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二次創作/夢
関東事変・急 ― 尺を枉げて尋を直くすT







日が暮れようとしている頃、二人の男がビルの上で風に揺られていた。


「稀咲…俺のキョーミはね、佐野真一郎の愛したモノ全て。お前の悪意は俺の心を満たしてくれる」


だから利用されてやる、とイザナは笑う。稀咲の企みを以てして空っぽになったマイキーは自分と同じなのだと、そう言った。


「―俺がマイキーを飼い慣らしてやる」


何も言わず貯水タンクの上に佇む稀咲を見上げ、東卍はお前のモノだとイザナが告げる。稀咲は、これでもう"ヒーロー"に打つ手はないと思っていた。しかし、自分が綿密に練り上げた計画に小さな穴を無数に開けていく男だ。絶対に何かしてくると、根拠のない確信があった。
マイキーを人の上に立つ容貌(カオ)に仕立て上げるべく準備したドラケンの殺害計画、芭流覇羅のトップにマイキーを据える計画、その全てに花垣武道という男の影がチラついている。血のハロウィンでは何かと邪魔をしてくる場地を始末する予定だったが、一虎がなんの心変わりか場地に付いた。裏切った一虎を手下に命じて刺し、あわよくば場地諸共殺害しようとしたのだが、松野千冬と共にあの男は余計なことをしてくれた。救急車を呼び救命措置をして、二人は生き延びたのだ。東卍に場地と一虎が戻らなかったことである程度の喪失感をマイキーに与えられたかもしれないが、求める程のものではなかった。

だが、今回こそ成功だ。
イザナの犬が意外と役立つ奴だったことが幸いした。イザナの為であればどんな非道なことでも躊躇わず、淡々とやるべきことを熟して満点以上の結果を持ち帰ってくる。先の佐野エマ殺害計画では今までの結果の振るわなさから己が動くつもりでいたが、それに待ったをかけたのが件の人物―瀬尾鉄だった。稀咲の計画をかじり聞きしただけで要点を把握し、マイキーと親しい友人である自分が何年も交流を重ねているその妹を殺す方が、マイキーの心に負わせるダメージが多いのだと真面目な顔で語られた時には流石に面食らった覚えがある。


「計画に綻びを生じさせたくないなら、尚更私に任せるべきだ。信用ならないかもしれないが、私はイザナの役に立つためならなんだってする。聞いてみると良い」


その言葉通りにイザナへ尋ねてみれば、灰は俺のやることを否定しないし、俺のために何でもする奴だと紫の瞳を半月型に歪ませて彼はそう答えた。やらせてみろよ、面白いモン見れるぜと愉快さを隠さない声が彼らの関係の歪さを彩っている。
そこで改めて考えてみたが、鉄に任せる方がリスクは少なく万一失敗しても切り捨てやすい上、失敗した場合はイザナに借りを作れる。そういう経緯があって、稀咲は半間に電話で鉄への言伝てを頼んだ。何故半間かと言うと、彼は彼なりに鉄をいたく気に入ったらしく頻繁にちょっかいをかけに行っているからだ。嫌そうな顔で渋々とシガーキスを交わす鉄を見た時、稀咲は良い生贄だなと即座に二人から距離を取っている。巻き込まれるのはごめんだった。


「言われた通り、実物用意してきた。実験体はこれね」


鉄が準備したのはどこからか入手した濃縮カフェイン入りの注射器で、彼女は丸々と太ったネズミにそれを注入して様子を見るという実験を行った。カフェインの過剰摂取が危険であることは稀咲も知っていたが、結果は予想以上。そもそもカフェインを摂取すると血圧上昇の原因となり、一定量以上だと心不全を引き起こす可能性もある。脳神経にも影響が大きく、頭痛や幻覚など様々な症状を引き起こす。アメリカで一般に流通している濃縮カフェインをちゃんぽんした危険物をネズミに投与すると、ネズミは痙攣したかと思えばウロウロと徘徊して壁にぶつかり、そのまま引っくり返って動かなくなる。確認してみると、ネズミは死んでいた。

鉄のその淡々とした冷酷さはイザナの言葉通りだと判じ、稀咲は結局鉄に佐野エマの殺害を指示した。結果は期待以上で、視覚的にも満点の殺し方だ。赤を隠すための黒い服装、血に塗れたコンクリートブロックと両の手。床に飛び散る赤から死を目の当たりにして僅かな恐れを抱く前に、稀咲はコイツは本物だと身震いした。決して見逃していた訳ではない。しかし、根無し草故か情報の掴みにくい存在だった鉄の手腕をここで初めて知ったことも確かだった。

(瀬尾鉄…コイツが居ればもっと計画は確実に進められる)

そしてその扱いやすさは群を抜いている。イザナさえ納得すれば、鉄は主の利益になるよう動くことは確実なのだ。イザナが傍に居るのを許すことを納得する優秀さ、従順さだった。加えて各方面に顔が広く、これから食い込んでいくであろう裏社会の事情にも精通している。そういう狂った奴を動かせるだけで、随分と今後の展望が違った。自分の思う通りに動かない状況続きで苛ついていた稀咲だったが、ここで巻き返して一気に片を付けると決めている。思惑通り、鉄の働きでマイキーとドラケンは抗争には姿を現さないだろう。
残るは、花垣武道。泣き虫のヒーローだけだ。

(―さあ…どうする?"ヒーロー")

お前は来る。それを俺は知っている。
稀咲はイザナの視線を受けながら、夕焼けに沈む街を見下ろして何処かで足掻いている少年に問いかけた。






*






「…話がある」

「ドラケン君…!」


夕方五時、マイキーと武道の元へ息を切らしたドラケンがやって来た。その手には携帯が握られており、指先が白くなるほど力がかかっている。それを見て、武道は察する。知ってしまったんだ、と。

あれからマイキーと武道はあちこちを探し回った。
まずは朝ご飯を食べに行ったという店を知るため、エマと仲の良いヒナへと電話を掛ける。するとすんなりその店名が判明したので、彼らはその近辺から捜索を行うことにした。しかし、金髪で特攻服を身に纏った彼らは遠巻きにされ、声を掛けてもすみませんと足早にその場を後にされてしまう。思うように進まない捜索に焦れたマイキーは、人混みから離れて寂れた裏路地や人気の無い廃ビル等を虱潰しに回り始めた。でも、やはりそこには目的の人物はいなくて、屯していたヤンキー崩れの男たちに絡まれるばかり。苛立ち紛れに全て蹴り飛ばすその背中は、時間が過ぎるほどに小さく見えるようになっていた。
最後の願いを託して近辺の病院に駆け込んでみた時には、空は茜色に染まり始めていた。しかし、救命病棟の窓口で問い合わせてみてもそんな人物はおろか情報すら来ていませんと返されるだけ。ここで武道は腹を括らなければと歯を食いしばり、先の見えない捜索に付き合ってくれたイヌピーに指示を出す。武蔵神社へ行って千冬へ状況を伝えてくれ、と。

どこにも見つからない。早く助けなきゃいけないのに。どうしてエマが、どうしてせっちんが、どうして、どうして、どうして―…
プツン、と電池が切れたロボットみたいにマイキーは動けなくなってしまった。病院の外にある植え込みに座り込み、目の前に妹がいるかのようにぽつりと呟く。


「俺の夢は…いつかお前に、子供が生まれてさ」

「マイキー君、?」

「ケンチンは家を建てるんだ」


暖かな家庭を二人なら築けるんだと信じて疑わないその瞳は、どこかを見つめている。不自然なくらい真っ直ぐに。けれどもその声は遠く伸びやかないつもの響きではなく、小刻みに揺れていた。武道にはそれが堪えられなくて、湧き上がる雫をぼとぼと落としてしまう。黒い布がいくつも染みを作って、そこを通り抜ける風の冷たさが余計に感じられた。


「俺が遊びに行くとケンチンはお前のことをほったらかして、酒飲みながらもう何度も話した昔話で盛り上がる」

「マイキー君…」

「夜中まで居座ってさ、その内三ツ谷とかタケミっちとか呼んじゃって、もうドンチャン騒ぎでさ。
…お前、赤ちゃん起こされたことにブチ切れてせっちんのこと呼ぶんだ」


おかしいだろ、何でこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ。武道は鉄の名が変わらずマイキーの口から出たのを耳にした瞬間、ギュッと目を瞑って俯いた。
マイキーが語った夢は些細な物のはずだ。誰もが当たり前に享受できる物のはずだ。それなのに、彼の掌には何も残らない。大事なもの全てが指の間から滑り落ちていってしまう。それをどうにかしたくて、武道は彼が大事に抱えたそれを掬い取ろうと両手を伸ばしたはずなのに。

それきり口を閉ざしたマイキーに寄り添っていた武道は、何を考えているのか読めない表情で近付いてくる人影を見て、それがドラケンだと気が付く。ビルの向こうに僅かなオレンジが滲む中、ドラケンはその目の前で足を止めた。茫洋とした表情で足元を見つめるマイキーを静かに見据えて、話があると言って動こうとしない彼を無理やり立ち上がらせる。武道には見守ることしかできなかった。


「クロから動画が来てた。お前も見たよな、マイキー
…何が起きた?」

「…」


視線を合わせず、口を開こうともしない男を容赦なく殴り付ける。マイキーは抵抗しなかった。考えることをやめたその姿は、人形そのものだ。


「…お前がいて何でこうなる?」

「…」

「オイ…マイキー
何やってんだよ!?テメェはよぉぉ」


釈明も弁明もしない。ただただ打ちひしがれる情けない男を前に、ドラケンは段々と語気を荒らげていく。一番辛いのが誰かなんて、そんなこと言える訳がなかった。人の死は誰しもに衝撃と喪失を与えるのだ。その顕れが沈黙か怒りかなんて、微々たるものだった。
対照的な二人の姿に、武道は直感的な判断で膝を付き頭を地面に擦り付ける。責められるべきはマイキーではないのだ。それだけは確かであることを、ドラケンに分かって欲しかった。


「俺のせいです!!俺っ、クロさんが黒川イザナと近い関係だって知ってて、全然警戒してませんでした!!分かってたこと伝えなかった俺が悪いんです!!!マイキー君のせいじゃない!!!!」


だから責めるなら自分なのだと、マイキーを責めるのは筋違いだと武道は必死にドラケンの背中へ訴える。けれど、彼は止まれなかった。止まらなかった。明らかに先程と威力の違うパンチがマイキーの顔面を捉え、躊躇いなく打ち据える。もう一方の手は胸倉を掴み上げ、棒立ちのままのマイキーの体が崩れ落ちることを許さなかった。


「皆を守る為に東卍創ったんじゃねぇのかよ!!?」

「やめ、やめてください!!ドラケン君!!!」

「パーちん捕まっちまったじゃねぇかよっ!!?」

「!?」


エマの件とは関係のない過去の出来事を口にし、ドラケンは絶えずマイキーを殴り続ける。何とか止めなければと腰にしがみつく武道など関係なく、ゴッ、ガッ、と病院の裏口には重い音が響き渡っていた。


「場地も一虎も死にかけた!!!東卍出てっちまったよなァ!!!」

「ねえっドラケン君!!!」

「どけっ!!!」


遂には両手で交互にマイキーを殴り始めたドラケンは、ふらりと傾くマイキーにお構いなしだ。悲鳴のように静止の声を上げた武道ですらも、邪魔だと言わんばかりに肘鉄を食らわせて吹き飛ばした。


「よりによってクロがっ、エマまでっ」


その名を口にしたドラケンは、それまでで一番拳を強く握りしめてマイキーを殴る。武道の近くに倒れ込んだマイキーは、うつ伏せになって虚ろな瞳をしていた。


「エマまで……っ」


一人立ったままのドラケンは、迷子のような顔をして涙を零した。武道が初めて見る姿だった。
ドラケンなら乗り越えられるなんて、しっかりしてくれなんて、呟きのように唇を滑っていった言葉にハッと武道は目を見開く。その脳裏には微笑むヒナの姿があった。武道がタイムリープを繰り返す理由はなんだった?愛する人を守りたいからじゃなかったのか?愛する人の笑顔を見たかったからじゃないのか。もう一度、もう一度を願ったからじゃないのか!!

(大切な人との別れなんて、裏切りなんて、ましてや大切な人の死なんて、…受け入れられるワケない)

空高く輝く星を見上げていると、一際強い風が吹いた。涙が余計に冷たさを増して頬を転がり落ちていく。ふと横に顔を向けて、力なく目蓋を閉ざすマイキーを見た。

(マイキー君…君は、受け入れられなかったんだね。何もかも失って、何も受け入れられないから)

―君は…堕ちて行くしかなかったんだね
思い出されるのは、俺の傍にいて叱って欲しかったと笑う姿。俺を殺せと言う黒い瞳。そんな目で俺を見るなと零れ落ちる涙。
ああ、終わった。もう未来は変えられない。四肢を投げ出し、すっかり闇に染まった空を見上げる。澄んだ空気が痛くてたまらなかった。

それでも、武道には止まることは許されない。天竺という大きな巣を得た稀咲が止まるはずない。それが分かっていたから、稀咲がヒナを殺す未来を生み出し続ける限り、走り続けると直人に誓ったから。動く気配のないマイキーに一人でも天竺とやりますと告げて、武道は立ち上がる。ドラケンは何も言わなかった。

何度だって、何度だって、そうやってきたのだ。今回も立ち上がらない理由はなかった。
病院の外へ出ようとして、思い掛けない姿が目に飛び込んでくる。そこにはトレンチコートだけを身に着けて息を切らした、ヒナが立っていた。タケミチ君、とその唇が音を紡いだ瞬間、彼女は泣き始める。堪えていたものが武道の顔を見て緩んだようだった。


「…知っちゃったんだね」

「ドラケン君からっ、電話が来て…"血塗れのエマが倒れてて、その近くにクロが血で濡れたコンクリブロック片手に立ってる動画が来た、何か知らないか"って…
最初、ドラケン君も慌ててたから、何言ってるか分かんなくて、」

「うん」

「ドラケン君から電話来る前に、ック、タケミチ君から二人の行ったお店聞かれましたって答えて、エマちゃん大丈夫ですよねって、聞いたけど、そのまま電話切れちゃって…!」

「…うん」

「怪我したなら病院かもって思ったの、だから、来たんだよ……」


しゃくり上げる華奢な肩を抱き締めて、背中をゆっくりと撫でる。ヒナは武道の特攻服を必死に掴んで一際大きな声を上げた。


「私っ、嫌だよ!!エマちゃんが死んだなんて、クロさんがやったなんて、信じたくないよぉぉ…」

「ヒナ…!」

「でも分かっちゃったんだもん、タケミチ君の顔見たら、分かっちゃったんだよっ、」


ヒナとエマは東卍の集会で会って以来、ずっと仲良くしていた。時には鉄も交えて出掛けていたり、女子会を開くんだなんて報告を受けたこともある。三人で並んだ後ろ姿を何度も見たのだ。武道はヒナがエマの死と同時に鉄が手を下したことも知ってしまったという事実を、悲しく思った。いつも冷静なドラケンらしくない言動だが、それほど焦りがあったのだろう。無理はない。誰も親しい人の死になんて向き合いたくない。それが愛しい人なら、尚更。
嫌だよぉ、悲しいよぉ、もう会えないなんて。そう泣き続けるエマを一層強く抱きしめて、武道は目を閉じる。


「ねえヒナ、俺下らねえ人生送ってきたんだ」

「、え…?」

「何もかも投げ出して、逃げて逃げて、碌でもない大人になった。二十歳過ぎだったかな?バイト先の子供を笑わせたくて指遊びなんかしてみたけど、余計泣かせちゃってさ」


まだ自分たちは十四歳なのだから、そんな話はおかしい。けれど、ヒナには思い当たる節があった。突然夜中に直人を呼び出し、一人公園で打ちひしがれていた大好きな彼の零した言葉。


「俺の知らない所でこんなヤベェことが起きてたのに、何も知らなかった。辛いことから逃げてたから」


俺、行くよ。そう言って武道はヒナの肩に手を置き、優しく体を離す。向けられた背中はいつになく頼もしくて、決意が宿っていた。


「―君に笑ってて欲しいから」


君を守るよ、ヒナ。たとえ今日死ぬとしても、これだけは絶対にやり遂げてみせる。

ヒナの視線を感じながら、武道は武蔵神社の方向へ歩き出した。時間はもう限られているが、皆が集合している所に行かなければ。自分のCB250T(バブ)は置いてきてしまっていたので、少しでも早くと逸る気持ちのままに歩む速度が上がっていく。すると、向かいから見覚えのあるシルエットと光が近付いてきた。かつての場地の愛車―GSX250E (ゴキ)に乗った千冬だ。可愛がってくれよと場地に譲り渡されたのだと自慢げに語る様子を思い出したが、今はかなり険しい雰囲気だ。イヌピーから話を聞いたのだろう。


「相棒!」

「千冬…」

「乗れよ、皆が待ってる」


ありがとう、そう言う武道の背中をバンと叩いた千冬は飛ばすぞ、とUターンして一気に加速する。頬を切る風を感じながら、武道は千冬が相棒で良かったとふと思った。おそらく、隊長格はほぼ不在で総長も副総長も来ないとなると、東卍はまとまりの無い烏合の衆となる。人の上に立つ力なんて無いと自覚している武道は、誰も自分にはついてこないと確信していた。それでも自分一人で行くことは伝えなければと思っている。それが、彼に出来る最後のケジメだった。

けれど、彼の今までの足掻きを見ている人は居るのだ。


「―いつでもそうだったな!
逃げねぇのはタケミチだけだった!」


やってらんねえ、帰ろうぜと興が醒めた男たちが引き返す中で、千冬が二人で心中だなと笑う。千堂敦(アッくん
)がお前らだけで行かせるかよと流れに逆らう。タクヤも、マコトも、山岸も、一緒に天竺乗り込むぜと階段上に佇む武道へ声を張る。ビビってると見做されるのが嫌だったのか、彼らの声を聞いた人の流れは完全に止まっていた。そこに、病院で安静にしているはずの男が二人、車椅子に乗って現れる。天竺に襲撃されて重症を負った筈のスマイリーと三ツ谷だった。その頭には包帯が巻かれているが、表情も瞳もやけに晴れやかだ。彼らの視線の先には泣き虫のヒーローがいる。


「タケミっちはよぉ、"勝てるケンカ"はしねぇんだよな。病院抜け出してきたぜ!」

「バカだからな、タケミっちはいつでも逃げねぇんだよ」

「スマイリー君、三ツ谷くん…!!」


こいつら連れてけよ、という言葉と共に車椅子を押していた八戒と河田ソウヤ(アングリー)が前へ出た。
三ツ谷と八戒は、教会で大寿に一歩も引くことなく立ち向かい続けた馬鹿の背中を知っている。あの男に膝をつかせたことを知っている。スマイリーとアングリーは、赤に囲まれても決して仲間を見捨てず立ち向かい続ける小さな背中を知っている。勝てないケンカに飛び込む馬鹿を知っている。
だから、彼が行くなら自分もそこに行くのだ。その背中を守りたいと思ったから、隣に立ちたいと思ったから、―諦めない姿が何よりかっこいいと思ったから!

武道に感化されて、勝算のない戦いに飛び込もうとする彼らをイヌピーは呆然と見つめる。正気なのか、総長も副総長もいねえんだぞ。そんな呟きは、千冬が張り上げた声で掻き消された。


「東卍(オレら)が東卍(オレら)であるためには証明するしかねぇだろ!!
―マイキー君が居なくたって東卍は負けねぇってよぉ!!!」


オオオッ、高らかな叫びが熱となって神社の中で渦巻く。皆が東卍、東卍、東卍、と声を揃えて同じ方向を向いた。もう誰の顔にも迷いは無かった。ここにいる者は皆、東卍が好きだった。総長がいないのなら、総長が戻ってくる場所を用意しておけばいい。例え勝てずとも、負けはしない。それを証明するために、彼らは踏み出すのだ。






*






二月二十二日、午後十時。
横浜第七埠頭には、赤い詰襟の特攻服を身に纏った男たちが集結していた。指定していた時刻の午後八時はとうに過ぎており、場は異様な雰囲気に包まれている。

イザナの前には、鼻や口から血を流しながら頭を垂れて座り込む男たちが横並びになっていた。新宿の"音速鬼族"、吉祥寺の"SS"、池袋の"ICBM"、上野の"夜ノ塵"、各地で名を挙げているチームのトップだ。不甲斐ねえな、と血に濡れた拳をぷらぷら振って煽るイザナに対し、彼らは何も言わない。否、言えなかった。一方的な蹂躙で「黒川イザナには敵わない」と理解してしまったからだ。つまらなさそうに顔を背けたイザナに、鶴蝶が声を掛ける。振り返ったイザナの傍にはいつも通り鉄が佇んでいた。


「イザナ!
十時をまわった。もう東卍は来ねぇよ」

「そっか…」


その言葉に落胆するでもなく、イザナは淡々と事実を受け止めるように返事をした。それもそのはず。計画通りに進んでいる事は幹部の報告で分かっていたので、この事態はある意味当たり前だったのだ。何せ、東卍の隊長格はほぼ天竺の幹部によって無力化されていた。
三ツ谷隆とスマイリーを斑目獅音と灰谷竜胆が、壱番隊は武藤泰宏(ムーチョ)が、マイキーとドラケンは稀咲の計画で潰している。もう東卍には立ち上がる力も、抵抗する力も残されていないはずだ。思い思いにコンテナの上に座っていた幹部たちの中から、ムーチョが立ち上がる。


「イザナ!
S62…極悪の世代と呼ばれた俺らが見失ってた夢、今度こそテメェが実現しろ。東卍はもう終わりだ」

「…天竺はこの先いよいよひとつ上のステップに行く」


彼の発破を受けたからか、イザナは構成員に声を届けるべく一段高い所へと登った。


「東京中の不良を抱えて大人の闇社会に喧嘩を売る。ヤクザだろうがなんだろうが関係ねぇ、逆らう奴らは全部ぶっ潰して…
―俺らが日本の闇を牛耳るんだ」


天竺の面々は上を向き、高揚する気分のまま総長を見つめる。鉄も例に漏れず、鶴蝶の隣で静かに主の言葉を受け止めていた。
誰も口にしなかったが、彼女が稀咲の計画で実行役として動いたことを幹部なら皆把握している。ある者は純粋に驚き、ある者は改めて興味を抱き、ある者は目を細め、ある者は無反応を貫き、ある者は苦しげな表情で何も言わなかった。イザナのために真っ先に暗闇へ飛び込んだ女の背を、顔色一つ変えずにやり遂げてみせた女の背を、皆が見ている。アイツがやったなら、次は俺たちだろう。負けていられるものか。そんな思念が空気を熱くしている。

東卍が来ないとなると、それはそれで張り合いがない。そんなことを誰かが呟くと、稀咲がこう返した。


「いや…アイツ(・・・)は来るよ」

「は?なんの事だ?」


誰しもがその言葉に疑問を抱いた時、イザナは微かな音が遠くから響いてくることに気が付く。振動が地面を伝い、空気を揺らし、無数の光が道路の向こうから迫って来るではないか。彼らが身に纏うのは黒い特攻服だった。旗持ちが黒い布をなびかせ、各々がバイクを降りて整列する。その中に活躍目覚ましい顔触れは居らず、立っているのは副隊長ばかりだ。ただ一人、覚悟を宿した青い瞳の男だけが、隊長格であった。
花垣武道、東京卍會壱番隊隊長。
喧嘩の腕は誰よりも弱く、それでもなお立ち続ける意志の強い男。彼こそが、東卍最後の砦だと言える。

赤の数は四百、対して黒の数は五十。勝算など何処にもない戦いに飛び込んできた彼らの目は、不思議と光を宿している。逃げてたまるか、誇りを汚してなるものか。それだけで彼らはここまでやって来た。
面白えじゃん、イザナは目を細める。


「楽しませろよ?東卍!!
まずはお前が出ろ…獅音」

「今日の"魁戦"は俺が引き受けた!
黒龍元総長!!天竺四天王、斑目獅音!!!」


名指しされて意気揚々と前に出る獅音は、東卍の層の薄さをわざと声に出して嘲笑った。抗争の前に中心メンバーを潰して回った本人なのだから、彼はとても皮肉なことを言っている。前に出ようとした武道を抑え、ぺーやんが名乗りを上げた。


「東京卍會参番隊隊長代理…林良平だ」


少し濁りのある声で獅音を真っ直ぐ見据え、彼は味方に背を向ける。魁戦を制したチームの士気が上がるのは必須。言い知れぬ不安が東卍側に漂い始めた時、ぺーやんはガヤガヤ騒ぎ立てる天竺を見回してからフン、と息を一つついた。


「お前らさっきからよぉ…
何言ってっか分かんねェんだよ!!!」


瞬間、ぺーやんを睨みつけていた獅音の顔がミシミシと軋んだ音を立てて歪む。顔にぶつけられた拳の勢いに耐えられず、獅音は体ごと後ろに吹き飛んで地面に倒れ伏した。
たった一撃、獅音はそれでもう動けなくなる。魁戦は東卍側に軍配が上がった。


「タケミっち、あとは任せた。
―開戦の狼煙はお前が上げろ!!」

「!」


背にかけられた襷を風になびかせ、ぺーやんは総長代理に全てを託す。それを受け取った武道は、揺れる心臓を感じながら東卍の面々を見渡し、一度下を向き、心の内で彼へ礼を告げた。ありがとう、ぺーやん君。

四百の壁の向こうに、その男は立っていた。顔を上げ、前を向き、腹から声を出す。


「稀咲ィ!!」

「花垣武道」


ここが分水嶺だ。花垣武道にとっても、稀咲鉄太にとっても。


「長い戦い!!ここで終わりにしようぜ!!!」

「今日!!白黒つけてやるよ!!」


―行くぞぉぉぉ!!

各々の叫びは唸り、風を揺らし、地面を伝って響き渡る。赤と黒が混じり合って、彼らは堅く握った拳を前に突き出した。


厚い厚い壁の奥では、騒ぎの熱はまだ弱い。
地に伏す獅音の頭を踏み付けるイザナを横目に、鶴蝶は鉄に声を掛けた。


「…大丈夫か」

「ん?体の調子ならすこぶる良いよ」

「そうか」

「鶴蝶こそ、タケミチ来てるよ。行くの?」

「もう少ししたらな」


いつも通りの会話だ。だからこそ、鶴蝶は恐ろしくて泣きたい気分になった。鶴蝶は彼女が東卍の面々と個人的に仲良くしていたことを知っている。鉄の方から秘密だよと打ち明けられたからだ。誰と親しくしていても、戻ってくる場所が必ずイザナの傍であるならそれで構わないと思っていたのに、今になってひどく苦しくなる。本当に言いたいことは山程あれど喉は震えず、泥を飲んだようにあぶくのような吐息しか出てこなかった。
いつだって俺たちはイザナを引き留める側だっただろう、お前が率先して進んでしまってどうするつもりだ。暗い夜に二人で抱き締め合って、温かさを分け合ったあの日がひどく遠い。

―なあ、クロ。お前、もうとっくに壊れてしまったのか?

夕方に合流した時には黒の衣服を身に纏っていたが、今は赤の詰襟を着こなしている友を見下ろす。柔らかな香りがしていた灰の髪は、いつまでも鉄の臭いが消えないままだった。








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