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二次創作/夢
アサルトレディの誘惑U






恋を自覚してから早数ヶ月。
慣れないながらも朱の心を射止めるべく、鶴蝶は時折後援会にアドバイスを貰いながら会う度にアプローチを重ねていた。ところがこの女、鶴蝶のアピールをするりとかわしていってしまう。途中から焦れた後援会の男たちが無理やり作った口実のための任務で、一晩アジトで二人きりになったことだってあったというのに。


「クソッ…鶴蝶の何が駄目だってんだ…!!」


ダンッとガラス張りのローテーブルを叩いた九井は、最早金か!?金しかないのか!!?と頭を掻きむしった。彼とてかつては恋に身をやつした男、鶴蝶のピュアラブは是非とも報われてほしいのである。


「なー。鶴蝶こんな可愛いのにな」

「そうだよなあ。傷もいいアクセントじゃん」

「俺は可愛かったのか…」


竜胆がしょんぼりしている鶴蝶を眺めてその容姿を褒めれば、蘭も弟の言葉に賛同する。最近はそんなやりとりが常習化してきたせいで、鶴蝶は今まで無関心だった自分の容姿に関する自己肯定感が爆上がりしていた。素直に俺は可愛いんだな、と真面目な顔で頷く姿を見て、その背後に漂うイザナは無言で腕組みをしていたかと思うと竜胆と蘭にそれぞれタスキをかけた。そこには「優勝」とだけ書かれている。


「しかしこっからどうするよ?できることは色々やったろ、俺たち」

「だよな、何やったっけ?」


タスキをかけた灰谷兄弟がのんびりした口調でどうしようなー、と顔を突き合わせていると、九井は無言でこれまでやってきたことリストを二人に差し出した。そこには後援会所属の男たちが考えうる女に効くアプローチ方法がふんだんに盛り込まれていた。

全てを話すとキリがないのだが、いくつか例を挙げるとしよう。

‘酒に誘って相手の話を聞きつつレディーキラーカクテルを飲ませる'では、そもそも鶴蝶が上機嫌になるだけで帰ってきてしまっている。
突然酒の席にお呼ばれしたことに驚いたようだったが、朱は了承して普通に二人だけの酒盛りが始まった。朱は話をするのが上手く、さらに酒のセーブもそれとバレないようにするのが上手かった。鶴蝶は彼女が持っている色々なイザナの情報を聞かされ、テンションマックスでイザナはここがすごくてどうのこうの、と気持ちよく喋って笑顔で朱と別れた。完全な接待であった。そもそもレディーキラーカクテルを飲ませようとするな!!と作戦に異を唱えていた浮遊霊も、鶴蝶同様カクテルのことなどすっかり忘れて上機嫌で下僕と共にバーを後にした。幽霊すら接待してみせる手腕は見事である。
お酒作戦、失敗。

‘何でもないことに例と称してプレゼントを贈る'では、まず何を贈るべきか議論が紛糾した。
女には服とか靴だろと言う灰谷兄弟に、いやここは高級料理店にでも連れてけと言う九井、いやアクセサリーでマーキングしとけと言う三途。あまりに意見が分かれるので困り果てた鶴蝶は、モッチーと明司にもどうしたらいいか尋ねた。すると二人は女のことなんて知らんぞ俺たちは、と頭を抱え、化粧品…?もういっそのこと車…??と三人で膝を突き合わせて唸る羽目になった。そこへたい焼き片手に通りかかったマイキーは、花で良いんじゃねえのとだけ零してその場を後にする。
悩むことに疲れた男たちは、ボスが言ってるしな、と争いを収めて花をプレゼントすることにした。鶴蝶は朱の服装は黒の中に目立つ朱色が鮮やかだったなあと思ったので、オレンジ色の可愛らしい花を持って彼女の元へ訪れた。突然目の前がオレンジの花束に占領された朱は、ゆったりと目を丸くしてこれは?と問う。


「…朱に似合うと思って」

「わざわざ買ってくれたのね。ありがとう」


耳の後ろをかっかと熱くしながら、何でもない事のように鶴蝶は再度促すように花束を差し出す。オレンジブラウンの唇をにこりと笑みの形に引き上げてそれを受け取った朱は、珍しいものを見たと言わんばかりの表情で花の一つ一つを眺めていた。受け取ってもらえたことにホッとした鶴蝶は、これは成功なのか?と首を傾げつつ、普段通り情報を買って拠点に戻った。
拠点では抱えていた案件をさっさと終わらせていた九井が待ち構えており、何の花を渡した?反応は?どうだった?とそれはもう矢継ぎ早に尋ねてくる。その全てに律儀に答えると、九井はタブレットを操作してザッと顔を青くした。


「お前が渡した花、カレンデュラって言ったな…」

「? ああ」

「花言葉が最悪すぎる」

「え!?」


示された画面には「別れの悲しみ」や「悲嘆」、「失望」といった文字が並んでいる。男が女に花を贈るのはそういう意図がある時なので、女の方も花言葉などを調べるに違いないと九井が言うと、鶴蝶はやってしまった…と九井同様顔を青くし自分の至らなさに肩を落とした。後日絶対誤解を解けよ、と背中を押されてやってきた取引場所で、朱へこの前はすまなかった!!と開口一番に謝罪すると、何が?と返される。あれっとお互い顔を見合わせて、突然花を贈ったことについて恐る恐る言及すると、意外な反応が返ってきた。


「綺麗な花だったしね。飾らせてもらったわ」


謝ることなんてあった?と不思議そうな顔を見て、いや!何もない!と鶴蝶は勢いよく否定する。何はともあれ花言葉の件は問題にならなかったので、これはこれでよし…?という煮え切らない結果となった。この日から、鶴蝶は花言葉博士かと言わんばかりに花言葉に関する書籍を集め始める。そこで朱のイメージと贈りたい言葉がマッチした花を探しては彼女にプレゼントするようになった。何ともいじらしくて可愛い努力に、こっそりその姿を覗き見していた男たちは一筋の涙を流す。浮遊霊の我らが王様も、鶴蝶の周りを飛び回りながら「そのまま落とせ下僕」の団扇を振って応援していた。
贈り物作戦、継続中。

とまあこんな具合に、男たちは恋愛という未知数の世界に頭を悩ませながらとても頑張っていた。
そもそも反社を立派に務める彼らが恋愛アドバイザーに就任すること自体おかしいのだが、それに関しては誰も気が付いていない。なにせ皆反社なので。おそらく一番複雑な女心を理解しているのは妹がいたマイキーくらいだが、そんなことを彼らが知る由もない。


「鶴蝶…もうこうなったら捨て身でぶつかれ」

「え!?」

「俺たちに出来るのは…ここまでだ…っ」

「チクショウ…」


最早打てる手なしと判断した九井は、いっそのこと等身大の鶴蝶を見てもらうしかあるまいと作戦無しでアプローチしろと告げた。その言葉に鶴蝶は当然驚き、突然どうしたのかと九井を見れば心底悔しそうにしわくちゃの顔をしている。蘭や竜胆も改めてリストを確認してこれ以上できることはないと思ったのか、九井と同じように項垂れた。三途は真っ白に燃え尽きていた。これは酒と薬のキメ過ぎである。
鶴蝶は最初こそ戸惑っていたものの、ここまで全面的にバックアップしてくれたんだから俺も頑張らないとな…と素直に頷いた。王に出会っていなければ反社の道には進まなかっただろう男は、どこまでも純粋な性格が根底にある。そういう所が自分たちとは違って、何とも応援したくなるんだよなあととある梵天幹部は語ったという。ここから鶴蝶は自分なりのアプローチを重ねていくことになるのだが、そこにいた誰もが予測し得ないスピードで事態は急展開を迎えることとなるのであった。






*






可愛い人、と朱は鶴蝶の退出したバーラウンジで一人微笑んだ。
鶴蝶を調べた際、女関係は面白いほどまっさらであることは分かっていた。そういう所も女に惑わされることなく仕事をこなしてくれる人物として気に入っていたのだが、何とも酔狂なことに彼は自分に好意を寄せているらしい。もちろん顔自体も好みなので、悪い気にはならない。仕事の方に私情を入れることなく淡々と済ませ、その上でぎこちないアプローチをしてくる所はなんだかいじらしくて可愛らしいのだ。とはいえどうして自分に?と思わないでもない。よく護衛として連れ立つ男にはアンタは無意識に人をたらし込むのが上手いから自覚できないだけだ、と言われたことがあるが、何が琴線に触れたかなんて相手にしか分からないだろうと朱は思っている。そんな風にしれっとした態度を崩さない女上司を見て、迎えにきた護衛はまたなんか引っ掛けやがったな…とため息をついた。後処理が必要な事態には発展しないでくれと祈るばかりである。

鶴蝶からの依頼が連日舞い込むようになり、武器商としての仕事は七割が梵天関連で埋まるようになった。
これに関しては自分へのリターンが大きいので特に気にしてはいないのだが、朱には一つ気に食わないことがあった。それは鶴蝶のアプローチである。正しく言えば鶴蝶のアプローチ自体は普通に嬉しいのだが、その中身が気に食わなかった。

朱は生粋の裏社会育ち…ではなく、幼い時分に親を亡くして親戚宅をたらい回しにされていた子供だった。最終的に金持ちの遠い親戚に引き取られたものの、家族としての愛情を与えられたことはない。彼らは可哀想な子供を引き取ったという世間体だけを求めていたので、与えられたのは金と最低限の衣食住だった。外との触れ合い方を知らない朱は、何となく手を出したインターネットの世界にのめり込んだ。そこが今の職業(武器商)に繋がっているという訳である。こういう環境で価値観が形成されていったため、朱は自分が良しとした人間としか関わりたがらない。基本的には排他的精神なのである。
逆に言えば、気に入った人間はずっと懐に入れたがる節があった。鶴蝶もお気に入りの内の一人であり、自分の気を引こうと懸命な所は嬉しく思う。しかし、そのお気に入りのアプローチ内容がいけない。鶴蝶が朱を思ってのアピールではない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)のだ。

ある日突然差し出された大きいダイヤが光り輝くゴージャスなネックレスにイヤリング。会う度に土産と称して渡される予約数年待ちの菓子類、高級エステサロンのVIPチケット、豪華クルーズのプレミアム招待券、夜景の綺麗なテラスで楽しめるディナーの貸し切りの権利。

どれもこれも欲しい人からすれば垂涎ものだろうが、その全てに鶴蝶とは違う男の「女はこうしとけば喜ぶだろう」という傲慢なまでの無意識な見下しが透けて見えていた。少なくとも鶴蝶の発案ではないことが分かっていて、どうして受け取らなければならないのだろう。どれか一つでも受け取ってしまえば、まるで鶴蝶を窓口にしてこういう餌に食いつく浅ましい女と嘲笑されそうで大変不愉快だった。朱がそういうのは結構よ、と断る度に少しだけ眉を下げるその表情には申し訳なさを感じるものの、彼女には譲れないものがある。

自分に正直に、自分らしく、私は私がそうありたいという願いの元生きる。誰にも見向きされない子供だったから、誰しもが憧れるような自信に溢れる人になろう。誰にも相手にされなかったから、せめて自分が気に入った相手にはうんと優しくしよう。自分はいつも捨てられるばかりだったから、今度は自分が選ぶ側になろう。容姿も、話し方も、立ち姿も、人に恥じることのない堂々とした私であろう!
そうして出来上がった武器商の朱という人物は、大層美しい一人の女となった。今の自分を形作るのは揺るぎない己の矜持あってこそ。例えお気に入りだとしても、一人の男として鶴蝶自身がぶつかってこない限りは突っぱね続けるつもりだった。


「…花?」

「…朱に似合うと思って」


耳の後ろを赤く染めた鶴蝶が持ってきたのは、オレンジが鮮やかなカレンデュラの花束。
それを差し出された時、何よりも朱が驚いたのは彼の言葉である。鶴蝶が、朱のために初めて自ら選んだものであるということが分かった。オレンジは朱が好んで身につけている差し色の一つだ。一つ結びにした髪の根元には朱色のスカーフが結ばれていたり、唇にはオレンジブラウンのルージュが引かれていたり。毎度同じ服装という訳ではないが、朱は基本的に黒一色に差し色を入れる。その多くが朱色であることを鶴蝶はちゃんと把握していた。

花束を受け取って、艶やかな花びらをまじまじと眺める。いつもはこういった物は護衛に渡すのだが、その日ばかりは自分の手で持ち帰った。拠点の一つに花瓶を準備して、丁寧に生ける。紛れもなく朱という女のことを真剣に考えて渡された、初めての贈り物だった。


「、フフ」


それからというもの、今までの金と見栄だけはふんだんに盛り込まれていたプレゼントとは打って変わり、鶴蝶は可愛らしい花束だけを持って取引場所に現れるようになった。

ペチュニア、アスチルベ、ブッドレア、ルドベキア。

それらを受け取る度に、花瓶は色鮮やかにその部屋を彩る。毎度耳や首を赤くして、眉間に皺を寄せる男の何と可愛いことか。そんなやり取りが二ヶ月は続いただろう頃に、朱はいつものように花束を受け取ってから今まで断ってきたディナーの誘いに乗ることにした。


「朱、お前が良いなら食事でもどうだ。美味い中華の店があるから、食べてみて欲しいんだ。…無理にとは言わないが」

「…鶴蝶おすすめの店?」

「ああ」

「それなら行かせてもらうわね」

「!! じゃ、あ、今度の金曜に迎えに行く」


鶴蝶のアプローチから他の男のアドバイスによる影響が完全に抜けた時期だったので、朱の直感はかなり正しい物だったのだろう。今日も断られるんだろうな、と内心しょんぼりしながら誘いの言葉をかけた鶴蝶は、そこが鶴蝶お気に入りの店であると知った朱にあっさりと了承されてひどく驚いた。ぎこちなく返事をして、場所や時間を決めていく。夢見心地のまま朱と別れた鶴蝶は、足がふわふわと浮いたような感覚のまま拠点へと帰った。

今までいくら打てども響かずだった女から遂にディナーの誘いにOKをもらったと聞いた後援会の面々は、それはもう大いに盛り上がった。一度サシ飲みに持ち込んだことはあるものの坊やのようにあしらわれて終わってしまった上、その後誘いには全く乗って来なくなってしまった女だ。ちなみに、自分たちが良かれと思って色々とアドバイスしていたことが事態を後退させていたとは、誰も知らないままである。おそらく彼らはその内女性関係で痛い目を見ることになるのだろうが、世間に恐れられてる反社が痴情のもつれで死んだらだせえよな、とおおよその事情を把握しているイザナは肩をすくめたそうな。

とにかくこれは快挙だと三途は外に走り出し、地獄のピーヒャラやパリピサングラス、クラッカーやパーティー帽子をしこたま買い込んで帰ってきた。九井は部下に命じてジャンクフードやアルコールを大量に手配させ、上機嫌に部屋の飾り付けを始める始末。灰谷兄弟はテンションが上がりすぎてこの部屋狭ぇな!広くしようぜ!と銃火器を持ち出し、何故かワンフロア二部屋だったその階唯一の壁をぶち壊して一部屋にしてしまった。後から来たモッチーも両手いっぱいに酒のつまみを抱えていたし、明司はとっておきの日本酒コレクションをカートに乗せて颯爽と登場した。最後にのっそりと現れたマイキーただ一人が状況を理解できずにいたが、多分あの武器商絡みだろうなと大人しくパーティー帽子を被り、九井によって手配されていたたい焼きを頬張る。これにより狂った男たちのトンチキ馬鹿騒ぎはボス公認のUTAGEとなり、その日梵天の犯罪行為は全てが停止状態となった。一瞬だけ東京の治安が良くなった瞬間である。


「「「Allons enfants de la Patrie,Le jour de gloire est arriv!Contre nous, de la tyrannie,L'tendard sanglant est lev!!!」」」

「おい、このデリバリーのこっからここまで持ってこい」

「っしゃ、ストラァイク!!」


灰谷兄弟と三途は肩を組んでフランス国歌を大声で歌い上げ、九井はジャンクフードバキュームと化し、明司とモッチーは飲み干した酒瓶を並べて高級メロンをボールに見立て、無駄に広くなった室内でボウリング大会を開催した。ちなみにマイキーは机の上に布団を敷いて堂々と寝ている。そんな混沌とした部屋の天井付近では小規模な花火が瞬き、ちょびちょびと食事を進める鶴蝶の上には「よくやった下僕」というネオンが光り輝いていた。浮遊霊イザナはその出来栄えに満足して頷いた後、いいか鶴蝶!服装とか自分で全部考えろよ、また拒否されたくないならな!!!と大声で何度も繰り返した。
お腹いっぱいになってうとうとし始めた鶴蝶は、何の脈絡もなく明日は一人で服の新調しに行こう…とぼんやり考えてから夢の世界に旅立ったという。生から解放された王は、暗示もお手の物なようだった。














焼売や小籠包などの天心や炒飯に舌鼓を打った後、鶴蝶と朱は工芸茶で一息ついていた。お湯の中でふんわりと花びらが広がる様は、見ていて楽しい。二人して感嘆の声を上げたものだから、鶴蝶は少し照れ臭そうに、朱は目を細めて笑った。


「さっぱりしていて美味しいわね」

「調子に乗って食べ過ぎたからな…」

「良い食べっぷりだったわよ?」

「久々に来たんだ。思い出の店でな、色々食べたくなった」


あら、とパチリと瞬きをしてから、朱はその思い出言い当ててみましょうかと顔の前で指を立てる。なんだか子供みたいでかわいいな、と鶴蝶は続きを促した。


「簡単な推理だけど。あなたの思い出は大体黒川イザナ関連だから、ここも彼と来てた店って感じなんじゃない?」

「乱暴だな、探偵には向いてない」

「良いのよ、別に。それで、どう?」

「正解だ」

「やっぱりね」


当時十代のあなた達が来るには少し敷居が高そうだけどそこは王様のカリスマといった所かしら、と朱は呟く。二人が食事をしている部屋は鶴蝶が手配したそうだが、機密性ばっちりで壁の木細工が見事な個室だ。ナプキンで口を拭う朱をなんとなく眺めていた鶴蝶は、白い布にオレンジブラウンが滲んでいるのを見つけてなんとも言えない艶かしさを覚えてしまった。改めて二人きりだと突きつけられてサッと目を逸らし、なんでもないような顔で手に持っていたカップを傾ける。中身が入っていなかった。勝手に一人気まずくなって、静かにおかわりを注ぐ。そんな鶴蝶の様子に気が付いていた朱は、カップで口元を隠しつつほんの少し笑った。表情も仕草も平然としているようでどこか分かりやすい。


「可愛いわね」

「え」


赤、そして色素が薄く銀のようにも見える両の瞳が己を凝視している。猫騙しを食らったような顔があまりにも無防備で、この人本当に反社よね?と今までの取引内容が頭から一時的に抜け落ちるほどに心配になってしまった。
心配せずともそんな気の抜けた姿を見せるのは惚れた女の前でだけなのだが、堅く冷徹に仕事をこなす男という情報とはかけ離れた姿に朱が混乱するのも無理はないのである。そんな風に思われているとはつゆ知らず、鶴蝶は顎に手を当てて少し考えた後衝撃発言をしてさらに彼女を混乱させた。


「確かに最近よく言われるな」

「え」

「俺は可愛いらしい」


今度は朱が素っ頓狂な声を上げてしまう番だった。しかも至極真面目な顔でコクリ…!と確かめるように頷いているものだから、余計にタチが悪い。からかうつもりでかけた言葉でしっぺ返しを食らったような物である。仮にも梵天幹部に可愛いなんて言って五体満足でいられるのは、同じ立場の者しか居るまい。しかも本人が信じ込むほど頻繁に唱え続けたはず。
その結論に至った時、朱は人生最大の笑いを堪えられないことを悟り、迷わずガンッと円卓に額をぶつけて顔を隠した。


「ーっ、ンフ、フフフ……ッ、………………ッッ」

「どうした!?大丈夫か!!?」


腹でも痛いのか?医者呼ぶか?とガタンと立ち上がって朱の周りをうろうろぐるぐる彷徨く様もおかしくてたまらない。小刻みに揺れる背中にそっと添えられた手が上下に優しく動き、落ち着かせようとしてくれているのが分かる。朱は反社なのにこんなに優しいのは一体どういうこと?という思いと、梵天は愉快痛快おもしろ男選手権でも開催するのか?という疑問とでいっぱいだった。ミスマッチが酷すぎる。荒い息をなんとか落ち着かせた頃には、腹筋がぴくぴくと痙攣するくらいひどい疲労に襲われていた。心配そうに顔を覗き込んでくる男に疲れた笑みを返しつつ、目尻に滲んだ涙を拭う。


「ハァ…あなたの周りの人に興味が出てきたわ。調べた限りじゃこの業界ならではっていうのが多そうだったけど…情報だけじゃ分からないこともあるものね」

「!」

「会ってみようかしら」


笑うだけでここまでダメージを負わせてくるなんて初めてだったので、朱としては梵天の他幹部達に会ってみても良いかもななんて思い始めた。鶴蝶をこんな愉快な男に仕立て上げた人たちの顔を見てみたくなったのである。それくらいの軽い気持ちで零した言葉だったが、鶴蝶にとっては大きな一言だった。楽しげな雰囲気を隠さぬまま会うなら誰がいいかしら、と頭の中でピックアップしていると、ふと隣の男が静かなことに気が付く。どうしたのだろうと顔を窺おうとして、視界に入った眼光の鋭さに思わず肩がビクリと跳ねる。


「…」

「鶴蝶…?」


背中に添えられていた手が肩に回り、強く掴まれる。服越しに感じる指の太さも、掌の大きさも、自分にはないものだと知って朱は目の前のお気に入りを改めて男であると認識した。じわじわと熱が伝わってきて、落ち着かない気持ちになる。この男が本気を出せば己の抵抗など無いもののように押さえ込んで縊り殺すことも可能なのだと今更ながらに自覚し、何かを間違えた(・・・・・・・)と気が付いた。しかし、何が彼の琴線に触れたのだろうか?顔に影を落とす男を見上げて、朱は静かに次の言葉を待った。


「…お前が、俺を選んだんだろう」


今更他の男に目移りする気か?
そう獣の唸り声のように吐き捨てたその顔は、先程までの穏やかさなどどこにもない。熱く好意を伝えていた瞳は今や冷たさを纏って細められ、緩んでいた口元は真一文字に引き結ばれている。なるほど、これなら情報通りの男には違いないわねと朱は内心納得した。今までは牙を見せないよう仕舞っていただけなのだ。先程は意表を突かれたものの荒っぽい男に絡まれることなどしょっちゅうなので、うっすらと保っていた笑みを消して冷たく返した。


「確かに‘あなたは私の取引相手に相応しい'と言ったわね。人間的に好きだからよ」

「…」

「でも勘違いは駄目ね、あなたには私を縛り付ける権利はない」


ーお分かり?
そう告げれば、鶴蝶は苦々しい顔でチッと舌を打って覆い被さるように円卓に手をつく。今までの穏やかさが嘘のように荒い動作だった。長い腕が囲いの如く己の座る椅子の背と机から伸びていても、朱は動じなかった。
馬鹿な男だ。どんなに後ろ暗いことをしていたって、彼の心の隅には捨てきれない優しさが巣食っている。それで自分の身を削っていては世話ないだろう。今だってその感情にブレーキをかけて自分の衝動を押し殺している。けれど、朱はそんな鶴蝶の愚かな所が好ましいと思っていた。肩を怒らせ、激情から荒くなる息をゆっくりと吐き、どうにか消化しようとしている男が隠す全てを見てみたくなったのだ。

故に免罪符を与えることにした。

鉄を仕込んだブーツのつま先で円卓をガンと蹴り上げ、背中から落ちるようにぐるりと転がってテーブルクロスを手に掴む。皿ごと巻き込んで投げつければ、鶴蝶は即座にクロスの端を捕まえて横に放った。二人が感嘆のため息を漏らした工芸茶の花は、地に落ちると途端に汚らしい物に見える。足先をこめかみ目掛けて振り上げれば、机を蹴った時の音で仕込みに気付いていたらしい鶴蝶が咄嗟に拾ったお盆で防いだ。逆に足を掴もうとされていることに気が付いた朱がバックステップで距離を取れば、鶴蝶は一足で瞬時に鼻先まで距離を詰めた。
丈が長く大きめのジャケットを翻し、隠されていた腰元のガンホルスターに収まる銃を掴む。銃を構えたと思えば、朱の視界は白い天井とこちらを見下ろす鶴蝶に占領された。軸足を払われて押し倒されたのだと理解する。右手は銃ごと片手で掴まれて額を狙った銃口は明後日の方向へ向いている上、本来なら強かに打ち付けていたはずの背中は反対の手で掴まれた襟元により少し浮いていた。完全に相手にもなっていない証拠だった。


「私の負けね」

「…何がしたいんだ?朱」

「あら、分からないの?」


朱の言いたいことが分かったのか、鶴蝶は鼻の頭と眉間にグッと皺を寄せてクソ、と呟く。敗者は勝者に従う、単純明快で分かり易いこの世界の掟だ。心底不愉快だという顔を隠さぬまま朱の手から銃を引き抜いて懐にしまうと、鶴蝶は力を抜いた朱を肩に担いで部屋から出る。店の裏口には車が一台停まっており、二人が乗り込めば滑らかに走り出した。鶴蝶が告げた行先は梵天管理下のフロント企業が経営するホテルの名前だ。窓越しに過ぎゆく街並みを見つめる男は、目的地に着くまで一言も喋らなかった。


「っ、」


部下に手配させたのか、受付に行かずエレベーターに乗って迷いもなく最上階を目指す鶴蝶について行く。扉を潜った瞬間、朱はオートロックキーが閉まる音が響くよりも前に扉に体を押し付けられた。大きな手が頤(おとがい)を覆い、頬に指先が食い込んでいる。視界が肌色に侵食される直前に朱が見たのは、押し出された唇目掛けてぐありと牙を剥き出しに大きく開かれた口だった。比喩でなく本当にがぶりと呼吸を丸ごと食い潰され、タガの外れた獣のように柔いオレンジブラウンを踏み荒らしていく。ふくよかな壁の向こうに覗く白い歯はしつこいくらい舐め回され、歯列の僅かな溝まで丹念に確かめるような動きをしていた。


「ふ、は…っ」

「んっ…ふ、ん、ぷぁ、」


じゅ、ちゅう、じゅるる、と聴くに堪えない音が響く。口内に溜まる唾液を何度も下品に音を立てて吸われれば、流石に恥ずかしかった。朱はいつの間にか自由になっていた手を鶴蝶の背中に回し、くいと力なく引く。それにピクリと反応した鶴蝶は苦しさと快感に潤む女の瞳を視界に入れ、見せつけるようにテラテラと光る舌を出したまま体を起こした。二人の間にはツゥと糸が繋がり、それまでの口付けの激しさを物語っている。ぷつりとそれが切れるのを眺め、朱は高い位置にある背中にしがみつくのが疲れたので腕を下ろそうとした。するりと脇の下から手を抜こうとすると、大きな体がのしかかってきて動けなくなってしまう。厚い胸板に溺れながら手を彷徨わせる朱を他所に、鶴蝶は彼女よりも一回り大きな掌で太ももの裏を熱く撫で上げ、尻たぶに触れた。スキニーパンツ越しとはいえ、普通人に触れられることなどほとんどない部位だ。朱がびくびくとくすぐったさに体を震わせれば、鶴蝶は弄(まさぐ)るうちに見つけたであろう下着のラインを執拗になぞって遊んだ。何度か戯れにカリ、と爪を立てられるとただでさえ上がっている息が湿り気を帯びて、苦しそうな色を乗せる。


「ぅ、ん… ひっ、!?」


もう一方の手が妖しく腰骨を伝い、服の裾から中に入り込んで尾てい骨の辺りから尻の割れ目に指を食い込ませた。一際大きく跳ねた女の体をいとも容易く押さえつける男の呼吸は熱さを増し、首元には汗が滲んでいる。目の前に差し出された極上の生贄はどこもかしこも甘美で、立ち昇る体臭すら芳しい。鶴蝶は好いた女にか細い悲鳴を上げられても止まらないほどには興奮していた。けれど、女が背にする扉の向こうにホテルの従業員が来ないとも限らない。食らうと決めたからには喘ぎ声どころか呼吸一つまで自分だけが独占しないと気が済まないので、鶴蝶はくったりと力無い朱の体を片腕に乗せて部屋の奥へと歩き出した。

ガラス張りのバルコニーからは都会の街並みを一望できるが、当たり前のようにそんなものを見ている余裕もない。キングサイズのベッドに腰を下ろした鶴蝶は、己の膝の上に向かい合う形で朱を乗せてまた唇を貪った。繋がるには邪魔だと、その合間に朱が身に付けていたジャケットやガンホルスターを器用にカーペットへ落としていく。いつの間にやら腰から胸にかけてインナーごと捲り上げられているが、絶え間なく与えられる刺激に体を震わせる朱は未だ気が付いていない。鶴蝶は粟立つ肌の感触を楽しみつつ背中から腰をいやらしく撫で上げ、両手で朱のヒップラインを崩すように左右からぎち、と引っ張った。股を強制的に開かされた朱は本能的に抵抗しようとするも、がっちりと捕まえられて身悶えることしかできない。ぐ、ぐ、と容赦なく引っ張られて伸び切った股の間から湿った音と共に涼しさを感じて、カッと顔が熱くなる。ぶわりと身体中の毛穴から汗が吹き出すような、言い知れない羞恥に襲われた朱は喉の奥からキュゥ、とか細い声を上げた。そうしている内にトン、トン、と下から突き上げるような動きで腰と腰がぶつかるようになり、布越しに怒張しているそれは何度も朱の内腿に擦り付けられている。


「ぉ、…っ、あ、」

「ふ、ふ、…っ」


自分の喘ぎ声がどこか遠くに聴こえている。唇はずっとくっついたままで、いい加減なぶられ過ぎてひりひりと熱さが拭えないままだった。ここまでしておきながら、鶴蝶は何故先へ進まないのかしら。そうぼんやりとした頭で考えた朱は、揺らがぬ輝きで己を見据えるそれに気が付いた。未だ瞳の奥に消えぬ理性の灯火に、自分はこの男に心底好かれているのだと、朱は唐突に理解する。

しょうがない人ね、と眉を下げて自ら鶴蝶の口内に舌を伸ばすと、突然朱から求められたことに驚いたのか唇を閉ざされてしまった。少し顔を離してじっと見つめ、また舌を伸ばす。猫の戯れのようにぺろぺろと舐め、たまに下唇をちゅうと食む。目を見開いて凝視してくる鶴蝶に向けて微笑めば、ぐるりと視界が回転した。体を捩って無理やり体勢を変えた鶴蝶が、至る所を真っ赤にして己を見下ろしている。ハア、と熱い息が混ざり合って、二人は重ね合わせるだけのキスをした。朱の黒い手袋の中に指を滑らせて、素肌が絡み合う。熱く溶けるような夜の始まりだった。






*






「元気出せよぉ、鶴蝶」

「…ああ」

「他にも女はいるだろ?なっ?」

「…ああ」

「駄目だな、こりゃ」


柄にもなく一生懸命励ます三途の言葉も右から左へ流しているような様子に、九井はパソコンから目を離さずにそう判じた。まだ分かんねえだろぉが!!と噛み付いてくるピンクの大型犬にあぁーそうだなーと適当な返事を返していると、腑抜けた鶴蝶の髪をオールバックにして遊んでいる竜胆がでも実際どうなん?と声を上げた。


「だってソイツ分かっててヤらせてくれたんだろ?脈あるってことじゃね」

「竜胆鋭いじゃん、花丸あげる。はい、これチョコ」

「げっミントじゃん!俺いーらね」

「じゃあ鶴蝶にやるよ」


ほらアーンと鶴蝶の口にどこからか取り出したミントチョコを放り込んだ蘭は、何も言わずもぐもぐ食べる姿にかわいー!と拍手した。しょんぼりしてても俺は可愛いんだな…と鶴蝶の中の自己肯定感爆上がり之介が頷いていたが、それよりも自分の余裕のなさと情けなさに落ち込む気持ちの方が大きい。浮遊霊イザナもお前待てができねえ犬みてえながっつきようだったな…と漏らしている。

あの時朱の口から己以外の男に興味があると告げられ、鶴蝶は己の中で煮えたぎる激情を抑え込めなかった。
情報屋としても超一流の女が会うことを選んだのは自分一人だったはずなのに、どうして今更自分からアプローチされていることが分かっていてそんなことを言うのか。選ばれた優越感と男としての意地、誰にも渡したくないという独占欲がドロリと渦巻いて、そんな権利など無いというのに他に目移りするなと吐き捨ててしまった。それに返されたのは冷たい眼差しと突き放す言葉だ。完全に間違えてしまったと分かっていても、心中を吐露した鶴蝶にはそれを撤回するという選択肢はなかった。しかも挙げ句の果てに情けをかけられた。このままでは引くに引けないと態度で示す鶴蝶に、好きにしなさいと主導権が渡されたのだ。これにまんまと乗ってしまった鶴蝶は朱の体を貪り尽くしたという訳である。

互いに何度も果ててもう動けないと意識を飛ばし、目が覚めた時には隣はもぬけの殻。これが己のしでかしたことだ…と朝帰りしてきた鶴蝶が懺悔したのを聞いた面々は、喜ぶべきか慰めるべきか戸惑ったという。正直に言えば彼らはセックスできたんなら大成功じゃん…?と思っていたのだが、鶴蝶のあまりの落ち込みようにその言葉は飲み込んだ。何より体よりも先に想いを通じ合わせたかった、と零す鶴蝶の純粋さに胸打たれていたこともある。


「ひとまず次の取引は四日後なんだろ?どういう反応されるかちゃんと見てこいよ」

「そうだな。そこで恥じらってくれんなら御の字ってとこだろ」


九井がやっと画面から目を離して次の逢瀬について言及すれば、スパーッと少し離れた所でタバコをふかしている明司もそれに同意する。途端に鶴蝶がキュッと顔の中央に皺を寄せたので、目の前でそれを見てしまった三途は思わず吹き出してしまった。樹皮を子供が指差して人の顔に見えるー!と言った先にあるような、そんなしわくちゃの顔である。本人は真剣に悩んでいるので笑い声を上げないよう口を塞ぎ、三途は体を震わせたまま地面に沈んだ。真面目が服着て歩いている男・鶴蝶が変顔するという事実がもう面白くてたまらないらしい。近くにいた灰谷兄弟もンフ…と時折笑いの滲んだ息を漏らしながら鶴蝶にどうした?と尋ねた。



「……合わせる顔が無い」

「ダメジャナイノォ!!!そこは‘お前俺の女宣言'くらいしなさいヨォ!!!!!」

「ッグ」

「クソふざけんなテメエ三途」

「鼻水出た」


しおしおと鶴蝶が項垂れてそう言うと、地面に伏したまま甲高い声で三途が叫ぶ。耳に残る声とオカマ口調に不意打ちされた面々は、我慢していた笑いが鼻や口から出てしまった。なんとか堪えている明司は顔を背けたまま見せようとしない。ふざけてんじゃねえぞと被害を受けた三人が三途をげしげし足蹴にしていると、彼らのいる灰谷作・ぶち抜きワンフロアの扉の方からぶふっと吹き出す声がした。


「ん?」

「あれ、ボスじゃん」


マイキーが扉を開けた状態でそこに立っており、後ろにも誰かいるようだ。蘭と竜胆が何かあったのかと尋ねようとして、それは勢いよく立ち上がった鶴蝶に遮られる。えっさっきまでずっと考える人のポーズしかしてなかったじゃん、と彼らが驚いていると、続いた言葉により驚くこととなった。


「朱!?なんでここに!!」

「え!?」

「まじ?」


これには笑いも吹き飛ぶと言うもの。その場にいた皆が佇むマイキーの方へ目を向ければ、その後ろに肩を震わせる黒い服装の女が見えた。隣には困惑した表情のモッチーも立っている。


「ぅふ、フフフ…っ苦しい………」

「…大丈夫か?」

「んふ…大丈夫よ、ふふ、多分」


あまりに笑い続けているものだから心配になったのか、モッチーが黒服の女―朱に声をかけた。その距離が案外近いもののように思えて、鶴蝶はズンズンと二人に近付いて勢いよく朱の体を引き寄せた。鋭い眼光に貫かれたモッチーが思わず両手を前に上げるが、すぐにその手が乙女の如く口元に添えられる。だって可愛い嫉妬からの行動だ。合わせる顔が無いと言っていたにもかかわらず、その女をぎゅうぎゅうと抱き締めて誰にも見せまいと威嚇している。モッチーは胸キュンを覚えた。
黒々とした瞳でそれを眺めていたマイキーは、いくぞ、と一言だけ残してさっさと扉から出ていく。はいマイキィ!!と即座に反応した三途がその後に続き、パソコンとヘッドセット片手に九井も部屋を後にした。明司はモッチーの肩を叩いて頷き合い、連れ立って去っていく。蘭と竜胆もどう言う状況なのか気になって仕方なかったが、視線を二人にチラチラ向けて小声でキャーキャー言いながら出て行った。エッエッどうなんのォ!?何ー!!?という女子高生のような内容の野太い声が扉の向こうから響いている。それも遠ざかり、完全に彼らが去っていったと確信してから、鶴蝶は腕の中に仕舞っていた朱を解放した。笑いの余韻が残っているようで、その肩は未だ揺れている。


「…朱」

「ふふ、んんっ! もう大丈夫」


咳払いすら可愛い。触れていたい。けれど自分にはその資格が無い。そう思った鶴蝶は、細い肩に添えていた手を下ろそうとした。それを黒い手袋が遮る。小さく柔らかな手が自分の片手を掴み離さないので、戸惑いと歓喜で体がかちんと固まった。


「あの日はごめんなさいね。私も流石に素面じゃ顔を合わせられないくらいには恥ずかしくって」


逃げちゃった、と目尻をほんのり赤く染める姿にほっと胸を撫で下ろす。自分が嫌だったからとかではなくて良かった…と心底安心した。しかし、今まで厳重に情報管理して限られた人の前にしか姿を見せなかった朱が何故ここに?しかもマイキーと?と、疑問を抱く。にぎにぎと手を揉んでくる女を見やると、朱はにこりと微笑んだ。


「私、あなたに伝えたいことがあってマイキーに中に入れてもらったのよ」

「俺に?」

「ええ」


ふふ、と背中に隠されていた手をずいと前に掲げられる。スッと差し出されたそれは、一輪の紅姫竜胆(ベニヒメリンドウ)だった。


「あなたのやり方に倣おうと思ったの。受け取ってくれるかしら」


ああ、と半ば呆然としながら鶴蝶は青く可憐な花を手に取る。何度も贈ろうとして躊躇って、結局自分が渡せなかった花だ。まさか自分が受け取る側になろうとは、と脳裏に何冊も積み上げた花言葉の図鑑を思い浮かべる。何度もなぞった紅姫竜胆のページ、書かれていた花言葉は‘あなたを愛します'。


「ど、うして」

「実はね、体を重ねた時からあなたに私を縛る権利をあげても良いって思ってたのよ。だって、いいよって言ってるのに何度も踏みとどまるんだから」

「…ああ、」

「鶴蝶。私、あなたのこと人間的に好きだけれど、男としても好きよ。あなたは私に相応しいわ」


ーねえ、私はあなたに相応しいかしら?

凛とした傲慢さはそのままに愛を告げられた瞬間、鶴蝶は衝動的に朱の体を抱き寄せていた。どうしようもなく焦がれて、手に入れたくて、促されるままその体を暴いて後悔していたのだ。恋と分かるまでは理由もなく持ち続けた独占欲も、所有欲も、もう隠さなくていい。朝起きて隣にいて欲しい。夜寝る時も同様であってほしい。俺は重たいぞ、いいのか。
そう首元に鼻筋を埋めて零せば、ほらまたそうやって私に逃げ道を作ろうとするじゃない!と朱は笑った。そういう所が、いいえ、そういう所も好きよ。大事にするから、大事にしてね。そう返されれば、もうそれまでだった。

するりと額を合わせ、鼻と鼻をふにりとぶつけ、揺れる息を睫毛に感じる。頬を撫でた指で唇をなぞり、あの日乱したオレンジブラウンを親指でぐいと拭った。それを己の唇に伸ばして、鶴蝶は笑う。


「似合うか?」

「とっても。私のものって感じがして最高ね」


艶を失った唇を割り指を差し込むと少し息を止めたが、誘うように少し口が開いた。どこまでも許そうとする女が愛おしくて、口の端に親指を引っ掛けたまま舌を侵入させる。変に息を吸い込んだのか隙間からはぷ、と息をする様が可愛いかったので、鶴蝶はもっといじめようと奥の奥まで舌を伸ばした。えづきそうなのかぴくぴくと跳ねる舌を押さえつけて好き勝手に蹂躙する。ほんの少し尖った犬歯を引っ掛けるように舐め、力の緩んだ舌先を最後にじゅうと吸って放せば、顔どころか首まで赤くなった美味しそうなご馳走の出来上がりだ。


「九井、そういう訳だから一日…いや、二日留守にする。それでチャラだ」


頭上の隠しカメラにちらりと目を向けてそう言った鶴蝶は、くたりと力なくもたれかかる朱を抱き上げて部屋を後にした。


「…バレてたか」


ヘッドセットを首にかけ、九井は同僚の無茶振りに苦笑する。リアルタイムで室内の様子を映していた画面を食い入るように眺めていた男たちは、一部始終を見終えてから雄叫びを上げた。空港で飛行機が飛び立った時レベルの轟音である。彼らからすればピュアな初恋を見守っていたはずが突然ティーンズラブに発展したような感覚だったが、今はそんなものどうだっていい。

やったあ!!俺たちの可愛い鶴蝶の初恋が叶ったぞォオ!!!ポゥポゥ!!!!!!!相手もすげえいい女じゃん!!!?朱って言ったっけ!!!???ねえもう梵天で囲っちゃわない!?!?!?はわわあの二人めっちゃ大人の雰囲気あるのになんかかァわいいーーーー!!!!!!貢いじゃおっかな!!!!!!!!俺嬉しいから今から喜びのドラム叩きます!!!!!!俺なんかボンゴ叩いちゃうもんね!!!!!!

とまあこのように、それはもう騒ぎに騒いだ。梵天の拠点が防音密閉ばっちりの空間でなければ、反社と分かっていなくても通報されるレベルで騒いだ。なんなら興奮のあまり大声で叫びまくった影響で窓ガラスにヒビが入ったそうである。ちなみに喜びの浮遊霊イザナは例の如く全てを目に焼き付けてきたので、大興奮梵天恋愛成就フィーバーの中でも割と大人しかった。にょっきりと壁から体を出して、部屋の隅で静かに笑うマイキーにそっとタスキをかけるだけで、紙吹雪も控え目だ。タスキには「お前がMVP」と書かれている。マイキーが許可を出さなければこうもすぐに結ばれることもなかったはずなので、仕方ねえな…とかけてやった次第である。イザナは下僕とその嫁を見守るのに忙しいので、こんな所に留まっている暇はない。さあてどんなプレイすんのかな下僕の奴!!とルンルンで飛び去っていった。
残念ながら鶴蝶にプライバシーはない。



しばらく後、武器商・朱が梵天所属になったという情報が裏社会を駆け巡った。その真偽を確かめようと首を突っ込んだ者は顔を斜めに走る痕を持つ男によって消されたそうだが、それを知る者は誰もいない。














アサルトレディの誘惑

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