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二次創作/夢
関東事変・破 ― 盃中の蛇影V





ザリ、ザリ、と高い踵の下で道に転がる砂利が擦れ合って音を立てている。背中におぶった体は、小柄とはいえ昔とは違ってふにゃふにゃしていない。女子の成熟は割と早いので、年齢的に言えばもう成長期は終わるだろうか?出会った頃にじゃれあって頬を擦り合わせてはしゃいでいたのが昨日のことのようだった。
電話で呼び寄せたタクシーが速度を落としてスッと止まる。お迎えに上がりましたーと扉が開いたので、そこに早速乗り込んだ。


「ごめんね運転手さん、珍しく朝早くてこの子寝ちゃったんです」

「いえいえ!構いませんよ。起こさないように安全運転で行きますね」

「お願いします」


行き先は既に配車予約の時点で伝えてあったので、後はもう揺られるに任せるだけだ。これからお店が開き始める時間だからか、自分たちが歩いていた時よりも街中に人の数が増えたように見える。腕を組むカップルを見て流れてゆく景色から目を逸らし、膝元でスウスウと寝息を立てるエマの柔らかな髪の毛を撫でた。昔は高い所でひとつ結びにしていたが、最近はもっぱら下におろしたヘアスタイルだ。少しでも女らしく見えるよう、魅力的に見えるよう、エマは研究に余念がない。

(そんなことしなくたって、ドラケンはどんなエマでも好きだよ)

鉄(くろがね)はもちろん、ドラケンにとってはエマの見た目などそこまで大きな意味を持たない。エマの表情が、言葉が、仕草が、その在り方が好きなのだ。とはいえ彼女の努力を蔑ろにしたい訳ではないので、ドラケンは些細な変化でも言葉にしてよくエマのことを褒めた。それに一喜一憂して、鉄に駆け寄って次はどうしようと瞳を輝かせる様は、可愛い以外に似合う言葉はないだろう。鉄自身、そんな二人のやり取りが好きだった。幸せというものは二人が形作るんだと思っている。

ゆるりと指に髪の毛を絡めては離し、絹のような感触を楽しむ。二人で初めて髪型研究会を開いた時は、お互い力加減が分からず痛い痛いと声をあげたのでマイキーが一度覗きに来たことがあった。すると何故かマイキーが俺も参加する!と宣い、エマの部屋に居座って鉄の背中に寄り掛かってきたことは今でも訳が分からない。何せその時のマイキーの髪は今より大分短かったもので。

―マイキーはちょんまげしかできないでしょ!
―え、なんかこの…ここに書いてある編み込みとかやってくれてもいいじゃん。な!せっちん
―マイキー、後でやるから大人しくしてて…

記憶の中の小さな自分たちが、雑誌とにらめっこしながらゴムとブラシ片手にうんうんと悩ましげな声を上げている。外からいつものようにマイキー!と大きな声がしてエマが飛び跳ね、マイキーが入ってこいよーと声を張り上げた。そうしてひょっこりと顔を見せたドラケンをマイキーと鉄の二人で捕獲して、今より短いその髪の毛でみつあみの練習をしたものである。見えないのを良いことに花飾りをぷすぷす挿してガーリーに仕上げ、二人して追いかけ回されたのはいい思い出だ。

お客さん、着きましたよ。と運転席から声を掛けられると、三人の姿はふわりと消え去った。伏せていた目蓋を持ち上げて礼と共に代金を払って車を降りる。小さな寝息が首元をくすぐる中、排気音を立てて走り去るタクシーを見送ってから鉄はまた歩き出した。


「…フゥ」


海岸沿いに無数にある倉庫の一角に辿り着くと、壁にもたれ掛かるようにエマを座らせる。それでもなお起きる事のない彼女を一瞥して、鉄は緩く縄の巻き付けられた係船柱に腰を下ろした。真一郎に供えたものと同じ銘柄の煙草を取り出して口に咥え、火を点ける。重たい煙が肺に充満し、唇の隙間から空へ逃げていくのを眺めて一つ咳き込んだ。
何となく手を入れたポケットにはチャックのついた小袋があり、それを引き出して顔の前に掲げる。錠剤をすり潰して粉状にしたそれは、効果覿面だったと言っていいだろう。全く起きる気配のない少女を見れば分かることだ。


「…けむい」


半分以上長さを残したそれを目の前の海へ投げ捨て、倉庫のシャッターをくぐって中へ入る。何に使われていたのか分からないドラム缶がひしめき合う中、迷うことなく壁際の奥から三番目の赤いそれに近寄って体を屈めた。伸ばした手が指先で捉えたそれを引っ掛けて取り出し、中身を確認する。古ぼけた鞄は持ち手が毛羽立ち、縫い目もほつれている。三ツ谷が見たら悲鳴を上げそうな有様だった。

鞄をぶら下げて手遊びしながら外へ戻り、また同じ所に腰掛ける。向かいで眠りこけるお姫様は、潮風に髪を晒したまま動かない。自分の目の前で無警戒に飲み物を口にするからだ。もちろん付き合いの長さから来る掛け値なしの信頼を裏切ったことに、思うことが無い訳ではないけれど。
ずるりと力の抜けた体が傾いて地に伏せても、鉄はいつものように彼女を抱き起こそうとはしなかった。自分らしくない(・・・・・・・)レースの上着を脱ぎ捨て、マフラーとともに丸める。ぐちゃぐちゃに捨て置かれたそれには目もくれず、鉄は黒のトップスの腕を捲った。携帯を取り出してある番号に電話を掛ける。


「何処にいる?」

<…さっきイザナと別れた。テメェこそ何処だ>

「この前伝えた場所にいる。来れるなら来て」

<しょうがねえ、出向いてやる>

「待ってる」


ピ、と通話を切って携帯を仕舞い、くたりと横たわる体の横に膝をつく。エマ。そう呟いた声は濡れていた。


「地獄への駄賃、ちょうだいね」


風でひんやりした頬を撫で、首の裏を手で支える。体を屈めて顔を近付け、豊かな睫毛を見つめ、吐息を肌で感じた。ぎりぎりの距離で一度止まり、震える目蓋を閉じる。ごめん、卑怯なことをする。そう心の中で呟いてちゅぅ、と小さく音を立てて口づけた。思い描いていたのとは違う、唇の端にぎりぎり触れない所へのキス。


「…意気地なし」


あまりにも情けなくて、もどかしくて、手が震える。でも私の想いなんて君は知らなくていい。これは、ただの自己満足だ。愛しい人よ、愛しくも苦しくて幸せな日々はこれで終わりだ。

さようならエマ、そう呟いて、鉄は手を振り上げた。






*






イヌピーと武道は、特攻服に身を包んである人の元を訪れていた。二人の前にあるのは初代黒龍総長、佐野真一郎の墓だ。磨き上げられたのか、周りの物よりも一際色が明るく見える。慕われている証拠なのだろうな、と武道は供えられた花や線香を見てそう思った。


「…真一郎君。コイツが十一代目黒龍総長、
花垣武道です」


背中に添えられた手を心強く感じながら、武道は勢いよく頭を下げる。それが彼に出来る最高の弔いで、最高の敬意の表れだった。


「初代の名に恥じない最っ高のチームを作ります!!」


真っ直ぐな青色を煌めかせて前を向く男は、決して強くはない。腕っぷしは弱くて、泣き虫で、及び腰なこともある。それでもこうと決めたらどっしり構えて何が何でも譲らない、そういう強さがあった。何よりも頼もしい男だ。イヌピーは決意を漲らせるその横顔を眺め、少し微笑んだ。
と、その向こうに赤色がちらつく。武道も誰かが歩いてくるのに気が付いて、イヌピーと同じ方へ顔を向けた。


「黒龍創設の日に十一代目誕生か…おもしれー!
―お前が花垣武道か!」

「?」

「っイザナァ!!テメェ!!」


知らない男が自分の名を知っていることに疑問を覚えたその瞬間、後ろから低い声でイヌピーが叫ぶ。その名は自分たちがぶん殴ると決めた男のものだった。フラッシュバックするのは、あの日直人と遭遇した縦長のピアスを付けた褐色肌の男。その後撃たれた痛みで記憶があやふやになっているが、確かに目の前の男と特徴は一致する。


「ココをどうするつもりだコラ!!?」

「イヌピー君!」

「オイオイ、どうするつもりも何も…あいつの方から天竺 (ウチ)に入ってきたんだぜ?」


激昂したイヌピーはイザナの襟元を引っ掴み、何よりも気になっていることをがなり立てた。ひどく興奮した様子に武道が思わず声をかけるも、その手を離そうとはしない。掴み掛かられているイザナはといえば、薄い笑みで飄々とした態度を崩すことはなかった。兄貴の墓参りに来ただけなんだから離せよ、と言ってかつて側に置いた男を見上げている。
九井が手に入ったからにはもうお前には用がないと変わらない表情で告げる姿に、武道は違和感を覚えた。ずっと一定のトーンで、紫の瞳だけは爛々と輝いている様はどこか異常だ。この人は一体何なんだろう、そう思っていると新たな登場人物が現れた。マイキーだ。


「やめとけ、イヌピー」

「マイキー君!!」

「へえ、お前も墓参り?タイミングって被るもんだな」


マイキーの声で少し冷静さを取り戻したのか、イヌピーはイザナから手を離す。特攻服の上に東卍のマークが入った上着を肩にかけたマイキーは、静かにイザナと向き合った。思うことは沢山あっただろう。エマによって齎された血縁関係、真一郎と親しくしていたというもう一人の兄。
イヌピーの腕を軽く引き、武道は二人からやや下がった所で話に耳を傾けることにした。そんな武道をちらりとマイキーは一瞥し、またイザナへと視線を戻す。


「今夜二十時、横浜第七埠頭に東卍総動員で来い。天竺対東卍総決算だ」

「…」


全部終わらそーぜ、マイキー。
その言葉を静かに聞いていた東卍の総長は首肯く。決まりだと踵を返そうとして、イザナがああと何かを思い出したのか声を上げた。耳元でカランと音が鳴る。


「"兄妹"仲が良いって聞いてたんだけどな。今日は一緒じゃないのか?」

「…お前の妹でもあるだろ、イザナ」

「さあな。で?体調でも悪いのか?看病が必要ってんならお前ら来なくてもいいぜ」

「っ!」

「駄目だ、イヌピー君…抑えて」


突然エマのことを尋ねられて不可解な表情を隠さないマイキーに、イザナはのらりくらりと遊ぶような言葉しか落とさない。挑発に乗りそうになったイヌピーを抑えて、武道は小さな声でエマちゃんは家ですか、とマイキーに質問する。それに頭を振ったマイキーは、アイツなら朝早くから家出てったとそう返した。


「せっちんと墓参りして、その後朝飯食いに行くってさ」

「そうだったんですね…じゃあ入れ違いかな」

「かもな」


何故そこまでエマのことを気にするのか、兄妹としての情でもあるというのか。それにしては表情と言葉が合ってないような、と違和感からふとイザナの顔を見て、武道は背筋を走り上る冷たさに喉を鳴らした。薄っぺらな顔で、にんまりと笑っていたのだ。


「っマイキー君、早く、今すぐエマちゃんに連絡取ってください!!」

「は?何でだよ」

「良いから早く!!!」


嫌な予感がしてならない。心臓が早鐘を打っていてひどくうるさい。武道の怒鳴り声に只事ではないと思ったのか、マイキーは携帯を取り出してパカリと開いた。あ、通知来てると開いた画面には鉄の名前が表示されている。本文が無いメールだった。


「せっちんからじゃん」

「クロさん…、!!」


仲の良い友人同士で出掛けたはずだ。何もおかしい話じゃない。朝早く出ていったのだって、朝ご飯を食べに行くためだ。だから何も、おかしくなんてない!武道はマイキーが携帯を操作する様子を、まるで処刑台に上がるような気分で眺めることしかできなかった。

なんだコレ?と眉をひそめながら、マイキーは添付された動画ファイルを開く。冒頭は真っ黒で、カメラに指が掛かっているようだ。その指が退けられて、一瞬の間画面がホワイトアウトして何も見えなくなる。それが映し出された瞬間、眠たげな黒々とした瞳は驚愕に染まった。

最初に見えたのは、誰かの靴を濡らす赤い液体。近くには注射器のような物が転がっている。どす黒さのある赤に浮かぶ糸は柔らかな猫毛で、ゆるくカーブを描いていた。前髪の奥の目蓋は力無く閉ざされており、動く様子はない。

カメラが引く。

足元しか映っていなかった手前の人物の手にはコンクリートブロックが握られており、その角には黒く変色した染みが模様を作っていた。細身のスキニーパンツもトップスも黒のためよく見えないが、所々濡れていて重そうだ。

カメラが引く。

腕まくりをした服の裾から覗く手首は意外と細くて白い。背中には灰色の髪の毛が揺れている。俯いていたその人物が、撮影している人に呼び掛けられたのか振り返る。そこには薄暮の揺らめきがあった。あちこちに赤を纏うその首元では、鈍い輝きを放つ月のチャームが揺れている。
ブツリ、そこで動画は途切れた。


「…う、そだ」

「そんな…!!」


瞳が揺れる。視界が回る。有り得もしないことが形になってしまった現実がどうしても受け入れられなくて、マイキーは震える声で否定の言葉を落とした。後ろから画面を覗いていた武道とイヌピーも、言葉を失っている。


「嘘だ…嘘、嘘に決まってる。なあ?タケミっち」

「マイキー君…!」

「なんでこんな、嘘だ、あれだよな?ドッキリだぜ、質悪いなァ、ハハ」


嘘にしては冗談が行き過ぎている。冗談にしては真に迫り過ぎている。分かっている筈なのに、その場の誰もが理解することを放棄していた。その人の名を呼ぼうとしなかった。倒れている人が誰で、そうしたのが誰なのか、誰も口にできない。携帯を握る手がぶるぶると震え、力強く握りしめられているせいかミシ、と軋む音がした。
嘘じゃねえよ、と淡々とした声が風に乗って動揺する三人の耳に届く。ハッと顔を上げれば、ポケットに手を突っ込んでニコリと微笑むイザナがそこに立っていた。まるで悪魔の囁きだ。ずっと弓なりに細められたままの紫を見て、武道は確かに恐怖した。


「嘘じゃねえよ、ソレ。ヤッたのは瀬尾鉄だ」

「馬鹿言うんじゃねえ、だって、アイツは、せっちんがそんな…!!
せっちんは、エマのこと!!!」

「お前の妹のことが好きだって?」

「!!」


どうしてそれを、とマイキーが目を見開く。それは真一郎とマイキーだけの誰にも漏らしてはいけない秘密だった。真一郎もマイキーも、絶対に誰にも鉄がエマを好きだなんて言っていない。鉄の口から言うことも有り得ない。だって彼女は、ひたすらにエマの恋を見守り続ける強さがある。想いを押し付けない強さがある。
ますますイザナがその秘密を知っている訳が分からなくなって、マイキーは乱雑に頭を掻き毟った。


「まさかテメェ、クロまで脅したんじゃねえだろうな!!?」

「は?
あー…なるほどな」


イヌピーもまた信じられない思いでいっぱいだった。曲がったことが大嫌いで、喧嘩するのはいつも相手が手を出してきてからというスタイルを貫いていたクロが、優しい友人が、自分の意志で殺しなんてする筈がない(・・・・・・・・・・・・・・・・・)!そういう自信があった。イヌピーが衝動のままにイザナに噛みつくと、イザナは心底理解できないという顔をしてからすぐに嘲るような表情で笑う。


「馬鹿言うな、誰よりもアイツが傍に居たのはこの俺だ。
アイツ―灰は俺の傍にいる為ならなんだってする。好きな女だって殺す(・・・・・・・・・)さ」

「なんっ…!!?」

「哀しいなァマイキー…
信じた友達がお前の妹を滅多打ちにして殺したんだ。躊躇なんて一切無い手付きだったみたいだぜ」


―なんでこんなに残酷なことが出来るんだ。
武道は愕然として、目に焼き付いた赤を拭えないままだ。どうしてマイキーの周りから命が零れ落ちていってしまうのか、今回はもうタイムリープできない。死んでしまったら助けられないのだ!


「っお前!!エマちゃんはお前の妹だろ!!!何でこんなこと、」

「…さあな?」


武道の叫びを真正面から浴びても、その顔には動揺も悲しみも無い。本当に、エマのことを何とも思っていないから、鉄にエマを殺させたのか。エマは、鉄の気持ちは、どうなるんだ。
今度こそ振り返ることなく、イザナは墓地を後にする。兄貴の墓参りと言っていた癖して、手を合わせることも視線を向けることすらなく、彼は姿を消した。


「クソッ」

「…どうする、花垣」


イヌピーの問いかけには応えず、固く両の拳を握り締めて膝に打ち付ける。震える足を動かさなければ、何も始まらないのだ。
隣でぶつぶつとエマと鉄の名を呼び続けるマイキーの肩を掴み、勢いよく揺らす。武道は、マイキーの名を大きな声で呼んだ。


「マイキー君!!!」

「……タケミっち、」

「こんなとこで喚いててどうするんすか、探しに行きますよ!!」

「花垣、無茶だ!場所も分からねえ、いつ撮られたかも分からねえんだぞ!!」

「っそれでも!!!!!」


イヌピーの言いたいことは武道にも分かっていた。もう日は高く昇りつつある。総長が捜索に向かってもし夜まで見付からなかったら、天竺との抗争にはどう足掻いたって間に合わないのだ。
それでも行かなきゃ、と武道は言う。


「迎えに行くんです、俺たちが」

「…ああ、そうだよな、まだ生きてる。早く見つけて病院に運ばなくちゃだもんな」

「…はい。行きましょう、マイキー君」


呆然としたままのろのろと動くマイキーの背を押して、墓地の出口へと向かう。未だその手に握られている携帯の画面は真っ暗になって、石畳を写し出していた。不安気な瞳を向けてくる部下へと一つ頷き、武道は行きましょうと彼にも声を掛ける。イヌピーにも武道にも、これが誤魔化しであることはよく分かっていた。でもそうでもしなければ、マイキーは立ち止まったままになってしまう。どうにかしなければという思いだけで探しに行こうと言ったが、何の解決にもなっていない。
やれることをやるしかないのだ。奥歯を強く噛み締めて、彼らは行き先の無い捜索に踏み出した。






*






ひどく鉄臭い女が、そこに立っていた。

稀咲は半間のバイクから降り、呼び出したその女に近寄る。薄暮の瞳がじっと稀咲を見つめて、静かに背を向けた。その後ろを稀咲が無言でついていく。半間もマイペースに彼らを追い、海に面した倉庫の裏側に顔を覗かせて楽しそうに笑った。


「ばはっ、ヤベェな!コレ。薬(ヤク)でヤんじゃなかったのかよ?」

「ああ…ネズミで試した時は十分だったけど、人間だと少し濃度が足りなかったみたい。無駄に苦しんでたから私が直接やった」


地に転がる赤と人の体に少し目を見開いた稀咲は何も言わず眉をしかめ、半間は興奮からか頬を染めてうっとりと鉄を見つめる。何でもないという顔で狂ったことをやってのける鉄を、半間はますます気に入った。壊れているのだ、この女は。思えば佐野エマを殺すなら自分にやらせろとプレゼンテーションしてきた時もそうだった。確実に手が付かない方法だからと、アメリカで合法にやり取りされている濃縮カフェインの投与を提案してきた時はそのイカレ具合に痺れたものだ。
最高だぜ、クロちゃん!そう言えば、彼女はヒラリと軽く手を振る。爪の間に入り込んだ血が固まって手の動きと共にパラパラと落ちていた。

ひとまずやることやって、と投げ渡された携帯で録画画面を開き、趣向を凝らした撮り方で遺体と鉄を撮影する。この時の半間はさながら映画監督だった。ピポン、と間の抜けた音で録画を終了し、携帯を鉄に投げ返す。稀咲は下準備が終わったと見て、鉄に今後の動きについて尋ねた。


「…どうするつもりだ?替え玉なら用意してあるが」

「ふ、温いことを言うね。これから何でもござれの犯罪集団を作るんでしょ?こんな所で足が付くようなちゃっちいことをするんじゃないよ」

「じゃあどうすんの?」


稀咲の問いかけに、鉄は替え玉なんて冗談じゃないと返す。その意図する所を測りかねて、彼はぴくりと眉を動かした。そんな稀咲の内心を代弁するかのように、嬉々とした声で半間が次の手をどう打つのか尋ねる。それに対し、鉄は何でもないことのようにこれから取引の車がここに来ると言ってのけた。


「取引…!?」

「そう、内臓の売買。死んで間もない内は若い女なんて幾らでも買い手がつく。それでバラして遺体まるごとこの世から消す。そしたら証拠不十分で行方不明扱いになる。
動画は一定時間経ったらクラッシュするものを作ってもらったから問題なし」

「それでバラして売ろうってか?容赦ないじゃん」


友達だったんだろ、と半間がにんまり目を細めて鉄の背中から覆い被さるように抱き着くと、くだらないことを…と彼女は言う。


「言ったでしょ、イザナの傍に居るためなら何でもやる。役に立ってみせる。
イザナが稀咲の策に乗った時点で、私はイザナからの言葉を待ってた」

「フン…相変わらずの忠犬だな」

「悪いね、今回は君が直々に手を出すつもりみたいだったけど…こればかりは譲れない。
その代わりイザナの役に立つことならいくらでも私のこと使ってくれて構わないよ」


そもそも参謀なんだから前に出ようとするな、とお叱りを飛ばしてくる女をうざったそうな顔で眺めて、稀咲はハアとため息をついた。半間は意外とコイツらいい組み合わせになりそうだなァなんて呑気に考えながら煙草をふかす。私の頭に灰は落さないでねという言葉にはぁいと間延びした返事をしていると、車の排気音が表の方から響いてきた。続いて扉を閉める音と足音が聞こえてくる。
思わず構えた稀咲に鉄は心配ないと伝え、半間を引き剥がした。血溜まりに沈む遺体―エマを抱きかかえて、そのまま音の方向へ歩いていく。


「ハイ、伝えた通り十四歳の女のコ。全部バラして」

「…確かに」


鉄と同じく全身黒の衣服に身を包んだ男は、軽々と小さな体を抱える。そのまま踵を返してすたすたと大股で立ち去る背中を見送り、鉄は半間に煙草ちょうだいと手を差し出した。あまりに手早い回収作業にぽかんとしていた半間は、じわじわとにやける口元を隠さないまま煙草を分け与えてやった。


「アレってどういう業者なワケ?」

「回収兼解体業者、かな。新宿とかに多く潜伏してる。水商売の女の人達、正規の所にかかれなくて闇医者で色々やってるから…そういう所に卸すと飛ぶように売れるって寸法」

「詳しいな…お前、他にもそういう繋がりがあるのか」

「何の為に放し飼いされてたと?勿論いっぱいあるよ」


珍しく感心したような声を出す稀咲を横目に、鉄はニコニコと上機嫌な半間から火を貰ってフゥと吐き出す。彼の言わんとする事は分かっているので、抗争の後にでも教えるよと伝えた。すると、頭上で噴き出す音がして眉をひそめる。またしても半間に抱き着かれていることは今更どうでも良いが、唾は飛ばさないで欲しかった。


「クロ、本当に最高ォ!マイキーの心バキバキに折って抗争自体潰れて意味ないように仕向けてんの、お前ジャン」

「作戦は稀咲でしょ」

「あそこまでやっといて"抗争がある"なんてジョーク、中々言えたもんじゃないだろぉ。なっ稀咲?」

「…確かにな」

「こういう時だけ仲良くなるのやめてくれる…?」


普段は半間の意見なんてほとんど聞かないくせに、稀咲は時たま半間に乗って鉄をいじることがある。稀咲にも意外と年相応な部分が残ってたんだなあ、と何だか感慨深いような腹立たしいような気分になって頭上の顔に煙を勢いよく浴びせてやった。完全な八つ当たりである。


「ヴェッホ、目に入った…痛え…」

「大人しくして、静かにしてて。半間は色々とうるさいんだから」

「ひっでえなクロォ、そういうとこも好きだぜ」

「…お前ら、じゃれてねえでさっさと退散するぞ」

「はいはい」

「りょうかぁい」


目につく血の汚れをその辺に転がっていたバケツで洗い流し、自分の手も濡らしてこびりついた血の塊を落としていく。鉄が小さくしゃがんでせっせと爪の間まで綺麗にしていると、半間もその横にしゃがんでじっとそれを眺めた。


「そういやぁクロ、今日は小洒落た格好してたんじゃねえの?」

「この前の盗み聞きかな?分かってて口に出すのは余計に悪趣味だよ」

「今は完全にヤる用って感じだから気になっただーけ」

「…あれは君たちに見せる為の服装じゃない。死装束だよ(・・・・・)、私のね(・・・)」


遠くから聞き慣れたCBR400F(バイク)の音が聴こえてくる。それを確認するなり鉄はすっくと立ち上がり、血に塗れたコンクリートブロックやらバケツやらを重石と共に全て海に投げ入れた。豪快なその様に半間は思わず口笛を吹く。


「王様直々のお出迎えだ。早く行かなきゃ」

「ばはっ、本当に犬みてえだな」


足取り軽く主の元へ向かう背をゆっくり追いながら、本当に飽きない奴だなと笑った。
だって、あの女はイザナのために何でもすると言って友を殺し、己をも殺した。死装束と言い表したのはそういうことだろう。自分の身を削るやり方なのに、何でもないようにやってのけるから狂っているのだ。今まで出会った中で一番面白いのは稀咲だったが、女の中ではダントツに鉄が一番だ。その二人が揃ってるなんて俺ツイてんなぁ、と半間は心底楽しそうに笑うのだった。











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