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二次創作/夢
アサルトレディの誘惑T(鶴蝶夢)







「武器を卸すなら…そうね、貴方個人が良いわ」

「俺か?」


理由は、と顔を斜めに貫く傷痕が特徴的な男ー鶴蝶は、悠々とした態度で腰掛ける女を前に何故自分なのかとぴくりと肩を揺らした。蠱惑的に弧を描くオレンジブラウンが、黒によく映えている。先程まで組織と武器商の健全な取引の話をしていたはずが、突然投げ込まれた言葉によってその場は奇妙な雰囲気に包まれていた。ニコリ、女が微笑んで小首を傾げる。尻尾のように垂らされた朱色が艶やかな髪の毛と共に揺れていた。













とある雑居ビルのワンフロア、空き店舗と思われているそこには梵天が都内にいくつも抱えている偽拠点の内の一つがある。端の方に机とソファが置かれている以外はがらんとしたそこで、二人は向き合っていた。片や梵天の幹部、片やここ五年で国内の抗争で使われた武器には少なからずこの女が関わっていると囁かれるようになった武器商。本来なら、鶴蝶はあまり表に出て動くことはしない。しかし、梵天としても個人で取引を行いながら存在感を増す女を野放しにする訳にもいかず、こうして幹部自ら出向くことになったという経緯があった。
さて、重い腰を上げて実際に交渉に出向くこととなった鶴蝶だったが、実は女、特に裏社会の女が得意ではない。自分の行動範囲には危ない雰囲気を感じる男を好む物好きな奴が多く、それはもう過激なアプローチを受けてきた。灰谷兄弟のように引き際を見極めて遊びと割り切ったり出来るなら火遊びもよかろう。しかし、鶴蝶は元来実直な男である。こうと決めたら一筋、それはマイキーの下に付いた今も自分の絶対を天竺の王(黒川イザナ)と定めていることから明らかであった。裏社会に身を投じてもその性分は変わることなく、未だ浮いた話のない男は幹部たちの中でもカタブツだと揶揄されるほど。別に肉欲が生じない訳ではないが、後腐れのない一夜限りの関係が一番自分の身に合っていると本人は理解している。そんなこんなで、今回の取引は正直に言って他の幹部に押し付けたくてたまらないものだった。

マイキー直々の命令とあらば向かわない訳にもいかず、それ故に真面目な男は嫌々ながら指定場所へと足を運んだ。そこには全身黒を纏った女と護衛らしき男が既に到着しており、備え付けのソファに腰掛けてくつろぐ姿があった。チャンキーヒールのショートブーツからすらりと伸びるしなやかな脚は細身のスキニーパンツに包まれており、足を組んでいることでチラリと足首が裾から覗いている。その上には胸元が透けているレースのトップスとダブルボタンのジャケットを合わせていた。引っ詰められた髪の根元には目にも鮮やかな朱色のスカーフが結ばれ、黒一色のいでたちの中ではひどく目を惹く。他にも耳元を繊細な金細工のピアスが飾っていたり、スモーキーなオレンジブラウンが唇を彩っていたりと、要所要所に差し込まれた色が印象的だった。鶴蝶の到着に気がついた女は、咥えていたタバコを黒の手袋に包まれた指で挟んで地面に落とし、靴底でかすかな煙を潰す。


「こんばんは。ご指名ありがとう、貴方が梵天の使者?」

「…ああ。お前が武器商の朱(アケ)か」

「その通り。証拠もここにある」


ピン、と弾んだ金属音と共に手の中に飛び込んできたのは、ハンドガンが二つ交差したエンブレムが見事な、彫り細工の施された銀のコイン。これこそ日本の裏社会に身を置く者なら誰でも欲しがるという‘銀の誓い'に他ならない。どこからこのように緻密な彫り細工の施されたコインを調達してくるのか、その女しか知り得ない。女はこのコインを手にした者だけに武器を売り、加えて情報も落とす。そこから得られる利益は他とは比べ物にならないほど大きく、九州の勢力図はこの女によって塗り変わったとも言われている。弱小で潰れかけ、お先真っ暗と謳われていた三代目暴力団の頭と懇意にしていたという女が手を加えた瞬間、情勢がひっくり返った。女はどこからか調達してきた大量の武器と情報を基に、九州では敵なしと言えるまでの地位にその男をのし上らせたという。そこから中国地方、近畿地方と足を伸ばした女は、ついに東京まで名を広めていた。
行く先々でどう言う訳か気に入った取引先にのみ利益をもたらす、神出鬼没の武器商―朱。まさか顧客の顔を全て覚えているわけもあるまいと偽造コインで取引しようとした名古屋の組の男は、敵対組織に名前や顔、家族情報やイロの情報を掴まれてある時忽然と姿を消したという。もちろん察しのいい者はそれが朱のやったことだとすぐに気が付いた。梵天でも探りを逐一入れていたが、名古屋の例以外にも似たような理由で存在が消されている者は複数いる。それを理解していたら、そのコインを偽造するなんて馬鹿な真似は誰もしようとはしなくなった。梵天にすらその処理手腕を掴ませないのだから、どこが手を出しても痛い目を見るに決まっている。つまり、安全に取引を進めたいのなら女本人からコインを手にする以外ないのだ。

そこまで噂されているコインとやらをやけにあっさりと渡してきたので、鶴蝶は拍子抜けといった気分である。


「流石に私も渡す相手は選んでる。梵天幹部、鶴蝶ともなれば取引相手として不足はないわ」

「! そうか」


名乗ってもいないのに名前を言い当てられ、情報屋としての能力もかなり高いというのは本当だったか、と内心舌を巻く。梵天の幹部ともなれば顔も名前もトップシークレット、並大抵の情報通では辿り着けないように厳重なセキュリティがかけられているようなものである。正直灰谷兄弟や三途のように派手に色々とやらかすことが多い幹部ならもう少し分かりやすいだろうが、慎重な行動を心がけている鶴蝶をピンポイントで言い当てられるその能力の高さは評価に値する。下手に女を前に出して交渉されることもなさそうだし、と荒事よりも懸念していたこともクリアしたので、鶴蝶はほっとバレない程度に胸を撫で下ろして己も向かいのソファに腰掛けた。


「まず前提条件から聞くが、どんな武器が卸せる?」

「アメリカとロシアの軍基準の物なら大抵はいけるわよ。流石に型落ちだけどね」

「…ルートは?」

「中東での内戦に派遣されている各国の軍倉庫から秘密裏に盗まれている武器なんて腐るほどある。向こうの人たちはそれを現地兵や海外に流して日銭を稼ぐことも珍しくない。中東から東南アジアを経由すれば出処はおろかルートすら掴まれる心配はないわ」


思っていた以上にスケールの大きな話になりそうだ、と鶴蝶は頭の中で軽く計算をする。九井のように金のニオイを嗅ぎつける力はないが、これが梵天の地位をさらに盤石なものにするきっかけになるだろうことはなんとなく予想できた。ひとまず腕試ししてこいと言われていたのを思い出し、持参していたアタッシュケースをテーブルの上に乗せる。これは?と尋ねられるがまま、蓋を開けて中身を見せた。


「…なるほど。まずは私がどこまでできるのかを見たいと。これがその手付金ね」

「できるか」

「愚問だわ」


つい、と朱が後ろに控えていた男に指を振って見せる。常人なら目が眩むような大金でも男は特に動揺することなく、蓋を閉めたケースを脇に抱えて再度後ろに下がった。話が早くて助かるな、と鶴蝶が仕入れた商品の引き渡し場所や期限について話していると、不意に朱がオレンジブラウンの唇から思いがけない言葉を落とした。


「武器を卸すなら…そうね、貴方個人が良いわ」

「俺か?それはどうして…」


揺れる朱色に目を奪われていると、そこで鶴蝶はハッと息を呑み込んだ。もしやこれは己が危惧していた女ならではのアプローチではないのか?と考えてしまったのだ。
何も珍しい手段ではない。何か大きい取引の際、交渉役が女で、中でも自分個人にもリターンが欲しいと考える場合、何かを成す代わりに男女の関係を求められることが多々あるのだ。最もそういう取引はお遊びが大好きな灰谷兄弟や三途が頼む前に掻っ攫っていくので関わることすらほとんど無い。そういう訳で女との交渉役に就くことがほぼない鶴蝶は、まさか自分がその矛先を向けられるとは思っても見なかった。彼が警戒していたのは会話の随所に女を見せられることであって、それを飛び越えた話にまで発展するなんて誰が思うだろうか。良くも悪くも、彼はこの裏社会では絶滅危惧種と言っても良いほど純粋かつ健全な貞操観念を持つ男だった。朴念仁と言ってもいい。

と、表情を変えずに黙り込んだ鶴蝶を静かに見ていた女は何か不名誉な勘違いをされている気がして再び口を開いた。


「悪いけど、私安くないのよ。これくらいの取引なんていくらでもやって来たんだから、その度に関係を持ってちゃあ五百股くらいにはなっちゃうわね」

「え」

「私が言っているのは‘梵天を顧客にする'のではなく‘鶴蝶(アナタ)を顧客にする'ってことよ」


自分の勝手な勘違いを恥じながら、鶴蝶は眉を顰める。言っていることは理解できるが、何故利益の小さい方を選ぶのかが分からない。そう率直に伝えれば、当たり前よ!と朱は心底可笑しそうにはっきりと言ってのけた。


「私は私のポリシーがある。利益不利益は確かに大事だけれど、いかに‘相手を人間的に好きになれるか'が私の顧客選定の判断基準よ」


己の誓いに背くことはしないのだと告げる女には、かつて追いかけた背中と似たものを感じさせた。日本では比類なき梵天の幹部相手に気に入ったと告げる度胸もさることながら、自分が選ぶ側だと疑いもなく真っ直ぐに主張する眩しさ。これは曲者だなと内心漏らしつつ背もたれに体重を預けて、しかし釈然としないなと朱を見つめる。果たして人間的に好きになる要素がこの短い会話の中にあっただろうか?


「不思議そうね。 私が貴方を気に入った理由は‘絶対的な存在が既にいる'という点よ」


黒川イザナ、そうでしょ?
思わず双眸を見開けば、朱はこれくらい調べるのは訳ないわと両の手を顔の近くでひらりと振ってみせた。


「今でこそ梵天に身を置いているけれど、そこにはかつて同じ人を王と仰いだ仲間が複数いる。貴方が所属している理由も何となく想像つくわ」

「…」

「誰かをずっと思い続けることってエネルギー使うのよ。一途な人間はそれだけ真面目な面もあるってこと。私は取引相手にそれを求めてる」


まるで男が女を口説く様な口ぶりで、朱はスラスラと貴方の此処が私にとって魅力的、と半ば呆然としている鶴蝶に渾々と説いた。


「一途で結構。貴方は私の取引相手に相応しいわ」


どうぞよろしくね、と黒に包まれた指が鶴蝶の膝に置かれていた手を取る。握手だと理解していながら、手のひらを掠っていった爪の感触にぞわりと背中が粟立って首の後ろを熱くさせた。

握手の容認を答えと受け取った朱は、さっさと取引場所を後にした。その背中を銀のコイン片手に見送るしかできなかった鶴蝶だが、たったの五日でどこぞの小国の軍隊にも匹敵するような装備を五十人分揃えられた時には流石に飛び上がるほど驚いた。それを見た朱には大層愉快と言わんばかりにまだまだ序の口よなんて言われるものだから、思わずその口を手で覆った自分は悪くないと彼は後に零したという。大きな手で顔の下半分をすっぽり覆われた女は遂に大爆笑したということだけここに記しておく。
梵天では、取り敢えず小手調べにと放った案件がまさかここまで戦力増強に繋がるとは考えておらず、上へ下への大騒ぎとなった。特に、ぶっ放すことが大好きな三途はいつもキメている薬の効果も相まってか、大興奮して裏切り者出血大サービスの行脚に出てしまった。諦めの眼差しでそれを見送る明司の背中をそっと叩いたのは記憶に新しい。そんな大きすぎる功績から、鶴蝶は朱に関わる一切の武器調達関連事業を任されることとなった。これによりなあなあで取引を受け持っていた鶴蝶が名実共に朱専用の窓口となったのである。なんとも見事なその手腕に感心した九井や、面白い武器商がいると興味を持った灰谷兄弟と、彼らが口うるさく会わせろと迫ってくるのだが、鶴蝶はほの暗い優越感もあって絶対に取り次ごうとはしなかった。天下の梵天と言えど朱と会えるのは鶴蝶だけだ。一度だけマイキーと朱両者の希望で引き合わせはしたものの、それ以降互いが会おうとする様子もない。マイキーに対し顧客になったのは梵天ではなく鶴蝶個人だということを伝えたら、奇妙で愉快な物を見る目に晒されたのは少し気にかかるが。何はともあれ好きにしろとボスに任されたのだからと、彼は窓口という立場を振りかざして徹底的に朱の存在を他の幹部たちに隠匿した。銀のコイン(朱からの贈り物)はずっと誰の目にも触れさせることなく隠し持っている。


「オイオイ、俺は金を監督する立場から一度会う必要性があるって言ってんだぜ?」

「御託をこねる前にマイキーの許可をとってこい、その上で考える。相手は気難しいんだ、離れていったら目も当てられないぞ」

「なーぁ鶴蝶ォ?俺たちの中だろ?蘭ちゃんすごい気になるんだよなあーその武器商のオンナ」

「俺も俺もー。なんで駄目な訳?梵天ってのが駄目な理由なら個人で探すから特徴教えてよ」

「……お前らはまずその独断専行の癖と女遊びの激しさを無くしてから出直してこい」


鶴蝶がここまでする理由は、分かり切っている。けれども、その感情にはまだ名前が無かった。そもそも朱の言動がずるいと子供みたいなことを彼は本気で考えている。あの時、朱に相応しいと認められたことに高揚したことは確かだった。加えて、他の幹部ではなく‘鶴蝶だから'と己のみを選んでくれたという点も大きい。鶴蝶の詳細な過去を把握できるほどの腕前なら、他の幹部などいくらでも調べられるだろう。朱は紛れもなく全てを把握した上で鶴蝶ただ一人を選んだのだ。自分があの日取引場所に赴くと把握していたからこそ足を運んだのだと告げられた時、彼は歓喜が体を駆け巡る感覚に溺れた。


「鶴蝶、貴方が相手で間違いなかったわ」

「…俺もお前が相手で良かったよ」


二人の会話はいつも物騒で血生臭い話題ばかりだ。その間に織り込まれる信頼の透けて見える言葉に、何度心躍らせたことだろう。いっそ性的な言葉も動作もない方が魅力的に見えるなんて、おかしいことだろうか。女を全面に出されることに忌避感がある鶴蝶からすれば、彼女と過ごす取引の時間が何より魅力的に思えてならない。近頃はさして必要でもない武器の調達にまで思考が及んでしまい、慌てて違うことを考え出した始末である。三途にこれ以上火薬のおもちゃを与えてはならないと本能が止めてくれたようだった。
しかし取引する物が無いと必然的に朱と過ごす時間が減ってしまうので、今度は武器の仕入れ状況の定期的な報告と敵対する組や傘下の怪しい動きに関する情報を買うことにした。以前よりも共に過ごす時間が増えたので、鶴蝶は満足である。かつて王と仰いだ男と近しい何かを感じさせる女の側は息がしやすい。朱はイザナではないけれど、彼女と共にいると過去の己の感覚を思い出したように感じる。彼は一人ほっこりとしていた。

妙に浮かれた鶴蝶の波動を感じ取ってふよふよとあの世から様子を見に来たイザナからすれば、下僕ーっ!!この馬鹿野郎!!!!と罵る以外の選択肢はない。そこまで周りを牽制して独占欲を見せつけておきながら、未だ無自覚とはどういうことなのか。これが女遊びせずに真面目に生きた者の末路か…と彼は嘆いた。俺は下僕の教育を間違えたのかもしれない。ちなみに反社になったことは別に嘆いていない。この王にしてこの下僕ありといったところか。下僕の斜め上を漂いつつイザナが早よ自覚しろ…と怨念の如く強い思念を送りつければ、鶴蝶はぶるりと身震いして不思議そうに周りを見回していた。

―バーカ、上だよ。






*






「それは恋でしょ!!!」


VIPルームに響いた鼻にかかったような声を耳にして、鶴蝶はぴしりと体を固くした。

時は少し遡る。
単独行動の多い男たちが集まっている場所は、梵天の資金源の一つであるフロント企業が経営するホテルの地下だ。梵天の幹部が集結する際はこういった表社会に溶け込んでいる格式高い場所に限る、とは九井の談である。何箇所もある内の一つである拠点だが、まさか警察もセレブ御用達のホテルの地下で堂々と反社会勢力が飲み食いしているとは思わないだろう。何せガラスがスモークになっている車でのお出迎えが当たり前の場所なので、物々しい車が停まった所で誰も疑わない。人を隠すなら人の中だぜ、と梵天随一の経済力を誇る男は笑った。さて、今日も今日とて絶好調に反社をしていた幹部の面々は、幹部会議を終えて酒を好きなように飲み干しては上機嫌に酔っ払っていた。とはいえいつでもどこでもドキドキサバイバルなのは変わらないので、常に銃を抜けるよう調整はしていたが。しかしめっぽう酒に強い灰谷兄弟なんかは自制という言葉を知らない。いつものように年代物のワインをたらふく持ってきては女を両脇にはべらせ、楽しそうにお喋りしていた。静かに酒を飲む男の代表格である鶴蝶は、そんな彼らの喧騒を他所に黙々とマイペースに酒を楽しんでいたのだが、その隣にどっかりと座って絡んでくる男がいた。三途である。


「なあオイ鶴蝶よォ、何度も言ってんだろ?その頭染めてみろって!今どき反社がそんなんでいいと思ってンのか?ア?」

「…静かに飲めないのか、三途」

「俺ァお前にはレインボーがいいと思うぜ!!」

「反社にはレインボー頭が相応しいと思ってんのかお前?正気か?」


酒に酔っていなくても割と理不尽な言動の多い三途だが、今日はマイキーが途中離脱せずに幹部会議に残っていたので特にテンションが高い。それ故か、三途のぶっ飛び発言はいつになく切れ味を増していた。ちなみにマイキーは一際大きく豪華なソファでモッチーや明司と向き合い静かに酒を酌み交わしていた。怪獣三途の引き起こす災害に巻き込まれた鶴蝶は勘弁してくれ…と思ったが、絡まれるのはいつものことなので控え目にツッコミを入れてからウイスキーを舐めた。反応を返してあげる辺りが優しい男である。
そんなご機嫌三途の隣に灰谷兄弟のハーレムから抜け出してきた女が座った。もちろんホテルの息が掛かった者であり、このホテルで梵天が集まる際にはよく顔を見る女だ。その女は語尾が伸びたりと頭が悪そうだなと人に認識されがちな口調で話すが、実はすごく人に合わせるのが上手い。頭の回る利口な奴として、特にテンションの高い三途の話し相手にあてがわれていた。読めない男の代表格である三途に幾度となくついておきながら、それで一度も機嫌を損ねていないのだからその手腕は推して知るべしといったところか。何はともあれ、その女が来たことで鶴蝶は三途の圧から逃れることができそうだと胸を撫で下ろした。別に嫌いなわけではないが、長時間付き合うのは精神衛生上よろしくない。用法容量を守ってご使用ください、三途劇薬。


「ねえ春ち、今日はすごいご機嫌そうじゃん?どしたの?」

「ア?最近物の入りが良くてなア…オシゴトがし易いんだよ」

「良かったじゃん!」

「でもなァその立役者にはお目にかかれねえのよ」

「あらあ、どうして?お礼言いたいねえ」

「そう思うだろォ?邪魔されて無理なんだわ。会いたくて会いたくて俺震えちゃうよなあ!!」

「そんなに寒いなら春ち抱きしめたげよっか?」

「いらね」

「ひどぉ」


鶴蝶はブスブスと真横から突き刺さる視線には素知らぬフリをして、チョコレートを舌の上で転がす。最近三途が頑なに朱に取り次ごうとしない鶴蝶を訝しんでいることには気が付いていた。もちろん各幹部はそれぞれ抱える案件が違うので、いちいちその詳細を他の人間に明かしたりはしない。しかし今までは特に隠すようなこともないと、鶴蝶は関わってきた案件の情報を求められれば渋ることなく明け渡していた。ところが朱と名乗る武器商と関わり出してからはどうだ。全く詳細を語ることなく、どんなに詰め寄られても例のコインすら見せようとしない。マイキーとは情報共有しているようだが、三途からすればそれを自分の頭ごなしにされるのはどうにも腹が立つのだ。何とか揺さぶってやりてえなあ、と彼は女の太ももに頭を預けて皮張りのソファに寝っ転がった。


「でも邪魔してるって、なんか知られたくないことでもあるのかなぁ」


女がのんびりした口調でそう言うと、鶴蝶は心の中で本当なら朱の存在すら知られたくねえよ、と毒づいた。特に三途や灰谷兄弟のような、気に入ったらとことん虐め倒すような奴の目には触れさせたくない。


「さあな、そういう奴じゃねえのは分かってっからただ単に会わせたくないんじゃねーの」

「エ!!!!」


三途が鶴蝶のことを珍しく褒めたというのに、当の本人は絶対何言われても反応しねえぞ…とそればかりが頭にあるせいでその言葉を全く聞いていなかった。哀れ三途、片想いである。一方で三途の言葉を耳にした女は、間延びした喋り方を忘れたように鋭く喜色に塗れた声を上げた。何だよと三途が視界を遮る大きい胸越しにその顔を見上げて尋ねると、女はそれはもう嬉しそうにキャアとはしゃいでこう言い放った。


「それは恋でしょ!!!」

「ハ??」


突拍子もない言葉に、三途は思わず素っ頓狂な声を上げる。恋?俺ら反社だぞ?と何言ってんだという顔を隠さないお得意様に対し、女は興奮した様子で恋に違いない!ともう一度大きく胸を張った。


「邪魔してるのは男の人でしょ?で、春ちも男!怪しい所も何もない人が絶対に合わせてくれない人なんて決まりきってるよぉ!!ズバリ隠されてるのは女の人!!ね、辻褄合うでショ?」


少ない会話の中から情報を摘み取るのがうまい女だとは思っていたが、この様子だと誰がという点まで分かっているのかもしれない。普段なら三途は意外と一人で飲んで一人で騒ぐことが多いのだ。そこに女が同席するという流れが常だったので、いつもと違う雰囲気を感じ取っていたのだろう。察しのいい女だなと思う一方で、それマジの話か?と三途は内心首を傾げた。だって鶴蝶だぞ。今までに浮いた話の一つなく、女との関係は選びに選んで後腐れなく終われる女と一晩だけの体を繋げるのが常。昔から行動を共にしていた灰谷兄弟に聞いても、アイツ大将一筋だったからなと言われる始末だ。まさかなあなんてどっこらしょと体を起こして鶴蝶の方を見ると、何故か局所的に震度七相当の地震が起きていた。


「ハ????」


三途は己の目を疑い、一度女を見てからまた視線を戻した。
鶴蝶が手にするグラスの中身は半分ほどしか残っていなかったはずだが、激しい振動はその少ない中身すら溢れる程のものであり、ボタボタと毛足の長い絨毯に大きなシミを作っている。ンブブブブとそれはもう激しい揺れ方なので、同じソファに腰掛けている三途は尻がマッサージされている気分になった。女は笑うのを堪えようと必死なのか、鼻からンフーと震えた息を排出している。オイオイオイオイ、え?と言いながら改めて鶴蝶の横顔を眺めると、表情は変わらない癖に耳と首だけは真っ赤だ。


「マジかお前…マジか……!!」


形容できない気持ちに襲われた三途は乙女の如く両手で口元を押さえた。そうでもしないと踊り出しそうだったからである。見た目だけは完全に淑女だった。少し肩幅がゴツくて髪がショッキングピンクだが。目の前で一人寸劇を見せられた女は遂に鼻水を吹き出しそうになり、慌てて顔を背けた。まだ女の体裁を保っていたかった。遠目に彼らを何となく見ていたマイキーは、鶴蝶の反応と微かに聞こえた会話内容から、なんだやっと自覚したのか…と静かに笑みを零す。そんなレアなマイキーの表情も見逃すほど、三途はテンションが上がっていた。鶴蝶のあまりにウブな様子にやられたのだ。俺が色々教えてやらなきゃ…!と彼は決意した。倫理観の欠如した彼のサポートが役に立つかどうかは別の話である。
一方今日も例に漏れずふよふよと頭上パトロールをしていた浮遊霊・イザナは、鶴蝶が自覚した瞬間にヨッシャアアアアア!!!!!下僕ゥアーーーーー!!!!!!!!と一人エレクトリカルパレードを開催した。持てる限りの力を使って浮かれ散らかしたので、イザナはチカチカピカピカと眩いミラーボールのように明滅している上、紙吹雪も振りまいている。ここがダンスフロア。もちろん誰もそれを認識できないのだが、だからこそ彼は思う存分はしゃいでいた。生から解放された王は、愉快度が増している。

朱に決して取り次ごうとしなかったのは、鶴蝶が無意識に抱いていた可愛い独占欲から来る牽制だった。それを他の幹部が知ると、その瞬間に彼らのバイブスははち切れんばかりに急上昇した。なにせ浮いた話が一切なかった男のほぼ初恋と言ってもいい恋の自覚である。特にその一部始終を目撃した三途の盛り上がり様は凄かった。ネクタイをぶん回し、乱気流を起さんとする勢いだった。


「お前最高ォ!!おいシャンパン持ってこい!!!」

「タワー作ろうぜ!!!」


他の幹部も歳を忘れて大いにはしゃいだ。誰も彼もがほとんど経験した事のない甘酸っぱい恋をしている鶴蝶可愛くない!?えぇーー!!!と、それはもうキャアキャア言ってはしゃいだ。野太い声の乙女集団の出来上がりである。常であれば場に相応しく大人の飲み会が行われていたのだが、あまりにもテンションが上がり過ぎてこの時ばかりは代々木公園での花見レベルにまで知能指数が下がっていた。事の発端である女はヨイショォと担ぎ上げられ、彼らの手でシャンパンタワーを作って接待され、終いには九井からお小遣いという名の札束が贈呈された。最初は笑い袋になっていた女も、最終的には私イイコトしたんじゃなぁい!?とご機嫌で帰路についたという。
しかしその道中で怪しい露天の霊媒師に呼び止められ、「アンタ…パーティーの精でも憑いてるのかい……?」と言われるなんてことは誰も思っていなかった。ちなみにその霊媒師の目には、頭上で瞬く小さめのミラーボールと「アンタが立役者」というタスキ、そして絶え間なく降り注ぐ紙吹雪が映っていた。ウルトラハッピー浮遊霊のパワーは留まることを知らない。生から解放された王は、お茶目度も爆上がりしていた。

さて、宴会と化した会議の翌日。
二日酔いに悩んでる場合じゃねえ!!と見事なフォームで寝床から飛び出した男たちは、示し合わせたように拠点の一つに集まった。そこで彼らは遅咲きの恋…何としてでも成就させるぞ…!と胸に固く誓い、鶴蝶の初恋後援会を勝手に立ち上げた。マイキーや明司は基本的には暖かく見守るのみだったが、会の方針に否やはなかった。人間の闇という闇が煮詰まった裏社会に生きる男たちにとって、ぴかぴかの初恋なんてものは発光するダイヤモンドよりも貴重なので、真綿に包むように大事にしなければという思いがある。恋愛初心者のピュア人間・鶴蝶は、最初こそ恥ずかしさが勝っていたものの、しばらくすると開き直って彼らに朱について相談するようになった。ここから鶴蝶with後援会&浮遊霊の恋愛大作戦が始まったのである。











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