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二次創作/夢
転 ― 握れば拳開けば掌





ギャリ、と足下から耳障りな音がする。踏みしめていた地面を見下ろせば、先程絡んできて伸した男の耳に付いていたピアスが転がっていた。殴り掛かられはしたもののそれほど強くはなかったので一方的に打ちのめしたが、その際に取れたらしい。少なくとも引き千切った覚えはなかった。今は血まみれの男が先程まで身に着けていたと思うと、なんだかとても汚らしい物に見えてきて、靴底で擦り潰すように何度か力を掛けておいた。


「イザナ」

「…灰か」


日中はふらりとどこかへ姿を消す灰―瀬尾鉄(くろがね)は、日が沈むと必ず褐色肌の男―黒川イザナの隣に戻ってくる。イザナに会う前のルーティンなのか、いつも銭湯に行ってから来るものだから、髪は湿っているし匂いも何もない。それがなんだか気に食わなくて、イザナはいつも鉄の首元を飾るチョーカーに指をかけるのだ。
そのままぐいと引っ張れば、"灰の悪魔"と名高い少女は容易く己の胸元に飛び込んで来る。彼女は基本的にイザナのすることに対して無抵抗だった。


「…やっすいシャンプーのニオイしかしねえ」

「いつも言うね、それ。イザナは血のニオイがするよ」

「…」

「ヒゲも伸びてる」


そしてイザナも、じょりと顎に触れる指先を拒むことはしなかった。手入れも何もしていない伸びに伸びた髪の毛が首に当たってくすぐったい。
真一郎が居なくなってから、イザナはあちらこちらを放浪している。たまに今回のように絡まれれば喧嘩をし、金品を奪って生活をしていた。そんなイザナをいつも見付けては、少女は静かに傍に寄り添う。いつものように手に下げた袋から、コンビニで買ってきたパンや飲み物を取り出して手に握らせた。もう片方の手を掴んで公園のベンチへと共に向かう中で、ここ数年燃え尽きたようにスイッチが切れてしまったなと鉄は寂しく思う。仲間である鶴蝶も、イザナが一度失踪してからひどく気を揉んでいたのだ。施設で共に過ごした三人は、ずっと離れないのだと思っていた。イザナが突如姿を消すその時までは。

イザナと強制的に離されていた時期がある。自分をリンチにした集団に対し、イザナは一人一人を執拗に追い詰めて遂に彼らの中から自殺者を出した。それ故、彼は少年院に行ってしまったのだ。自分達の書く手紙が届かないと知った時、鉄も鶴蝶もひどく気落ちした。保護者の居ないイザナに面会しに行けるのは施設のスタッフだけだったので、せめて元気にしているかどうかだけでも伝えてくれと二人詰め寄ったことはイザナの中で笑い話らしい。スタッフは二人がいつもイザナのことしか言わないのだと、訪れる度に伝えていたそうだ。そんなことまで伝えてくれなくてよかったのに、と二人は笑うイザナを前に気恥ずかしいような嬉しいような気持ちで佇んだそうな。
少年院から出て来た後、暫くして黒龍(ブラックドラゴン)の八代目総長となったイザナは、様々な犯罪に手を染めた。いつぞやにイザナが鉄に零した、彼が兄妹だと思っていた誰とも血が繋がっていないという事実。それこそが彼を暴走させたのだろう。彼がひどく慕っていた兄の真一郎にも、その頃から会いに行こうとしなくなっていた。しかし、その頃はまだ良かった(・・・・・・・・・・)。生きる活力があった。何かをしたい、しなければという衝動があった。それがイザナを生かしていた。

どんなに憎たらしくても、こんなことなら会いたくなかったと思っていても、イザナにとって真一郎は全てだった。そんな真一郎が亡くなったと聞いて、しかも万次郎の部下に殺されたと聞いて、イザナはもうどうしようもなくなった。立場を捨て、行く宛もなく彷徨い、生産性の無い喧嘩に明け暮れた。浮浪者のような出で立ちは、最強の名を欲しいままにした男だとは到底思えない。落ち窪んだ目の下には濃い隈が居座り、伸ばしっぱなしの髪はパサパサと毛先が乾燥している。


「灰、」

「イザナ。どんな形でも、どこまでだって、一緒に居るよ」

「…知ってる。お前は俺の傍に居たいんだもんな」

「うん」


それでも、必死こいて居場所を探し当てて、彼の隣にいようとする馬鹿がいた。隣に座って甲斐甲斐しくペットボトルの蓋を開け、それを差し出す女が良い例だ。彼女から連絡を受けて駆け付けた鶴蝶も、負けず劣らずの馬鹿であることは間違いない。その時鶴蝶は、彼を一目見てその草臥れた様子に何を言うでもなく、ただ本当に安心した顔で良かった、と呟いていた。
そんな馬鹿共から姿を隠す為に移動を続けるのも、そんなことに気力を使うのも阿呆らしくて、イザナはとうとう彼らの行動範囲に留まることにしてやった。決して絆されたとかそんなものではなく、ただただ面倒だったからだと、彼は誰が聞いてる訳でもないのに言い訳をした。それでも彷徨うのをやめないのは、自分を探して見つけた瞬間の嬉しそうな顔が見たかったからだった。子供のような理由だけれど、ただそれだけ。

今日も子供のように、鉄の膝に倒れ込んで腹に顔を埋める。耳に響く鼓動の音は、自分が胎児になったようでひどく安心した。


いつからか、イザナにとって鉄が傍に居るのは当たり前になっていた。施設の中でも、リンチを受けた時でさえ、一緒に居た。異質な二人は執拗な暴力で大怪我を負い、特にイザナを庇おうとした鉄は入院生活が長引いたことをよく覚えている。言いようのない怒りに襲われて、報復に夜の街を駆け回り、結果としてイザナは主犯格の男を自殺に追いやった。
明くる日病室で目が覚めて、青褪めた鶴蝶からイザナが少年院に入れられたと聞いて、鉄は愕然としたのだ。何故私も連れて行ってくれなかったの、と。


「イザナ、君は私が傍に居ることを許してくれたのに置いていったこと、未だに怖くてたまらないんだ。君が何をしたっていい、私はイザナと一緒がいい」


少年院から出て来た彼を前に、鉄は言い募る。そしてこうも言った。


「でも君は周りを置いていってしまうから、誰も内側に入れようとしないから…私から迎えに行く。どこにいたって見つけてみせる」


一人になんかさせてあげない、そう薄暮の瞳に強い光を宿して、鉄はそう宣言した。そして未だにその誓いは破られていない。
イザナが黒龍に居る時はその傍に控え、S62世代と呼ばれる面々との交流(悪事)も見守り続けた。何かやってみせろと言われれば、役に立てるよう最善を尽くした。いっそ清々しいほどの働きぶりで、身のこなしは灰谷兄弟からもお墨付きをもらったほどである。イザナの傍にいるのならそれくらいは当然だと、実力磨きに余念はない。一撃にそこまでの威力はないものの、身軽さとスピードを生かして急所を一突きすれば相手は沈む。女だからと舐められてイザナの評判を落とさないよう、服装にも気を使って体のラインが出ないようにもした。全てイザナの傍にいるため、役に立つためだった。


「クロ…!」

「…せっちん」

「…お焼香、上げさせてもらえる?」


真一郎が亡くなったとエマから知らされ、呆然とするエマとマイキーを支えて通夜と葬式に顔を出し、エマが泣き止むまで背をさすり続けた。二人が落ち着いたと見るやいなや、鉄はすぐさま姿を晦ませたイザナを探しに出る。もちろん真一郎のことは残念だったし、残してきた二人のことが気がかりではあったが、鉄には己の誓いを守るという信念があったのだ。そして公園のベンチで一人ぼんやりと空を見上げる唯一の姿を見つけて、体の力全てが抜けるほど安心した。歓喜した。ああ、まだ傍に居られる、と。

イザナもまた、そんな鉄を見てひどく安心した。空っぽになったとしても必ず探しに来てくれる奴がいる。何も与えなくても傍に居てくれる奴がいる。殴り飛ばすでもなく、叱り飛ばすでもなく、ただ何も求めず寄り掛かれる存在。それを再認識して、イザナは頬を張られたような感覚に陥った。


「灰、お前は絶対俺を探しに来いよ」

「いつものことだよ。必ず見つける」


地面に尻もちをついて己を見上げていた少女は、今では手を差し伸べる方になっている。暗い中でも鈍く光る灰色に、イザナは目を細めた。どこにも行かないと分かっているのに逃したくなくて、それでいてその心の内を確かめたくて、ふらりとあちらこちらを彷徨う。

―いつからか、縋っているのは鉄ではなくイザナになっていた。






*






「や、場地。一虎も」

「! クロか」

「おークロ、久しぶり。お前背伸びた?」

「そりゃ二年もあったらね。でももう打ち止めかな」


東卍を抜けると宣言して暫く、場地圭介は羽宮一虎と行動を共にしていた。芭流覇羅で"踏み絵"を終えて仲間入りを認められてから、場地が纏う色は黒ではなくなっている。東卍の壱番隊隊長だったことや、共にいる一虎が芭流霸羅のNo.3であることも手伝い、彼は芭流霸羅の実力者として名を馳せていた。
それを方々から聞いて把握している鉄ではあったが、どこに所属している訳でもない身としては彼らに話しかけることに何の縛りもない。二人もそれが分かっているから、特に過剰に反応することも無かった。


「ちょうど良い所にいたよ、二人とも。施設の子たちにあげようと思ったんだけど、イベントか何かで不在にしててね。もらってくれないかな」

「なんだぁ?これ…」

「駄菓子だよ、駄菓子。食べたことない?ポン菓子とか」

「俺これ食いたい、ミニドーナツ」

「はいはい」

「ペヤングねーのかよ」

「ブタメンならあるけどお湯なんかないよ、こんな道端で」


土手に三人で腰掛けると、早速場地と一虎は袋の中身をバラ撒いて何があるのか額を突き合わせてあーだこーだと言っている。人参の形を模した袋に手を突っ込みポン菓子をぽりぽりと食べていると、横から一虎が手を伸ばしてきた。人が食べているものほど気になる質は変わっていないらしく、その辺りはいつも通りだなと鉄は袋の開け口を差し出してあげた。


「意外と美味いけど食った気がしないなこれ」

「そう?私は好きだけどね」

「クロ、俺も」


むしゃむしゃと蒲焼きもどきを食べていた場地も、食べてみたくなったらしい。あ、と人より尖った犬歯を覗かせながら口を開けて待っている姿は、給餌しろと急かす雛鳥のようだ。十粒ほど掴んで投げ入れてやれば、確かに美味えなと呟いて口をもにゅもにゅと動かしている。


「場地ばっかずりい!俺も!」

「はいはい、ほら」

「ん」


子どもじゃねえんだから、なんだと、と馬鹿みたいに笑う二人に挟まれて、鉄は優しく目尻を緩ませた。人の本質はそうそう変わらないのだと、確かに理解できたからだ。

男子二人の食欲は凄まじいもので、いくら駄菓子とはいえビニール袋ぱんぱんに入っていたそれらは跡形もなく食べ尽くされてしまった。お湯がないと食べれないカップ麺のおやつまでバリバリと貪るものだから、なんとも呆れたものである。それでも二人がラーメンでも食いに行くかと話しているのを聞いて、どんな胃袋してるんだろう、と鉄は不思議に思った。お年頃の男子の食欲はブラックホールなのだ。鉄は一つ賢くなった。


「あ、場地。やっぱりラーメンはパス」

「は?何でだよ!完全にラーメンの腹になっちまっただろーが!」

「ちょっと野暮用じゃあな! クロ、少し付き合えよ」

「いいよ。じゃあ場地、またね」

「あ?おい……
まじで置いてきやがったアイツら」


場地がぶつぶつと文句を言っているのを背中で感じながら、鉄は一虎の背を追い掛けた。
場地からは自分たちの姿が見えなくなった辺りで、一虎はキョロキョロと周りを見回す。スタスタと足早に歩く一虎が橋の欄干の下に入っていくので、それに伴って鉄は自分も続こうとした。別に緩慢な動きでは無かったのに、自分が思うよりも行動の遅い鉄に焦れたのか、一虎はぐいと彼女の腕を引いて抱き締める。その勢いが思いの外強くてバランスが取れなかったので、鉄は一虎ごと地面に座り込む形になった。肩の近くに一虎のピアスが当たり、リンと音が鳴る。


「…さっき嘘ついた」

「ああ、久しぶりってやつ?別に気にしてないよ」

「俺が気にする…少年院から出て来た後何回も会いに来てくれてたし、飯もたくさん行ったのに」


黒と金が混じり合った髪の毛を優しく撫で付け、微かに震える一虎に気にしてないよ、と繰り返し声を掛けた。
鉄は特に誰にも告げず、自分が会いたいからと少年院を出てすぐの友人の元へ何度も足を運んでいる。確かに一虎が真一郎を殺したことは許されるものではないが、だからといって一虎と過ごした時間が嘘になる訳でもないし、一虎と友達でなくなる訳でもない。当事者ではないからこそ、鉄は彼に会いに行っていた。それに、鉄自身が施設育ちの複雑な身の上であることを明かしていたからか、一虎は家庭の状況をぽつりぽつりと彼女に零していた。そのこともあり、尚更一人にしたくなかったのだ。家に味方はいない、仲間の元へも自分の犯した罪のせいで戻ることはできない、そう彼は考えている。そんな一虎が一人ぼっちになるのは、なんだか嫌だった。


「さっきのは私が会いに行ってたのを場地にバレないようにするため?」

「ん…だって俺と繋がりがあるとか分かったら、無駄に疑われてクロ困んだろ。場地は多分…なんか目的があって芭流霸羅に来てるし」

「そっか、ありがとね一虎」


不安定な所が目立つ少年は、心の拠り所を見つけられれば不思議と視野の広さと地頭の良さを発揮する。冷静に判断できてる、すごいなと彼女は素直に褒めた。少し耳を赤くした一虎は、もっとと言わんばかりに鉄の首元に頭を擦り付けてくる。それがマーキングのようで、虎というより猫だなと鉄は目を細めた。


「一虎、場地は確かに目的があるんだろうけど…さっきの二人を見てる限り、場地は一虎と一緒に居たいんだと思うよ」

「俺もそうは思ったけど…信じらんねえよ、怖いんだ」

「何が?場地が怖いの?」

「違う…俺、俺あんなことしたのに、なんでクロも場地も優しいんだ?どうして一人にしてくんねえの、マイキー殺さなきゃ、俺、ずっと怖いまんまだ」


柔く背に回していた手にしっかりと力を入れて、鉄は赤子を抱くように背を丸めた。とはいっても一虎とは十センチほど身長差があるため、かなり無理のある体勢になってはいるが。胎児のように縮こまった体ですら懐に仕舞い込むことはできていない。
トン、トン、と背中を叩きつつ、鉄は柔い髪に頬を寄せた。


「一虎。確かに真一郎さんを君は殺した。でも、それで一虎の全てを否定することにはならない」

「…うん」

「私も、場地も、一虎っていう友達のことが好きだから会いにいくし、馬鹿なことしたいって思う。一人にしたくないんだよ」

「……うん゛っ………、」

「好きって気持ちはね、一方通行なんだ。与えるものなんだ。押し付けるものなんだよ。だから一虎が怖いって思うのも無理はないけど、私達の気持ちは疑わないで」

「…俺……!俺も…好きだよ………、」


噛み締めた唇の隙間から堪え切れない嗚咽が漏れる。大粒の涙が川のようになって、二人の服に大きな染みを作っていった。

少しして、一虎は体を離す。鉄の腰を挟むように伸ばしていた足も畳んで、体育座りをした。膝の上で組んだ腕に顔を預けて、彼は鉄をじいと眺める。そんな落ち着いた様子を見て、鉄は口元からゆるりと力を抜いた。


「ねえ、一虎。今もマイキーのこと、殺さなきゃって思う?」

「……正直分かんねえ。でも、場地には今の俺の気持ち話してみる」

「うん」


涙の跡が残る顔だが、どこか憑き物が落ちたように先程と何かが違って見える。これなら大丈夫かな、と鉄は笑った。いつになく素直に零れ落ちた、朗らかな笑みだった。


「うん、頑張れ、一虎!」







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