"]" In WonderLand
th はじまりの丘

聞こえるのは、どこか遠くで響く奇妙な獣の鳴き声。カラスのしわ枯れ声に風が枯れ木を揺らす音。目の前には煤けた空に焼き払われた小さな村の跡。天に向かって生えるのはどれも焼け焦げて枯れ葉すらない大木。下は荒廃した土地。虫すら息づかない焦土。どこまでも続いている。
ここは?
目が覚めると自分は知らない世界に横たわっていた。




"]" in WonderLand
〜はじまりの丘〜




思い出せない。自分は何をしていてこんな場所に横たわっていたんだか。地面に手を突いて起き上がる。
痛い。
手に痛みが走った。ぼんやりする視界を凝らして己の手を見やると、粉々に砕けたガラスが徐々に赤く染まり始めていた。まるでガラスの絨毯。それが不用意に手を突き体重をかけた己の血で赤い敷物になろうとしている。


「……よかった、起きたよ。」


すぐ横手から声がして、自分以外の誰かがいたことに驚いて振り向いた。
そこにはおよそ十五の少年と少し年上に見える少女。口を開いたのは気の弱そうな少年。見下ろしている体勢なのに見上げているかのような上目遣い。隣に立つ気の強そうな少女は自分をきつく見下ろして腕を組み、そこに重そうな胸を乗せている。


「どこのどいつか知らないけどヤツらのエサになる気なの?ここは僕たちの……聖地なんだ。汚したくないんだよ。」
「聖地?ヤツらって?」
「どうやら説明自体が無駄なようだエンマ。」


少女が少年を遮って前に立つ。武器のようなものを手に。
身の危険を察知した本能が自身の身体を立ち上がらせ、反射的に数歩だけ後退りした。少女はその空いた距離を意に介せず凛と構える。おそらくまだ踏み込みで越えられる間合い。背筋に冷たい汗が伝う。手からも赤い水が滴り、疼くような痛みがこれを現実だと知らせる。


「この薄汚い人間はおそらくアウトランドの人間。なおさらこの地に足を踏み入れる意味を理解させなければならないようだ。言葉は不要ですエンマ。」
「待ってアーデルハイト!本当に何も知らないんじゃ……可哀想だよ。危険じゃなさそうだし、僕が話すから。だから……。」

「――時間は五分。それ以上は粛清します。」


危険があっても、そう言い残して少女は武装を解いた。肌を刺すような緊張感が霧散する。とりあえず、当面の危険は去ったようだ――五分の間だけは。
困った顔をした少年がこちらに向き合う。


「ごめん。」
「いや、別に……。」
「アーデルハイトはいつもこうなんだ。悪気はないんだよ、僕もアーデルハイトもこの場所が大切なだけ。」
「この場所が?」
「………ここに、水晶のオブジェがあった。今はもう砕けてさっきまで君が下敷きにしてたけど……十年前かな。それまではきれいなオブジェがあったよ。闇も光も照り返す、世界の中心の証が。」


自分が寝そべっていた場所に撒かれていたのは、ガラスではなくオブジェの水晶が粉々に砕けた破片だった。少年はそのオブジェは女神像だったと言う。今ではもう、像の台座がかろうじて残っているだけ。女神の姿は失われてしまっている。

女神は神ではなく、代々この世界を継ぐ家系の長女だった。次期当主となるはずだった女性。はずと言うのも、今は亡き物語であるから。
十年前。世界には一つの国があった。神の家系は世界の秩序を守り、国の王は世界の民を守った。平和で平穏、光のあった時代。
だがある時、新たな王を名乗る者に神の家系は虐殺された。女神とされた彼女だけが親兄弟や親類を含めた唯一の生き残り。他の人間はすべてすべて非道な王に虐殺された。生き残った女神は非道な王に囚われた。彼女の命は世界そのもの。亡くしては世界が無くなってしまう。だから非道な王も彼女を囚われの身に留めた。


「そんな、ひどい……。」
「……非道な王は白の王。世界をすべて白く染めようと目論んでた。自分の色に、思い通りに操れる世界に。でもそうはいかなかった。そうだよねアーデルハイト?」
「世界に許された唯一の国、その光の王は悪しき白の王を許さなかった。神の血を殺め民を蹂躙し、非道の限りを尽くす王はこの世界の王にあらず。光の王は七人の騎士と立ち上がった。囚われた女神を救い、再び世界に君臨していただくため。世界を救うため。」
「……でも、白の王は強すぎた。七人の騎士は力を奪われ、幽閉されたり追放されたり、心を抜かれた者もいたとか。白の王は邪悪だったんだ。その後、光の国を滅ぼし始めた。光の国だけじゃない。自分の白い国以外すべてを滅ぼしたんだ。ここもそう……女神の城が、あった場所。」


エンマという少年は悲しそうに淡々と語る。アーデルハイトという少女も、淡々と話してはいるけれど怒りが抑えられずに握った拳が震えていた。
とうに五分は過ぎている。


「だが二年が過ぎたある日。突如女神は消えた。」
「消えた?白の王に囚われてたんじゃないの?」
「そうだよ。その城から、消えたんだ。突然ね。でも世界は消えなかった……女神は消えただけ、どこかにいなくなったのかもしれない。」
「白の王は狂喜した。自分が世界の神になれると。だが神の証は女神と共に消えた。」
「それはどんなものなの?」
「知るのは女神や死んでいった神の一族のみ。今はもう絶えた。世界はただ存在し続けるだけ。」
「アーデルハイト!」


気が弱いはずのエンマが鋭い声でアーデルハイトを一喝した。近くの枯れ木に留まっていたカラスが羽ばたいた。
眉をひそめて不機嫌を顕にしたアーデルハイトが振り向く。
こうしてみると、アーデルハイトは背が高かった。エンマは自分と大差ない小柄な体格。威圧感に首をすくめながらもエンマはまだ口を開く。


「……それは違うよ、アーデルハイト。」
「なんだエンマ。預言の書を信じるとでも?」
「預言の書?」
「この世界の暦を一日洩らさず記録した絵巻だ。今手にしているのは光の王だが、元は我らシモン一族が代々所有する秘宝。」
「預言の書では女神はいずれ還る……そう描いてあった。あの書には嘘なんてない。真実しか描かれてないんだから。」
「いつ顕れるか分からない兆しを頼りに生きるのか?女神はいない。いるのは我ら生き残った人間だけ。いない者に頼っても世界はどうにもならない。」
「………預言の書を守って、僕たちの家族は死んでいったんだよ。」
「ッ」
「家族、いたの?」
「同じ一族のね。情けないけど僕が後継者なんだ……アーデルハイトはその付き人。みんな預言の書と僕たちを守って死んでいった。」


この時初めて、気丈なアーデルハイトの表情が陰った。どんなに強がろうと仲間の死は未だ忘れられない悲劇なんだろう。エンマも悲痛な顔で俯くが、後継者ゆえの強さか、前を向こうとする意志が見えた。
自分は?
突然こんな世界にやってきて残虐な物語を聞いて、自分は何の関わりがある?関係などないのに。話ばかり聞いて何になる。ただ自分が何者なのか知りたいだけだというのに。


「………君の名前は?」
「分からない。」
「何も……覚えてないの?本当に?」
「うん。自分が何なのか、何も、知らない。自分は誰なのかすら……。」

「"俺"って言えばいいんだよ。」

「"俺"?」
「自分のこと。"俺"って言えば、少なくとも自分のこと認められるよ……僕はそこまで自信がなくて"僕"って言っちゃうけど。昔アーデルハイトが教えてくれた。」
「エンマ!余計な話はしなくてもいいのです……!」
「………照れてる、アーデルハイト。あはははっ。」
「な、んか……おもしろいね、君たち二人って。ふふっ、あははっ!」


エンマに一つ教わった。自分は"俺"。見失わなければ存在する意味はそこにある。
アーデルハイトの提案で光の城へ行き王への謁見を願い出ようということになった。預言の書を改めればそこに俺が現れる預言が描かれているかもしれない。そしてどこから来て何のために存在しているか、分かるかもしれない。

三人で道なき道を歩く。エンマとアーデルハイトは俺を"ソレイユ"と呼んだ。この女神が住まわれていた城の跡地は夕陽ヶ丘と呼ばれているからだそうだ。
絵巻を開けば、俺の存在が判るのだろうか。本当の名前や本当の存在意義を。



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