二次創作/夢
結・序 ― 水火を辞せずT
季節は秋から冬に差し掛かりつつある。
十一月の半ばにもなると、少し前まではぬるさを保っていた風もすっかり冷たくなり、身に沁みるようになってきた。薄手のコートでは中々どうして厳しくなってきたな、と鉄(くろがね)は口から白い吐息を漏らす。門の前で佇んでいると、ぱたぱたと忙しない足音が後ろから響いてきた。
「ごめーんクロ!遅れた!?」
「ううん、そんなでもないよ。それよりエマ、今日冷えるからもっと厚着したら?」
「じゃあ上着分厚いのにしてくる!もうちょっとだけ待ってて!」
「うん」
慌てなくていいよと華奢な背中に声を掛けると、またしても慌ただしい足音を響かせながら返事だけは元気に返ってくる。意外とお転婆な所は昔から変わらないなと考えていると、よう、と聞き馴染みのある声がした。横を見上げれば、ブルゾンを身に着けた辮髪の男が佇んでいる。
「ドラケン」
「マイキーとエマはまだなのか?」
「エマはもう来るよ。マイキーはドラケンが世話するかと思って何もしてない」
「お前…そこは何かやろうとか思えよ…」
「…ま、でも今日のことはマイキーが言い出したんだし準備してるんじゃないかな」
「…そうだな」
"血のハロウィン"と呼ばれた芭流霸羅と東卍の抗争は、大勢の見物人を集めるほどの大規模なものだった。勿論目の前にいるドラケンもその当事者であったし、マイキーは言わずもがなである。怪我人が多く出た、悲惨な抗争だったそうだ。鉄は万が一に備えてエマと一緒にいたため、その全貌までは知らない。それでも、話に聞く悪い事ばかりがあったわけではなさそうだった。
今日向かう先も、その中心人物がいる所だ。意外なことに、そこへ行こうと声を上げたのはマイキーだった。ドラケンはひどく驚いたようだが、二つ返事で了承の意を返したという。そこへ何故か同伴してほしいと名指しされたのが鉄であった訳で、エマを置いていくのも変な話だろうと連れて行くことになったという顛末である。そんなこんなで四人のお出掛けが決まったのだった。
「せっちん、ケンチンおはよ」
「ほら、思った通り」
「…マイキー、お前…自分で準備できんなら普段からやっとけよ…!」
「やだ」
門前で噂をしていた二人の前に、その本人が現れる。マイキーの姿は外を闊歩する時と寸分違わず、ちゃんと髪の毛は結ばれ、よれた服も着ていない。いつもは人任せなところのある男が自立した行動を取っていることに衝撃を受けながら、ドラケンは怒りも覚えていた。自分の手間を増やさないで欲しいというのが、普段のマイキーと共にいて思うこと第一位である。
が、我が道を行く彼がそんなことを聞く訳がない。にべもなくドラケンの言葉を切り捨ててから、ふと遠くを見つめてこう言った。
「今日は特別だろ。向こうが覚悟決めてンだ、俺も向き合わなきゃな」
「…そうだな」
「でも今日だけだから!明日から頼むな、ケンチン!」
「ッハァ……しょうがねえなあ」
チロリと悪戯が成功した猫のように舌を出し、マイキーはドラケンの背中に飛び乗る。避けることなくされるがままにしていた男は、深いため息をつきながら半笑いで背中にある体を支えようと手を伸ばした。
「お待たせ、準備できたよ!鉄のヘルメットも持ってきた!!」
「おし、じゃあ行くか!」
エマが玄関からヘルメット二つを掲げて飛び出してくるのを見て、ドラケンとマイキーはバイクのエンジンを入れる。ZEPHYR400(ゼファー)とCB250T(バブ)は、寒くても調子が良いようだった。
鉄は、するりと自然にマイキーの近くに寄ってエマから受け取ったヘルメットを被る。マイキーも当たり前のように後ろを空け、彼女が跨るのを待っていた。隣ではドラケンが甲斐甲斐しくエマのヘルメットの紐を締め、しっかり捕まれよと声を掛けている様子が窺える。過保護だな、とマイキーが零せば、鉄もそれに同意した。
「あれじゃいつまで経ってもエマが報われないな」
「…ケンチンも考えがあんだろ」
バブー…と排気音を響かせて、バイクが車輪を回し始める。突然走り始めたことで体が後ろに持っていかれそうになった鉄は、慌ててマイキーの腰に手を回した。マイキーがなにか呟いたようだが、風の音も相まって何も聞こえない。何か言ったー!?と大きい声を出すが、マイキーは何でもねーよ!と返すだけだった。
―なあ、せっちんはどうなんだよ。報われたいと思わねえの?
そう心の声が漏れかけてしまったことを誤魔化すようにして、マイキーはスピードを上げる。自分が口を出す領分ではないとちゃんと理解していたから、既の所で飲み込んだ言葉だった。ちらと目をやったミラーには、後ろを走るドラケンと彼にしがみつくエマの姿が映る。彼らは何か言葉を交わしているようで、髪を靡かせながら楽しそうに笑っていた。
もう一方のミラーには、己に抱きつく鉄の姿が見える。彼女にも二人のことが見えているようで、幸せそうで、苦しそうで、泣きそうで、笑いたくなるほど優しい表情をしていた。
「…泣けばいいのに」
身勝手な言葉でも、それは彼の本心だった。そんな顔して二人を見つめるくらいなら、感情のままに暴れて泣いて怒ればいいのに。それくらい、受け止めてやれるのに。
そんな二人を乗せて、バブは前へ前へと進む。後戻りはできないよと誰かに囁かれたような気がしたけれど、知らんぷりをした。
途中で買った花束を片手に、四人は静かな廊下を進んでいく。先頭に立つ鉄は何度もここに足を運んでいるからか、複雑な造りでも道のりをしっかり覚えているようだった。
目的の部屋の前で、彼女は立ち止まる。後ろに続いていた三人が壁にあるネームプレートを目にすれば、見覚えのある名前がそこに印字されていた。扉を前にして、鉄は言葉短かに言う。
「マイキー。私は必要?」
「…いや、俺だけで行く。ケンチンとエマもここで待ってて」
「ああ」
「うん、分かった」
ありがとな、とマイキーは鉄に微笑んだ。ドラケンが持っていた花束を受け取り、一つ深呼吸をしてから引き戸に手を掛ける。ガラリと扉が開かれたことで、換気のために開けられていた窓から風が入り込み、集合部屋の仕切りとなっているカーテンがぶわりと大きく靡いた。
「!」
「マイキー」
目的の人物は、窓際のベッドの上にいた。大きく見開かれた瞳にかかる髪は、ハロウィンの時と変わらず金と黒が混じっている。ベッドの上部を斜めにして体を起こし、横に座っていた男と話をしていたようだった。その男もまた病院着を身に着けており、少し癖のある黒髪が背中で波打っていた。
「見舞いに来た。 ―場地、一虎」
*
本当は、もうマイキーを殺そうとは思えなかった。どんな自分でも好きだと言ってくれる人がいることで、やっと自分が悪いのだと認められたから。
だがそれでも、謝り方が分からない。どうしたら良いかが分からない。何をすれば、どうすれば、俺はもう、
「俺は、もう間違えたくねえ。
教えてくれ、場地…俺はどうしたらいい?」
あの日、一虎は置き去りにした場地の元へ駆け足で戻って縋り付いた。逸る気持ちのまま、整理のつかない感情を音にする。驚きで目を見開いていた場地は、一虎の頬に残る涙の跡に目をやって乱暴にガシリとその顔を両手で挟んだ。
「オイ一虎ァ、お前…泣けたんか」
「は」
真剣な表情で落とされたまるで突拍子もない台詞に、一虎はぱちりと目を瞬かせる。そりゃ人間なんだから泣くだろ…と小さく呟けば、そうかよ、と場地は破顔した。お世辞にも綺麗とは言えない、複雑な感情が綯い交ぜになった表情だった。
「良かった」
「場地、…?」
「お前、ずっと怖がってたろ。全部怖いから、怖いと思うもの全部壊そうとしてたんだろ。
―本当はお前、泣きたそうにしてたのになァ」
そこまで言って、場地はもう一度お前が泣けて良かった、そう零す。
「マイキーのことが大好きなお前が…マイキーの兄貴を殺しちまったこと、お前が悲しいって思わない訳ねえもん」
「…!」
―ああ、震える俺を抱き締めてくれたのは、場地だったっけ。
ニッと犬歯を覗かせながら、場地は瞳を潤ませて笑った。ブワリ、ともう出ないと思っていた涙が一虎の目尻から幾粒も転がり、止め処なく零れ落ちていく。
思い出されるのはマイキーのためと忍び込んだバイク屋で咄嗟に振りかぶった手と、必死に叫んで止める場地の声。大きく黒目がちな猫目が振り向きざまにハッと見開かれたのを確認した時には、もう遅かった。流れる血で汚れる床と手から滑り落ちたチェーンカッターが鈍く光っていたことを、朧気に記憶している。
「ごめん、場地、巻き込んだ、俺がバブ盗もうなんて言わなければ、俺っマイキー喜ばせたかったんだよ…!」
「馬ァ鹿、そんなん俺が一番知ってンだよ。俺もお前止めらんなかった。お前に全部一人で背負わせた。悪かったな、一虎」
「もう駄目なんだ、怖くて、ずっと、マイキー殺さなきゃってここまで来ちまった、もう戻れねえよ…!どうしよう!?俺、俺、今度こそ一人になっちまう…!!」
「っ駄目じゃねえ!!!」
膝から崩れ落ちる一虎の肩を掴んで揺さぶり、場地は力強く叫ぶ。ここで言わなければ、それこそ後悔すると思った。一虎を引き戻す最後のチャンスが目の前にあると思っていたからだ。
「俺が居ンだろーが!!言ったろ、一虎」
「ば、場地…」
「"地獄まで一緒だ"って」
二人でずるずると座り込み、額を合わせて下を向く。いよいよ涙を流し過ぎて喋れなくなった一虎の首元にかかる髪をぐしゃぐしゃと撫で回し、それにもう一人忘れてんぞ、と場地は呆れたように言った。
「お前、俺に話すきっかけ作ったの誰だと思ってんだ?クロだろ」
「……うん、俺、クロと場地が居て良かった。クロが言ってた、クロも場地も俺のことすげえ好きだって」
だから一緒に馬鹿やりたいし、傍に居てくれるって。そう笑った友を前に、場地はアイツ恥ずかしいこと言ってんなあと少し頬を染める。それが嘘ではない何よりの証左で、一虎は嬉しくてまた泣いた。
二人の呼吸が落ち着いてから、場地は真面目な顔で頼みがあると切り出してきた。
そこで語られたのは、一虎不在の東卍で起きた出来事である。愛美愛主(メビウス)との抗争、パーちん―林田春樹の逮捕、それを快く思わなかったマイキーに近付いて取り引きを持ちかける稀咲鉄太の存在。その稀咲から東卍を守るため、一虎を一人にさせないため、場地は今芭流霸羅にいるということ。
「一虎、まだ気持ちの整理は付かないかもしんねえ。それでもいい。俺は東卍のために、東卍の敵になってでも稀咲を潰す!
―力を貸してくれ、一虎!」
目の前で下げられた頭を眺めて、場地は馬鹿だなあと一虎は思った。なんなら口にも出した。それにア!?と噛み付いてくる姿は、前と何ら変わっていない。こんなやり取りができることも、頼られたことも嬉しくて、ずっと居座っていた顔の強張りはどこかへ消え去っていた。
「場地、俺この抗争をうまく切り抜けられたら…マイキーに向き合える気がする。傍に居てくれる?クロも居てくれるかな」
「おう、当たり前だろ。俺もクロもお前のダチなんだからな! …俺たちでマイキー救おうぜ」
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