていながら、夜の獣と化した哀しき存在よ。人としての生を奪われ、夢現をさ迷う君に、終焉を与えよう
―…これがせめてもの慈悲となるように。


「おやすみ」


木の葉がふわりと地に落ちた。

















「偶然だな篝!!お前もこの屋敷に泊まるのか!!!」

「…これは炎柱殿、息災そうで何より。ええ、そのつもりでした」

「?その言い方はいささか可笑しいな!まるで予定が変わったかのようではないか」

「たった今変わったんです、ええ、それでは御前失礼致します左様なら相棒が私を呼んでおりますので」

「君の鎹烏なら先刻飛び立っていったばかりだ!嘘はよくないぞ、まあ座ると良い」


―朗らかを通り越して暑苦しさすら感じる人物に出くわしてしまった。
任務を終えて朝日を拝んだ女は、隣町に藤の屋敷があることを思い出した。そしてのんびりと山を越えて屋敷に入り、腰を下ろそうとしていた矢先に、炎柱―煉獄杏寿郎に捕まったという訳だった。徹夜明けには厳しいお人と鉢合わせてしまったものである。深々と溜め息を吐くと、石畳の上に洋靴を揃え、備え付けの草履に履き替える。爛々とした瞳をこちらに向けてくるのを視界に入れぬようにしつつ、彼にならって縁側に腰かけた。


「私の相棒の行方をご存じであるということは、あの伝令は貴方が原因なのですね」

「いや何、君が親方様の希望をことごとくはね除けていると耳にしたのでな!
一つ訂正しておくが、俺のみが打診したわけではないぞ」

「…なんと……」


頭が痛い言葉を耳にしてしまった。言われてみれば、いつも絡まれる音柱や仲の良い蟲柱にも、会う度に就任したらどうかとつつかれていた記憶がある。それなりに親交のあるはずの水柱からは、不思議と何も言われたことは無いが…まあそれは良かろう。
屋敷の者が縁側にそっと置いていった茶も楽しめず、彼女は手を額に寄せた。山と積まれたバラエティ豊かな茶菓子をばくばくと腹に納めていく男は、そんな女の事など微塵も気にしていないようではあるが。


「良い機会だ、聞かせてくれないか?」

「何をです?ああもう頬についてますよ、ほら手拭いどうぞ」

「うむすまんな!聞きたいのは君が柱就任を拒む理由だ」


顔が良い男は頬に食べ滓が付いていても男前だな、と思考が斜め上に行っていた彼女は、はたと瞬きをする。


「…御存知ありませんでしたか?」

「ぼんやりと概要くらいは胡蝶から聞いたような気がするのだがな!本人がいるなら本人に聞いた方が早いだろう」

「まあそれは仰る通りですが…理由ねえ……」

「話し辛いことか」

「ああいえ。まあそうですね、単純に言ってしまえば、私は鬼舞辻を切るためだけに鬼殺隊にいる(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のです」

「それだけか?何も問題は無さそうだがな」


まあそうだろう。噛み砕きに噛み砕いて、結論のみを言っているようなものなのだから。不可解であると言わんばかりの煉獄の顔を見て、女はぼんやりと過去に思いを馳せた。


「鬼殺隊に入った理由がただそれだけ、ということです。人が鬼になる理由がただ一つであるように」

「…そうか」

「確かに柱となる条件は達成しております。ですがそれは鬼舞辻に辿り付くための過程に過ぎず、地位に拘らずとも鬼は切れる。柱にならずして何の問題がありましょう?」

「その言い分はおかしい!柱になっても鬼は切れるではないか」

「ええそれは勿論。ですが私には私の事しか慮る余地がない。更には人を率いる器でもない。
私の思う柱と、私という存在は違うもので―実力のみで柱になることを、私自身が許せそうにない」


盆に盛られていた茶菓子が跡形もなく消え失せてから、煉獄はようやっと湯呑みに手を伸ばした。それと同時に彼女もまた、温くなりつつある茶で喉を潤した。ほんのりと濁りのある、渋みとまろみが感じられる優しい味だった。


「煉獄殿は現に柱であらせられる。今の私の言葉に思う所はありましょうが、ご容赦くだされば幸いです」

「いや、構わない。続けてくれ」

「それなら良かった。では話を戻しまして…鬼殺隊の芯であり、隊士らの精神的支柱であるのが、柱であると私は考えております。先頭に立ち、如何なる時も倒れぬ幟旗とでも申しましょうか」


私にはそこまでの気概は無い。鬼は悲しい存在であり、その首を落とす事こそ慈悲と思いはすれど、鬼狩りに強い意欲があるかと問われれば、否である。
そう締め括れば、煉獄はふぅむと唸って身動ぎをした。その手に握られた空の湯呑みを回収し、盆に戻す。そんな女に礼を述べた彼は、つまりはこういうことかと口を開いた。


「実力があることは自認しているが、自らが思う柱と乖離している現状を考えて就任を拒否していると?」

「有り体に言えばそうなりましょう。あくまで自らの問題であることは分かっておりますが、納得できぬ上に許せぬものは許せぬのです」

「成る程!理解はした」

「納得はしてくださらないので?」


解決した!という雰囲気でそう言い放つ煉獄に、女は笑い混じりで返した。するとからりと一笑いした男は、真っ直ぐな瞳で射抜くように視線を寄越す。他にもあるだろう。そう言われると、女は素直に驚いた。気付かれているとは思っていなかったのである。


「お見通しでしたか。ええ、その通り。鬼舞辻を切ること以外にも、私には叶えたいことがあるのです」

「…それは?」

「鬼殺隊とは何ら関係なく、ただただ憧れた背中に追い付きたいというだけの―愚直な願いです」


憧れた背中、という言葉に、煉獄は瞳を揺らした。何か思う所があったのかもしれない。それ以上彼が続きを求めることはなく、話はそこで打ち止めとなった。彼女も詳細を話すつもりはなかったため、互いに口をつぐむ。目前に広がる庭の木々から、聞き覚えのある鳥の声がした。

昼の用意ができたと襖の向こうから声がかかる。すぐに行くと大きく張りのある声で返事をした煉獄は、立ち上がり様に盆を手にした。どうせなら昼を共に取ろうと言った彼に異論はなく、茶菓子のごみを集めてから彼女も立ち上がる。


「ああ篝、前から思っていたのだが」

「?はい、なんでしょう」

「男子でありながら (・・・・・・・・)細いとは常々思っていたのだ、昼はよく食べるといい!よく食べよく鍛えよく寝る、これに限る!!」

「はは…いやですね煉獄殿?貴方を基準にしては誰も彼も腹が破裂してしまいますよっ、痛っちょっ叩かないでください」

「うむ、細い!!薄い!!」

「煉獄殿!」
















「胡蝶殿、しばらくぶりですね」

「あら篝さん、貴方も柱合会議に合わせて産屋敷邸(こちら)へ?」

「ええ、藤の屋敷で鉢合わせた炎柱殿と共に参りまして…ところで柱合会議では冨岡殿に冷たく当たっていたようですが彼は何かしたのですか?」

「いいえ?那田蜘蛛山での合同任務の時に言葉が足りぬ、と注意しただけですよ」


うふふ、と軽やかに微笑む蟲柱―胡蝶しのぶを見て、女は呆れたような仕方がないといったような、そんな表情を浮かべた。


「冨岡殿は相変わらずの付き合い下手のようですが…胡蝶殿、貴女も彼をからかうのがお好きですねえ」

「でしたら冨岡さんが態度を改めればいい話でしょう?そもそもの原因はあちらですよ。付き合わされる身にもなってほしいというものです」

「確かに合同任務の際はお二方揃うことが多いですからそうかもしれませんが…」


冨岡義勇という男の言動は酷く分かり辛いものばかりで、ポンコツと言っても差し支えないほど正しい意味が相手に伝わらない。長いこと時を共にすればそれくらいのことは理解できるが、いちいち通訳の役割を担うのも面倒であるし、迷惑を被るのは側に居る者だ。胡蝶はそういうことを言っているのだろうが、彼女ともそれなりに親しくしている女は、胡蝶が冨岡をからかうことに楽しさを見出だしていることにも気が付いていた。


「それはそうと篝さん?また断ったそうですね」

「…耳がお早いですね」

「私は友人の昇進を強く望んでおりますので」

「胡蝶殿もお人が悪い、私が柱を辞退する理由を御存知の上で炎柱殿をけしかけたのでしょう?」


確信のある問いをすれば、胡蝶はくるりと艶やかな着物を翻し、女に背を向けて歩き出した。きしりと床が軋むのに合わせて髪を彩る蝶の飾りが揺れ、藤の花の気配がする。思えば、彼女からはいつも紫の香りがしていた。


「いいではありませんか、いつか気が変わると期待してのことです。正規の手段である内は貴方の意思を尊重しているのだと思ってくださいな」

「恐いお人だ」


はあ、と天を仰げば、胡蝶は隠しもせずころころと笑う。隠し事の一端を担う形にしてしまった蝶屋敷の面々には、頭が上がらない思いである。怪我をした際には、治療のために同性の友人が営む屋敷に訪れる事が常であった。故に脅すだけの手段がある胡蝶には、借りが返しきれないほど沢山あるのだ。


「ですが、そうですね。柱にならずに甲のままで居るつもりなら…特に貴方に関しては、今後それは難しくなるでしょう。
人を喰わずに存在する鬼 (・・・・・・・・・・・)が今、我々の手元にありますので」

「!」

「親方様は、この鬼とその兄にあたる隊士を重要視しています。鬼舞辻に近付くための一石として―
先の合会議の内容はその鬼連れの隊士、そして隠匿を助けた冨岡さん達への問責…といったところでしょうか」

「冨岡殿が命を懸けた、とは聞いていましたが…よもやそのような事が起きていようとは」


一度に与えられる情報量が多くて混乱しそうだが、元々は自身の身分如何という話である。鬼でありながら人を喰らわぬ者がいる、という異質な状況にある今、親方様としては―…


「親方様は鬼舞辻がその鬼を狙ってくるとお考えのようです。鬼舞辻の望みに繋がるかもしれない小さな変化が、人を喰らわぬ鬼なのであれば、ですが…そしてそうなれば、戦力の低下が叫ばれる鬼殺隊で鬼の猛攻を迎え撃たねばなりません」

「…胡蝶殿、私が柱になったところで鬼殺隊の戦力が上がる訳では無いでしょう」

「あら、篝さんは自分の事には疎いのですねえ。貴方が柱に推される理由には、教え導くことに長けた実力者が現柱の中にはほぼいないこともあるのですよ。
実力者が下級隊士の成長を促しながら小隊を動かし、戦力の底上げを図る。それが親方様の望む新たな柱の形です」

「…」

「ねえ篝さん、これは貴方の思い描く願いとそこまで違うものですか?憧れた背中に追い付きたいと言っていたのは、貴方の恩人の事なのでしょう」


―そう、確かに、教え導くことに重きを置く新たな柱の形は、私の思うものに近しい。
だが他の隊士のようにひたすら鬼を狩り、上を目指し、階級をあげていくことに邁進する者達からすれば、己は余所見をしているようなものである。不誠実でありたくない女は、やはり自身が柱になることに納得しきれないでいた。

ふと足を止め、正面で向かい合う。自分よりも高い位置にある顔を見つめながら、胡蝶は友人の頑固な信念の強さに呆れ、同時に感嘆してもいた。こういう所は己にはない美点であるのだろう。
柱になることを固辞し続ける篝楪という女は、鬼殺隊でのみ生きようという他の隊士にありがちな頑なさを持たない。それこそ鬼舞辻を目的としていなければ、何処へなりとも旅立っていってしまいそうな人だ。鬼に固執する生き方しかできない者も多い中、その自由な在り方に羨望の眼差しを向けられることもあるのだ。本人はそこに罪悪感を抱いているようだが、なんとも見当違いなものである。


「時間はあまり無いと思います。ですから、限られた中でじっくり考えるといいと思いますよ」
















―おい、こんな川縁で何をしている。じきに雪が降る、凍え死ぬぞ

―…帰る場所が無いのなら、私と共に来い。俺の塾に入れ

―剣術でも体術でも、もちろん勉学だって教えてやろう

―なに?弱そう?生意気な奴だな


孤児で痩せっぽちの女の子は、冬の川原である男に拾われた。手を引かれるままついて行けば、がらんどうのお堂に椀を二つ並べ、温かな雑炊を啜ったものである。
男はこれから塾を開こうとしていたところだと言った。お前は俺の一番弟子になるのだから、後輩に誇れる先輩を目指せよ。その言葉を、会って間もない人なのに、女の子は不思議と受け入れていた。まずは腹ごしらえして、お前の体をつくっていくところからだな。そしたら稽古をつけてやろう、それから新しく弟子を受け入れることにする―そう言った男は宣言の通り、女の子が程よく肉付いた年相応の体になるまでの一年もの間、誰一人として弟子を受け入れることはなかった。


「御師様」


そう呼び始めたのは、いつ頃からだっただろう。男にも師範と慕う人が居たと耳にした少女は、ならば違う呼び方が良かろうと尊敬の念を込めて大事に大事に音にした。初めて御師様と呼び掛けた時には、驚いた後に照れ臭そうなしかめっ面をしていたことを、よく覚えている。
背も伸びて、髪の毛もひどく長くなっていたため、頭の後ろで一つに結んだ。刀の型を確かめる素振り稽古の時には、複数の風を切る音が庭に響く。疎らだった人の影は時を経る毎に増えていったが、そのどれもが年端もいかぬ子供ばかりだった。それとなく確かめてみれば、皆が皆見事に孤児だらけである。男は厳めしい顔の割に心が優しく、道端で死に逝こうとする小さな灯火を大事に抱える人であった。勿論人が増えれば入り用の物も増えるし、どうにか生活していかねばならない。そこで手分けして畑を耕し、川で釣りをし、時には近隣で物々交換をしたりしながら日々を過ごしていた。豊かとは言い難い暮らしだったが、体も頭も鍛えられるばかりか、帰る家があることのなんと幸福なことか。しかめっ面の御師様以外は、皆高らかに笑い声を響かせていた。


「行って参ります、御師様」


そう言って男も世話になった育手の元へ定期的に通うようになったのは、十四の夏の事であった。まとめ役を担っていた少女が外へ出るようになると、下の子達は徐々に大人びていく。それがいささか寂しい気もするが、頼もしいものである。安心して育手の元で鍛練に励むことが出来るようになり、少女はめきめきと才能を伸ばしていった。
季節は巡り、十五の春。育手に鬼殺隊に入るのであれば試験へ向かえと言われたが、少女にはそのつもりは全く無かった。そもそも育手に呼吸を教わっていたのは、今後家族を襲うかもしれない不幸を振り払うためである。一度たりとて鬼を目にしたことがない少女が、鬼殺隊に入りたいと強く願うはずもなかった。何はともあれ、育手からの太鼓判は貰えたのである。意気揚々と数ヶ月ぶりに帰路を行く。家族は褒めてくれるだろうか、御師様はなんて言ってくれるだろう。そんなことを考えて夜道を進む。都会のように街灯など無い片田舎、月明かりを頼りに門へと辿り着けば、少女は何か違和感を感じた。門横の勝手口から身を屈めてお堂へ向かう。


「…御師様?」


ぴしゃり、冷たい感覚が床に下ろした足を襲う。道場に足を踏み入れると、探し求めた姿はそこにあった。男は乱取り稽古を始める時のように、道場の中央で正座をしている。―ただその背後には、まるで何かに食い散らかされたような幼い家族達が、血塗れで横たわっていた。ヒュッと喉から行き場を失った風が漏れる。その瞬間、男は空気を震わせる大声で少女を叱咤した。


「呼吸を乱すな!!!
鼓動も、呼吸も、血の巡りも、髪の一筋でさえ!己の全てを掌握せよ!!!!!」


ぎらりと闇に光る瞳は鋭く、肌に血管が幾筋も浮かび上がっている。口の端から覗く鋭い牙は、男が人でなくなったことを示していた。
それを理解してしまった少女は、酷い悲しみに襲われた。一度に家族を失ってしまった、ましてや御師様は人では無くなってしまっている。己のすべきことは何か、全く見当もつかずに、少女はひたすら呼吸を繰り返した。そんな教え子を見て、男は険しい形相のまま目を細める。よくやった、そう褒める時の仕草と同じであった。


「よく聞け、この塾はまず襲撃を受け、俺以外の皆残さず喰われて死んだ!!俺は抵抗を続けた結果、鬼にされている (・・・・・・・)!!!」

「っ御師様!!」


その言葉の先を聞いてはならない気がして、少女は悲鳴のような声で男を呼んだ。しかしそれに構わず、男は更に言い募る。


「―故に、これが最期だ(・・・・・・)。
身のこなし、呼吸の生かし方、視線の運び、戦術に至るまで、お前に全てを叩き込む」


喉が乾くのだろうか。教え子の血を啜りたいと、男の中の獣が唸るのだろうか。膝に添えられていた手はひどく力が入っていき、鋭い爪が布を突き破って腿を傷付けた。


「さあ楪、
躊躇いは要らぬ。手加減も許さぬ。刀を掲げよ、身を構えよ。

これより最期の講義を始める」





―これは、篝楪が初めて目にした夜の獣。

気高き誇りを失わず、師匠として己の持ち得る全てを後継に残さんと足掻いた男。彼の背中を、女は未だ追いかけている。
















ひとまず胡蝶と別れた女は、身支度を整えるべく、産屋敷邸に備えられた別室へと足を運んでいた。親方様と直接会ってはいないが、鎹烏から「指導してほしい隊士が蝶屋敷でしばらく世話になる」との連絡を受けたのである。そのため、一足先に帰っていった友人を追い掛けるべく、女もまた準備をせねばならなかった。
せせらぎのような気配がした。おや、と閉められていた引き戸を開けてみれば、今まさに戸に手をかけようとした体勢で固まっている水柱と目が合う。


「冨岡殿。お変わり無いようですね」

「…ああ」

「ここまでわざわざ来られるということは、何か私に用事がお有りで?」


柱に用意されている部屋とは異なり、己が今いる場所はほぼ荷物置きのような倉庫である。用が無ければこのような場所に来るはずもないため、女は冨岡が言い淀む先を促した。


「稽古をつけるのだと聞いた。今回の騒動はもう耳に入っているかもしれないが…」

「ああ、鬼連れの隊士の件ですね。ご心配なさらずとも、指導する中にその者が居ることは承知しておりますよ」


鬼と聞けばすぐ殺さねば、そう言う者しか居らぬ鬼殺隊に属しながら、女は緩やかにそう返した。物言わぬ口よりも、その青い瞳は意外であると雄弁に物語っている。今でこそ分かるようになったが、やはり言葉が足りなさすぎる。くくと苦笑を漏らし、女は冨岡の肩を軽く叩いた。


「親方様が認めるに足る理由があるのでしょう。ならば私から何も言うことはありませんし、稽古に関しては私に与えられた任務です。疎かにはいたしませぬ」

「そうか」

「ええ、……あの、冨岡殿」

「…」

「冨岡殿」


またか。
冨岡が無造作に頭を撫で回すのに合わせて、女の首がぐらぐらと揺れる―会話が止まれば必ず繰り返される行為だが、こればかりは彼の行動原理が分からない。制止の意味も込めて二度名を呼べば、しぶしぶと名残惜しそうな動きをしながら手が離れていった。


「まったく…貴方は何故いつも私の頭を標的にするのですか。この長さで結び直すのは中々億劫なのですよ」


そう愚痴を漏らしつつ、乱れた髪を整えるためにひとまず結び紐をほどく。常に耳より高く結んでいる束が広がり、背中に伝った。後ろ手に髪をすき、一つにまとめて口に咥えた紐を一回し、二回し、崩れぬように固定していく。蝶結びをして腕を下ろせば、冨岡らしからぬ眼力でこちらをじいっと凝視していたことに、びくりと肩を震わせた。


「な、何ですか…?いつもの焦点が定まらぬような顔はどこへ行ったのです」

「、いや。器用なものだと感心していた」


この様子では、恐らく思っていたことの三割ほどしか口にしていないだろう。階級の差はあれど、ほぼ同時期に昇格を繰り返した腐れ縁である。そのくらいのことは手に取るように分かっていた。
もしや髪を結ぶ所を見たくて毎度毎度頭を鳥の巣にしているとでもいうのだろうか。まさかまさか………やめておこう、要らぬ結論に達してしまいそうだ。


「さて、私はこれより任務のため蝶屋敷へと向かいます。冨岡殿、貴方は?」

「遠方で任務だ。装備の確認後に出立を予定している」


では、健闘を祈ります―そう言って、冨岡の横を通り過ぎる。返答は無かったが、頷く気配がした。
冨岡は柱であることに負い目があるようで、柱にふさわしい人間は自分ではないと己を卑下する言葉を耳にしたことがある。だが、誰の目から見ても…少なくとも隣に立って冨岡を見てきた女にとっては、柱にならない理由がなかった。きっと今度の任務も、涼しい顔をして帰ってきてくれるだろう。そういう所を、女は信頼していた。


「楪」

「!」


久しく呼ばれていなかった名に、思わず振り返る。友人らが柱になってからというもの、女は彼らを名で呼ぶことは無くなっていた。それに倣い、彼らもまた女のことを篝と呼ぶようになっていたのである。


「考えを否定するつもりはないが、祭りの時のお前も―変わらず同じであるはずだ」

「…市井に潜む鬼の調査をした時の事ですか。懐かしいですねえ」


まだ、二人とも平の隊士に過ぎなかった頃。合同任務をするにあたって、祭りの人混みに紛れて調査をしようと二人して浴衣に着替えたのだ。冨岡は紺色、女は緋色…恋仲として寄り添うように、屋台に群がる人の波を潜り抜けたのである。
そういえば、あの頃ははっきりと女であることを隠そうとはしていなかった。明確に男として振る舞うようになったのは、階級が戊になった辺りだろうか。周りの隊士が絶え間なく姿を消していく中、せめて命を散らさぬ導き手にならんと、決意を固めたあの日。開かれた時代とはいえ男尊女卑の精神が根付く中、女が先頭に立つには難しいものがあった―女が目指す形であれば、尚更。

女であることを捨てたつもりはないが、ぽろぽろと取り零していた物もあったかもしれない。冨岡は、そんな姿を案じていたのだろうか。相も変わらず話の脈絡が掴めないが、その心遣いはくすぐったくも温かい。


「大丈夫ですよ、義勇殿。貴方のように覚えていてくれる人や、支えてくれる人が私にはいる」

「苦しくないなら、いい」

「優しいお人ですねえ。でも、今度から頭を乱しにかかるのは無しですよ」

「……」

「えっちょっと義勇殿?無視ですか?」





* * * * * *




鬼殺隊には、奇妙な隊士がいるという。
隠からそんな話を耳にした竈門炭治郎は、隣り合う寝台に横たわる同期の嘴平伊之助、我妻善逸と共にその話題に興じていた。とは言っても、伊之助に関してはすぐに寝入ってしまったが。


「俺聞いたことあるなあ。確か長髪の緑がかった黒髪で、深緑の目をしてる白衣の優男だとかなんとか…」


そう善逸が漏らせば、痛む体を動かして伊之助に布団を被せてやっていた炭治郎がへえと声をあげた。ゴゴゴ、と地鳴りのようないびきをかいている伊之助は、話の内容など露知らず、夢の中である。


「聞いた話では、柱になるよう何度も打診されているのに断っているとか。なんでも水から派生した独自の呼吸の使い手らしいんだ」

「ハァ!?じゃあ階級甲なのかよ!!なんだよ不公平か!!?顔もよくて強いってなんなんだよぉ俺を守ってくれよぉぉ」

「善逸は強いから大丈夫だと思うぞ」


―奇妙な隊士とは、そんな噂になるほどか。
病室の前で苦笑いをした女は、まさにその話題の人物である。冨岡と別れた後、身支度を整えて蝶屋敷に訪れた女は、早速胡蝶に指導する隊士の場所を聞き出していた。それがこの病室にいる三名の筈なのだが…ここまでタイミング良く己の話をしていようとは。まあいくらか知っていくれているのであれば、説明する暇が省けていい。


「失礼する」


そう言って室内に入れば、賑やかな話し声が止んだ。その代わり、見知らぬ隊士に対する訝しげな視線が彼女を刺す。誰だろう、と戸惑っている彼らが口を開く前に、女は自己紹介から始めた。


「初めまして。これより君達の機能回復訓練の補助、及び指導にあたる篝楪という。君たちが話していた階級甲の奇妙な隊士とは、私のことだ。まあよろしく頼むよ」


ぽかんと口を開けている火傷がある少年と派手な頭の少年を見て、その間抜けな様に女は少し笑った。


―しかし、あのいびきがうるさい猪は何なのだろう。











萌えよ若葉:プロローグ に続く

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